天 体 観 測
「いらっしゃいま・・・あっ」
コンビニのドアをくぐって来た顔に見覚えがあった要は思わず声を上げた。
相手は一瞬コンビニの定員に声をかけられたことに驚いていたが、その姿を確認して、ゆっくりと
その名を発した。
「?・・・ああ、望月」
そこに立っていたのは同じサークルの木久守弘だった。あまり目立つ存在ではないが、コンスタンス
にサークルに参加していることもあってか、要は早くから覚えたメンバーの1人だ。
「木久先輩、家この辺りなんですか?」
「うん、すぐそこ。雑誌でも買って帰ろうと思って・・・望月はここでバイトしてたんだな。
今まで結構このコンビニ来てたけど、気づかなかったよ」
「まだ、始めたばかりなんですけどね。僕も家、この辺りなんで、近いところでバイトした
かったんです。そういえば、木久先輩も一真先輩と高校一緒なんですよね」
「そうだけど・・・なんで?」
「僕も、同じなんです」
「そうなんだ」
木久は曖昧な笑顔で答えた。
「・・・僕もうバイト終わるんですけど、一緒に帰りませんか?」
「?!」
要の思わぬ提案に木久は細い目を見開いて要を見つめ返した。
「あ、まずいこと言っちゃいました?」
「・・・別にいいけど」
木久が小さな声で返事をすると、要はニコっと笑ってカウンターの奥へと消えていった。
着替えを済ませて外に出ると、熱気と湿気が身体にまとわりついてきた。7月になると、松本
と言えど暑さは日増しに強くなる。昼の熱気を徐々に放熱して、真夜中になっても、快適に
過ごせなくなってきている。
見上げれば満天の星が要の上に降り注いでいた。
(今日は・・・七夕、か)
夏の大三角はその存在を命いっぱい主張するように輝いて、要の心の奥底まで照らして
いるようだった。
要は春樹に思いを告げて以来、星を見るのすら苦痛になっている。どうして思いを告げて
しまったのか、自分でもよく分からない。八ヶ岳の自然に囲まれて、気分が高揚してたのだろう
とは思うが、それにしたって、もう少し時間をかけて言えなかったのかと、後悔ばかりが
湧き上がっているのだ。知ってほしかった気持ちと隠し通したかった気持ちが交錯して、
要はだんだんと春樹と対峙することが出来なくなってしまった。
そして、それは不意に目を逸らした瞬間、決定的になった。自分からの拒絶は春樹からの
拒絶へとつながり、やがて2人の間にはじわじわと黒い溝が出来上がっていった。暗く深く
現在進行形で深まっていく溝を、要はどうしようもなく持て余している。
もう一度夜空を仰ぐ。織り姫は彦星に無事逢えただろうか。月明かりない絶好の観測日和だ。
これなら、役立たずの月の船に変わって、カササギが――白鳥が無事二人を引き合わせるだろう。
要はガードレールにもたれかかる木久を見つけると駆け寄った。
「お待たせしました」
「いや、そんなに待ってないよ」
「はい、お土産です。・・・って言うようなモノでもないですけど」
要はペットボトルのお茶と廃棄にする予定のおにぎりを差し出した。
「ありがとう」
「お茶はいいですけど、おにぎりは早く食べちゃってくださいね。賞味期限あと数時間もない
ですから。・・・あ、廃棄の食品持ち出したのは内緒ですよ」
要はそういいながら自分用に持ち出したお茶を飲み始める。身体中に水分が行き渡ると、幾分かは
だるさが抜けていくようだった。
「先輩の家、どっちですか?」
「あっち」
「じゃあ、同じですね。ひょっとして3丁目?」
「そう。望月は?」
「僕もですよ。・・・へえ、こんなに近くに住んでいたのに、知らないもんなんですね」
二人は家の方向に歩き出した。要より頭一つほど背の高い木久は要を横目で見下ろしながら
どうして要が自分と一緒に帰ろうなどと言い出したのか考えている。
無言のまま歩いていると怪訝そうな顔をして要が話しかけてきた。
「先輩・・・?」
「・・・お前さ、進藤と喧嘩でもしたの?」
「え?」
「あ、ごめん。別に深く立ち入るつもりはないんだけど」
木久は慌てて首を振った。他人には干渉しないのが木久のスタイルなのだろうか。要は木久を
見上げて笑った。
「喧嘩なんてしてないですよ。・・・試験勉強でお互い忙しいから、ここ数週間は、あんまり
遊んだりしてないですけど。いつも一緒にいると、一緒にいないと喧嘩でもしてるように
思われるのかなあ」
「そう?進藤、なんだか元気なさそうだったから」
「そうなんですか?あいつも勉強疲れかな」
要は木久の意外と洞察力が深い事に驚いた。自分とも春樹ともさほど接点はない。サークルで
会うのがせいぜいで、キャンパス内で会ったとしても、挨拶を交わす程度だ。
「望月は、意外に策士なんだろうな」
「え?」
「嘘付くことにためらいがない」
そう言われて、要は黙るしかなかった。こうもいともあっさりと自分の言ったことに対して
嘘だと言われるのに驚かされる。鋭いだけではないのだ。更に、自分が生きるために身につけた
処世術をそんな風に言われてしまうことに要は嫌悪感を持った。反論したい気持ちだったが、
でも、所詮どうあがいても結果的には木久の言うことは図星だ。自分をだまし、人をだますことで
保たれた平和を、要は悪いとは思わない。内気で消極的だった自分を殺すことでこの8年間
なんとかやってこれたのだ。
「別に、それ自体が悪いなんて思ってないよ」
木久は前を向いたままそう言った。
普段は存在感を感じさせないようなポジションにいながら、こうやって二人で話してみると
自分の心を丸ごと手に取っていかれるような大きな存在に感じる。
ふと、一真や隼人もそんな風に思うのだろうかと、要は思った。
「木久先輩は、一真先輩や隼人先輩と一緒のクラスだったんですよね?」
「そうだけど?」
「仲いいんですか?」
「普通だよ。なんで?」
「一緒のサークル入るくらいだから、仲いいのかと思って」
「仲がよかったから一緒のサークル入ったわけじゃなくて、一真も俺も星を観測したかった
から入ったんだよ」
「あ・・・普通はそうですよね」
「まあ、そうでないヤツもいると思うけど」
木久は含みを持った言い方をした。
「木久先輩も天体観測、好きなんですね」
要は、八ヶ岳にも同行して、夜中の飲み会には参加せず、一緒に望遠鏡を設置していた木久を
思い出す。寡黙に、1人望遠鏡を覗いていた木久を要は薄ぼんやりとしか思い描けない。ただ
自分と同じ様に、星に魅せられた人間の姿であったことも確かだった。
「まあ、天体観測っていうよりも、星が描く天体そのものが好きなんだけどね」
「・・・?」
「自分で観測した星を、自分の手で再現する――」
「プラネタリウム・・・ですか?」
「うん。大平氏に憧れてね」
「メガスターですね」
「そう。アレを初めて見たとき、鳥肌が立った。これが1人の人間の手によって作られた
のだと思ったら、眩暈がしたよ」
木久は少し興奮気味に語った。まるで少年の夢のようだと要は心がくすぐったくなる。
メガスターが世に出たのは今から6年ほど前だ。本物以上のリアルさと言ったらよいのだろうか
要もその精密度を目の当たりにして、度肝を抜かれた。
プラネタリウムへの強い憧れ。要の中でもその気持ちは分かる。自分の中で星を掌握できる
気分。自分が中心になって天が回る。天を創造する。無限の宇宙を手に入れるたった一つの方法。
要は八ヶ岳の行きの車の中で聞いた話を思い出す。
「じゃあ、文化祭のクラスの出し物を考えたのは木久先輩だったんですか?」
「え?」
「あ、すみません。一真先輩達に聞いたんです。文化祭の出し物を」
「そう」
急に声のトーンを落として木久は頷いた。
「・・・?木久先輩」
「ああ。出し物を考えたのは俺じゃないよ。ただ、プラネタリウムを作ったのは俺だけどね」
「やっぱりそうなんですね。僕も見たかったな、その出し物」
「メガスター、いやホームスターに比べたって遥かに貧相なものだったけどね。でも、苦心して
作ったかいがあったのか、演出が功を奏したのか、その年の文化祭のベストオブアミューズメント
に選ばれたんだ」
「すごいじゃないですか。ベストオブアミューズメントっていうと、投票でどのクラスの
出し物がよかったか決めるのですよね。僕たちの代のときはそんなのでした」
「そうそう。同じだよ。会場の設営の仕方がよかったのかもしれないな、あれは」
絨毯にクッションを置いてカップル席を作ったのだと隼人は言っていた。
「僕も行きたかったな。一真先輩や隼人先輩のミニドラマも聞きたかったし」
「あ、あれは・・・」
木久は一層口が重くなって、下唇をかみ締めている。やはり何か嫌な思い出でもあるのだろう。
要は木久の態度を見てそう思った。
「見なくて正解だよ」
「そうなんですか?あ・・・ひょっとして、木久先輩も出てたとか?」
「・・・ちょっとだけな」
木久はこの話はもう終わりだと言わんばかりに、それだけ言うと押し黙った。少しだけ歩調が
速くなる。要は木久の心中を察することができなかったが、それ以上の突っ込んだ質問も出来ず
ただその後を追った。
住宅街のT字路で木久とは別れた。
「じゃあ、またサークルで」
そう言った木久は、何時もの調子に戻っていた。
善人ではないが、悪い人ではないのだろう、と要は木久のつかみどころのない性格を思った。
木久と別れた後、要はまた1人空を見上げた。先ほどまで無かったはずの雲がどこからか
流れてきて、こと座と白鳥座を隠し始めている。
アルタイルが一つ、光っていた。
大学の期末試験が、科目によって、いかに楽かそうでないかを身をもって知った、と要は思った。
2週間の試験期間を経てやっと解放された7月の末。どうやら追試は一つも受けなくてよさそうだ。
要は2週間ぶりのサークルに顔を出すために、サークル棟へと向かう。本格的な夏を迎えた午後の
日差しは強く、吹き出す汗を拭いながら、要はなるべく木陰を選んで歩いた。
春樹とは同じ試験科目の時に挨拶を交わしたきり、連絡は取っていない。勉強に没頭することで
目の前の問題から要はひとまず逃げることができた。
春樹はサークルに来るだろうか。会いたいのか、逃げられるのなら逃げ切りたいのか、要は
自分でもよく分からなくなっている。会って弁解したところで、春樹に対する気持ちが変わる
訳でもなく、だったらこのまま会わずにサークルから離れてしまってもいいのでは、とまで
思い始めている。
春樹が今自分に対して抱いている感情は不信感と嫌悪だけだろう。要は自分の行動の全てが
嫌になった。「友だち」を選ばなかった自分。選べなかった自分に、どうしようもない苛立ち
が襲う。
サークル棟まで来ると、要は重くなる足取りにため息をついた。小さくなった自分の影を踏み
ながら、天体観測サークルの部屋に向かう。
とぼとぼと歩いていると、建物の曲がり角で急に人影に出くわし、要が顔を上げた瞬間思いっきり
頭が相手の顎の辺りに直撃して、要は後ろによろめいた。相手は急激なスピードで曲がってきた
らしく、反動で後ろに倒れていた。
「痛っ・・・」
「す、すみません。ぼうっと歩いてたので・・・。大丈夫ですか?・・・あ、木久先輩」
「・・・望月」
木久は頬を押さえながら立ち上がった。
「先輩、血が・・・」
「大丈夫だ。すまない。こっちも走ってたから」
「何か合ったんですか?」
「学食に鞄忘れてさ。財布もケータイも全部置っ放し。別の荷物持ってたら自分の鞄忘れた」
「・・・それは、急いで取りに行かないと」
「ああ、悪いな」
木久はそれだけ言うと、再び走り始めた。要は、木久でもそんなことがあるのかと、去っていく
木久を見送る。
「僕の頭、そんなに石頭なのかな・・・」
木久の切れた唇の端の血に違和感を感じながら、要は自分の頭をさすった。
「ま、いっか」
要も再び歩き出した。建物の角を曲がって、サークル室の戸を開ける。
「お疲れさまです。お久しぶりです」
冷房で冷やされた部屋の中で、隼人が一人雑誌を読んでいた。
<<12へ続く>>
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