天 体 観 測
「要?」
「・・・ん?」
そのままゆっくりと春樹を振り向くと要はにこりと笑った。
「あ、いや。なんかぼうっとしてるみたいだったから」
「そう?ごめん。八ヶ岳ってどんな風に星が見えるのかなって思って」
「要も八ヶ岳、行ったことないのか?」
「いったことはあるよ。遠足だとか、ハイキングだとかね、でも夜には行ったことないんだ。
ちょっと楽しみだね」
「そうだな」
春樹がそう答えたと同時に、もう一度、今度は別の着信音が鳴り響いた。春樹も要もその音のする
床に転がった携帯電話を眺めた。
通話用の着信音だったらしく、一真は緩慢な動作でそれを拾い上げると、立ち上がって、
通話ボタンを押した。
「ああ、俺だけど」
そのまま、入り口まで向かうと一真は靴をはいて武田の部屋を出て行ってしまった。
ドアの閉まる音で部屋が一斉に音の方に注目した。
「あれ?誰が出てったの?」
「一真先輩じゃない?」
「なんかあった?」
口々に疑問符が飛び交っていると、一真のいた空間に武田が入り込んできた。
「進藤、望月、ちゃんと飲んでるか〜?」
「飲んでますよ」
武田はそこそこ酔っているらしく、要の肩に手を回しながら、要のコップにビールを継ぎ足している。
「武田、お前、それじゃ、ただの酔っ払いオヤジだぞ」
隼人が呆れながらそれを見る。
「お、俺はね、今、傷心なんだっ。酒飲まなきゃやってらんないのっ。オラ、進藤も飲め」
「どうしたんですか」
「どうしたも、こうしたもあるかよ。だってよ、英恵ちゃん、彼氏がいたんだ・・・しかも
年上の社会人。どうがんばっても、勝ち目ないじゃん、俺」
「ホンキだったんですか・・・」
思わず零れてしまった本音に武田は耳を引っ張った。
「進藤お前ねえ、俺の頑張り様見てなかったの?」
「いや、まあ、それなりには」
「まあまあ、武田も、そう簡単にあきらめんなよ。年上だろうが社会人だろうが、英恵ちゃん
だっけ?まだ18だろ?遠くの彼氏より、近くにいてくれる男だよ」
隼人は武田に諭すよりも独り言に近いトーンで呟く。
「そ、そうっすよね。彼女、サークル楽しいって言ってるし、俺、がんばろうっと」
「立ち直り、早いっすね」
「お前、一言余計だよ」
武田は春樹のわき腹に軽い肘鉄を食らわせた。「痛て」と春樹が叫ぶ。
「・・・?望月、どうした?」
隼人が3人のやり取りを黙ってみていた要に声をかけた。
「あ、いや、なんでもありません」
「なんだよ、要。さっきからぼうっとして」
「うん。ちょっと酔っ払ったかも」
「そうか?お前、あんまり顔に出ないのか?」
要はその質問には答えず、その代わり、一呼吸置いて、隼人を真っ直ぐ見つめて言った。
「・・・隼人先輩もやっぱりそうなんですか?」
「は?」
「やっぱり、離れている恋人より近くの支えている人の方が、有利だと思いますか?」
いやにリアルな質感を持った言葉だった。
「・・・一般論だよ」
隼人は言葉を濁して逃げた、ようだった。そこへ携帯電話を閉じたり開いたりしながら、一真が
戻ってきた。
「あ、奥さんから帰って来いコールでしょ?」
武田が場所を譲るように横に空間を空ける。
「バカ、誰が奥さんだよ」
「一緒、一緒。だって、一真さんと雛姫さんってすっげー新婚さんって感じする」
「どんな感じだ、そりゃ」
「まあまあ、アツアツってことですよ。帰って来いコールだったんでしょ?心配性だな、雛姫さんも。
誰も一真さんなんて狙えませんよ、あんな可愛い彼女がいたら」
「ったく、うるさいなぁ、武田は」
一真は溜息を付きながら近くの鞄を拾い上げる。
「やっぱり、帰るのか」
「ああ、すまん。あ、隼人、お前、明日就活の面接本借りに来るって言ってたけど、アイツと
出掛けるから無理だわ。すまん。どうする?」
「・・・ったく、しゃあねえな。まあ、一真の家まですぐだし今から取り行くわ。いい?」
「ああ、別にかまわねーよ」
そういうと隼人も立ち上がった。一真は武田に軽く手を振って、すまんけど、後頼むわと言った。
「あ、俺は、戻ってくるからな」
隼人はそれに被るように笑っていった。
「あー、じゃあ、ついでに頼まれてくれません?」
「なに、お前、先輩使う気?」
「ついでだからいいじゃないですか。ビールもう少し、お願いします〜」
武田は空になったビールの缶をカラカラ振った。隼人は溜息を漏らして、春樹と要を見る。
「よし、進藤、望月、お前等も来い」
「・・・またっすか〜」
そう言いながらも春樹は素直に立ち上がった。要も何も言わずすっくと立った。
「お前ら〜、ホントいい後輩だ〜」
「望月、お前、無理して隼人になんて付き合わなくていいんだぞ」
一真が心配そうに要を見たが要は首を振って笑った。
「別に無理なんてしてないですよ。隼人先輩おもしろいし・・・なんだか、自分に感性が似てる
ような気がして、楽しいですから」
「そうか?ならいいけど」
春樹は要の姿に、改めて昔の面影を重ねてみた。勿論あの頃の容姿はどこにもない。いつも俯いて
歩いていた要が、先輩に対し、真っ直ぐ向いて話している姿は、自分の知っている望月要と
本当に同一人物なのか疑いたくなる。ただ、右目の目元にある小さな泣きボクロが昔の名残を
表していた。
武田は酔っ払っているメンバーに声を掛ける。
「進藤と望月が買出し行くってー!なんかいるやつ、今のうちだぞー!」
その声に反応して何人もの手が上がる。
「ビール、こっちも足りねー」
「じゃあ、あたし、チュウハイ。レモンがいいなー」
「つまみ、切れそう。なんか買ってきて」
「あ、俺、タバコ。マイセンのメンソール」
「俺もー。セッタなー」
隼人が大きなため息を付く。
「ったく、お前らは・・・」
「ああ、いいっすよ、ついでだし」
「進藤、お前、人がよすぎるんだよ。ついでなのは俺だけだぞ」
その言葉に要は噴出して笑った。
「なんだよ」
「いや、ホントに時々、進藤って人がよすぎるっていうか、頼りになるっていうか・・・」
「面倒くさいことを押し付けられやすいんだっていいたいんだろ、どうせ」
「そういうとこ、昔から変わらないよね」
「そうか、進藤は根っからのお人好しか」
一真がなんとなく分かるな、と頷く。
春樹は曖昧な笑みを浮かべながら、じゃ、行きましょうかと言って、外に向かった。
外に出ると、外は肌寒く、アルコールで胃のあたりだけが熱くなっていた。武田の部屋の
喧騒から解き放たれた開放感からか、4人はほぼ無言で歩いた。
一真のアパートは歩いて5分程だった。
その距離を春樹は短いと感じていたが、要はすごく遠くまで来たような気がしていた。
「・・・あれ、お前の部屋、電気付いてねえ?」
「ホントだ、消し忘れたかな。ちょっと待ってろ、本持ってくるから」
玄関の前で鍵を開け、ドアを開くと女物の靴が見えた。
「・・・一真?帰ってきたの?」
奥からは綺麗な女の声が響いてくる。一真は一瞬困った顔をして、慌てて部屋の中に入っていった。
外には春樹たち3人が、ぽつんと取り残された。
「一真先輩の彼女、ですかね?」
「・・・多分な」
部屋の奥で微かに声が聞こえるが、それがどんな会話なのかまでは聞き取れなかった。しかし、
女の声は話すたびに語気が強くなっていることから、怒ってるのではないかと春樹は思う。
足音が玄関の方に近づいてきて、やがてその声ははっきり聞こえた。
「だいたい、迎えにいくって言ったのに、なんで勝手に上がり込んでるんだよ」
「迎えに来るって、一真、お酒飲んでるくせに、どうやって迎えに来るっていうのよ」
「明日の朝一にでも迎えに行けばいいだろ?」
勢いに任せて開かれた扉に春樹は危うく激突しそうになった。
「うわっ・・・」
「あ、すまん」
開かれた扉の奥には、困った顔の一真と、不機嫌そうに顔をしかめた綺麗な女性が立っていた。
「あ・・・大槻君」
「よ、こんばんは」
「こんばんは」
バツの悪そうな様子で女性は頭を下げた。
「・・・大槻君が来てるなら、そう言ってよ」
「お前が帰ってくるなり文句言うから、いえなかったんだよ。はい、隼人、本」
「ああ、サンキュ。ごめんな、雛姫ちゃん。一真連れまわして」
「・・・ううん、別にいいのよ、ごめん、話全部聞こえてた?」
隼人は苦笑いして頷く。
「結構ね。あ、そうだ、紹介してやるよ、ほら、お前らも挨拶しとけ、織姫様に」
そう言うと隼人は春樹と要の背中を押して自分の前に立たせた。
「うちのサークルの後輩。今年入った1年」
「進藤春樹です」
「望月要です」
2人は名前だけ告げて頭を下げた。
「望月は、高校の後輩だよ」
一真が告げると、女性は少しだけ目を大きくさせて、ふっと笑った。さっきまでの表情が
嘘のようだった。
「まあ、そうなの。あ、織部雛姫です。えっと、望月君だっけ?あたしも一真と同じ高校なのよ」
「じゃあ、僕の先輩なんですね」
「そういうことね」
笑うと綺麗というより、かわいい感じがした。ボブにゆるくかけたパーマがよく似合っている。
「一真、雛姫ちゃん、大切にしてやれよ。邪魔してごめんな。本も借りたし俺達行くわ」
「あら、上がっていけば・・・あ、飲み会の最中だったっけ」
「おう、俺達使い走り組なの。じゃあ、またな」
「ああ。っていうか、お前今頃そんな本読んでて、間に合うのか?」
「どうにかなるだろ」
「相変わらず、適当なヤツだな」
一真はしょうがないヤツといいながら溜息を付き、隼人はひらひらと手を振って歩き出してしまった。
「あ、じゃあ、また・・・」
「おう、またな」
春樹も要と一緒に頭を下げて隼人の後を追う。普通の会話だったはずなのに、どこか白々しく
寒気がしたのは、外の空気の寒さに酔いがかき消されてしまったからなのだろうか。
歩き出してすぐに振り返ったが、一真の部屋の扉はもう既に閉まっていた。それは、これ以上
踏み込むなという拒絶にも見えた。
一真の部屋からの帰りは打って変わって、皆饒舌といえるくらいにしゃべった。
「隼人先輩って一真先輩の彼女とも知り合いなんですか?」
隼人を挟んで3人横並びに歩いた。春樹は一真にさっきの様子を思い出して聞いた。
「・・・知り合いっていうか、あいつと彼女くっつけてやったの俺だし」
「え?」
「同じクラスだったんだ。3人とも・・・いや、もう1人、木久っているだろ?あいつも同じ高校で
同じクラス」
「じゃあ、隼人先輩も僕の高校の先輩だったんですか。なんだ、言って下さいよー」
「・・・まあな。別に隠してたわけじゃないけど」
隼人はポケットからタバコを取り出すと口に咥えた。
「じゃあ、同じ高校の同クラスから3人もこの大学通ってるんですね」
「地元だしな。結構多いよ、うちの高校からS大来るヤツ。望月だってそうだし」
「まあ、そうですね。20人くらいはいると思いますよ」
春樹は暗がりの中で隼人の口から漏れる白い煙を見ている。たばこって旨いもんなのかと、
吸ったことのない春樹はその仕草を見て思う。
「雛姫ちゃんがめちゃめちゃ惚れてたんだ」
「え?」
「あの2人の馴れ初め。俺さ、高校の時から一真とは仲良かったし、それでたまたま席が隣になった
雛姫ちゃんから、恋のキューピットってやつを頼まれたってわけ」
「へえ、じゃあ、高校の時から付き合ってるんですか?」
「3年の時だよ、俺が恋のエンジェルさんになったのは」
隼人は手をパタパタさせた。天使のモノマネらしい。
「美男美女カップルですね」
「あいつら、3年のミス・ミスターM高に揃って選ばれたよ」
「ああ、そんな感じします」
要が頷く。ミス・ミスターM高がどんなものか分からなかったが、春樹たちの高校にも同種のものは
存在していたから、なんとなく頷ける気がした。
雛姫は見るからに綺麗でかわいい印象だし、一真は優しくて頼れる感じがする。ただ、顔の優劣を
つけるのは難しいが、かっこいいとかもてそうと言われるのは寧ろ隼人の方で、その
ミス・ミスターM高が「かっこよさ」だけで選ばれるものではないのだろうと春樹は思う。
「大学入学の頃は、それこそ、あの2人むちゃくちゃ仲良かったんだぜ?」
隼人は空に煙を吐きかけながら言う。
「雛姫ちゃんが短大でお互い学生だった頃は、俺もよく遊んだりしたんだけど、彼女の方が
先に就職して、仕事が忙しくなってさ。だんだんとすれ違いっていうか会える時間が確実に減って、
ちょっと雛姫ちゃん焦ってるんだろうな・・・。飲み会があるって言っても10時すぎると帰って来い
メールが来たり、今日みたいに、突然押しかけてきたりな」
「すれ違い、ですか」
「まあ、社会人と学生の価値観って違うんだろ。俺には実感としてわからないけどさ。学生なんざ、
腐るほど時間あるし。実際はそんな時間があるわけでもないけど、少なくとも社会人よりは時間が
ある。その代わり金はない。社会人はその逆。金で時間を買ってる節もあるし。そうするとな、
お互いの価値観が変わってくる。ちょっとしたことでもいざこざが起きる。焦ってそれを取り戻そう
とするたび、すれ違いが起きる・・・ってことらしいぜ、一真に言わせると」
春樹は自分が大学生になったばかりで、大学生と高校生のものの考え方の違いにすら驚いているのに、
それ以上に違うという社会人というものを、遥か遠い世界のものにしか考えられなかった。
4年後は社会人になっているかもしれないというのに。
「ところで隼人先輩は彼女いないんですか?」
「俺?」
「はい、俺から見てもかっこいいし、すごいもてそうだし」
「あはは、いない、いない。全然もてないよ。俺面倒くさがりだから」
「そうなんですか?」
「そーいう、お前らはどーなんだよ」
春樹は要を見ると、目が合った。お互い苦笑いを浮かべて
「いたら、こんなとこいませんよ」
とハモった。
5月の肌寒い夜に3人分の笑い声が響いていた。
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