なかったことにしてください  memo  work  clap
天高く馬肥ゆる―丘の我慢―



――99年5月17日
 買ってあげたおもちゃの自動車で丘がリビングの窓からダイブした。ワンワン大泣きして、
頭に大きなタンコブ作って、晴くんとあわてて病院に連れて行ったら、「大丈夫、大丈夫、
こんだけタンコブ作ってるから」と言って、あっさり帰されてしまった。それをお父さんに話したら、
石頭は弥生似だなと言って大笑いされた。別に私は頑固なだけで、石頭なんかじゃないわ。
                                 ―弥生の日記より―


 「天、やめろって・・・アツシいるんだから・・・」
「いいじゃん、ほら、プリン食べるのに必死でこっちなんて見てないんだし」
「やっ・・・。た、丘がそのうち、起きてくるからっ・・・んん・・・」
「だって晴さん、可愛いから食べたくなっちゃう。んっー」
朝起きて、キッチンのドアを開けたら、父さんが天に襲われていた。
「天!」
大声で叫んだら、父さんがネコみたいににゃあって鳴いて、飛び跳ねた。
「たかし〜」
天は憎たらしそうに、オレを睨む。
 なんだよ、オレが悪いんじゃないぞ!天がそんなところで、イチャイチャしてるのが悪いんだ。
オレは2人がそんなことをしているのを見て、笑って過ごせるほど、心は広く出来てない。
 天と暮らし始めて4ヶ月。雨宮の家で感じたあの気持ち悪さほどは、もう感じていないけど、
それでも、オレは2人が手繋いでるのみるだけで、全身の毛穴から何かが出たり入ったりするくらい
の気持ち悪さは感じてる。
 ようするに、オレの前ではべたべたすんなってこと。でも、そうやって怒ると、天は睨むし
父さんは拗ねる。
「ちょっとくらい、見て見ぬ振りをしてろよ。アツシなんて、何にも気にしてないぞ?」
って天は言うけど、こんな気持ち悪いもん見て見ぬ振りなんてできっこない。大体、アツシなんて
朝ごはん食べるのにいっぱいいっぱいで、父さんと天の方なんて全く見ることなんて出来てない
だけじゃないか。あーあ、プリン零れてるし・・・。アツシ、汚ねえよ。
 すがすがしい日曜日のはずが、この一発で台無しになった。はあっと大きなため息を吐いて、
もう一度父さんと天を睨む。
「天も父さんも、鬱陶しいんだよ!!」
時々、何でオレはこの2人のことを許してしまったのか自分でも分からなくなる。オレが頭を痛めて
いると、玄関のチャイムが軽やかに鳴り響いた。
「丘ー、ちょっと出て」
「・・・わかったー」

「おはよう、丘君」
そこに立っていたのは母さんに似た綺麗な女の人――佳美(よしみ)ちゃんだった。佳美ちゃんは母さんの
従妹で、母さんが病気で寝込んでいるときから、よく家のことを手伝いに来てくれていた。
 美人でかわいくて、優しくて、どうしてそんなにまでしてくれるのかと思っていたら、実は
佳美ちゃんは父さんのことが気になってるみたいで。
 ・・・勿論、佳美ちゃんが言ったわけじゃないけど、見てれば分かる。だって佳美ちゃん、父さん
を見るときだけ、目がハートマークになってるんだ。父さんは気づいてないのか、気づいてるのに
無視してるのかよく分からないけど、佳美ちゃんの想いはもう何年もずっと一方通行のままだ。
 尤も佳美ちゃんには悪いけどオレは父さんが佳美ちゃんを好きになっても、佳美ちゃんが新しい
母さんになるっていうなら、猛反対してただろうけど。
 でも、結果は、佳美ちゃんが母さんになるよりも悲惨な現実が待っていた。っていうか、そうか。
佳美ちゃん、まだ知らないんだ。天がこの家に住んでいること・・・。
 ニコニコ笑う佳美ちゃんを前にオレは背中がすうっと冷えて行く。どうなっちゃうんだよ、これ。
「丘ー?誰だったの?」
玄関で立ち尽くしていたオレから返事が来ない所為で、キッチンから父さんが出てきた。
「・・・あれ、佳美ちゃんかー。久しぶりだね。いらっしゃい」
「おはようございます、晴くん」
父さんの顔を見つけて、途端に佳美ちゃんの頬がピンク色になった。リトマス試験紙より分かりやすい。
佳美ちゃんは、うふふと笑って手にした紙袋を父さんに渡した。
「アップルパイ焼いてきたの。みんなでどうぞ」
「いつも、ありがとね。男所帯だと、こういうモノ作る人いないからなー。・・・お、旨そう」
甘いもの大好きの父さんは紙袋の中を覗いて目を輝かしていた。
 そこに、もう一つの足音が聞こえてくる。
「晴さん、お客さん?」
あー・・・出てきちゃった。
 そこにはアツシを抱っこした天が立っていて。
「あ!」
「あ?」
「あー」
「はあ・・・」
オレたち4人は佳美ちゃんを見て一斉に別々のリアクションを取った。

 父さん、天、オレ。父さんがアツシを抱っこして、アツシの席にお客様用の椅子を出して、
佳美ちゃんが座った。今までなら、佳美ちゃんが「母さん」の椅子に座っていたのだけれど、
今はそこは天の指定席になっているから。
 佳美ちゃんは呆気に取られていた。
玄関で目を丸くして立ち尽くしている佳美ちゃんを後に、オレはひとまず父さんをキッチンに
引っ張った。
「マズいよ、父さん」
「何が?」
「何がって!父さんと天のことだよ」
「ああ・・・ちょっとマズいかもね。まあ、何とかなるよ」
のん気に父さんは言っていたけど、再び玄関に戻ったときには、既に空気は大変なことになっていた。
 オレはその瞬間、昨日のテレビでやっていた「再現!コブラ対マングース」を思い出した。あれ、
昨日どっちが勝ったんだっけ?途中でアツシが暴れだして、テレビどころじゃなくなったんだよな。
 っていうか、天、佳美ちゃんに何言ったんだ?見れば佳美ちゃんの左頬がぴくぴく引きつらせながら
天と握手している。
「なかよしー」
アツシがその上から小さな手で2人の手をぺたぺたと触っていたが、その友好的な言葉は見る影も
ないほどに、黒いオーラが佳美ちゃんからは発せられていた。
 そして、格闘場が玄関からキッチンへ移っても、コブラ対マングースは戦い続けていた。尤も
天なんかは余裕ぶっこいてますみたいな顔して、
「佳美ちゃん、何飲む?紅茶?コーヒー?あ、晴さんとアツはホットミルクね」
なんて母さんぶって言っている。
 っていうか、オレにも聞けよ。
「・・・紅茶、ください。あの前に私が持ってきたのが戸棚に仕舞ってあるはずなんだけど。分かる
かしら?私、やろうかな?」
そう言って佳美ちゃんが立ち上がるのを手で制して、天は自らキッチンに立つ。普段なんて、絶対
やらないくせに。オレに「お茶入れろ」だの「ビールもってこい」だの散々こき使ってるくせに。
「ああ、あの葉っぱね。分かる分かる。晴さん紅茶飲まないから、誰が買ってきたんだろうと思った
んだけど、佳美ちゃんだったんだね」
「・・・ごめんね、私専用で。その、テン君?天君はいつから下宿してるの?」
「5月ちょっと過ぎくらいですよ。紅茶はレモンとミルクどっちがいいです?」
「ストレートでいいです。って、この家、レモンなんてあったかしら。アツシ君も随分べったりな
カンジだけど、この子、大暴れして大変でしょ?」
天はふんと鼻で笑った。あんまり、佳美ちゃん苛めるなよ。オレはハラハラしながら2人の様子を見て
いる。前に一度オレが佳美ちゃんの話したことあるし、天も多分気づいたはずだ。佳美ちゃんが父さん
のこと好きなこと。だからこうやって意地悪してるんだ。
 天も子どもみたいだ。
「俺ね、アツの保育園の担任だから、手の掛かる子どもには馴れてるんで。あ、お砂糖はどうします?」
「せ、先生?」
「はい、そうですけど?・・・で、お砂糖は?」
「・・・いりません」
天と佳美ちゃんの間にはこの家の「主婦の座」を巡る熾烈な争いが繰り広げられているようだった。
 それでも天の方には明らかに佳美ちゃんの反応を見てからかっているのが分かったから、どうやら
天は佳美ちゃんに「下宿」しているとしか言ってないようだった。
 危ない橋を自分から渡っていこうとする天の神経はイカれてるに違いない。冷や冷やしながら
隣で見ているオレの気にもなってもらいたいもんだ。
 父さんとアツシは目の前のアップルパイに夢中だし。天は上機嫌で紅茶とコーヒーとホットミルク
を入れている。
 この後に、とんでもない大どんでん返しが待っているとはつゆ知らず。

 天から受け取った紅茶を一口飲んで、佳美ちゃんはため息を吐く。思いのほか紅茶がおいしかった
らしい。
「どうして、下宿なんかしてるの?」
「まあ、いろいろあって」
天が席についてからも、戦いは続いていた。佳美ちゃんは天の下宿をあくまでも「部屋がないから、
住まわしてもらってる」と信じているようだった。
「でも、いつかは出て行くんでしょ?」
「いつかねえ・・・まあ・・・」
「そうよ。例えば晴くんが再婚したりしたら、やっぱりここにはいられないでしょう?」
「・・・」
さすがに天がそれには黙ると、アップルパイを完食した父さんが平然と言い放った。
「再婚、しないよ」
「?!」
佳美ちゃんと天がぎょっとした顔をして一斉に父さんの方を向く。だけど、父さんはお構いなく
「俺、天以外と再婚なんてするつもりないから、天がここから出て行くことは一生ないよ」
と続けた。
「晴くん!?」
何言ってるんだよ、馬鹿父さん!!
 天がマズイって顔をする。佳美ちゃんの手にしていたフォークがお皿の上に落ちてガチャンと
耳を塞ぎたくなるような音がした。
「どういうことなの・・・?」
「え・・・あ・・・あれ?」
 佳美ちゃんが父さんの方をみる。その目はぎらぎらしていた。
こ、怖わい・・・。
 だけど、父さんは平然としながら、ホットミルクを一口飲んで、
「なんだ、そんな話題してるから、てっきり天が言ったのかと思った」
そんなことを言っている。
「何を?!」
その途端、佳美ちゃんの何時もより低くい声が飛んできた。
「何って、同棲してること」
父さんは天がそこだけは絶対に見せないぞって決めた扉を簡単に開いて、更に手招きまでして
しまったのだ。
「――?!」
「は、晴さん!!」
あーっ・・・・。言っちゃった。天はおでこ押さえてるし、佳美ちゃんは目を白黒させて父さんと天を
見比べている。
「・・・どういうことなの、それ」
「は、晴さん、冗談キツイなあ・・・。同棲って!佳美ちゃんも冗談だから!」
慌てて天がフォローに入るけど、佳美ちゃんは父さんの一言にすっかり正気を失くしている。
「晴くん、どういうことなの?アツシの担任の先生と同棲って!この人男よ!?分かってる?
大丈夫?・・・晴くん、そんな趣味だったの!?」
「そんな趣味っていうわけでもないんだけど・・・」
天のフォローも虚しく、父さんは本音をだだ漏れにした。
「まあ、好きになったのがたまたまそうだったってだけで」
佳美ちゃんの頬がぷるぷる震えている。目なんて何時もの倍くらい大きくなって目が真っ赤に
なって、正直怖い。そしたら、
「よしみちゃん、おに」
会話の殆どを理解してないアツシが、アップルパイでべたべたの顔でそう言った。
 ぷちんと何かが切れる音がした。オレもそして天もそう思った。
 ちょっとからかい過ぎた。天はそんな顔をしている。自分は絶対墓穴なんて掘らないから、
そう思って佳美ちゃんをからかっていたはずなのに、思わぬところに伏兵がいたってことだ。
 まさか自分の大将に後ろから切り殺されるなんて思っても無かったんだ。いつもなら、ふん
ざまーみろって思うけど、今度ばかりはそうは言ってられなくなってきた。
「晴くん、このこと、叔母さん達知ってるの?」
「・・・ううん、教えてない」
「いいの?」
「・・・」
「こんなことして、いいの?」
「あ・・・」
「あ!」
佳美ちゃんはじいちゃんとばあちゃんに繋がっているんだ。
 オレはこのときまで、すっかりじいちゃんとばあちゃんのことを忘れていた。しかも、忘れていた
のはオレだけじゃないらしい。父さんもしきりに頭を掻いて、笑っている。・・・笑ってる場合
じゃないと思うんだけど、父さん。
「ねえ、晴くん、この人と、け、結婚したいの?それとも、奥さんが欲しいってことなの?子たち達の
ことが心配で再婚するっていうのなら、きちんと、お嫁さん見つけたほうがいいわ。叔母さんだって
凄く心配してたし、私だって心配なのよ?」
 だから、私と再婚したらいいと思うの、とオレは佳美ちゃんの心の声を聞いた気がする。
天は黙って、佳美ちゃんを見つめている。だけど、父さんは、そんな空気もお構いなく、自分の
気持ちを佳美ちゃんに語った。
「でもなあ、天と暮らすのやめる気ないし・・・」
「晴くん!・・・一時の気の迷いよ!そうよ、この人に騙されてるだけよ!ねえ、考え直して!」
「気の迷いって。俺別に天に騙されてなんてないけどなあ」
「ちゃんと、お嫁さん貰った方がいいって。この子たちのためにも!」
 考え直すなら、このことは黙っててあげるから、そういった佳美ちゃんに、父さんは首を振った。
「でもね、俺、やっちゃんの他に『お嫁さん』はいらないし」
多分、その一言がいけないんだと思う。
 佳美ちゃんは頭から湯気が出てきそうなくらい顔を真っ赤にして
「私、絶対に認めないから。叔母さんに言いつけてやる」
そう言って、机を両手でばんと叩くと、席を立った。それから、佳美ちゃんは一切振り返らず家を
飛び出していった。
 家の中は嵐が去って行ったみたいな静けさだった。ホントに嵐みたいだった。天はちょっとだけ
疲れた顔をしてるし、父さんは何を考えてるんだか分からない笑顔で参ったなあと呟いた。
 参ったのは「佳美ちゃん」だけじゃない。佳美ちゃんのバックには母さんのじいちゃんとばあちゃん
がいるからだ。特にあそこのばあちゃんは、父さんにやたらと厳しい。母さんが死んだとき、父さんが
家出して、泣いて帰ってきたときに真っ先に叱り飛ばしたのはばあちゃんだった。
 ・・・大丈夫なのかな。そう思って天を見上げると、天も困ったような難しい顔をしていた。ああ
こう言う顔ってなんていうんだっけ。
 国語のドリルにあったヤツ。
「ああ、苦虫を潰したような顔」
言った途端、天の腕が伸びてきていきなりデコピンされた。
「痛ってー。何すんだよ」
「ガキは黙ってろよ」
オレたちが揉めていると
「たかし」
と、めずらしく、父さんがオレと天の2人をそう呼んだ。そして、すうっと顔から笑みを消すと
「覚悟した方がいいかもしれない」
そう言って、静かに席を立った。


 それから、僅か4時間後。
何の前触れもなく、それはやってきた。チャイムがなって、玄関の扉を開けると、着物を着た
おっかない顔のばあちゃんが立っていた。

「ごめんください。晴さんはいらっしゃるわね?」


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【天野家ことわざ辞典】
天高く馬肥ゆる(てんたかくうまこゆる)
秋は、空が澄み渡って高く晴れ、気候が良いので食欲も増して馬もよく肥える。






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