なかったことにしてください  memo  work  clap
男ヤモメに悪虫が湧く―丘の撃沈―



友達は大切にしなさい。
何十回、何百回も言われる先生や親の台詞の意味を、そのとき初めて実感した気がする。

 大通りまで駆けだして、息が上がって立ち止まった。背負ったリュックと背中の間に汗が
滲み出して、気持ち悪くなる。額の汗を腕で拭って、街路樹のすぐ下にあるベンチに座った。
 頭は混乱したままだった。
父さんは、一体何を考えているんだ。普段からよく分からないことが多いけど、今まで生きて
来た中で、一番よく分からない。
 確かにオレは母さん以外の母さんはいらないって何度も言ったし、父さんも納得してたはずだ。
だからって、女がダメなら男連れてくるか、普通。しかも、アツシの担任なんて。おかしい。
父さんの頭はイカレてるんだ。
 ベンチで一休みして、これからどうしようと思った。何にも考えずに家を飛び出したはいいけど、
行く当てもない。
 父さん達には見つかりたくない。安全で安心して隠れられるところ・・・。
そう思って、友だちの顔を思い浮かべた。
タケ。・・・だめだ、あいつの家アツシと同い年で同じ保育園通ってる弟がいる。行ったらばれちゃう。
うーんと、じゃあヒデキかな・・・。あー、ダメだあいつんちも、姉ちゃんがタンポポ保育園の
先生だ。・・・後は・・・
気軽に泊めてもらえそうな友だちを思い描いてみるが、どれも無理そうだった。
当てもなく大通りを歩いて、公園で時間を潰した。公園の時計が5時を告げる。薄暗くなってくると
身体が冷えて、身震いした。
 ここにいてもどうしようもないな・・・。
それでも、到底、家に帰る気にはなれなくて、公園を抜けて2丁目の商店街の前を歩いた。
「天野?」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには同じクラスの雨宮修弥が立っていた。
「雨宮じゃん。何しての?」
「塾の帰り」
「へえ、やっぱり雨宮って頭いいもんな」
雨宮とは、今年になって初めて同じクラスになったけど、名前だけは知っていた。雨宮病院の
跡取り息子で、学年1頭がいいメガネ君。だけどちょっと暗いヤツ。
 4月の席はあいうえお順に並ぶから、オレの後ろだってこともあって、ちょっとはしゃべったり
もするけど、放課後はさっさと家に帰るし、休み時間だって一人で静かに本とか読んでるし、
あんまり仲良くなれる要素がないヤツだ。
「天野は何してる?」
「オレ?オレは・・・」
言いかけて戸惑う。父さんが男と一緒に住むって言い出して、それに反対して家出してるなんて
格好悪すぎて言えるわけない。
 だけど、ここで雨宮と会ったのも何かの縁かもしれない。こいつの家なら、父さん達に
居場所がばれることはないし、学校にも通える。
 オレは思い切って雨宮に言った。
「なあ、お前の家、こっそり泊まれない?」
「な・・・」
雨宮は絶句してしまった。・・・あれ、そんなに変なこと言ったかな。
「あ、あのさ・・・ちょっと実は、家出中で・・・」
「何かあったのか?」
「うん、ちょっと・・・」
雨宮はちょっと悩んでいた様子だったけど、一言いいよ、といった。
「ホントに?」
「ああ、どうせ夜は父さんも母さんも病院でいないし」
「わーい、雨宮。超助かった」
オレは雨宮の手を取りぶんぶんと振った。
「あ、天野、やめろって」
雨宮がオレが握った手を慌てて引っ込めるので、オレは空中で空振りしてしまった。
ちぇ、ノリ悪いな。やっぱり、こいつ、苦手かも。
 そうは言っても背に腹は代えられない。泊めてもらえるんだ、文句は言うまい。

 雨宮の家は雨宮病院に隣接していた。病院の前は何度か通った事があるが、家は病院の
裏手にあって、そこに家があることすら知らなかった。
「でかい家」
「そうか?」
「雨宮って、お坊ちゃまなんだなー」
部屋に通されると、オレの部屋にあるベッドより遙かに頑丈でがっしりしたベッドが置いてある
ことにびっくりした。
「すげえー」
思わずベッドにダイブ。あ、跳ねた。これスプリングってんだよな。父さんの部屋のベッドと
同じだ。父さんがいないときにアツシとこっそり飛び跳ねて遊んだことがある。
 あいにくオレのベッドはそんないい物は付いて無くて、ただ布団が敷いてあるだけなんだけど。
「なあ、オレもここに寝ていい?2人くらい入れそうじゃん、このベッド」
仰向けになって振り返ると、雨宮が困った顔をして、ずり落ちた眼鏡を直していた。

 雨宮の親は、本当に夜帰ってこなかった。それどころか朝食も雨宮一人で、まあそのおかげで
オレは堂々と朝食にまでありつけたわけだけど。
 うちなんて、母さんいないけど、朝は全員揃ってからじゃないと絶対に始まらない。晩ご飯は
父さんの帰りが遅い時なんかは、アツシと2人で食べることもあるけど、朝食だけは
「大切な家族のコミュニケーション」
だとか言って、父さんは大切にしている。・・・まあ、そのコミュニケーションは断絶したけど。
 ただ、次の日の昼過ぎに担任の先生に呼ばれて、
「天野君、お父さんと何かあったの?」
と聞かれたから、向こうは必死に探してるのかもしれない。
「別になんにも。ちょっと喧嘩しただけ」
「そう。お父さんも、ちょっと喧嘩して、朝姿が見えなかったから、学校行ったか心配で
電話掛けてみたって言ってたから。大丈夫?何か心配事でもある?」
「ううん、大丈夫。何でもないよ」
そんなこと、絶対に言えない。我が家の恥。オレは頭を振って、その場を離れた。
 父さんが心配してくれることに、ちょっとは嬉しいような、後ろめたいような気になるけど
でも、父さんを許す気にはなれない。
 だって、絶対変だ、こんなの。

 雨宮はオレの家出の理由を聞いてこなかった。泊まった日の夜しゃべりたくないなら別に
聞かないと言って以来、何も言わない。そう言われると、言いたくなるのが心情ってモノで
オレは4日目の夜、思い切って雨宮に言ってみた。
「あのさ」
「何?」
雨宮は塾のない日でも家で勉強している。オレなんて宿題するので精一杯だっていうのに。
オレは宿題の手を止めて、机に向かう雨宮に聞いてみる。
「雨宮の父さんと母さんってどんな人?」
「うち?普通じゃないのかな」
「普通か・・・」
「何、普通だと困るのか?」
普通の親見てるだけじゃ、普通じゃない親の思考なんてわかんないよな・・・。
「うちさ、母さん死んじゃったの知ってる?」
「ああ」
「父さんと、オレと弟と3人で暮らしてるんだ」
雨宮も勉強の手を止めてオレを見た。
「例えばさ、新しい母さんが来たとして、最初は嫌な事もあるかもしれないけど、絶対上手く
行かないってこともないと思うんだ・・・。今はまだそんな気にはなれないけど・・・」
「ああ」
「だけどさ・・・つれてきたのが、男だったら・・・あ、いや、まあ、例えばって話で・・・」
雨宮は鳩が豆鉄砲でも喰らった顔をしている。そりゃあ、驚くよな。オレだって驚いた。
「それが、お前の家出の理由?」
「・・・うん」
雨宮は神妙な顔になって、何かを考えている。頭の良いヤツにだって、こんな問題の答え
なんて分かりっこないんだ。
「あ、別にいい、いい。そんな真剣に考えるなって」
オレは慌てて首を振った。そんなに真剣にならなくってもいいって。雨宮が困りながらも
何かを口にしようとした瞬間、いきなり部屋の扉が開いて、そこには仁王立ちになっている
白衣の女性がいた。
「母さん・・・」
「あ・・・」
やばい、見つかった。雨宮の母さんはオレの方をギロっと睨んだ。
「どちら様かしら?」
「あ、こんばんは、同じクラスの天野です」
「天野君・・・こんな時間に何してるのかしら?そろそろお家に帰らないと、親御さん、心配
なさってるんじゃないのかしら?」
「あ、あの・・・」
「それとも、うちに泊まっていくつもりじゃないでしょうね?」
雨宮の母さんは明らかに怒っていた。弁解も聞いてくれないかな。まあ、こんな時間に無断で
家に上がってたら、普通は怒るよなあ。
「母さん・・・あのさ、天野は・・・」
「修弥、病院の患者さんが、ウチに知らない男の子が入り浸ってるみたいだって言ってるん
だけど、どういうことなのかしら?」
「別に入り浸ってるわけじゃ・・・」
雨宮の母さんは怒鳴り散らしたりはしなかったけど、明らかに声に怒りが篭っていて、こんな
風に怒られたことのないオレは、急激に怖くなった。
 病院の跡取り息子が不良になったら、たまんないよな。謝って出て行くしかないだろ、これは。
「あの、ごめんなさい。今帰ります」
「・・・そうしなさい。お家の人、心配してるわよ」
「はい」
「お家は近くなの?えっと、天野君・・・天野君って・・・ああ、あの天野君・・・」
雨宮の母さんは口に出した瞬間に手を押さえたけど、オレはその瞬間の表情をはっきりと
見ていた。
『ああ、あの、母親のいない天野君』
いつだってそうだ。何か羽目を外せば、母親がいないからだとか、人と違ったことをすれば
父親に育てられたからだとか。
 同情と偏見と好奇心の目で見られ、だから母親がいないとダメなんだと勝手に烙印を押され・・・
「あ・・・天野君・・・」
「帰る」
悔しくて、涙が出そうだったけど、雨宮の前で泣くのもまた悔しくて。オレは何も持たずに
部屋を飛び出した。
 ちくしょう。
母さんがいないだけで、あんな風に見られてるのに、これで父さんが男と住んでるなんて
ばれたら、どうしたらいいんだよ・・・。
 雨宮の家を飛び出して、もう行き先がなくて、足は自然と家に向かっていた。結局、帰る
所はそこしかないんだろう・・・。走ると気持ちがどんどん加速して、涙が溢れて、拭っても
拭っても前がよく見えない。
 体中の血管がドクドクいって、心臓が苦しくなった。
家出した日に時間を潰していた公園まで来ると、ベンチに座った。時計は9時を少し過ぎている。
人影がいくつかあるようだったが、怖さよりも、涙と走ったせいで酸欠気味の頭を休ませたかった。

「天野ー?天野ーっ」
ベンチで休憩してると、雨宮の聞いたことのない大声がして、オレは顔を上げた。雨宮は全力に
近い速さで走って、オレを探していた。
「雨宮」
街灯がベンチを照らしていたおかげで、オレの姿はすぐに見つかったらしい。雨宮がこちらに
向かって走ってきた。
「天野・・・はあ、はあ・・・」
「何・・走ってきたのかよ・・・」
雨宮は息切れしながら、オレの隣の前に立った。
「はあ・・・はあ・・・これっ・・・お前、何にも持たずに、いきなり飛び出すから・・・」
息切れの合間から雨宮は、ぐいっと腕をオレの前に突き出す。そこにはオレのリュックがあって。
「あ・・・。わざわざ、もってきてくれたの?ありがと・・・」
オレはそれを受け取ると、リュックに顔を埋めた。雨宮はオレの隣に座った。
かっこ悪いのと、雨宮の以外な行動で、顔が熱くなる。
「・・・ごめん」
「なんで、雨宮が謝るんだよ」
雨宮が突然謝るから、思わず顔を上げた。
「家泊めてあげられなくなったし・・・それに、母さんのことも・・・」
「別に、いいよ。それに、今まで泊めてくれたし。お前の方こそ、迷惑掛けて、マズイんじゃ
ないの?」
「大丈夫」
雨宮はオレの方を向くので、涙の跡だとか、鼻水とかで顔がぐちゃぐちゃのオレは恥ずかしくて
目を逸らした。
「・・・天野、これからどうするの?」
「わかんない」
オレが首を横に振ると、雨宮は意外な事を言った。
「天野、家に帰れば?」
「なんでだよ」
「・・・ちゃんと、話し合ったほうがいい。せっかく話し合える機会があるんだから」
「でもっ」
「天野さ、家来て、びっくりしただろ。朝も夜も親がいなくて、1人でご飯食べて。・・・もう
慣れたけど、普通に父親がいて母親がいる家だって、蓋開けてみればこんなのなんだ。お前んち
の方が、よっぽどコミュニケーション取れてるんじゃないのか?」
「だからって」
「だから、世の中には、完璧な家族なんていないんじゃないの?俺は、父親も母親もいるけど
こんな壊れた家族より、お前の家の方が羨ましいと思う。たとえ父親が連れてきた人が男でもさ」
「雨宮・・・」
オレだって、淋しいけど、雨宮もあのしんとした家の中で1人、淋しかったのかもしれない。
 どんな形だって、そこに繋がりが出来れば、家族になれるのかな。
オレは、父さんと天先生と話してみようかと思った。
「ありがと、雨宮。お前って、結構いいヤツだな」
「結構って」
「だって、お前なんか暗い感じだったし。でも、しゃべってみたらすげえ面白いし、やっぱり
頭いいって思うしさ」
「お前、なんかすごい困ってそうだったから・・・」
「うん。ありがと。友達っていいもんだー」
オレは隣にいる雨宮にがばっと抱きついて、ありがとうと何度も言った。しつこいくらいに
抱きついていると、雨宮に押し返されて、鬱陶しいと怒られた。
 雨宮の顔はなんだか赤くて、怒っているのか照れているのかイマイチよく分からなかったけど。
「じゃあ、また明日な!」
オレはベンチから立ち上がると、雨宮に手を振って駆け出す。
 家に帰ろう。
父さんと、ちゃんと話そう。
・・・心配してるかな。父さん。天先生も。・・・アツシ、泣いてないかな。
急激に現実に戻ってきた気がして、心がドキドキしている。けれど、悪いドキドキでは
ないと、オレは思った。


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【天野家ことわざ辞典】
男ヤモメに悪虫が湧く(おとこやもめにムシがわく)
男鰥は、隙が多いので、それにつけ込む悪いムシが寄ってきてしまう






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