u n i q u e
夏休みに入ってすぐの頃、悠から電話をもらった。その日は朝から母も仕事が休みで家におり、
翔は母の声で起こされた。
「翔、翔〜?起きてる?ゆう君から電話よ」
翔は寝ぼけた頭で「ゆう君」って誰だよと呟く。ベットから起き、部屋を出て、2階の隅にある
子機を手にする。
保留にしたまま、部屋に戻ると、ベッドに寝転がって、通話ボタンを押した。
「・・・もしもし?」
「あ、翔?おはよう」
その懐かしさを含んだ声を聞いて、翔は母の言う「ゆう君」が芹沢悠であることに気がつく。
芹沢悠は小学校の同級生だ。小4の夏に慎吾がいきなり仲間に引き込んだヤツだった。
そして、6年の夏に転校するまで、翔や慎吾たちと行動を共にした仲間だった。
「悠か?」
「うん。おはよ。寝てた?」
「うん、めちゃ寝てた」
「ごめん。9時くらいならもう起きてるかと思って」
時計を見ると確かに9時を少し過ぎていた。
「ああ、別にいいよ。どうした?久しぶりじゃん」
悠とは、1年か2年に1度くらいは会ったりしていたが、高校に入ってからは去年一度だけ
電話で話したきりだった。
「うん、久しぶり。元気にしてる?」
「まあまあ。暑いからな」
「埼玉も暑いよ。木がないから風吹かないし、木陰もできないしね」
「お、都会人の発言」
「あはは、そっちとそんなに変らないよ」
悠は電話口で屈託なく笑った。翔は悠のことを気に入っていた。小学校の頃もいいヤツだとは
思っていたが、それよりも中学、高校に入ってからの方がそれを感じることが多い。
年に数回会えばいい方の関係だが、会えば自然と心が和んだ。
それは、一重に悠の温厚で思慮深い性格のせいだと翔は思っている。
人よりも少しだけ小心なのは、昔負った心の傷のせいかもしれないが、人当たりのよさと思慮深さで、
一緒にいる人間を和ませてくれる。頭の回転のよさで言ったら満と同じ気がするが、性格は全く逆だ。
そもそも満には溢れ出る優しさなんていう形容は地球がひっくり返っても着かないだろう。底意地の
悪さと転んでもただでは起きないという不屈の精神なら持ち合わせていそうなものだが、その点
悠は裏表のない優しい人間というイメージが強い。本当のところは翔には分からないが、少なくとも
自分の前では悠はそういう人間に見える。
「あのさ、今度の日曜日、そっちに行こうと思うんだけど、翔、1人かなと思って・・・誰かと・・・」
悠のしゃべっている声に被せて翔は二つ返事をした。
「あー、うん。暇、暇。大丈夫」
「ホント?よかったー。実はさ、慎吾と康弘にも声掛けてみたんだ。そしたら2人とも暇だって言うから」
懐かしい名前の響きに違和感を覚える。なんでそこに亮太の名前がないのだろう。ただ、亮太と
会う気にはなれなかったし、悠が誘わないのなら黙っているつもりでいた。
「なんか、懐かしい名前が勢ぞろいだな」
「翔は慎吾とか康弘とか会わないの?」
「うーん、殆ど会わないな。慎吾は駅で見かけたりすれば話すけど、休みの日にわざわざ遊んだりは
しないな」
「そっか。じゃあみんな久しぶりなんだね。楽しみだ」
「まあな。で?どこに集合する?」
そこで悠はボケた声を出す。
「え?何いってんの?球場だよ、球場。市営球場に決まってるでしょ」
「は?」
「亮太の応援にきまってるじゃん。次の日曜、準々決勝でしょ?」
翔は手のひらでおでこをパンと叩きたい気分だった。亮太の名前が出てこないのは当たり前だ。
さっきの『1人かなと思って』は1人で応援いくのかと思ってという意味だったらしい。悠にとってみれば
亮太と翔は当たり前のように2人で1人なのだろう。亮太の試合があれば必ず見に行くものだと
思っているに違いない。
「ああ、そうだな」
翔は悠の電話で亮太が準々決勝まで進んでいたことを初めて知った。翔は、亮太が激昂してクラブを
飛び出していって以来、周囲の環境から自分をシャットアウトしていた。家の中でずっと寝ているか、
ひたすら機械のようにバイトするか、そうでもしていないと自分の感情に押しつぶされて
しまう気がしていた。
夏の高校野球地区大会が始まっていたことも、小田南が勝ち続けていたことも、何の興味もなかったし
知ろうとも思わなかった。それどころか、亮太のことを思い出しただけで吐き気がする。なぜ、あんなに
自分に対して怒りを示したのか、恨んでいたのは自分なはずなのに、こんなにも心苦しいのは何故なのか。
それを思い出したり、封印したりと自分の中でどす黒い感情と、罪悪感がぐるぐると渦巻いた。
「大丈夫?」
「え?何が?」
「亮太の応援、行くよね?」
翔の声のトーンが低くなったことに悠は気付く。さすが察しのいい奴だと翔は妙なトコで感心した。
断ることはしたくなかった。亮太の試合なんて思っただけで寒気がするほど見たくなかったが、それでも
悠に亮太との拗れた関係を知られたくはなかった。悠の心の中にいる幼い頃の自分達を壊したくは
なかったのだ。
それはきっと、翔の良心であり、幸せだったときへの憧れでもあるのだろう。楽しかった
事実は嘘ではないと証明してくれる存在。翔は出来るだけ明るい声を出した。
「ああ、行くよ。市営球場な。待ち合わせどこにする?」
「うーんと、僕あんまり覚えてないんだけど、中学の野球の大会で応援しに行ったとき、北ゲートで
慎吾達と待ち合わせしたんだ。そこなら分かるんだけど」
「ああ、多分俺も分かる」
「じゃあ、そこに11時で」
「リョーカイ」
翔は静かに電話を切った。最大の友は最悪の行事をいとも簡単に運んできてくれたのだった。
朝から見事な快晴だった。翔は待ち合わせの11時よりも1時間も早く家を出た。球場までは
原付でも20分は掛からないだろう。
気分が変に高揚していた。亮太と喧嘩別れしてから半月以上経っている。その前の半年以上の
絶交期間よりも時間にしたら遥かに短い。それなのに、鬱々とした気分は今までにないほどだった。
会いたくない、亮太の試合など見たくない。そんな気持ちの中で現状に対する焦燥感が絶えずある。
このままでいいのだろうかと、翔は初めて思っていた。
市民球場に着くと、翔は北ゲートを通り越しスタンドまで駆け上がった。準々決勝の第一試合が
終盤を迎えていた。翔はスコアボードを見る。9回表、1-2。ツーアウト2塁。先攻チームにしてみたら
最後の勝負どころだ。
バッターボックスにいるのは、体格のよい左バッター。スタンドから「森野、森野」と大きな
声援が送られている。どうやら、上がったスタンドはレフト側だったらしい。応援団の太い声に
混ざって、女子の黄色い声援も響く。
翔はスコアボードで森野の名前を探す。
(4番か)
カウントは1-2。もう一球様子を見るか、いや、4番なら振ってくるかもしれない。どちらにしろ
今あの森野とかいう4番は異様なテンションであそこに立っているはずだ。翔はそこに立つバッターに
知らず知らず自分を重ねる。
ストライクの球種はなんだったのだろう。ピッチャーはこれを抑えれば勝てるという気持ちと
背負っているランナーの重みで力んでいるはずだ。ちょっとでも浮ついたら絶対にそれを叩く。
・・・いや、俺の場合は2番だから、ランナーで塁に出ることだけを考えればよかったけど、こいつは
4番だ。そして後はない。
狙えるならまずホームランを狙う。亮太ならそうするだろう。
・・・。ちっ。
自分は野球になんて未練などない素振りをしながら、本当はあそこに立ちたくてうずうずしてるのだ。
(違う、そうじゃない・・・。俺は本当に野球なんて・・・)
誰に対しての言い訳なのか、自分に対してすら言い訳をしなければならないほど翔は自分の気持ちが
破綻していることに愕然とする。
ピッチャーがボールを投げる。
(ストレート・・・いやスライダーか?!)
4番バッターはスライダーを見切っていたのか、フルスイングしたバッドにはじき出された球は
綺麗な弧を描きライトスタンドめがけて吸い込まれていく。
耳を塞ぎたくなるような歓声が上がる。唇をかみ締めながら翔はスタンドを後にした。
「翔!久しぶり!」
懐かしい声が翔を呼ぶ。スタンドから降りてきたところで、翔は時計を見た。11時を5分過ぎていた。
「よう。待ってた?悪ぃ、ちょっと先に中の様子見てた」
「ううん、いいよ。まだ前の試合やってる?」
「ああ、9回の表」
「そっか。じゃあ、まだ大丈夫だね」
「他は?」
「駅で慎吾に電話したら、康弘と一緒に来るって言ってたから、そのうち来ると思うよ」
悠は夏場には似合わなそうな笑顔でさわやかに笑った。
悠なら、もし自分と同じ立場でも上手くやっていけるんだろうな。翔は悠に気持ちを聞いて
見たくなる。小ざかしいと思いながらも、自分で出口を見つけられないのだ。
「なあ、悠」
「何?」
「お前さ、リョウと野球するの好きだった?」
あまりに唐突な質問に悠は目を丸くした。それでも、悠はきちんと返答をする。
「え?あ・・・うん。楽しかったよね、あの頃。ホントさ、転校なんてしたくなかったんだ。ずっとみんなで
遊んでいたかった」
「もし、転校してなかったら、中学、野球部入ってた?」
「・・・。どうかなぁ。僕、翔みたいに運動神経いいわけでもないし、遊びで野球するのは好きだけど
勝負になるときっとダメだろうなー。そう思うと、翔はすごいよね」
「俺が?」
「だってさー、何千人っていう人の前でバッターボックスに立ってたんだもん。普通なら足震える。
きっと、それだけ亮太と一緒に野球したかったんだろうね」
確かに初めは一緒に野球がしたい、それだけだった。けれど、今は一緒のフィールドに立つこと
すら絶対にしたくないと思う。
翔は悠を見た。自然と視線が重なる。悠は翔の瞳の奥の揺れを見た気がした。けれど、それ以上
自分が何を言っていいのか分からない。多分自分ではこの友人を救ってやることはできないと
悠は思う。
それでも何か言葉にしようと思ったとき、悠は翔の肩越しに二人乗りの自転車の影を見た。逆光で
顔は見えないが、それは腕をぶんぶんと振り回してこちらに合図を送っている。あの腕を振り回す癖は慎吾だ。
慎吾は後ろのハブのところに乗っていた。暑そうにペダルを漕いでいるのが康弘だろう。
「あ、慎吾だ。おーい、慎吾、康弘ー!」
「おーい、悠〜!久しぶりー。あ、翔〜!」
振り返ると、はちきれそうな笑顔の慎吾が手を振っている。翔も釣られて手を上げた。
自転車は翔の前で止まると、勢いよく慎吾が後ろに飛んだ。
「翔、久しぶり。悠〜、ちょー久しぶり!!」
「慎吾、相変わらず、元気だね」
「そりゃ、夏の高校生だもん」
「なんだ、そりゃ」
すかさず康弘が突っ込んだ。この2人は変わらないのだろうか。一緒にいても傷つけあうこと
なんてないのだろう。
翔は目を細めて2人を見た。
「翔、なんかちょっと痩せたか?」
康弘が翔を見て言った。
「痩せた・・・かなあ。ちょっと夏ばてしたかも。野球やめてから体力もなくなったしな」
「・・・翔、ホントに野球やめちゃったんだ」
「ああ、まあな」
慎吾は残念そうな顔をしている。康弘は無表情に慎吾を見つめ、それをみて悠は苦笑いを浮かべた。
4人が沈黙する中、スタンドから大きな歓声が上がった。
「・・・試合、終わったのかな」
「だろうな」
「どっちが勝ったかな」
慎吾が球場を見上げて呟く。
「さあ」
「あれ、翔、みてたんじゃないの?」
「9回表に1-2からツーラン打って逆転したとこまでみてた」
「え?じゃあ、厚高が逆転したんだ」
「何、慎吾、第一試合の高校、知ってるのか?」
「直接はしらないよ。でも厚木の森野って結構有名だよ。亮太と2人、県大会で注目されてるから」
「そうなのか?」
「翔、しらないの?熱中甲子園でやってたじゃん」
「オレも見た。2人の超高校級っていうやつ」
「森野っていう人もスラッガーなんだよ」
「ふーん。そう。最終回にその森野がツーラン打ったんだぜ」
「じゃあ、厚木はすごい活力になってるよね」
「だろうなー。最終回にエースが逆転するなんて、最高じゃん」
入場ゲートから人が続々と出てくる。厚木高校の嬉々とした笑顔や笑い声が近づいてきた。
「・・・厚高勝ったみたいだね」
「じゃあ、亮太が次勝ったら、神奈川スラッガー対決だな」
「勝てば、な」
「何言ってんの、翔。亮太が負けるわけないじゃん」
慎吾が不満そうに翔を見上げる。小学生の頃は頭一つ分小さかった慎吾も今では翔の視線の辺りまで
近づいた。それでも、翔にとって(きっと翔だけでなく康弘や悠にとっても)慎吾は今でも小さくて
元気一杯で、天真爛漫な少年のように思えて仕方ない。友達と弟の中間のような存在だと翔は思っている。
「そうそう、今年は甲子園行くよ、きっと。亮太が甲子園行ったら、高校の友達に自慢しよっかなー」
「何て?」
「神奈川のエースと昔、一緒に野球してたんだーって」
「ボロカスに打たれまくってたけどな」
「あ、康弘ひどい。康弘だって亮太相手に場外ホームラン打たれまくってたよね」
「そうそう。そんで、いつも俺がボール拾いに行ってさー」
4人は思い出したようにケタケタと笑いあう。
「リョウってさ、慎吾が外野の時ばっかり、狙ってデカイの打ってたよな」
「えー、偶然じゃないのー?」
「でも、オレ、後の方で慎吾以外が亮太のボール探しに藪の中入って行った記憶ない」
「あいつ、慎吾以外のヤツにボール取りに行かせると後で散々文句言われると思ってたからな」
翔が呟くと他の3人が思い出したかのように、口をそろえて1人の名前を叫んだ。
「満!」
「ミツルだ」
「まっちゃん〜!」
翔たちの野球ゲームは多くの場合6人だった。それはバッター対外野というより、個人戦のようなもので、
バッターは打てば走り、止まった塁で得点を決めるという変則的な遊びだった。バッターとピッチャー
と守備はローテーションで回るようにし、その順番はピッチャー→バッター→キャッチャー→ファースト
→サード→外野→ピッチャー・・・というものだった。初めの位置はジャンケンで勝った人
から選んでいける。1人5回バッターとして立つことができ、ホームランなら4点、3塁が3点というように
塁数だけ点が入るという仕組みを採っていた。
これら全ては満が考え、クラスメイトと野球の試合をするとき以外はいつもこうやって遊んでいた。
一番初めにやったのは4年の一学期。満が説明するのを聞いて翔は「こんな頭のいいヤツ満以外に知らない」
と思ったものだった。
いつだったか、満が外野を守ってるとき、康弘が投げたボールを亮太が場外ホームランにしたことがある。
彼等が野球をしていた場所は、翔の家の前の空き地、お化け屋敷こと「古川家」が取り壊されその跡地に出来た
ちびっこ広場、それから七根小のグラウンドだった。翔の家の前の空き地や学校は亮太がホームランを打っても
ボールがなくなるような場所はなかったが、ちびっ子広場は広場の周りに鬱蒼とした藪があり、
うっかりそこにボールが入ろうものなら、探すのに10分も20分も掛かるというとても迷惑なものだった。
そのときも亮太が打ったボールは見事に魔の藪に消えてしまったのだ。そして、満は黙ってその藪の中で
ボールを捜し、出てきたときには満の身体は全身蚊に刺されあちらこちらが膨れ上がっていた。
満はランニングでホームに帰っていた亮太に向かって、
「お前だけだよな。やぶ蚊の洗礼受けてないの」
首筋をがりがり掻きながら言った。
「凄い刺されたな」
「まあな。亮太さ、他の守備いいから、バッターの時以外、外野いろよ」
「なんでだよ」
「そしたら、俺達5人で全力で、誰かが場外ホームラン打ってやるから」
「はー?」
「お前もやぶ蚊の洗礼受けたら少しは遠慮ってモンを覚えるだろ?」
「・・・ひょっとして満、怒ってる?」
「うん。すげー。なんで俺がこんなに蚊に刺されるのか意味わかんねー」
満がため息をつくと、慎吾が近づいてきて満を宥めた。
「ちょっと、まっちゃん、亮太だって思いっきり打ちたいんだもん、いいじゃん」
亮太の味方をするつもりで口を出した慎吾だったが、満は左手を首の後ろに当て考え込む。
そして、にっこり笑って亮太に言った。
「亮太ー。慎吾は寛大だから、慎吾が外野の時は心置きなく打ってもいいってさ。よかったな」
「まっちゃん、何それ!」
「今慎吾、言ったやん。思いっきり打っていいって」
「言ったけどさ」
「俺は嫌だって言ってんだ。だったら、俺のときは加減して、慎吾のときに思いっきり打てばいい」
「そんなん、ずるいー」
満はげらげら笑いながら慎吾のお尻を左足で蹴り上げた。
「要領の悪いヤツはケツバット〜」
満以外の5人は満の言動にぽかんと口を開けていた。やがて一番初めに気づいた翔が笑い出し、
悠が気の毒そうに下を向いて笑う。
「え?え?何?どーいうこと!?」
慎吾がキョロキョロと5人を見回す。康弘が再びケツバットをかまして
「はめられてやんの」
そう言って笑った。
<<6へ続く>>
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