☆special―俺の橋をこえてゆけ―1




板橋はパソコンの前で唸っていた。
「神戸……宿泊、無理……日帰り、きつい……」
ブツブツと独り言を唱えている板橋は、僕が部屋に入ってきたことも、キッチンでコーヒー を淹れていることにも気づいてないようだった。
まあ、いつものことなので、それほど気にせず、僕もずかずかと部屋を歩き回る。勝手 知ったる板橋の部屋。随分と僕も板橋に慣れたもんだ。二人分のコーヒーを淹れると 静かにパソコンデスクの上に置いた。
「ん。ありがと」
「来てたの知ってたの!?」
「うん。あんたさっき水こぼして叫んでたから」
「知ってたなら、挨拶ぐらいしたらどうなの」
さすが僕の予想の上を行く板橋の行動。冷静になって考えれば、訪ねてきた恋人を無視って ことじゃない?それとも、僕の振りをした他人だったらどうするんだよ?呆れながら板橋 を見下ろすと、板橋は僕の手から僕のコーヒーを奪った。それを自分のそれの隣に置いて、 満足気にうんと頷くと、僕の手を取る。
「板橋?」
「おかえり」
「遅いって」
板橋は手引いて僕を引き寄せると、膝の上に座らせ、シャツからはみ出した鎖骨をクンと 匂った。
「くすぐったいよ」
「知ってる」
板橋は含んだ笑いをこらえながら、更にもう一度僕の鎖骨に鼻を擦り付けた。甘えてるん だか、愛情の表現なんだが真相はわからないけど、こういう板橋はレアだから僕もあえて 止めようとはしない。僕も心の中だけでふふっと笑った。



板橋と出会って3年近く経つ。板橋との出会いを思い出せば出すほど、軌跡の上で僕たち は繋がったんだと思う。
あの時の僕は、今とは180度逆の背徳の道を突き進んでいていた。僕は、会社の社長と不倫 していたのだ。
18で入った会社は二代の若社長が引っ張る小さな工場で、僕はそこの営業として失敗を 続けながらも、辛抱強く使ってもらっていた。社長は事あるごとに気にかけてくれ、いつ しか色の付いた空気が漂い始めた。不倫のきっかけは、社長に無理矢理抱かれたからなの だけど、社長の愛情を痛いほど感じ、僕も何時しか惹かれていた。それから3年ズブズブと 深みにハマった関係は続き、これからも続くのかと思って、ひっそりお忍びで出かけた 大分、湯布院の温泉で、僕は社長に捨てられた。
手切れ金がわりに温泉で手を打とうなんて随分安く思われてると、あの時は罵ったりも したけど、今思えば、社長の精一杯の罪滅ぼしみたいなもんだったんだろうな。
僕はケータイ一つ握りしめて旅館を飛び出すと、生まれて初めてヒッチハイカーになった。
そこで、僕は板橋に拾われたのだ。

僕が24、板橋は大学3年21歳だった。普通、不倫旅行で振られて飛び出した社会人崩れの ゲイと、金持ボンボンで橋オタクの大学生の人生は交わることはない。ヒッチハイクという 旅が終われば、板橋との接点も消えるはずだったのに、なにがどうなったのか、だらだらと 板橋との縁は続いている。恋人という名の糸で。

あれから3年。僕は27、板橋は24になる。僕が板橋と出会った年だと思うと、不思議な気持ち。
僕らの人生の糸は更に絡まり合って、僕は板橋の父親の会社で働いている。
生贄という名目がついているとかいないとか、そのあたりの真相は板橋の父親のみぞ知る わけなんだけど、僕がいる限り、板橋が父親の後を継ぐだろうと板橋の父親は踏んでいて 板橋の父親は僕に破格の待遇をしてくれているらしい。そんなものは受け取るなと板橋には 渋い顔で言われたけど、僕は社長の板橋も見てみたかったりするので、その辺は複雑だ。
そして当の板橋は、やっぱりまだ大学に通っていた。
たっぷりと橋漬けだった4年間に別れを告げ、いよいよ社会人かと勝手に想像していた僕は ひょっとして同じ会社で働けたりするのかと淡い期待を寄せていたんだけど、板橋は何か から逃げるように院生になり、そして院での勉強にどっぷりハマってしまった、らしい。
マスターだけでは飽き足らずドクターも取りにいくのだそうだ。
板橋の研究は何度説明されてもさっぱりわからないので、板橋も大して僕に教えようと しないし、僕も聞かない(もう聞けない)。ただ、板橋とその研究との出会いが、板橋の 人生を決めるような大きな出来事だったことだけは僕にもわかる。それだけのめり込んで いるのだ。
社会人と違って土日関係なく自分の思った時間に研究所に行くから、僕が板橋の家に来ても 不在だったり、いたとしても真剣にパソコンに向き合ってたりして、益々「ラブ度」は 低くなっているけど、真剣な表情の板橋を見ているのは僕も好きなので、あまり文句も 言わないようにしてる。
大体、スタートラインから言って、板橋の愛情表現は分かりづらすぎたのだから、板橋に ラブを求めるのは間違ってるのだ。僕も面と向かって愛情を垂れ流すのは得意じゃないし 変なとこでピュアな気分になるし、かと思えばベッドの中では盛ってたり。
そんな恋愛も悪くないと今では思ってるけど。



でも、時々、ふと思うんだ。板橋って一体どんな恋愛をしてきたんだろうと。


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