なかったことにしてください  memo  work  clap
青い鳥はカゴの中で




 酒が進むと、緊張もほぐれる。注意して守っていないと、自分の大切な部分が無防備に
曝け出されてしまう。
 それを、目ざとく見つける人間がいるから。



「で、悠と翔は、今何してんの?」
慎吾がアルコールで顔を赤くしながら言う。
「僕は、普通にサラリーマン」
「ふうん、営業とか?」
「そう。営業。お役所相手だからね、入札とか行くよ」
「入札!・・・って何するの」
慎吾が興味深そうに聞く。悠はそれに一々律儀に答えた。
「入札ってのは、お役所が発注したもをの一般の会社が競り落とすもんだよ。一番安い
金額書いた業者がその発注取れるの。僕も時々入札行くよ・・・入札日はみんなピリピリして
る・・・・・・今日待ち合わせに遅れたのも、再入札になって、課長と金額相談したりして、
ホント大変だったんだよ」
「へえ・・・なんか、悠ってすごい社会人って感じ」
「談合やら入札不調やら、業者は大変だよな」
翔も話に加わった。
 社会人の話を幼馴染とするというのは、不思議な感覚だと思う。子供同士が背伸びでも
しているような気分。
 社会情勢を無理矢理自分達の中に当てはめて、自分も大人になったんだと言わんばかりだ。
そういうのはくすぐったい。
「ホントね、公官庁相手なんて、初めは絶対辞めてやるって思ってたのに・・・惰性って怖い」
悠は自嘲気味に言った。
「仕事なんて、誰にでも多かれ少なかれ、惰性でやってるところあるだろ」
「オレは何時も本気だよ!全力あるのみ」
慎吾が言い返すと、周りはため息交じりに笑う。
「さすが慎吾」
満もそれには賞賛の眼差しをむけた。慎吾はその言葉に、「どういう意味だよ」と反論
しながら、好物のカツオを口に頬張った。

「・・・・・・んで、翔の方はどうなんだよー」
「俺?・・・・・・俺も普通のサラリーマンだぜ」
「ふうん、翔も営業とかしてんの?」
「いや、プログラム組んでる・・・・・・けど、それもまあ、どうかな」
「ん?どういうこと?」
翔が口篭ると、その隣で悠が口を挟んだ。
「あ、翔、もしかして、ホントに会社辞めるんだ?」
「辞める?」
驚いて慎吾と康弘が翔の顔をまじまじと見つめる。今どき、この年で仕事を辞めることに
あまり抵抗はない。翔の会社にも中途組は何人もいる。3年働けば長いほうだと入社した
時、上司に言われたほどだ。
 しかし、教員採用の狭き門を潜り抜けて、それが自分の天職だと信じ込んでいる慎吾や、
親の店を継ぐのが当たり前だと思っている康弘には、そのあたりの感覚が、どうも付いて
いけない。彼らの仕事は一生ものなのだ。
「で、辞めて、お前何すんの」
満はやや冷めた目で翔を見る。
 翔はこの目が嫌いだ。自分よりも自分の事を分かってるとでも言いそうな、心の奥底まで
見透かした視線。
「ああ・・・」
翔は、曖昧な返事で誤魔化した。しかし、慎吾はそれを許さなかった。
「何、何かすんの〜?」
酔っ払った顔で、ずけずけと翔のテリトリーへと入ってくる。翔は内心舌打ちして、手元
のぬるくなったビールを煽った。

「翔、自分で仕事始めるんだって」
そう言ったのは悠だった。やっぱり悠にも黙っていればよかったと、翔は既に遅すぎる
後悔をしていた。
「へえ、凄い!で、何すんの」
「うん、まあ、色々考え中・・・」
「WEBデザインの会社立ち上げるんだって!」
悠も酒にあたってる、翔はそう思った。いつもなら、こんなに軽々しく、他人の事など
話さないはずなのに。
 悠は陽気な声で続ける。
「そうだ、康弘もさ、翔に作ってもらえば、白井寿司のサイト」
「翔、そんなことできんの?」
康弘の感心した声も翔には耳障りになる。
「・・・・・・まだ、やるって決めたわけじゃないし、さ」
歯切れの悪さの原因は、すべて目の前で冷ややかな視線を浴びせている男の所為だ。
「えー、やればいいのに。そうだ、慎吾も作ってもらえば?」
「何を?」
「蒼井慎吾先生のぺえじ、とか」
悠がそういうと、康弘と満が噴出して笑った。
「うわ、どこぞのアイドルよ、それ」
「お、オレ、そんなのいらないって!・・・・・・まっちゃんが作ってもらえばいいじゃん」
「俺は、契約してるデザイン会社の人が作ってくれてるからなあ」
「すげー、まっちゃんアイドル」
「アイドルじゃない、プロだって」
満の飲み干すビールの音を、翔は不安げに見詰めていた。


 悠に語った夢は、けして嘘ではない。自分でも腐っていると思うこの現状から、抜け出
さなければ、という焦りもあるし、足掻こうともしている。
 ただ、それは漠然としていて、雲を掴むような気分でもあった。
本当に自分にそんなことができるのか。それをすることで、自分が「自分らしく」立てる
のか。
 翔は、迷っている。そんなことをして、ただの無駄な時間潰しにしかならないのでは、と。
そんなあやふやな気分のまま、この話を満に聞かれるのは不本意だった。
現に、満は今にも自分を攻撃してきそうな顔をしている。
「お前、それ本気?」
ほら、と翔はため息を吐いた。
 満の視線は乾いてるようで、その下では獲物を捕らえるようなギラギラとした熱さがある。
「どういう意味だよ」
そして、自分もその挑発に簡単に乗ってしまうのだ。これはただの意地だとか負け惜しみ
だとか、そういった類のものだ。
 満と対峙して勝てるわけがないと分かっているのに、小さなプライドが不遜な人間を論破
してやりたいと思ってしまう。
 満は方眉をピクリと動かした。
シルバーのフレームの眼鏡が光る。彼は昔から視力が悪く、眼鏡を掛けていたが、翔に
言わせれば、「眼鏡なんて松下満の知的さを演出する道具」に過ぎない。
「お前、ホントに会社なんて立ち上げるつもりなのかってコト」
「ああ、本気も本気。来月あたりには仕事も辞める」
自分の思い描いている道を満に告げるつもりはないが、馬鹿にされたままで終わるのも気分
が悪かった。
「準備は?資金とか、どうしてるんだ?」
「それは・・・・・・」
「オフィスはどこに構える?こっちに戻ってくるつもりか?」
現実問題、翔の頭の中には、そこまでのことができあがってない。そもそも、こんなのは、
突発に言い出したことで、気持ちだけが空回りしている状態なのだ。
 勿論実現させたいという思いは十分ある。
「今、物色中だよ」
「ふうん、じゃあ、仕事のルートは?広告出すだけじゃ、イマドキ仕事なんて取れないぜ?」
「そ、それも、今色々探してる・・・」
満はふん、と短く鼻を鳴らした。
「そんな、適当な気持ちでやるなら、やめときな」


「満!」
険悪なムードの中で真っ先に仲裁に入ったのは悠だった。
「お前、何様のつもりだよ」
翔も満の言葉に苛立ちを隠せないでいる。
「別に。ただ、翔は甘いって思っただけ」
「満に言われなくても、大変なことくらい分かってる」
睨みあげると、満は背もたれに身体を倒して、首を振った。
「ってかさ、お前、現実から逃げてるだけなんじゃないの、それ」
「なっ・・・・・・」
「翔と前に会ったのは、何時だっけ。あの時も『現実から逃げるために仕事すんな』って
俺言ったよな?」
確かに言われた記憶がある。亮太との事でどうしようもない絶望を感じているとき、自分
も仕事で成功すれば、いや仕事に逃げれば、このアンバランスな関係を乗り切れるんじゃ
ないかと思っていた。それを満に指摘されたのだ。
「別に逃げることが悪いとは思わないけど、そんな逃げ腰でいい加減な気持ちじゃ、絶対
上手く行かないぜ?」
「お前に何がわかるって言うんだ」
「何にもわからん。でも、少なくともお前よりは個人として商売を成り立たせる辛さは
分かってるつもりだけど?」
満だとて、この若さで世界を駆け回るために、音楽を「ビジネス」として成り立たせる為
に、人知れず苦労はしているのだろう。
 そんなことは、翔にだって分かる。
「そんなこと・・・」
「そう。そんなことなんだよ。そんなことくらい、誰にだって分かる。漠然と大変だって
思い描くことはな。だけど、それでも乗り切ってやってやろうっていう情熱だとか信念だ
とか、そういうモノがあるからこそ、今のベンチャー企業ってあるんだろ?・・・・・・お前に
は、そういうもの、あるのか?」
「・・・・・・」
「ただ、辛いだけの現実から、逃げ出したいっていうだけで、仕事立ち上げようなんて、
言うなら、もっと別の方法を探せ。もっと建設的で、現実的な方法をな」
そんな方法があるのなら、とっくに試してる!
 思わず叫びそうになって、その指摘が図星なことを翔は知る。
満は、自分と亮太の間に生じた泥沼を知っている。そしてその不毛な原因も、2人が離れ
られない理由も、多分気づいているだろう。
 くだらない意地だ。亮太に対してただ「勝っていたい」だけの、惨めなプライド。
それが時々、疲れ果てて、勝つも負けるもどうでもいいと叫び出している。


自分は、逃げてるだけだ。


 触れられたくない傷をどうして満はこんなにもえぐっていくんだろう。自分の事など、
放って置けばいいのに。
 悔しさと苛立ちで、翔は目の前のビールを一気に煽ると、そのまま席を立った。
「・・・翔?」
悠の焦りを隠せない瞳がその行動を追う。
「帰る」
翔は短く言い捨てると、そのまま店を出て行った。






一瞬、店の中はしん、と静まり返ったが、悠の深いため息で、凍りついた時間は動き出す。
「・・・・・・もう、満が悪いんだからね」
「あはは、悪い悪い」
満は先ほどまでの痛い眼差しをすっかり仕舞い込んで、ニタニタと笑いを浮かべている。
「まっちゃーん、なんで翔を苛めるんだよ」
「別に、苛めてなんてないって。これでも一応友達として心配してるだけだって」
「どうだか・・・・・・」
全く心配していないわけじゃないだろう。だが、悠には満が翔の反応をみて遊んでいる節
があると思う。
 喰えない男だ。
しかし、それは満らしい翔へのメッセージだとも思う。
(素直じゃないんだから、満も・・・)
困った顔で満を見上げれば、満は真面目な顔に戻った。
「俺は別に嫌われても構わん。翔の固まった心を解くのは、俺じゃない。だけど、あいつ
は、そのきっかけすら自分で作れないから、ちょっとつついてやっただけ。ホントに、世話
の焼ける姫さんだぜ」
慎吾がそれを聞いて、頬の筋肉を緩めた。
 先ほどから空気が一転した中で、慎吾は硬直していたのだ。真逆、幼馴染が再会した途端
に喧嘩するなど、思いも描いてなかったから。
「翔が心配なら、心配って言えばいいじゃん。何もあんな言い方しなくたって・・・」
「ふん。あいつの作った防壁は、これくらいガツンと言ってやらないと、固くてびくとも
しないんだよ。そんな優しい言葉じゃ、逆に吸収して益々厚くなるだけだ」
「満、そんな汚れ役やらなくてもいいのに」
康弘が言うと、満は不敵に笑った。
「俺以外に誰がやれるんだ?」
その発言に3人は返す言葉も見当たらず、ただ頷くばかりだった。

 満は、満なりに翔を心配している。それを悟られたくないのか、あんな言い方でしか、
翔に助言できないが、それでも、あんな風に人の心にずけずけと入って揺さぶるような事
を言うのは、相手が翔だからだと、悠は思う。
 多分、幼馴染でなければ、放っておくはずだ。
満は、他人のいざこざに自分が関わるというスタンスの興味はない。遠くから眺めて、
笑っている事はあっても、こんな風に自らを関わらせてくることなど、普段の満なら、
考えられない。
 それも、すべて翔だから、だ。



 17の夏に、自分が仕掛けた計画で翔の人生は変わった。
その思いが悠の心にも、そして満の心にも、きっと残っている。
満のことだ、後悔などしていないだろうけど、気分のいいものでもない。
(翔も、気づけばいいのに・・・・・・)
悠は満の七色に変わる瞳にため息を洩らすと、残りの寿司に手を出した。
 康弘が握った寿司は甘くて、そして懐かしい味がした。








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