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青い鳥はカゴの中で




 格好悪いっ・・・
店を飛び出した瞬間、酷く後悔したがもう戻ることも出来ず、翔はそのまま夜の街を
歩いた。
 それほど酒も回っていないが、身体は熱く、時々吹いて来る涼しい風が体温を鎮めていく。
満の言葉を思い出すと苛立ちが込み上げてくる。
どんな事を言われようと、それがどれ程的確で、図星であっても、満にはこの気持ちは
分からない。
 分かってもらいたいとも思わない。
挫折を知らないヤツに、凡人の気持ちなんぞ分かるはずがない。もがいている自分が惨め
で格好悪い。それを上から見下ろす亮太や満が憎い。
 どうして、コイツ等だけにこんなに囚われたりするんだろう。満や亮太に対する嫉妬心
は他人よりも遥かに大きい。
 会社の人間でも、自分よりスマートにプログラムを組む人間は幾らもいる。でも、そう
いう人間にはただの「尊敬」だけで終わってしまう。凄い、上手い、そう感心して、その
技術を学んで、後は上辺だけの綺麗なお付き合いで済んでしまうのだ。
 そういう時は自分は上手く世渡りしてると思うし、1人の社会人として自立しているとも
思う。
 なのに、満の前になると、こうだ。

 人の心を見透かしたような瞳に身震いしたくなる。
確かに会ってみたかったのも事実だ。あれ程辛辣に、自分の心を指摘してくれる人間は
いない。迷いを吹き飛ばしてくれると期待していた節もある。
 だからこそ傷つけられても満には会いたくなるし、事実会っていたのだ。

 けれど、会えばその刃の鋭さに怖気づく。
自分の行動の幼さに嫌悪する。


 翔は何年振りに、地元の夜の街を歩いた。
随分と無茶をした高校時代だった。バイトで稼いだ金が飲み代に消えた月が何度もあった。
飲み屋で教師に鉢合わせして自宅謹慎になったこともあった。
 あの頃に比べると勿論落ち着いたと思う。明日などどうでもいいと、そこまで刹那主義
でもない。
 仕事の事で頭を痛めることもあるし、飲みに行って騒いだりすることもある。毎日の繰り
返しの中で、明日は当然やってくるものだと、どこか諦めにも似た感覚で思っている。
 無茶はしない。しないけれど、自分の行動力は更に下がった。


 バイト先のカフェバーは、今でもそこにあって、翔は自然とそこに足が向かった。
外装は10年前と変わっていない。扉を開けると、バイトのウェイターがこちらに歩み
寄ってくる。
 翔はそれを手で制してカウンターに座った。
「あら、随分と珍しいお客さん」
カウンターの中から懐かしい女性の声がする。
「樹里さん、久しぶり」
翔は外向きの顔で笑った。樹里はここのオーナーだ。会うのは高校卒業して以来だった。
翔とは10歳差くらい離れているはずなので、今年で37、8と言ったところだ。
「随分とおっとこ前になっちゃって」
「やだな、変わってないよ。樹里さんこそ、相変わらずだね」
「そう?」
樹里は少し年を取ったと感じる程度で、体中から溢れ出そうなバイタリティーは健在そうに
みえる。
「お店も流行ってるみたいだし」
カウンター席には翔以外に1人の客がいた。テーブル席は土曜日ともあって満席状態だ。
「まあ、おかげさまでね。相場君ってば、高校卒業したらぜーんぜん寄り付かなくなっちゃ
ったんだもん。淋しかったわ」
「あはは、ごめんなさい。あんまり帰ってきてないから」
「東京だっけ?」
「うん」
高校卒業してから、まともに帰省したことがない。家には帰ってない。
 あの家は自分の人生を否定している気がして、早くから家を出たかった。そうして、一度
外に出てしまえば、二度と戻る気にもならないのだ。
 母が元気でやっているのかとか、父がどうしているかとか、翔は何も知らない。ただ、
連絡がないから何事もなく生きているのだろうと、勝手な想像で片付けている。
 自分の一番初めの挫折は、母の離婚だったと、翔はこの頃になって思う。順風満帆、絵に
描いたような幸せな家庭。
 翔自身そう思っていた。何も問題はない。極普通のありふれた家族。
けれど、そう思っていたのは幼い翔だけで、翔の父は翔が中2になったとき、突然家を
出て行った。
 理由は未だに知らない。
けれど、理由なんてものは意味が無い。後付で捏造された過去と同じくらい、形式的で
問題を解決するためには何の役にも立たない。それを知っても、翔にはどうすることも
出来ないのだ。
 そうして、翔は家を出た。そして、それっきり家にも故郷にも未練はない。
「相場君、これでいい?」
樹里は翔の前にグラスを出す。中には透明な泡を弾かせた液体が照明に当たってキラキラ
と輝いている。
 口に含むと、それはただの炭酸水だった。
「うわっ、何これ」
「あはは、懐かしいでしょ」
「酷いな、樹里さん。俺、もう高校生じゃないぜ?」
樹里は翔がバイトで働いている時、翔にアルコール類を飲ませたことはなかった。大人の
けじめだと言い張って、打ち上げの時も、翔の前には必ず炭酸水が置かれたほどだ。
「だって、相場君あの頃と同じ顔してそこに座ってるから・・・」
「何それ」
「辛いのに誰にも言わないで、ツンってしてる」
翔の顔に赤みが差す。
「そんなこと、ないって」
「そうかなあ、辛いなら、オネーサン聞いてあげるわよ?」
「オネーサンって年でもないでしょ?」
「あら、口の聞き方も変わってないわね」
樹里は腰に手を当てるとオーバーな溜息を吐いた。


 樹里のところでは、出された炭酸水を半分ほど口にして店を後にした。出口で、またい
らっしゃいと、何度も念を押され、翔は社交辞令のように笑って頷いた。




 店を後にすると、淋しさに襲われた。懐かしい顔など見るべきではなかった。弱くなった
自分が顔を出す。
 淋しさを紛わせたくて、もう一杯飲みに行こうかとも考えたが、それも直ぐに萎えた。
この街にいる限り、どこへ行っても「懐かしさ」が付きまとう。
 胸に開いた隙間を埋めるには、人肌しかなかった。
かと言って、この街で昔のセフレに会う気も、ましてや店に入る気にもならない。
翔は時計を見た。
「10時か・・・」
この時間ならば、新幹線がまだあるはずだ。

 東京へ戻ろう。あいつのいる、東京へ。

 翔はその足でローカル線に飛び乗ると、小田原へと急ぐ。過ぎ去っていく景色に、もう
二度とこの街には来ない気がすると翔は思った。




 品川で降りると、翔は亮太にメールをした。自分から連絡するなど、何年ぶりだろう。
勢いでメールを送ってしまってから、翔は自分のしたことの愚かさに辟易する。
 誰かとこの淋しさを埋めたい。
そう思って手短な女の顔を想像しては、それら全てに首を振る。彼女達では、自分の闇
に目を背けるだけで、埋めることなど出来はしない。
 女を抱くのは面倒だと思った。だからと言って誰かに抱かれたいかと言えば、それも、
気の進むものではなかった。
 翔は亮太以外の男と寝たことはない。抱かれたことも抱いたこともない。本来翔には、
そう言った性癖はないのだ。
 男相手に欲情したことなどない。ただ、亮太が特別なだけだ。
亮太からのメールは直ぐに返って来た。それもただ一言、今から行くと。

 自分から亮太に抱かれた記憶はない。いつも亮太が強引に自分の身体を奪っていく。
けれど、どうせこんな関係なのだ、たまには自分の都合で抱かれてもいいじゃないか。
翔は半ば自棄になって亮太にメールをしていた。
 闇を埋めることが出来ないのなら、もっと深い闇に溺れるだけ、か。
翔の乾いた笑いが東京の夜の空に吸い込まれて消えた。




 亮太は何時も通りやってきた。機嫌がいいのか悪いのか、翔にもわからない。
「あがれよ」
「ああ」
だから、翔も何時も通り振舞う。
 しかし、亮太が定位置のソファに座るときも、自分が冷蔵庫からペットボトルのお茶を
取り出すときも、僅かな違和感を感じた。
自分が誘った。
何故だ。
一番会いたくない相手だったのではなかったのか?
満と喧嘩になって飛び出したのも、亮太の影を引きずったままの自分に対する厭味だった
からじゃないか。
 張本人に何故会っているんだ。
握り締めたペットボトルがベコっと音を鳴らす。
(でも、抱かれたいと思ったのも自分だ・・・)
 縺れた感情があちらこちらに伸びて、翔は自分でも収拾のつかない思いに悩む。
自分は一体亮太のことを、どんな風に思っているんだろう・・・。


「で、何の用?」
無言のまま立ち尽くす翔に、亮太は重い口を開いた。
「ああ・・・」
「今日、地元戻ってたんじゃないのか?」
「戻ってた」
「そう・・・あいつ等に会ったのか?」
「会ってたよ。会って、飲んで、帰ってきた」
「・・・・・・満にも?」
「そうだよ、満にも。会った。お前も来ればよかったのにって慎吾が言ってたぜ」
「そうか・・・・・・」
亮太は何かを思って口篭った。
 そして、口を押さえてブツブツと呟くと、亮太はもう一度、満の名前を出す。
「満は・・・」
翔はその名前に過剰に反応した。その名前は今、一番聞きたくない名前だ。翔はイライラを
隠すことが出来ず、亮太に食って掛かった。
 亮太に近づくと、その胸ぐらをいきなり引っつかむ。
「満、満って何かあるのか・・・!?」
「いや・・・」
翔の取り乱しように、亮太も驚いた。
「その名前を出すな」
「何かあったのか」
不安げな瞳で覗かれて、翔は余計に腹が立つ。
「お前には関係ない!」
「関係ないって・・・」
胸ぐらを掴む手が震えた。

「・・・・・・俺を抱けよ」
「翔・・・?」
「いつもみたいに、黙って俺を抱けよ!」
「翔、お前」
「リョウは、俺だけ抱いてれば、他はどうだっていんだよ!お前に俺の事心配する権利も
余計なこと知る権利もない。俺の生活に干渉するな!リョウは俺の身体だけやったんだから
それで満足してればいいんだ!」
「翔!」
亮太の低く唸る声と、翔の頬が鳴ったのはほぼ同時だった。
 翔の腕が亮太から離れる。打たれた頬はジンと痺れた。
「・・・んやろう・・・」
亮太に手を上げられたのは何年ぶりだろうか。
 肉厚の手に叩かれて脳天まで痺れが走る。頬を手で押さえると新たな痛みが走った。
 翔は、ソファに座ったままの亮太を睨み落とす。
しかし、亮太も引かなかった。
「俺がお前の身体だけで、一度として満足したことがあると思ってるのか」
「・・・・・・」
「翔が俺の事を未だに許せないのも、恨んでるのもそんなのは分かってる。だけど、俺は
お前のこと絶対に手放さないってあのとき決めた。お前も俺の気持ち分かってるんだろ!」
翔の肩が震えた。
 どこまで行っても自分達は平行線のまま、着くことも離れることもできないのか。なんて
馬鹿で愚かで、虚しい関係なんだ。

「・・・・・・・出てけよ」
「翔!」
亮太が腰を上げる。立ち上がれば形勢は逆転したかのように見える。見下ろす亮太は、翔
の頬に手を当てた。
「・・・・・・俺に、触るな」
翔は肩を震わせたまま、亮太を拒絶する。
 亮太は、翔の瞳からあふれ出した涙の粒を手で拭き取ると、翔から離れた。
「また、来る」
そうして、それだけ言うと、亮太は翔の部屋から消えた。

 翔は、頬を押さえたままソファに蹲る。
声を押し殺して泣くなどと、格好悪い。けれど、その格好悪くて不様なのは自分だ。
打たれた頬は熱を持って、翔の心を痺れさせていた。







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