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はしま道中流離譚―橋は道連れ、世は情け―



帯広に戻ってきて、僕達は「しかおい」と言う道の駅に入った。ちゃっかり道の駅マップ
を持っていた板橋と地図を広げて、一番近いところを選んだ結果だ。こんなにも沢山の道の
駅があることに僕は驚かされたけど、今はこの数の多さに感謝だ。
 僕達はオデッセイの後部座席をフラットにして、荷物の中からタオルを出して(別に
オデッセイで寝る気満々で持ってたんじゃない。温泉用に持ってきただけだ)板橋と仲良く
寝転がった。
 暗闇の中でぼうっとオデッセイの天井を見つめて、僕は何度か溜息を吐いていた。
「何?」
「社長と奥さん、どうなったかな・・・・・・」
「気になるの?」
「僕の所為でばれたら、やっぱり気分悪いよ。・・・・・・それに、奥さんの不倫の切っ掛けが
僕と社長の事があったからみたいだし。それって原因は僕じゃん?」
「あんたって、ホントにお人好しだな」
「なんでだよ!」
「俺達の事あんなふうに見てた人間に対して、まだそんなこと考えてたの?」
「それとこれとは別だよ。僕達の関係を知って普通に接してくれたの、変人の板橋の片割れ
くらいなもんだって」
僕が勝手に白板橋と呼んでいる、板橋の双子だ。板橋に負けず劣らず変人っぷりを見せて
くれた人。でも、僕がゲイでもその所為で板橋がゲイになっても、白板橋は全然お構いなく
接してくれたところは、僕としてはありがたかったけど。
 板橋が首を捻ってこっちを見た。その視線はいつもより優しかった。
「気にするのやめなって」
「うん・・・・・・」
「あんたが悪いわけじゃないだろ」
「そうだけど・・・・・・」
「もう関係ないことだし、今後ろめたいことをしてるのはあんたじゃなくて、あの人でしょ」
「うん」
納得はしてるものの、自分が犯した過ちが今更ながら重い。社長と不倫しているときは、
背徳な気分も手伝って、周りに傷つく人がいるなんて考えてもなった。
 ばれないところでギリギリを楽しむスリルとか、秘密を共有する喜びとか自分本位な気持ち
ばかり先行してて、周りを全然見てなかった。
「社長にも謝ってないし、なんだか逃げ得みないな気がして、気が滅入るよ」
「じゃあ、あんたはどうすれば気が済むの」
「わかんないよ・・・・・・。今更、社長の不倫相手は自分でしたなんて名乗る気にはなれないし。
謝るなんてもっと出来ないし」
「忘れたら?」
「板橋は簡単に忘れられる?」
横を向いて板橋の肩におでこをぶつけると、板橋が僕の背中をトントンと叩いた。
「無理だな」
「ちょ・・・」
「無理だけど、忘れる以外に自分が救われる道なんてないだろ」
「忘れるってそう簡単に出来ないよ」
「そういう時は、別のもので頭を一杯にするといいらしいよ」
板橋が僕の腰を引き寄せる。身体を密着させると板橋の体温が心地よかった。
 髪や頬や唇に啄ばむ様にお互いキスをして、ぎゅっと板橋の腰に抱きつく。知ってる板橋
の身体だけど、旅のテンションが盛り上げてくれるのか何故だかドキドキした。
「レンタカー、オデッセイにしてよかった」
僕が苦笑いしながら呟くと、板橋もつられて笑った。





 フロントガラスが白く曇っていて、外から見ると「いかにも」な車になっている。道の駅
に停まってる車は数えるほどしかいなかったけれど、定点観察でもされていたら、間違いなく
カーセックスしてましたってばれていただろう。
 別にばれたところで、気にはしないけど。旅の恥と性欲は掻き捨てだ。
板橋のTシャツに顔を埋めて、一息ついていると、別のもので埋まっていたはずの脳みそ
がまた、社長達の事を思い出させた。
 自分がこんなにウジウジする性格の持ち主だとは思ってなかったけど、罪悪感があるから
どうしても、すっぱりと切り捨てることも出来ないんだと思う。
「本当に忘れちゃっていいのかなあ」
「いいんでしょ?」
「・・・・・・忘れて自分が救われちゃってもいいのかな」
「何言ってんの。当たり前でしょ。何のために生きてるの」
「だって・・・自分だけさっさと足洗って後の事は知りませんみたいな」
「洗ったんだから、知らなくて当たり前でしょうが」
「そうだけどさ。自分だけこんなに幸せでいいのかなって思っちゃうんだよね」
幸せなんだよね、何だかんだいって。板橋は優しい(時もある)し、身体の相性も悪くないし
忙しかったり、構ってもらえなくて淋しいときはあるけど、お互いの気持ちはしっかり
してるはずだし。
 社長と一緒にいたころよりも、心はずっと安定してる。
過去の恋愛を振り返っても、怖いくらいに板橋といるときの自分は幸せだと思う。だから
余計に、社長と奥さんのことが気になるんだ。
「あんたに出来ることなんて、何にも無いよ」
「分かってるよ・・・・・・」
「いつか気づくんじゃない?あんたが、出るまでも無く」
板橋が僕の頭を優しく撫でる。その手が心地よくて、この瞬間がたまらなく好きだ。ここが
車の中なんてどうでもいいって思っちゃう。板橋と2人でいられるなら、どんな空間だって、
僕には構わないんだってつくづく思い知らされる。
 僕は、相当板橋に惚れてるんだなあって思った。本人はこんなに橋オタクなのにね。
暫く板橋の手の動きに身体をゆだねて、心の落ち着きを取り戻そうとした。
 忘れよう。忘れることが一番だ。忘れるために板橋で心をいっぱいにしよう。
「・・・・・・板橋」
「何?」
名前を呼ぶと、板橋が掠れた声で返事をした。僕はくりっと横を向いて板橋の顔を見つめる。
見詰め合うのはお互い苦手なんだって、最近になって分かってきた。僕も板橋も多分すごく
照れくさいんだ。
 だけど、あえて僕は板橋を正面で見た。暗闇の中で瞳が揺れ動く。板橋も僕の顔をちゃんと
見ている。
「・・・・・・あのさ」
「うん」
「好きだよ」
「うん」
「すごく、好きだよ」
「うん」
「板橋が橋のことで頭一杯になるみたいに、時々僕も、板橋のことで頭が一杯になるんだ」
「うん」
「幸せすぎて怖い」
「・・・・・・うん」
板橋は我慢できなくなったのか、僕から視線を逸らして、天井を見上げた。その横顔をじっと
見つめていると、板橋はぽつんとしゃべりだした。
「俺は、直哉がいなくなることが想像できなくて、時々怖くなるよ」
「いなくならないよ!」
「この先もさ、ずっとこうやって橋見に来るたび、絶対あんたがいる気がするんだよね。
もうあんたがいない旅が考えられなくて、びっくりする」
「板橋・・・・・・」
「直哉がいない方が橋巡りに没頭出来そうなのになあ・・・・・・」
「僕は、板橋が間違えて誰かをヒッチハイクして、惚れちゃわないように、意地でも付いて
行くよ」
「あはは・・・・・・一目惚れはあんただけで十分だよ」
再び板橋が僕を見た。普段何考えてるんだか(いや多分橋の事ばかりだ)わかんない板橋が
時々見せるこの顔に、僕は惚れたんだろう。
 久しぶりに聞く板橋の甘い言葉に僕はそれだけで胸が一杯になって、社長達の事は無理
矢理心の奥に押し込んで蓋をしてしまった。





 寝起きはけして悪い方じゃない。むしろ普段の生活において寝起きが悪いのは板橋の方だ。
なのに、どういうわけか、車に乗ってると、板橋の方が元気なんだ。
 次の日僕は、ひどい揺れで目を覚ました。
「!?」
びっくりして起き上がろうとして、バランスを崩すと、シートの隅に背中をぶつけた。
「痛っ!!」
その声に気づいて、板橋がバックミラー越しに僕を見た。
「おはよ、起きた?」
「・・・・・・相変わらず早いね」
「だって、橋は直ぐそこなのに、待ってられるかって」
板橋は超が付くほどご機嫌なようだ。小さめのボリュームでラジオから流行りの曲が流れ
それに合わせてハンドルをトントンと叩いている。
 周りを見渡すと、林道を走っているようで、木々の隙間から漏れる朝日が眩しかった。
「どこなの?」
「もう直ぐ橋着くよ。車止めてちょっと歩くから準備しておいて」
こんな林道の中のどこに橋があるんだろう。そもそも、今回も僕は板橋が何の橋を見に
行くのか聞いてもいない。それ程興味があるわけじゃないけど、一体どこに連れて行かれる
んだろうと、目覚めていきなりこんな道を走ってると不安になった。
「大丈夫なの、ここ。道悪いし、細いし、何か出そうだし」
「大丈夫じゃないから、もう直ぐここの道、一般車立ち入り禁止になるんだ」
「は?」
「この先に橋があるんだけど、ここの道、対向車すれ違えないし、危ないから一般車両
入れなくなるんだって」
「え?じゃあもう直ぐ橋が見れなくなるって、そういうことだったの?」
「そういうことだったの。見る方法はいくつかあるみたいだけど、自分の好きなときに
好きなだけ堪能したいじゃん、やっぱり」
「・・・・・・そう」
今朝は一段と橋モード全開だ。こうなるとオタクは止められないから、僕はただひたすら
黙って付いて行くのみ。





 程なくして、車は停まった。駐車場というよりは、自然に広がったスペースに車をつけて
板橋は車を降りる。僕もその後を追った。
「こんなところに橋なんてあるの?」
「あるよ、壊れかかってるけど」
「渡れるの、それ」
「渡っちゃダメなの。危ないからさ」
「どんな橋なのそれ」
「昔鉄道が走ってた橋だよ」
「へえ。前にもそんな橋、行ったよね」
僕が立ち入り禁止の中に入って、遭難しかけたところだ。碓氷峠にあるレンガ造りのでかい
橋だった。あれを想像していると、板橋が僕の妄想を吹き消した。
「碓氷のめがね橋とはちょっと違うけど。でも、こっちもめがね橋って言われてるけどね」
「うーん、どんなのなんだろう」
こんな森の中に、本当に橋なんてあるんだろうかと、疑心暗鬼になりながら歩いていると、
前方が少しずつ開けて、眩しい湖面が見えてきた。
「タウシュベツ橋梁って、昔は鉄道が走ってたんだけど、ダムが出来て廃線になって、今は
ダム湖の上に橋だけが架かってるんだけど、ダム湖の水位が上がると水没するん・・・・・・」
説明しながら歩いていた板橋の言葉が止まった。僕もその姿に思わず息を呑んだ。
 ダム湖に映し出された、アーチ橋。今見えているもの全てが一つの作品のように完結
して見える。何かが欠けても成り立たない景色だ。
「ホントにあった・・・・・・」
「これは・・・・・・すごいな」
僕達は暫く無言で佇んでいた。自然の中に調和しているようにも見えるし、その姿を誇って
いるようにも見える。
 コンクリートのアーチ橋。湖面に映る橋の姿と合わせて見事な円を描き、文字通り
「めがね橋」となっている。ところどころ老朽化で崩れている部分もあるけれど、それが
余計に歴史の深みを表しているように見えた。
「ここまでとは・・・・・・」
板橋は近づける限界まで近づいていって、橋をじっと見つめていた。
 こうなると、板橋には何を言っても無駄だ。僕がいることも忘れてただ橋を楽しんでいる。
橋との対話だと僕は勝手に言ってるけど、板橋は一体橋と何を話してるんだろう。
 僕も真似して、橋に近づいて勝手な想像を巡らせてみようと頑張る。
・・・・・・ダメだ。何にも思いつかない。橋は橋でしかなくて、僕にとっては、ただそこに
架かってるものだ。それ以上でもそれ以下でもなく。
 けれど、この自然の中に崩れかかりながらも、存在し続ける姿に、僕は綺麗だと思った。
昔の記憶を敢て捨てることなく、受け流すような雄大さを感じて僕はちょっと羨ましく
なってしまった。
 どれくらいそうやっていたのか、優に1時間は超えていたと思う。やっと板橋が僕の隣に
戻ってきて、少年みたいなキラキラした目を輝かせていた。
「わざわざ来た甲斐があった」
「よかったね」
僕は笑いながら板橋の手を取った。恋人握りして板橋と一緒にまた橋を眺める。
「これから水位が上がる季節だから、水没して見えなくなるんだ」
「それで幻の橋なんだ?」
「そう。季節によって見え方がこんなに変わる橋も珍しいな」
「冬の橋も綺麗だろうね」
「寒いよ」
板橋を見ると、ちょっとだけ眉をしかめていた。板橋は寒いのが結構苦手だ。
「いつかはこの橋も崩れるんだろうな」
「そうなの?」
「水没を繰り返してるから、脆くなるんだよ」
「そうなんだ・・・・・・勿体無いね」
なんだか、僕もすっかり橋談義に馴染んでしまって、板橋のオタクっぷりが段々乗り移って
来た気がする。
 そのうち僕も、この橋は・・・・・・なんて誰かに薀蓄垂れてるかもな。
そんなことを思ったら、笑わずにはいられなかった。
「何?」
「なんでもないよ。いい橋だなって思って」
「だろ?」
橋を褒めると、板橋が何故だか自慢げに頷いたので、僕は益々おかしくなって笑ってしまった。



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