なかったことにしてください  memo  work  clap
韋駄天ラバーズ



「あ〜〜〜〜真野の馬鹿、アホ、しね〜〜!!」
亜希はありったけの悪態を吐きながら、北風の吹き荒れる中を走っていた。
鈍足で、運動が大嫌いの亜希が走っていること自体既に珍しいことなのだが、その尋常じゃ
ない様子に、すれ違う人が何人も振り返っていったけれど、亜希は構ってられなかった。
 悔しいのと、悲しいのと、裏切られたという絶望に似た気持ちがぐるぐるとスパイラル
を描いて心の中を駆け上っていく。
 嫌々請け負ったのは分かっている。自分のダイエットに協力してくれたことが、全くの
善意だとも思ってはいなかった。
 けれど、自分を賭けの対象として、後ろであざ笑ってるような卑怯な人間だとは思って
もみなかったのだ。
 厳しいトレーニングさせたり、食事に文句ばかりつけてきたけれど、真野は少しずつ、
自分に心を開いてきているような部分もあった。少なくとも亜希はそう感じていたのに
真野の真意はこんなところにあったのだ。
「もうやってられるか!あんなヤツ・・・・・・大嫌いだっ!」
亜希はもう一回叫ぶと、体中の肉を揺らせて、家路を走り抜けていった。





冬なのに、体中から湯気を出して過呼吸気味に息を吐いている亜希を、美咲は目を丸く
しながら部屋に招きいれた。
「どうしたの」
「・・・・・・俺、ダイエット、止める・・・・・・真野、ムカつく・・・・・・あいつの、せい!・・・はあっ
はあっ・・・・・・」
今にも泡でも吐きそうな亜希に美咲はとりあえずいつもの場所に座らせて、冷たい水を一杯
用意してあげた。
 亜希はそれを一気に飲み干すと、もう一杯というジェスチャーをする。美咲は仕方なく
もう一杯冷たい水を持ってくると、亜希はそれも一気に飲み干した。
「・・・・・・大丈夫?」
「ふうっ・・・・・・こんなに走ったの、何年振りだろ・・・」
亜希は額ににじみ出ている汗を拭った。
「どこから走ってきたの」
「駅」
「駅!?亜希ちゃんが?!」
美咲は心底驚いて、いつもよりワントーン高い声で聞き返した。中学に入ってから、運動
という運動は全て嫌いになって、中でもマラソンは憎しみまで湧き上がっていたという
この亜希が、走ってきたというのだ。よほどの事があったのだろうと美咲は察した。
「・・・・・・だって、ホント、ムカついて堪らなかったんだ」
そう言うと、亜希は真野が自分にしていた賭けの話を怒りを込めて話し始めた。



「ふうん」
「ふうんって!ミサちゃん、ひどいと思わないの?」
「そうねえ。それで真野君が亜希ちゃんの事、本当に嘲笑ってたりしたら、ひどいとは
思うけど」
怒りに任せて話した思いが、意外にも美咲とは共感できなくて、亜希は肩透かしを食らった
ような、行き場の無い思いを持て余した。
「真野は俺の事、自分の金儲けの道具にしかしてなかったんだよ?」
「だけど真野君、ちゃんと亜希ちゃんのダイエットに協力してくれたじゃない」
「それはあいつが賭けてたから!」
「別に賭けでもなんでもいいじゃない、それで痩せられるのなら。ギブアンドテイクみたい
なものって考えれば、裏で真野君が何してようと、構わないでしょ?」
美咲のドライな物言いに、亜希は返す言葉を失った。
 パクパクと死んだ金魚みたいに口を動かす亜希に、美咲は少し意地の悪そうな笑みを
浮かべて言った。
「亜希ちゃん、もういい加減認めちゃったら?」
「何を!?」
「亜希ちゃんは、真野君がダイエットに別の見返りを求めてたってことに腹を立ててるん
でしょ?」
「う、うん・・・・・・」
「真野君が自分の事何のフィルターもなしに見てくれない。それって、真野君に自分の事
好きでいて欲しいってことじゃないの?」
美咲の台詞に、亜希のパクパクが更に加速した。本当に泡でも吹きそうだ。
 額の汗がたらりと垂れて、亜希のあごを伝う。亜希はそれを拭って言い訳をした。
「そ、そりゃあ、俺の目的が真野に惚れさせて、ギタンギタンのメチョメチョに振ってやる
って言う・・・・・・」
「そうじゃないでしょ。亜希ちゃん」
美咲は、観念しなさいと机を指でトントンと叩く。
「何だよぉ・・・」
亜希が怯むと、美咲はわざとらしく大きくため息を吐いてみせた。
「亜希ちゃんは、真野君が好きなのよ。だから、真野君にも自分を何の掛け値なしで見て
欲しいのよ。違う?」
「お、俺はっ・・・・・・」
美咲に指摘されて、亜希はかっと熱くなった。



真野を好き?誰が?俺が?!
・・・・・・そんなこと起きるもんか!そんなわけあるもんか!
だって、だって・・・俺はアイツにデブデブ言われて悔しくて、腹立てて、喧嘩ばっかりして、
ムカついて・・・・・・真野なんて大嫌いなはずなのに・・・・・・!
そりゃあ、真野にカツアゲ助けられてちょっと王子っぽいなんて思ったりさ、デコにチュー
なんてされて舞い上がっちゃったりしたけど・・・・・・
俺が真野を好きになるって作戦で、なんで俺が真野の事なんて好きにならなくちゃいけない
んだよ!
俺は・・・真野の事なんて・・・・・・



「亜希ちゃん・・・・・・その心の声は、聞いてほしいの、欲しくないの」
「え?」
「駄々漏れよ」
亜希は慌てて口を押さえたけれど、美咲はホットコーヒーのカップを手で挟んで、手を
温めながら、きっぱりと言った。
「亜希ちゃんは、真野君が好きなのよ。いい加減、しらばっくれるの諦めなさい」
「う・・・・・・」
亜希は言葉を探した。
「ま、待ってよ!大体、真野は男で、俺も男だよ?!どう考えても変だよ?!」
唾を飛ばしそうな勢いで食って掛かる亜希に美咲は余裕で答える。
「そんなの分かってるわよ。亜希ちゃんが今までずっと女の子しか好きじゃなかった事も
男同士の恋愛なんて普通はおかしいってことも全部分かってるわ」
「・・・・・・美咲ちゃんって寛大なんだ」
「ジョーダン。亜希ちゃんじゃなきゃ、気持ち悪っ!て言ってやるわよ。だけど、他でも
ない亜希ちゃんが男を好きになっちゃったなら、それはそれで応援してあげるってこと!」
どう、分かった?美咲はお姉さんぶって、ふんっと鼻を鳴らした。
 俺が、真野を好き・・・?
「俺は・・・・・・」
答えの出ない亜希に、美咲は口調を緩めた。
「悩め悩め。恋する少年。もう一回自分の心に聞いてみることね、そこにいるのが誰なのか」
亜希はぐるぐると回る胸をぷくりとした手で押さえていた。





 美咲の家から帰ってきて、自分の部屋で美咲に指摘された思いを、ぐるぐるかき混ぜて
こねくり回して、言い訳をかぶせて、否定したり、肯定したり、散々真野の事を考えて、
そして、亜希はプチンと切れた。
 真野の事が好きなのかもしれない。それを認めると、真野のしたことが益々腹立たしい。
「あー!もう、嫌だ。わかんない!あいつの事考えるの、止めだ、止め!」
寝転がっていたベッドから起き上がると、掌をぐっと握り締めて、亜希は一つの決意をする。
「・・・・・・喰ってやる!!ダイエットなんてクソくらえだ!!今までの分まで食い尽くして
やるんだ!」
亜希は部屋から飛び出すと、再び隣の月森家に向かっていた。



 ごきゅん。
目の前にはムーンウッドで買ったケーキ6個。更に、おじさんがオマケしてくれたシュー
クリームが2つもある。
「うまそ!」
ダイエットを始めてから、3ヶ月近く。ずっと禁欲してきたケーキ。
 罪悪感は微かに残ってるけれど、目の前のケーキの甘さにまったりと絡んで溶けた。
それから、亜希は並んだ色とりどりのケーキをじっと見つめた後、思い切ってシュー
クリームに手を伸ばすと、がぶりと一気に口に詰め込んだ。
 後は、もう止まらなかった。





 お正月が明けて、冬休みの残りもあと数日になっていた。
亜希はあれから、毎日のケーキがすっかり復活してしまい、今日もムーンウッドのショー
ケースに並んでいるケーキを物色していると、後ろから低いトーンで美咲に声を掛けられた。
「亜希ちゃん!!」
「ん?あ、ミサちゃん、おはよ」
「おはよ、じゃないわよ!!なんなの、それは!」
「え?」
振り返ってみると美咲の顔が怖い。ぽんやりしている亜希とは対照的に美咲は怒りを顔に
滲ませながら、亜希の手を引っ張った。
「え?え?何・・・ちょっと、ミサちゃん?」
「いいから、ちょっとこっち来なさい!!」
手を引かれ、連れて来られたのは美咲の家の洗面所。美咲は亜希の前に体重計を差し出すと
無言で乗るように指をさした。
「えっと・・・」
「いいから乗りなさい!」
怒られて、亜希は渋々足を乗せる。デジタルのメーターが動いて、ぴたりと止まった。
「な、ななじゅうはちキロォォォ〜!?」
その途端、美咲のひっくり返った声が家中に響き渡った。
「あれ?コレ、壊れてない?」
「壊れてないわよ!あんたが太ったのよ、このお馬鹿!」
珍しく美咲が大きな声を出して、亜希を叱る。亜希はバツの悪そうに頬をぽりぽり掻いた。
「亜希ちゃん、お正月に一体どれだけ食べてたのよ!ケーキだって毎日毎日買いに来てたし」
「えっと・・・・・・」
「亜希ちゃん、ダイエット本当にやめたの?それでいいの?真野君の事、痩せて惚れさせる
んじゃなかったの?」
「・・・・・・だって」
「ダイエット止めたからって、リバウンドまでする必要あるの?!」
美咲の冷めた声が亜希の耳に痛い。堰の切れた堤防みたいに、亜希の食欲は止まることを
忘れ、お正月の料理にケーキにと、詰め込めるだけ、全部亜希のお腹に収まってしまった
のだ。
 ちょっと顔がふっくらして、お腹も苦しいとは思っていたけれど、4キロも太ってるとは
思っていなかった。ちょっと腹いせにケーキでも食べて、もう一回がんばるつもりもあった
のに・・・・・・。
「何よ、私がアレだけお膳立てしてあげたのに。亜希ちゃんってば全然友達の恩、感じて
ないわけ!?」
「ごめん・・・・・・」
「どうするのよ。もう、本気でやめちゃうわけ?亜希ちゃん、やっと少し痩せて、いい感じ
になってきたのに」
美咲の言葉が亜希の心に刺さる。
 自分だって、二学期の最後の日まではそう思ってた。だけど、真野に裏切られて、自分が
真野を好きかもしれないと思えば思うほど、悔しくて。
 自分でもどうしていいのか分からなくなっていたのだ。
美咲に言わせれば簡単なことだ。
「このまま痩せて、本気で真野君を振り向かせればいいのよ」
けれど、自分が真野を好きかもしれないと思い始めた今の亜希には、それをやる勇気と気力
が無かったのだ。





 美咲の家を出ると、今一番遭遇したくない人が亜希の家の前に立っていた。
絶対にありえない光景に、亜希は夢かと思った。けれど、その夢は亜希に刃を切りつけて
来て、体中がぴりぴりと痛んだ。
「真野・・・・・・!?」
お互い驚いて立ち尽くす。真野がどうしてここにいるのか、亜希の単純な驚きよりも先に、
亜希の容姿に驚いていた真野が口を開いた。
「・・・・・・お前、なんだそれは」
真野は見る見る不機嫌な顔になって亜希を睨みつけた。
「それって」
「お前、この10日間、一体何してたんだ!」
「何って真野には関係ないだろ!」
「関係ない・・・・・・お前、本気でダイエット止める気だったのか」
「ほ、本気だもん。俺、ダイエット止めたの!!」
悪魔みたいな顔の真野に怯みながら、亜希は続ける。
「だって真野が悪いんだ。お前が、賭けなんてするから!」
「賭けと、お前のダイエットとは関係ないだろうが」
「あるよ。むっちゃくちゃ、ありまくりだ。俺がどんだけ傷ついたか・・・・・・」
真野には亜希の痛みなど分かるはずもない。真野は亜希を睨みつけたまま、低い声で怒鳴り
付ける。
「俺はお前のダイエットに協力してやっただろ。それのどこが不満だったんだ!!これだけ
時間を割いて、やっと痩せてきやがったと思ったら、これか!」
「俺はもうダイエットなんて止めたって言っただろ!!俺がリバウンドしようが、どれだけ
太ろうが、全部俺の勝手だ」
亜希の暴言に真野の顔が歪んだ。
 それから、焼けて冬でも色黒い真野の顔が見る見るうちに赤くなって、頭のテッペンから
湯気が湧き出しているように見えると、亜希は一歩後ずさりした。
 真野から噴出している激怒のオーラが肌にちくちくと刺さり始めたのだ。
ぴりぴりと痛い。けれど亜希も負けるわけにはいかなくて、唇をかみ締めながら、真野を
睨み返した。
 暫くお互い無言で睨みあって、びゅうっと真冬の冷たい風が2人の間を通り抜けた。
道路の隅に溜まった枯葉が風に巻き上がって、ガザガザと音を立てる。それが真野の足
に当たって、真野は忌々しそうにそれを踏み潰した。
「お前には失望した」
「それはこっちの台詞だ、馬鹿真野!!」
亜希の言葉に真野が舌打ちをする。何か言い出そうとする真野にかぶせて、亜希は言い放った。
「俺はとにかくダイエットなんて止めたし、もうお前とは関わりたくないんだ!!」
瞬間真野の傷ついた表情が浮かんだが、すぐに怒りの顔に変わった。
「ああ、そうかよ!勝手にしろ!」
真野は亜希にダイエットの記録ノートを叩きつけると、怒りのオーラを全身から垂れ流した
まま、亜希の前から立ち去っていった。
 亜希の足元で、強い風に煽られて、ダイエットのノートがべらべらっと音を立てて捲れていた。




□□亜希のダイエット記録□□

1月某日――ダイエット90日目
実行中のダイエット:
朝食:
昼食:
夕食:
体重:
一言:74キロの壁、諦めるなよ。お前結構根性あるから、出来るだろ(真野)






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