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名倉の告白―展望―



 それら全てが計算と言うのなら、自分は完全に彼の弾き出す数値と共に踊らされている
だろうし、それが、彼の天性の才能と言うのなら、その才能の前に跪くしかない。
 ただ、自分は彼より、長く生きている分、逃げ方を知っているというだけだ。





 大体、自分の教え子に心を奪われるなんてこと、教師として有ってはならないことだ。
ましてや相手はれっきとした男。
 そんなはずはない、そう自分を戒めて毎日、彼の視線から必死で逃げている。
だが、天真爛漫というか傍若無人というか、彼の行動は心臓に悪い。今だって、彼は、
新しいオモチャを前に、嬉々として遊んでいるのだ。
 彼らには自分の姿は見えていないだろう。
夕暮れ、路地裏、2人の学生。
密着しながら見詰め合っている2人に見覚えがないわけがない。彼らは、間違いなく自分
のクラスの生徒だ。
有馬優斗、そして天野陸。
彼らが何故、そこにいるのかなど、知るはずもないが、そんなことはどうでもよかった。
問題なのは、彼が、自分がここを通勤路として使っていることを知っていたかどうか
なのだ。
 偶然か、それとも必然なのか。
作為なのか、無作為なのか。
目の前に広がる光景を、正しく捉えるためには、それを履き違えてはならない。ミスは、
物事を大きく歪ませる。



「ゆうくん、誰かとキスしたことある?」
「・・・・・・うん」
「女の子と?」
「女と犬以外とはベロチューなんてしたことない」
「じゃあ、今日からは、『女の子とワンコとアツシ以外とはベロチューしたことない』に
変わるね」
「・・・・・・アツシ、いいのかホントに」
「ゆうくんが言ったんデショ、いつ秘密くれるのって」
彼らの会話が聞こえる位置にいても、2人には自分が見えないのか、彼らはお構いなく会話
を続けた。
 そして、耳を塞ぎたくなるような、むず痒い会話の後で、濃厚なキスシーンを拝むこと
になった。
「ふぅっ・・・・・・」
「・・・アツシ、エロい」
「ゆうくんも・・・・・・キス、上手いね」
抜けるような、甘ったるい声も、絡み付くその手つきも、ただ呆然と後ろで見つめた。
 作戦なのか、失策なのか。
分からない。彼という生き物が自分には、全く分からない。
唯一つ、自分の拳は固く握られ、それが僅かに震えていて、自分はこの現場から、一刻
も早く立ち去りたいと願っていることだけは確かだった。
 彼に、この感情の意味が分かるだろうか。







 次の日から始まったテストは、生徒にとってやはり地獄の1週間となった。理系クラスの
数学は、彼らにとって必要不可欠だ。絶対落とすわけにはいかない。現文、古文、地歴、
公民、この当たりはあっさり捨てに掛かる生徒でも、数学だけは真面目に取り組んでくる。
 今、数学を落としたら先がないとでも思っているのだろう。ギリギリで焦るのなら、何故
前もって質問しに来ないのだと、頭をかかえたくなるのだが、自分だって学生時代は同じ
ようなもんだった。
 数学担当、ましてや担任として、次々くる生徒の質問に答えながら、心は上の空で、特定
の生徒の姿を追っていた。
 こんな時、彼は絶対に近づいては来ない。遠巻きに、自分が囲まれているのを確認する
と、そのまま帰ってしまうのだ。
 これが彼の駆け引きなのか、どこまで計算されているのか、読めない。




 生徒の質問攻めが終わると、漸く職員室へと戻ることが出来た。数学のテストは明日
だから、この過剰な質問攻撃も今日で終わりなはずだ。
 休み時間の殆どを地歴準備室で過ごしているので、職員室に顔を出すのは朝と夕方だけで
そうすると、職員室に帰れば校務の事で担当者に掴まることになる。
「名倉先生、お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」
「質問攻めですか」
「明日ですから・・・・・・もう少し建設的に勉強してくれたらありがたいんですけど」
「勉強してくれるだけマシですよ。ほら僕なんて、古文でしょ?理系の学生なんて、教科書
開いてもない奴等ばっかり」
「文系の生徒は同じようなモンです。・・・・・・で、何か?」
「あ、そうそう、来週の職員会議の資料、目を通して置いてください。修学旅行の最終
チェックです。・・・・・・今年は頭が痛いですからね」
「・・・・・・」
「しっかりしてくださいよ、名倉先生、あなたのとこの生徒なんだから」
「そうですね・・・・・・気をつけます」
生徒の間で噂になるということは、当然、教師にも伝わっていると言うことだ。彼らは、
知らないかもしれないが、事にこういう話は教師の間でもしっかり認識されている。
 派手に遊びまわるその根拠が自分の気を引くためだけだとすれば、あまりにも愚かな行為
だ。ただ、それを彼に注意するのはとても難しい問題なのだけれど。
 噂は誇張して聞こえてくる。今や教師の間では、天野陸は超ブラックリストだ。援交の
噂まで聞こえてくるのだから、当然だろう。
 しかし、自分としては援交というのはただの噂に過ぎないと踏んでいるが、金をもらって
いないだけで、やっていることはそう変わらないだろう。
 不純異性交遊(この場合は同性交遊か)はさして問題にならず、援交の噂だけで騒ぎ
立てるというのも、どうかと思うのだが、世間から真っ先に叩かれるのは学校なのだから
教師達がピリピリするのも仕方ないのかもしれない。
 事実、職員会議で問題になるほどなのだから、彼の目に余る行動は、二重の意味で頭が
痛い。



 彼の素行は自分の経験を遥かに越えている。
自分だとて、今までずっと1人だったわけじゃない。高校時代にも、大学時代にも、
恐ろしいほど積極的な女性に迫られて、それなりに付き合っていたときもある。だから、
この頃の自分達が、どれだけ欲に飢えているのかってことも、同じ男として分かるつもり
なのだが。
 そういえば、高校時代の彼女も、大学時代の彼女も、面白いほど性格が似ていた。
積極的で、わがままで、自分の意見など聞こうともしないくせに、言うことを聞かなければ
酷く怒った。
 よく、見たくもない映画を一緒に見た気がする。
 それから、彼女達の共通点は、積極的なことと、もう一つあった。それは、自分の行動
を指して言う口癖だ。
「名倉君って、可愛いよね」
・・・・・・ああ、彼も言うな。そういえば。
 その意味は、彼女達の思考は最後まで分からなかった。

彼女達は、勝手に迫って、勝手に去って行った。
盛り上がるのも1人なら、冷めていくのも1人だった。自分は彼女の隣で、呆然とそれを
見守るしかなかった。
 嫌いなわけじゃない。・・・ただ、好きじゃなかっただけだ。
鈍感でも、不感症でもない。人並みに感情はあるつもりだし、好みもある。だけど、人
よりも、外に出す感情が少ないだけだ。

 自分は彼とは正反対だと思う。彼は思っていることを素直に口にするし、全てをぶつけ
ようとする。
 受け止める自信などないのだ。だからと言って、片手で打ち返せるほど簡単でもない。
だから勝負をしないという選択しか、自分にはない。





次の日は、案の定、地歴準備室に質問に来る生徒はいなかった。他の教師も雑務に追われ
ているのか、いつまで経っても戻ってくる気配はなかった。
 おかげでテストの採点は捗り、受け持ちクラス分は全て終えることが出来た。
・・・・・・それにしても、この平均点の低さはなんだ。
PCの名簿に点数を打ち込んで、平均点を出して眩暈がする。そして、この平均点を確実
に落としている生徒の点数を見て、大きなため息が出た。
「天野陸・・・14点って!」
答案用紙を探して、改めて見てみると、初めの計算問題2問だけが完璧に解かれており、それ
以外は全くの白紙だった。
 確実に追試コースだ。やる気がないのか、分からないのか。彼は中学の頃、同じように
テストで赤点を取り、追試を受けたことがある。
 あの時は、わざとだった。




 地歴準備室にその声が響いたのは、それから直ぐのことだった。
「名倉セーンセ」
「・・・・・・テストの採点中ですので、立ち入り禁止ですよ」
「えー、どうせ、もう終わってるでしょ」
引き下がる気は全くないらしい。
「・・・・・・天野君」
「ちょっとくらいいいでしょ?テストやっと終わったんだよ?」
「数学が終わっても、他の教科がまだあるでしょう?それに、大体なんですか、あの点数」
「あはは、でも正答率100%でしょ?」
やっぱり、か。
「確かに、解いた問題は2問とも正解だけど、テスト問題はあれが全てじゃないんですよ」
「だって、あれが僕の今の限界なんだもん」
キャスター付きの椅子を逆に座って、隣までやってくると、そう言って口を尖らせる。
 尖った口先が、きらっと光って、思わず目を見張ってしまう。
この口は、昨日、帰り道に有馬優斗に吸い付いたヤツだ。
そう思うと、目の前に平然と立って笑っている彼が憎たらしくなった。どこまで心を
かき乱せるつもりなんだ。
「折角、ココに通い詰めてるのなら、もう少し勉強したらどうですか」
「やだよー。だって僕、先生に会いに来てるだけだもん」
「天野君!」
「センセーが早く、僕のことホンキにならないかなって、それしか考えられないもん」
伸ばした手が、自分の手に重なる。手の甲をなぞられて、スイッチが入ったように、全身
に痺れを感じた。
 何故、それなら、有馬優斗とあんなことをしていたんだ。・・・・・・ああ、これは嫉妬か。
頬が引きつって痙攣する。
限界だった。




 重ねられた手を除けると、僅かに距離を取った。息を整えて、彼に向き合う。
「天野君・・・・・・あんまり、大人を嘗めてはいけませんよ」
「ん?」
「君が欲しいものを、素直にあげるつもりはありませんが、自分の目の前で、あんな事
されて、みすみす黙っていられるほど、優しくはありません」
「あんなこと?」
「・・・・・・知らないのなら、それでいいです」
やはり、あれはただの偶然だったのか。
 だったら、弱みを握ったのはこっちなんだろうか。
「センセ・・・?」
「君には、まだあげません」
「何を?」
質問には答えずに、彼を立ち上げると、そのまま壁際に追いやった。
 見上げる瞳は、キラキラしていて、自分はマズイ薬でも打ってしまったかのようだ。
「・・・あげませんよ。貰うだけです」
この心は、まだあげません。

 壁にぴったりと押し付けて、お互いの息が掛かるほど近づくと、アツシは緩く力のぬけた
声を出して、笑った。
「ひゃあ・・・」
負けてたまるか、そんな気分だった。こんな17歳の子どもに、心をごっそり持って行かれ
てるなんて、まだ教える気にはなれない。
 気づいてるんだろうか。こんなにも揺さぶられて、とっくに君の手の中に落ちてしまって
いることを。
 大人のプライド一枚で跳ね除けているけど、時々どうでもよくなったりする。意地も
駆け引きも捨てて、むしゃぶりつきたくなる衝動。
 握った拳をゆっくりと開くと、その手を彼の頬に当てた。
発展途上で止まってしまった、高校生にしては小さな身体を手繰り寄せると、その艶やか
な唇に近づく。
 S極とN極が磁力でつっくつように、引力のように、引かれて、くっついて、その瞬間、
逆に吸い付かれた。
 口の中に入ってこようとする舌を絡ませて、押し返す。上あごを舌でなぞったら、喉の
奥から声が漏れる。
 しがみ付いていた腕はいつの間にか、首の後ろに回されて、随分と密着している。
「んっ・・・・・・」
抜けて行く息の甘ったるさに、眩暈がした。
 窒息しかけてやっと離れた後で見た彼の顔は、潤んで色っぽかった。高校生の男でも、
こんな顔が出来るのかと、その表情に釘付けになる。
 彼は、水気をたっぷりと含んだ言葉でネクタイに手を掛けた。
「センセ、おいしかった?」
「・・・・・・」


一瞬のうちに我に返る。
 手を出さないと、そう誓っていたのではなかったのか。彼との勝負は逃げると決めていた
はずだったのに。
 顔中が熱い。心臓が、ドクドクと脈を打って、体中に血が巡る。血が心を逸らせる。
しまった、と思いながらも、唇の感触は甘く、快感だ。
「ふふ」
困った顔をすれば、彼は、満足そうに笑った。

 修学旅行で、その行動を気をつけなければならないのは、彼ではなく、自分なのかも
しれないと、その笑顔に引きずり込まれながら、そんなことを思っていた。






1話 仮面の告白 終わり ――>>next (2話 痴人の愛)



【天野家国語便覧】
名倉の告白(名倉彰人 著)
普通が一番。極普通に生活して、普通に仕事をして、普通に恋愛をして。そんな極普通を
愛していた男が、ある日突然、6つも年下の学園アイドルに恋をされてしまう。
 翻弄され、手玉に取られるまでのその瞬間を赤裸々につづった自伝的私小説。
鬱々と綴られる彼の苦悩が、世間の共感を呼ぶ!(ホントか?)



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