なかったことにしてください  memo  work  clap



「吉沢さん、いますか?深海です」
マンションのエントランスのインターフォンで吉沢さんを呼び出した。程なく、上がれよという短い
返事とともに、自動ドアが開いた。
 1ヶ月前に熱に浮かされた吉沢さんを運び込んだことを思い出す。あの時の感情とはまったく別の
ものが流れている。俺は苦笑した。
 気がふれただけだと全力否定しながら、このマンションを出たのは1ヶ月ほど前。あれから、なんだか
すごい長かったな。
 じわじわと心が侵食されていく自分を、どう食い止めていけばいいのか分からなかった。それは、意外と
悪いモンでもなかったからだ。否定し続ける自分と、愛おしく思う自分。決着を付けたがっているのは
今でも変わらないし、そのために来たのだけれど、気持ちをぶつけて玉砕するって分かってていても、心の
隅っこの方では期待もしてしまう。
 万が一、何かの間違いがあって、吉沢さんが俺を受け入れてくれればいいのに、と。
エレベータが7階を指す。この先は吉沢さんのテリトリーだ。ここで、俺はどう対峙すればいいんだろう。
少しだけ強張る足を気力で突き動かす。
 部屋の前では夜風が生ぬるい風を運んできていた。明日は雨なのかも知れない。気づけば梅雨はもうすぐ
そこまで来ている。湿気た空気が体の回りにまとわり付いて俺の気をさらに重くした。
 かすかに震える手でインターフォンを押す。
返事はなく、その代わり鍵の開ける音がして、中から吉沢さんが顔を出した。
「よう、お疲れ」
なんと言って返事をしたらよいのか迷い、俺もお疲れ様ですと、声を掛ける。
「・・・上がれよ」
そう言って吉沢さんはドアを開けて俺を招きいれた。一ヶ月前と何も変わってないんだな。当たり前
なんだけど、そう思ったら余計にフラッシュバックして、これから自分がやろうとしていることに緊張を
覚えてしまう。
「どうした、深海?」
名前を呼ばれて、意識を戻す。よく見れば吉沢さんはスーツ姿だった。
「・・・あんた、なんで、スーツなんて着てんだよ」
上司にする口の利き方じゃない。自然と口からこぼれてしまった。
 そう思ったときは遅くて、慌てて口を押さえたが、吉沢さんにはしっかり届いていたようで、困ったように
笑われた。
「まあ、座れよ」
吉沢さんはリビングの黒い革張りのソファーを指して言った。前に吉沢さんを運び込んでスーツやらネクタイやらを
脱がせたソファーだ。
 なんだ、この卑猥な感覚。吉沢さんは覚えてるんだろうか。
ソファーに座ると、キッチンの奥で、コーヒーでいいか?と吉沢さんの声がした。
「あ、はい。すいません」
吉沢さんはすぐにマグカップに入れた二つ分のコーヒーを運んできた。
「入れたてじゃないけど」
その片方を手渡しで受け取る。少しだけ香りの落ちたコーヒーだったが、喉を潤すには十分だった。
吉沢さんは正面に、スツールを持ってきて座る。
「あ、あの。吉沢課長。昨日は済みませんでした」
飲みかけのコーヒーを机の上に置くと、がばっと頭を下げて俺は謝った。
頭の上で沈黙が続いた。恐る恐る顔を上げると、吉沢さんは俺を見ていた。
「・・・みんな、今日俺が休んだのは、ずる休みだって思ってるんだろうな」
「そ、そんなことないと思います」
「いいよ、フォローは。ホントのことだから」
吉沢さんから弱気な発言が飛び出して俺はそれが尋常でないことの気がした。
「あ、でも、深海のせいじゃない。お前は気にするな。俺が弱かっただけだ」
「でも、あの・・・俺」
「いい、全部言うな」
それは昨日のことは思い出したくないということなんだろうか。俺は全否定された。気持ちを
伝えることすら許されないのなら、どうしたらいいんだろう。
「朝起きてな、いつものように着替えて、出勤の準備して、玄関の前で鏡を見たんだ」
「はあ」
「そしたら、急に足が動かなくなったんだ。自分の気持ちもコントロールできないような人間が
上司じゃ、申し訳ない。そう思ったら、仕事になんていけなくなった。すまん」
吉沢さんは俺に向かって頭を下げた。こんなことをする人じゃない。けして弱みを見せる人
じゃない。それを俺に向けてみせるというのは、心に溜まったものが大きすぎるんだろう。
 そこに俺が乗っかって、輪を掛けて苦しめてる。俺の暴走した行動が吉沢さんを苦しめてるんだ。
俺は自分が解放されたい一心だったけど、それだけじゃないんだ、同時に吉沢さんも解放して
あげなくてはいけないんだ。
 大きく一つ息を吐くと、俺は正面切って、吉沢さんに告げた。
「俺、今日ここに来たのは、昨日のこと謝ろうと思っていたのと、もう一つ、あなたに
言っておきたいことがあったからなんです」
頬が紅潮してくる。胸の高まりはかつてない程だ。
「あなたも男で、年上で、上司でってこと、十分承知で言います。俺、あなたが好きです」
吉沢さんの手が震えた。顔が瞬間湯沸かし器みたいに一気に温度が上昇して赤くなっていた。
「ふ、深海・・・」
その表情をなんと表現したらいいのか分からなかったが、あからさまな嫌悪がないことに、
俺はひとまずほっとした。
「すみません。突然、そんなこと言われても困りますよね。ホントすみません。・・・でも、俺
どうしても吉沢さんに伝えたくて。俺の気持ち伝えて、玉砕したら、元に戻れるかな・・・なんて」
やっぱり、最後は尻つぼみになってしまった。言いたいこともまともに伝えられないなんて、社会人
としてどうなんだろう。
「お、お前、本気でそう思ってるの?」
「すみません、気持ち悪いですよね。やっぱり・・・」
「そうじゃない。俺が、お前のこと、その、振って、それで終わりでいいって・・・」
「・・・そりゃ、気持ちが通じたら嬉しいですけど、そんなことあるわけがないじゃないですか。
だからいいんです。この気持ちを伝えて、リセットして、明日から尊敬する上司に戻ってください。
わがまま言ってすみませんが」
「・・・深海のバカ」
吉沢さんの掠れた声がする。真っ赤になった顔に瞳が潤んでいた。
「あ、あの」
「おまえ、俺の気持ち、全然分かってない。俺が・・・お前のこと受け入れないとでも思ってんのか?」
え?
 びっくりして、吉沢さんを凝視すると、吉沢さんは立ち上がって、俺に背を向けた。その背中は
思ったよりも小さくみえた。
 いまの言葉の真意を、俺は間違えないで捕らえることが出来るだろうか。沸騰しかけた脳みそで
必死に言葉を整理する。
 それは、悪い意味じゃないんだ。俺は、自分にGOスタートのフラッグを振った。
 ギリギリまで考えた。何度も辞めようと、引き返せない茨の道を進みたくはなかった。
 それでも、少しでも勝算があれば、俺はそれに賭けたいと思う。あの時、吉沢さんは俺を
拒絶しなかった。ただし俺は逃げたけれど。それでも、吉沢さんは俺とこうやって向き合って
くれている。
 俺だけに見せる弱さを俺は「信頼されている」からだと思いたい。そして、それを飛び越える
こともできると、俺は知った。
 この人が欲しい。この人と共に歩みたい。世間という呪縛を超えて俺は純粋にそう思った。
「吉沢課長・・・吉沢さん、俺、アナタが好きです。アホみたいに悩むのも、自分をごまかす
のも、もう嫌です。好きで、好きで、たまんねぇ。アナタが欲しい」
背中からの告白に小さな体がピクリと動いた。吉沢さんは振り返らない。俺はそのまま近づいて
そっと抱きすくめる。とても冷たい体だった。
「バカだよ、お前は。こんな年上の男、好きになっても何のメリットもない」
「恋愛なんてメリットで動くものじゃないでしょ」
後ろから抱きしめた体は静かに震えていた。泣いているのかと思った。
「じゃあ、一時の迷いだよ。よく考えろ」
「もう、嫌なくらい考えましたよ。考えて考えて、アンタで頭が一杯になって、おかしくなりそう
なんだよ」
「分かってるのか?俺は男だ。お前の大好きなやわらかい肌も、可愛い顔でもなく、ただの男だ」
「分かってますよ、そんなことは百も承知だ。・・・いいんだ、そんな御託は。俺はただ吉沢さん
が、好きなんだ。俺はその答えが知りたい。ねえ、吉沢さん、吉沢さんは俺を受け入れてもらえ
ますか?やっぱり男の俺なんか気持ち悪いですか?」
「気持ち悪くなんてないよ。俺も、深海に思われて嬉しいけど・・・」
「だったら」
俺は思わず叫ぶ。吉沢さんは俯いて黙った。それから、ゆっくりと首を横に振った。
「お前、すごく勘違いしてるから」
「は?」
吉沢さんは腰に回された腕に添えるように俺の腕を掴んだ。ゆっくりと俺に体を預けてくる。
俺の腕の中ですっぽりと収まるほどのこのヒトを俺は改めて愛おしいと思った。
「深海、ごめんな・・・。俺のせいだ」
「え?」
そうして、次の瞬間俺は恐ろしく不思議な台詞を聞いた。
「俺が、お前を誘ったからだよな」
「は?」
吉沢さんの発した言葉の意味が分からずに、俺はものすごく間抜けな返答をしてしまう。
「お前、最初は俺のことただの上司にしか思ってなかっただろ?」
「ええ、それはそうですけど」
「俺がお前を唆した」
「どういうことですか、それ・・・」
吉沢さんはふっと自嘲気味に笑った。
「俺、お前に散々言ったつもりだったんだけど」
「何をですか?」
「職権乱用とか、お前とは最高のパートナーなりたい、とか。覚えてない?」
「勿論覚えてますよ。でも、それは」
「仕事上のことだとでも?」
「ええ。そんなタイミングでしたから」
「だから、お前は詰めが甘いって言われるんだな」
「どういう意味なんですか」
「お前さ、自分が男で年上で上司の人間を好きになって散々悩んでたみたいだけど、俺の気持ち
考えたことあった?」
「ありますよ、今でも考えてます。俺なんかに思われて気持ち悪くないか、とか」
「そうじゃないよ。なんで、意識し始めたのかとか、他にも男なんていっぱいいるのに、よりに
よって上司だったんだとか。おかしいと思わなかったか?」
「思いました。俺、変になったんだって」
「違うよ、そこに作為的なものを感じなかったのかって聞いてるんだよ、俺は」
「ええ?」
そこまで来て漸く話の方向が見えてきた。ちょっと待てよ。吉沢さんが言っていることを俺が
間違いなく理解しているとすれば、
「吉沢さんは、最初から俺のことが好きだった・・・」
口にしてえらく恥ずかしくなった。そんなことがあるはずない。でも、そう考えるのが
妥当なわけだし、そうであったなら、俺はそのまま天昇してしまいそうだ。
「・・・わかってんじゃん、バーカ」
吉沢さんは掠れて消えてしまいそうな声で呟く。多分ものすごく照れているのだろう。
 ああ、俺ってばなんて果報者なんだ。俺は腕の中にいる愛しい人を思いっきり抱きしめた。
「痛い、バカ、痛い、深海。離せっ」
「嫌ですよ、もう離しませんっ。こんな嬉しいことがあるなんて」
「・・・いいのか?お前、俺に唆されたんだぞ?」
「いいです。例えきっかけを吉沢さんが作ったのだとしても、好きになったのは俺です。自分
の気持ちは自分で責任取ります」
「だけど・・・お前に嫌な思いさせて」
「してませんよ、俺、吉沢さんが俺のこと好きでいてくれたなんて全然気が付かなかったけど
吉沢さんが俺を好きで、それで、唆したって言うなら喜びは感じても嫌な気持ちなんて一つ
もしません。俺にとってこんなラッキーなことありませんよ」
腕の中で吉沢さんが大きくため息を吐く。
「正直、自分でも気持ち悪かったんだ。年下の男の部下に気を取られている自分が。凄く嫌
だった。だけど、こういう感情ってどうこうできるもんじゃないだろう。俺は理性で動いて
いるように思われがちだけど、全然そんなことない。ただ仕事は割り切ってるだけだ。お前
のこと、何度も諦めようとした。どう考えても手に入る部類じゃないって思ってさ。だけど
そう思えば思うほど、後一歩の気もしてたんだ。だから・・・」
「だから?」
「だから、お前を唆して、試した。自分で諦められないのなら、お前にゆだねてしまおうと。
俺は卑怯だから、こんな時自分から動けないんだ。お前が俺の方を向けば俺の勝ち。お前が
そのままやり過ごせば、諦めようと思った。ところが、そんな俺の浅はかな行動をちゃんと
見てた奴がいたんだ」
「え?」
「お前、全然気が付かないから、俺は余計に自分で自分の首絞めてたんだ」
「それって・・・」
吉沢さんは、ぽつりと、園田だよ、と言った。そして、
「あいつも、俺と同じなんだ」
とも。
「だから、余計に分かったんだ。腹の探りあい?おかしいよな。お互い本心を探るために
危ないことばっかりやって、結局、本人怒らせて、進退窮まってるんだからな」
「あ、あの、え?え?」
話についていけずに軽いパニックを起こす。吉沢さんが園田と一緒って・・・。
「お前、ホントに鈍感だなあ。その鈍感さは残酷だよ。まあ、女ならともかく、男にそんなに
もててるなんて思いもよらないよな」
吉沢さんが自嘲するように軽く笑った。
 俺は園田の言葉を思い出す。
『お前って残酷』の意味がやっとわかった気がする。
「お前が園田とやりあって、俺のこと色々気使ってくれて、俺、ちょっと嬉しかったんだ。バカな
上司だろ?おまけに、暴走したお前にキスされたのに、たまんなく、お前のこと欲しくなった。
今朝、鏡見たら、俺の顔、負抜けてた。多分、お前のことで頭いっぱいだったんだろうな。そしたら
もう会社なんて行く自信なくなって。・・・結局、当の本人は、そんな俺や園田の思惑をも超えて別の
トコで悩んでいたみたいだったけどな」
俺は自分の気持ちに精一杯で気が付かなかった。園田に至っては、完全に嫌われているのだと思っていた
のだし。俺は困惑した。
 吉沢さんが俺のこと好きな気持ちは嬉しかったけど、結局苦しめてたのも鈍感な自分だったことに、
申し訳なくも思った。
「深海・・・ごめんな。俺の無茶苦茶な思惑で振り回して」
「もう、いいですよ、そんなこと。ホント、そんなことくらい、どうでもいいです。俺は吉沢
さんが好きだし、吉沢さんも俺を思ってくれてる。それで充分なんです。俺、すげー幸せ
なんですよ?」
俺は吉沢さんのうなじに顔を埋める。薄くなった香水の匂い。やっと手に入ったと思ったら
嬉しくてむさぼりつきたくなる。やんわりと音を立てて吸い付いてやったら、息を漏らして
吉沢さんが身をよじった。
「やっ・・・深海、ホントにそれでいいのか?」
「いいんですよ。吉沢さんは困るんですか?」
静かに首を振る。
「ごめんな、深海。ごめん」
「なんで謝るんですか。謝るくらいなら、愛の一言でも囁いてください」
俺が笑って言うと、吉沢さんは少し考える。そして、もぞもぞと腕の中で動くと、俺の方を
向きなおして、にっこり極上の笑顔で言い放った。
「勘違いするなよ、俺がお前を落としたんだからな」
そう言った吉沢さんも俺もかつてない程に、頬を赤く染めていた。



<<8へ続く>>








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