なかったことにしてください  memo  work  clap
Re:不在届け預かってます


 Re:7時に駅前で




 朝倉智優(あさくら ちひろ)は怒っていた。
 周りにどう映ろうがお構いなく、携帯電話を破壊しそうな勢いで握り締め、どすどすと
音を立てそうなほど大股で歩いている。その顔に浮かんでいる表情は小さな虫なら殺して
しまえそうなほど凶悪だ。
 勿論、智優には革靴の餌食になって死んだ虫のことなんて考える余裕などないのだが。
 11月の風が吹き付けて、ネクタイが巻き上がって顔に当たった。
夕暮れはとっくに過ぎ、夜の街がネオンで照らされている。智優のブランド物の時計は
8時半を指していた。
「ちっ」
舌打ちして、智優は忌々しそうにネクタイの先を胸ポケットに突っ込んだ。
 右手は携帯電話。左手にはビジネスバックと、スーツのジャケットがしわくちゃになって
バックの取っ手部分に挟み込まれている。見た目は至って普通の仕事帰りのサラリーマンだ。
 実際、智優は市内のカーディーラーの優秀な営業マンで、今も仕事帰りには違いない。
けれど、周りを圧倒させる負のオーラの所為で、怪しげな人物にしか映ってなかった。
 智優はもう一度携帯電話を開いて、履歴の一番上にあるアドレスに電話を掛けた。
「・・・・・・」
コール10回で留守番電話に切り替わる。留守電メッセージの無機質な女性の声が聞こえて
来ると智優は今度こそ本当に携帯電話を破壊するんじゃないかというくらい乱暴に電話を
切った。
「・・・・・・あの馬鹿っ!!何で出ないんだ!なんで来ないんだ!!」
文句はとどまる事を知らず、マンションの前に来ても、エントランスで部屋番号を押して
ロックを解除しても、エレベーターに乗り込んでもずっと続いていた。
 防犯カメラを誰かがチェックしていたら不審者に間違われてもおかしくないほどだが、
ここの管理人とは引っ越してきてから概ね仲がよいので、問題無いだろう。
 エレベーターが5階で止まるまでのその短い時間にすらイライラする。智優は開きかけの
エレベーターの扉に体を当てながら飛び出すと、507の部屋まで足早に歩いた。
 一瞬チャイムでも鳴らしてやろうかと思ったけれど、鳴らしたところで、のこのこ出てくる
人間などこの中にはいない。
 智優は玄関の鍵をすばやく開けると、靴と鞄を脱ぎ捨てた。
こんな時間だというのに、廊下にもリビングにも明かりはついてなかった。一瞬、ここには
誰もいないのかと思ったが、その奥の部屋のドアの隙間から漏れてくる光に、智優は更に
怒りを爆発させた。
 乱暴にドアを開ける。乱暴に開けたはずなのに、そこにいた住人には大した驚きを与え
無かったようだった。
 智優の姿を見ると弾いていたギターの手を止め、ヘッドフォンを外して、澄ました顔で
口を開く。
「あれ?おかえり」
「おかえりじゃねえよ!!なんでここにいるんだよ!!」
ぶちきれた怒りを全てぶつけるように叫ぶが、ナントカに腕押しのごとく、打っても響いて
こない返事が返って来た。
「なんでって、ここ俺の家だし」
「そういう意味じゃねえよ!」
智優は目の前にあるギターを蹴り飛ばしたい気持ちをギリギリのところで抑えて、代わりに
拳を握り締めた。
 あのギターは30万近くするものでしかもその半分は自分が出してやったやつだ。壊したら
自分の金まで損する。
 半分出してと言ったとき、実はこんなときの事を見越してたような気がして仕方がなくなる。
こいつなら十分考えられると思って握った拳が震えた。
「何時だと思ってんだよ」
「ん・・・?今何時」
「8時半過ぎてんだよ馬鹿。約束した時間何時か覚えてないのかよ」
「え?もうそんな時間だった?ごめんごめん」
「7時に駅前で会おうって言ったのお前!俺、1時間半も待たされてんだけど」
「ごめんって。ちょっと曲作ってたら、嵌っちゃってさ」
全然悪気ながなさそうに謝る相手に智優は完全に戦闘モードに切り替わっていた。
「蛍琉!!」
そう呼ばれたのは成岡蛍琉(なるおか ほたる)。智優の恋人だ。
 高校時代に同じクラスになったのが切っ掛けで、どういうわけだか体を重ねて、気が
付けば付き合っていた男。知り合って10年近く、このマンションに一緒に住んでもう3年が
経っている。世間ではきっと熟成されたカップルだっていわれてもおかしくないのに、智優
と蛍琉は未だ喧嘩三昧だ。
 日常の些細なすれ違いが積もりに積もって、今日みたいなすっぽかしで一気に爆発。お互い
ちょっとでも譲り合えるカップルなら喧嘩で終わるのだろうけれど、智優も蛍琉も肝心な
ところで、肝心な一言が言えないから、本当に最悪な結果になるのだ。
 結果、この10年間で別れた回数8回。単純計算で一年に一回近くは別れているという落ち
着きの無い二人なのだ。
「ごめんって。そんなに待ってたんなら、電話してくれればよかったのに」
「電話もメールも、ずげえしたんだけど!」
「そうなの?」
蛍琉はテーブルの上のケータイを開くと最後は1分起きになっていた智優からの着信を確認
した。
「あーあ。智優の電話だけで履歴全部埋まってる」
「お前ホントにふざけんなよ。俺がこのクソ寒い中どんな気持ちで待ってたか・・・」
切れた智優に蛍琉は鬱陶しそうな顔をして、智優の言葉を遮った。
「俺、今日仕事休みで一日家にいるって知ってるんだろ?どうせ家にいるって分かってる
なら、さっさと帰ってこればよかったのに」
「!!」
「智優だってどうせギター弾いてるって分かってたんだろ」
それが約束をすっぽかして言う台詞だろうか。蛍琉が時間にルーズなことは重々承知だし
今までだって何度もあった。今更こんなことで切れるのも疲れるだけだと分かってるけど
今日だけは耐えられなかった。
「蛍琉はギターと俺との約束どっちが大切なんだ」
「またそういうことを・・・・・・」
確かに一瞬『私と仕事どっちが大事なの』と言う聞き分けの無い女みたいだとは思った。
「どっちなんだよ」
「・・・・・・智優は大切だって。でも、ギターと一緒に並べないでくれる?」
面倒くさそうに答えるその態度が、智優のプライドをチリチリと焼いて焦がしていく。
「智優だって、俺と仕事どっち取るなんて言われたら困るだろ」
「蛍琉は卑怯だ」
「智優が言ってることはそういうことでしょうが」
蛍琉もいい加減に、スイッチが入り始めている。手にしていたギターをスタンドに置くと
智優には分からない機材を弄くりながら、盛大に溜息を吐いた。
 智優は蛍琉のやっている音楽について殆ど知識がない。ギターの先っぽから伸びている
コードがシールドと呼ばれていることも、シールドの先にある機材やスピーカーが本当は
なんていう名前なのかも知らないし、教えられても大して興味がないから直ぐ忘れてしまう。
 だから余計に、のめりこむ蛍琉が悔しくてたまらないのだ。
蛍琉は駅前にある小さな雑居ビルで楽器販売とライブハウスを経営している。根っからの
音楽好きで、自分もこうして曲を作ったり、仲間内でバンドを組んでライブをして遊んで
いるのだ。
 恋人の趣味に口を出すほど、嫌な人間にはなりたくないと思っていても、度を越えた
蛍琉のいい加減さに、智優は近くに落ちていた小さな鉄の塊を拾い上げていた。
 ぶん投げて、ここの機材全部壊してやりたい。振りかぶりそうになって、蛍琉が慌てた。
「ちょっと!エフェクター投げるなよ」
投げつけたら、ただでは済まないだろう。
「・・・・・・床には当てないようにしてやる」
この分譲マンションは2人で購入したものだ。しかもローンがまだ20年以上残っている。
そんなものに傷なんて付けてたまるか。
 機材にでも投げつけてやろうとして、蛍琉が立ち上がった。智優より頭一つ分大きい
身長で智優は腕を掴まれた。
「離せよ」
「やだよ。離したらお前、マルチ壊す気だろ」
蛍琉の視線が向いているのは、智優が壊そうとしている機材で、マルチエフェクターという
ものだった。
「こんなもんがあるから・・・」
「八つ当たりすんなって」
2人でもがきあいながら、最後は体格の差で蛍琉に無理矢理エフェクターを奪われた。
 殴るものも破壊するものも奪われて、怒りの収まらない智優はグーで蛍琉の顔を殴って
いた。
「って!!智優!」
蛍琉も殴られておとなしくはしてられなかった。
 相手は女じゃないし、殴られたらやり返す。この辺の蛍琉の思考は単純だ。蛍琉は流石に
グーにはしなかったけれど、智優の左頬を平手で打った。
「何すんだよ!!お前が悪いんだろ」
「そんなことで切れるお前が悪い」
約束すっぽかした上に、逆切れして、しかも自分が悪いなんていわれたら、智優の沸点だって
あっという間に超えてしまう。
「もういい!お前とは別れる!!」
「・・・・・・勝手にしろよ」
またか、小さく呟いた蛍琉に、智優は思いっきり睨み上げた。
「勝手にするよ!お前なんて、俺がいなくなってのたれ死んでろ」
智優はテーブルの上にあった蛍琉のタバコの箱を握りつぶすと、最愛の恋人であったはずの
蛍琉にぶつけた。
「っ痛て」
タバコの箱は見事に蛍琉の顔をかすって、床に落ちた。
 それを忌々しそうに智優は見下ろしている。この怒りが蛍琉には伝わっていないのだろう
と思うと、益々腹立たしかった。
「蛍琉なんて、大嫌いだ」
それだけ言い残すと、智優は部屋を出た。
「出てくの?」
「出てくよ!バイバイ。二度と帰らないから」
智優は仕事帰りのスーツのまま、玄関においてあった鞄を掴むとその後の蛍琉の言葉も
無視して部屋を飛び出していた。





 すごく惨めな気分だったけど、激しく動揺してるわけでもなかった。こんな風に別れた
ことが、もう何回もある。
 飛び出したときは、本当に別れるつもりだったし、今も本当にこのまま終わっても仕方
ないと思っていた。
 今度こそ、あの部屋にもう二度と帰るつもりはない。
喧嘩して別れを切り出すのはいつも自分で、飛び出すのもいつも自分だ。そのたび、蛍琉
の元には帰るつもりはないと固く思っているのに、まるで磁石のS極とN極がひきつけあう
みたいに、気が付けば元の鞘に収まっているのだ。
 好きなのか嫌いなのか、自分でも時々分からなくなる。優しくされれば、嬉しいし、お互い
の気分がいいときは、このままずっと一緒にいたいと思う。
 けれど自分も相手も譲れないところでぶつかるから、こんな結果になってしまうのだ。
「やっぱり、合わないのかな」
お互い男であることや、乗り越えなくてはならない壁は沢山乗り越えてきたはずなのに。
そのたび、絆が深まって、お互いを思いやって、仲睦まじく暮らしましたとさって言う
御伽噺みたいなハッピーエンドはどうして自分達にはやってこないのだろう。
 常に山あり谷ありの恋愛は、この年になると疲れの方が大きいだけで、メリットなどない。
スリル満点の恋なんて、智優はもう沢山だと思った。
もっとゆったりとした恋愛がしたい。どうせなら幸せな家庭が築きたい。マイホーム買って
ローンで生活切り詰めても、可愛い奥さんと子ども2人のありがちな幸せな家庭がいい。
 智優はもともとゲイではないし、智優曰く、今でもゲイではない。智優のタイプは今でも
ちょっとロリ顔で背が低いぽっちゃりの女の子で、結婚するならそういう子がいいと思っている。
 今度はそういう子を探そう。
「合コン行きまくってやる」
しかし、それも毎回思うことで、今までに一度も実現したことはなかった。
 ずびっと鼻を啜ると、スーツのジャケットから携帯を取り出した。
 それから携帯の履歴から幼馴染の名前を探し出し、身体を震わせながら電話を掛ける。
電話は直ぐに繋がって、穏やかなテナーボイスが聞こえてきた。
『もしもし?どうしたの、こんな時間に』
「あ、奈央(なお)?俺だけど、今暇?ちょっと飲みに行かない?」
11月の夜空は空気が澄んでいて、見上げれば白い息越しにキラキラと星が瞬いている。
 風が吹くたび、耳がジンジンと痺れた。鼻水を何度も啜っている所為で、鼻の頭も赤く
涙を堪えた瞳は充血していた。
『・・・・・・暇だけど、お前まさか』
電話口の幼馴染はこんな時間に掛かってくる智優からの電話を、嫌な予感で受けていた。
 時刻はとっくに10時を回っていて、普段の智優ならこんな時間から誘うことは無い。しかも
今日に限っては、絶対ないと思っていた。
「・・・・・・暇?」
智優の弱気な鼻声が電話越しの奈央の心を打った。
『はいはい。いいよ、分かった。駅前のいつもの店な』
そう言って、奈央は苦笑いで電話を切っていった。独り身の奈央はフットワークが軽い。
この先、奈央が結婚でもしたら、自分はどこに逃げ道を作ればいいのだろうと、智優は弱気
な気分になりながら、奈央の電話を切った。
 そのままぶらぶらと歩きながら、智優は携帯電話のディスプレイを眺めて、メールの受信
ボックスから蛍琉から貰った最後のメールを表示させた。



from:蛍琉
sub:7時に駅前で
  智優の好きな
ふぐ刺しのおいしいお店、
教えてもらったから、
仕事終わったら飲みに行こう

誕生日おめでとう



「蛍琉は、俺の誕生日とギターだったらどっちが大事だったんだろうな・・・・・・」
ぽつりと呟いて、もう一度鼻を啜ると、携帯電話をポケットに突っ込んで、重い足を引き
摺りながら、店へと入っていった。
 




――>>next

よろしければ、ご感想お聞かせ下さい

レス不要



  top > work > Re:不在届け預かってます > Re:不在届け預かってます1
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13