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Re:不在届け預かってます


 Re:帰ってくる気ありますか




 全てがどうでもよくなって、このまま眠ってしまえればどんなに楽だろうと、智優は覚醒
する直前に思っていた。
 真っ白い無重力の空間でふわふわと漂い、昨日も明日も時間の概念もない無の空間に閉じ
込められている方が幸せな気がする。
 現実は辛すぎて、それでも立ち向かっていく気力が沸いてこない。自分は基本的に前向き
に生きてると智優は思っている。前を向いて歩いている方が、楽だから。悩むよりも、駆け
抜けてしまった方が、痛みを早く忘れられる。ずっとそう思っていた。
 だから無理をしても見栄を張って、強がって、人に弱みを見せずに生きてきた。仮面の下
に隠された素顔がどんなに女々しくても、誰にも見せずに、強く生きてきたつもりだ。
 そうやって30年近く生きてきた自分の足場がグラグラと揺れている。いや、もう既に崩壊
している気がする。目を覚ましても、自分の立っている場所なんてどこにもなくて、どろどろ
に溶けてしまうのなら、いっそ目なんて醒めなければいいのにと、まどろみの中で思った。





「・・・・・・」
目が覚めても自分が何処で何をしているのか暫く思い出せずにいた。
 一瞬目を開けたが、白い天井が眩しくて、直ぐに目を閉じた。智優は呼吸を繰り返し
ながら、自分の体の感覚を取り戻していく。
ああ、そうだ。狭山に刺されたのだ。あの後、動けなくなった自分に通行人が救急車を
呼んでくれて、智優は病院まで運ばれた。
 病院に運ばれた後は、奈央に連絡を入れてもらい、奈央が病院に駆けつけたのまでは
意識がはっきりしている。その奈央に狭山が捕まったことを聞いて、ほっとしたのと、
疲れが一気に噴出した所為で、後は眠ってしまったのだ。
 ということは、ここは病院か。
見慣れない天井にもう一度目を開けて、視力が戻るのを待ちながら智優は思った。
左手の痛みが戻ってくる。狭山に刺された――正確には切られた傷は、何針か縫う事に
なるといわれた。こうして自分がベッドで眠っていたということは、もう手術も終わって
いるということなのだろう。依然として痛みはそこにあるけれど、火が燃えるように見えた
血はもう止まっているにちがいない。
 僅かに体を動かすと、自然とうめき声が出た。
「うぅ・・・」
智優の動きに、別の物体が顔を上げた。気づかなかったが、ベッドの脇で自分に沿うように
突っ伏していた人間がいたのだ。
「智優っ!!」
声のする方を振り返れば、そこには顔の下のおおきなクマを作り、目を真っ赤に充血させた
蛍琉が智優を覗き込んでいた。
「・・・・・・蛍琉」
どうしてここに、と智優が口を開こうとして、その前に蛍琉が大きな息を吐いた。
「生きててよかった・・・・・・」
「・・・・・・馬鹿、これくらいの怪我で死ぬかよ」
蛍琉があまりにも普通に接してくるので、智優も思わず、別れた事すら忘れそうな勢いで、
蛍琉に軽口を叩いていた。
「このまま起きないかと思ったんだ」
「んなことあるか」
目が醒めなければ良いと夢の中で思っていたのを、智優はぼんやり思い出した。
「・・・・・・なんで、ここに」
「奈央が連絡くれた」
「そう・・・。んで、その奈央は」
「仕事行った。『命に別状ないし、蛍琉がいるなら俺までいる必要ないから』って」
「友達甲斐の無いヤツ」
「・・・・・・そうでもないと思うよ」
聞けば、智優は丸一日眠っていたらしい。病院に担ぎ込まれて、親や友人、蛍琉への連絡
から、会社への連絡、警察とのやり取り、全部奈央がやってくれたというのだ。
「・・・・・・俺、そんなに寝てた?」
「うん。・・・・・・ずっと」
蛍琉は疲れた顔をしている。
「蛍琉、いつからいたの」
「奈央からメール貰って直ぐに来たけど・・・・・・家族じゃないから、面会時間決まってるし
・・・・・・ずっと外で待ってた。で、朝一で来たら、智優まだ眠ってて・・・・・・」
智優の手がぎゅうっと力を込められた。見れば、蛍琉の手が握られている。握られていた
感覚すらなかった。自然に繋がった掌に、智優の目頭が熱くなった。
 なんで、蛍琉はここにいるんだろう。もう目も覚めたくないって絶望的なことを思った
次の瞬間、蛍琉の顔が飛び込んできたら、また前を向くしかないじゃないか。
 目の前にいるのは、自分を捨てた男。新しい恋人を見つけ、その若い恋人をあっさりと
マンションに上げたデリカシーのない男だ。
 だけど、こうやって自分を救ってしまう、どうしようもなく愛おしい男。
憎たらしくて、狡くて、優しくて、自分を一番知っている蛍琉。嫌われても、嫌いに
なれない自分。
 喧嘩ばかりして、何度も別れて、その度「蛍琉なんてもう二度と好きにならない」とまで
思い込んでいたのに、ずっとずっと糸は切れなかった。その糸の先についていたのは、蛍琉
へのこの感情。切れるはずが無い。こんなにも蛍琉が好きなのに・・・・・・。
 10年の重みか、蛍琉と自分の見えない絆か、こんなにも蛍琉に囚われていたことに、
智優は驚愕した。
「・・・・・・蛍琉、仕事は?」
智優は手を離す様子のない蛍琉を見上げて、静かに言った。
「無断欠勤」
「店長がいいのかよ」
「あんまりよくないけど、それどころじゃなかったし・・・・・・」
苦笑いする蛍琉に、智優は益々切なくなった。
 一体蛍琉は何のつもりでここにいるんだろう。捨てた男を憐れんでいるようには思えない
けれど、蛍琉がよりを戻そうとしてここにいるようにも思えない。
 蛍琉の出す「蛍琉の優しさ」は履き違えたり、優しくなかったり、智優には嬉しいもの
だけではなく、こうやって智優を苦しめるのだ。
 智優は世那の事を思い出した。一晩、自分を外で待っていたということは、世那はどう
していたのだろう。帰ってこない恋人をどんな気持ちで待っているんだろうか。
「・・・・・・そういえば、池山君、うちに来た」
「え?!」
世那の名前に面白いほど蛍琉は動揺した。今の恋人が別れた恋人に会いに行けば、誰だって
尋常ではいられないだろう。
 智優は瞬きをして、天井を見上げた。
「服、忘れてったって」
「服・・・・・・?ホントに?・・・・・・服なんて持ってきてたか・・・?・・・・・・それだけ?」
「うん」
「・・・・・・」
智優の言葉に、蛍琉は黙って、何かを考えているようだった。
「何」
「・・・・・・あの子があのマンションに来たの、智優が来る数時間前なんだ」
「!?」
「一緒に住んでたと思った?」
蛍琉は苦笑いで智優を覗き込んだ。
「・・・・・・」
「突然、やってきて、今日は泊めてくれって言われて・・・・・・帰すわけにも行かなくて」
今度は智優が沈黙する番だった。蛍琉はてっきり、世那とあのマンションで暮らしている
のかと思った。
 世那から発せられる空気は十分そんな色があった。自分の勘違いだというのなら、世那
は随分と自分の前で背伸びをしていたのだろう。
「俺さ・・・・・・」
「・・・・・・うん」
蛍琉は言いにくそうに、顔を歪めた。
「うん・・・・・・。あのさ、狭山、捕まったって?」
「奈央がそう言ってた」
「よかった」
「うん、こんなことになる前に、捕まってほしかったけどな」
蛍琉はサイドテーブルに置かれたエクスプローラーUを見た。視線を追って智優も時計に
目をやる。血まみれだった文字盤は拭き取られているが、小さな血の跡が何箇所か見えた。
「時計・・・・・・してた?」
「・・・・・・40万の腕を傷つけるなんて、失礼なヤツだ。・・・・・・オーバーホール行きだなあ・・・」
誕生日プレゼントに蛍琉から貰った時計。今も使い続けている意味を智優は深く考えない
ように隠していた。
「・・・・・・俺さ、疑ってたんだ」
「何を」
「狭山とあの子のこと・・・・・・」
「?!」
「俺、『いっちゃん』ところで、いっちゃんからあの子を紹介されたんだけどさ・・・・・・
あの店に、彼を連れてきたの、狭山なんだ・・・・・・」
「え!?」
智優は驚いて思わず上半身を浮かせてしまった。
「それで、あの日は、あんなタイミングであの子が来て、智優が来て・・・・・・なんか謀った
みたいだろ」
「・・・・・・うん」
「それで、思わずあの子に、詰め寄っちゃって・・・・・・」
狭山と世那が共謀?狭山は自分を手に入れる為に、世那は蛍琉を手に入れる為に、ずっと
前から手の込んだ計画を練っていたとしたら・・・・・・。
 智優もその考えが過ぎって、怖くなった。けれど、あの世那の顔を思い出して、それは
直ぐに打ち消された。
「・・・・・・結局は、ただの偶然だった?」
「うん」
世那のあのときの顔は、そんな腹黒いものなんかじゃないだろう。狭山にどんな思惑が
あったのかは知らない。けれど、世那は純粋に蛍琉に出会って、純粋に蛍琉に恋をしたん
だと、智優は思った。
 それなのに、その愛を疑われて、世那も傷ついたに違いない。それで、世那はふらふらと
智優のところに来たのか。蛍琉の愛情が、まだ自分に向いているか確かめたくて。
 蛍琉の愛情は分かりにくい。智優ですら見失ってしまうのだから、世那にどれくらい蛍琉
のことが理解できたか、それを思うと他人事ながら、あの若さで蛍琉に向かっていく世那
が可愛そうに思えた。
 病室のエアコンがコウコウと冷気を運んでいる。乾燥気味の喉はカラカラに乾いて、次
の言葉が出てこなかった。
 智優は病室の窓から晴れた空を見上げて、蛍琉と別れた日からの事を改めて思った。
蛍琉は何で自分と別れたんだろう。好きな人が出来た、あの言葉を真に受けて、傷ついて
智優はマンションを飛び出した。
 智優は蛍琉の言葉を一度も疑うことはしなかったけれど、本当に、世那を好きになって
智優を捨てて行ったのだろうか。
 だったら、どうして今ここに蛍琉がいるのか・・・・・・。
言葉にするのが怖い。10年も一緒にいたのに、肝心な言葉はいつも先送りで、智優は蛍琉
に何も伝えられずにいた。
 静まり返った室内で、小さなバイブレーションの音が蛍琉のポケットから響いた。
「・・・・・・ごめん、病院ってケータイ駄目だったよね」
蛍琉は片手でポケットから携帯電話を取り出すと、気まずそうな顔でそれを確認した。





from:池山世那
sub:帰ってくる気ありますか
  朝倉さん大丈夫でしたか
蛍琉さん、本当に帰ってくる気ないんですか・・・





それから、メールを見た蛍琉は、溜息とともに液晶画面を閉じてしまった。
 智優にはそれが、誰だか直ぐに分かった。蛍琉は昨日から家に帰ってない。帰って来ない
恋人を、世那は何処で待っているのか。
 行き先を告げないで来たとしても、行き先が智優のところだと知っていても、どちらで
あっても、世那にとって眠れない夜だったに違いない。
 今でも、奪い返してしまいたい気持ちは残ってる。こうして、目覚めたときに蛍琉がいて
くれたことで、また一歩智優の気持ちは揺れた。世那の事なんてすっぱり切って、強引に
こちらを向かせてしまいたい気分にもなったが、世那のあの顔を思い出すと、ぴりっとした
痛みが走っていくのだ。
 身を引く勇気までは持てないけれど、フェアじゃないのは嫌いだ。
「蛍琉」
「うん?」
「・・・・・・池山君だろ」
「何が?」
「ケータイの相手。心配してるんじゃないの」
「・・・・・・」
蛍琉は気まずそうな顔のまま、口を元を摩った。
「・・・・・・早く帰ってやれよ」
「いや、でも」
「蛍琉」
「・・・・・・」
「蛍琉!」
「・・・・・・」
「これ以上、誰かを傷つけんなって。・・・・・・俺はいいから、お前はもう帰れって」
「・・・・・・智優」
蛍琉が目を瞬かせる。智優は蛍琉の握っていてくれた手を自ら離して、そしてその掌を
パチンと叩いた。
「行けよ、俺の怪我なら心配ないから」
智優に背中を押されて、蛍琉は仕方なく立ち上がる。引き止めれば、ずっといてくれるんじゃ
ないのかと、すがって見たくなる衝動を抑えて、智優は蛍琉を見送った。
「本当に・・・・・・」
蛍琉が戸惑った顔で振り返る。言いたい事が言えないのは、智優も蛍琉も同じだ。
「・・・・・・来てくれて、ありがと」
「うん・・・・・・」
蛍琉を強制的に病室から送り出すと、智優の周りは一気に静かになった。
「俺、格好つけすぎ」
自嘲気味に呟いて、智優は再び目を閉じた。





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