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Re:不在届け預かってます


 不在届け預かってます




 遠くでまた一つ雷が鳴った。傘を持って出るべきだったが、雨に濡れても構わない気分
だった。
 蛍琉の店から離れ、智優は普段向かったことの無い方向へと足を伸ばしていた。沢山の
飲み屋と色めき立った看板が肩を窄めて立ち並んでいる。智優にとって、風俗ほどかけ離れた
存在はない。
 この店の中で智優の欲求を満たしてくれるものは何一つない気がしている。高藤には
ゲイではないと言いながら、寂しくても女の子に慰められたいとは微塵も思えなかった。
 早い時間で、どの店もまだ開店の準備すらされていない。年配の女性がキツイ化粧と
香水を振りまいて智優の横を通り過ぎて行く。
 智優は足早にその通りを抜けた。
飲み屋街の1本向こうの通りは住宅街になっていて、マンションと、新しいアパートが
いくつか立ち並んでいた。
 智優が今のマンションを選ぶ時に一度この辺りのマンションも物色に来ている。それ以来
まともに歩いたことはなかった。
 あの時は、蛍琉と2人でこの道を歩いていた。駅から帰るといつもあの歓楽街を抜けなきゃ
いけないから、微妙じゃない?蛍琉の台詞に、智優も頷いていたのを思い出す。
 『あのパンフレットの間取りはいい感じに見えたけど・・・』『でも、ちょっと高いよ・・・』
2人でしゃべっていた他愛の無いの無い会話も一緒に蘇ってくるようだった。
 それほど土地勘もなく、ただ、見たことあるマンションの方へと歩いていくと、突然
ポケットの中のケータイが震えた。
 びっくりして智優が取り出すと、更にびっくりする文字が目に入った。





from:蛍琉
sub:智優?
 





「・・・!?」
余程慌てていたのか、打ち損じたのか、メールに本文は付いていなかった。
 呼び止められている?そんな気がして智優は足を止めた。
「蛍琉・・・?」
こんな住宅街の中で蛍琉がいるわけが無い、そう分かっていても身体中の神経が蛍琉を
探してしまう。
 金属の階段を駆け下りてくる足音がして智優は飛び跳ねた心臓を掴んで振り返った。
「・・・・・・!!」
智優が振り返ると、その足も止まった。
「やっぱり智優だった・・・・・・」
「蛍琉・・・」
蛍琉はそこからゆっくりと階段を降り、智優に近寄った。
 見れば蛍琉が出てきたのはマンスリーマンションで、どうしてこんなところにいるんだ
ろうと智優は混乱しかけたが、目の前に現れた蛍琉を見て、頭の中が真っ白になるほど
絶句した。
「・・・・・・何、それ・・・・・・」
智優の前に現れた蛍琉は、左目を赤く腫らして、唇の左端には切れて血の跡のようなものが
腫上がって付いていた。
 明らかに誰かに殴られた結果出来た傷だ。
一瞬狭山が報復にでも現れたのかと思ったが、そんなことはあるはずが無い。狭山以外で
蛍琉を殴る人間が誰か、そう思って眉をしかめると、蛍琉は小さく苦笑いした。
「・・・・・・ごめん、ベランダから智優の姿が見えて、思わずメールした」
「偶然通りかかっただけで・・・・・・こんなところに蛍琉がいるなんて知らなかったし・・・・・・
ていうか、仕事じゃないのかよ」
「だって、この顔じゃ、接客無理でしょ」
蛍琉は自分の傷に指をさして自虐的に笑った。
「殴られた?」
「・・・・・・うん。すかーんと2発ね」
「随分、潔くやられてんな」
智優が皮肉ると、蛍琉は気まずそうに横を向いた。
「防御する理由がなかったから」
「・・・・・・」
喧嘩でもしたのか。もう一言付け加えようとしていた智優はそれ以上言えなくなった。
これは喧嘩ではない。蛍琉が一方的にやられた事――しかも本人同意の上で――だ。
 相手は誰だと聞くまでも無い。お互いそれを了解して、そして蓋をした。
「・・・・・・ここに住んでる?」
「・・・うん、家具付き。ベッドも冷蔵庫も全部あるよ」
2人はマンスリーマンションを見上げた。蛍琉はここに多分一人で住んでいる。
 智優は殴られた痣と蛍琉がここに住んでいるという現状から、蛍琉と世那がどうなって
いるのか分かったような気がした。
 自分の都合の良い解釈かもしれない。けれど、蛍琉と世那は智優が思っているほど、今は
もう繋がっていないはずだ。さっきまで自分を支配していたモヤモヤが一気に吹っ飛んで
いく。世那の影がまた一つ薄くなった。
 別れたのなら、戻ってくればいいのに。思っても、口には出来ない性分だし、蛍琉も
そこまで自分勝手なことはしない男だ。
 2人の間にある壁は薄くなっているはずなのに、あと一枚が破れない。
 それが沈黙となって、2人の間を川のように流れていく。水の深さが分からない。足を
入れたら溺れてしまうか、流されてしまうか、そのまま蛍琉の元にたどり着けるのか、
行ってみなければ分からないけれど、踏み出す勇気がなかった。
「・・・・・・智優?」
「うん・・・?」
遠くで雷が鳴る。曇り空は相変わらずで、夕暮れが近づいてもそれ程、暗くなった気が
しなかった。
 蛍琉の顔からは読み取れない心の動き。智優は一定の距離を保ったまま蛍琉を見上げた。
「腕・・・・・・」
「うん。抜糸終わってすっかりくっ付いたけど、傷跡が生々しくて説明するのも面倒くさい
から隠してる。自分で見てもグロイよな。時間が経てば少しはマシになるらしいけど」
智優は腕を軽く押さえて苦笑いした。
「傷、完全には消えないの?」
「まあ仕方ないだろ。腹は立つけど、もう目の前に現れないでいてくれるなら、これくらい
の傷、どうってことない」
強がって蛍琉に言うと、蛍琉は顔を歪めた。その手が智優の方に伸びて、直前で止まる。
「・・・・・・ごめん」
「お前が謝るなよ」
蛍琉に謝られると、途端に自分が弱くなる。蛍琉の中に飛び込んでしまいたい。今なら蛍琉
は自分を受け入れてくれるのだろうか。
 蛍琉は智優の心の動きをどう思っているのだろう。智優から見たら、一ミリとも揺れずに
そこに立っているように見えた。
「智優、これからどうするの?」
どうすると言われても、当ても無く歩いてきたのだから、予定も無い。友人との待ち合わせも
買い物の予定もないし、ただふらふらして家に帰るだけだ。
 智優は左腕をシャツの上から優しく撫でながら呟いた。
「・・・・・・帰って、飯」
「智優が作るの?」
「お前、俺の能力知ってて言うのかよ」
「ここ最近、急激に上手くなったのかなって」
「ふざけてろよ。・・・・・・食って帰るに決まってるだろ」
智優は苦笑いして蛍琉を見る。蛍琉も笑いながら頷いた。
「じゃあ、呑みにでも行く?」
「え・・・・・・」
まさか、そういう切り替えしが待っているとは思わなくて、智優はたじろいた。
 本当に蛍琉の行動は読めない。長い時間蛍琉と一緒にいたけれど、恋人ではない蛍琉と
一緒に行動するなんて、高校生以来だ。
 しかも、今は「元カレ」ときている。自分と蛍琉の距離のとり方をどうしていいのか
智優は分からなくなった。
 蛍琉にとって自分はもう本当に過去の人間で、割り切っているのだろうか。友達という
くくりで自分を誘っているのなら、智優にとってそれはもっとも残酷な仕打ちだ。
 それでも、と智優は思う。
 もしかして、こうやって蛍琉とは友人関係としてならば、まただらだらとやっていける
かもしれない。いや、こうやって付き合っていく方がいいのかもしれない。
 元々は友人だったのだ。高校で出会って、くだらない話をして、毎日それを繰り返して
いる間に、身体を重ねて気が付けば恋人になっていた。
 それがまた元に戻るだけのことだ。友人として、また一緒に呑んだり、騒いだり、それも
アリかもしれないと、智優は胸の痛みを隠して思い込んだ。
「いいよ、呑みに行こう」
ぽつり、雨粒が一滴智優の肩に当たってシャツに染み込んでいった。





蛍琉が望むように――いや、望んでいるように見える友人の関係に戻ったとしたら、蛍琉
はまた智優の事を朝倉と呼んで、自分も蛍琉を成岡と呼ぶんだろうか。
 高校生の頃の記憶が蘇って、2人とも苗字で呼び合っていたことを思い出す。智優が蛍琉
を名前で呼び始めたのはいつの事だったのだろう。
 智優は差し向かいで呑んでいる蛍琉の手元を見詰めていた。
お互い言いたい事を腹の内に抱えている所為もあって、当然盛り上がるはずも無く、2人は
周りの客に存在を消されそうになっていた。
 夏休みのチェーン居酒屋は若い客が多い。高校生か大学生か区別のつかないような顔の
面子が大笑いしながら何度も乾杯を繰り返している。コンパのグループもいくつかあって、
それらの喧騒が智優にはありがたかった。
「そろそろ出る?」
ジョッキ2杯飲んだところで、智優は手を止めた。
「・・・・・・そうだね」
蛍琉は一瞬表情を強張らせたが、残り二口ほどのビールを一気に流し込むと、伝票を掴んで
立ち上がった。



 外は雨で、蛍琉は自分の傘を開くと、躊躇いも無く智優を中へと誘った。
「・・・・・・濡れて帰るからいいよ」
「自分ひとりだけ傘差してるって結構気分悪いんだけど」
苦笑いされて、智優は渋々蛍琉の隣に並んだ。
「じゃあ、コンビニまで。俺、傘買って帰るから」
「・・・・・・うん」
恋人でも友達でもない蛍琉とこうして肩を並べて一つの傘に入って歩いている。この姿を
他の誰か――世那が見たら、彼はどう思うのだろう。彼こそ、もう過去の人になってしまった
のだろうか。
 彼は、どうして蛍琉を好きになったんだろう。蛍琉の何処に惹かれて、そんなに熱心に
彼を落としたのか。
「・・・・・・そういえば、池山君」
「何!?」
考えていたことがつい口から滑り出てしまった。智優はここで口を噤むわけにもいかず、
小さな声で続けた。
「蛍琉、3回も振ってたんだって?」
「そんなことまで聞いてたの」
「それくらいしか聞いてないよ」
苦笑いした智優に、蛍琉はバツの悪そうな顔を逸らした。
 3度も振った相手をどうして蛍琉は選んだのか。その謎が智優の一番欲しい答えの鍵を
握っている気がする。聞きたい答えまでどうやったら辿り着けるのだろうか。
 けれど、その道は夜の雨雲と同じで、暗闇に包まれていた。
 雨は更に降り続いて、蛍琉の傘に2人で肩を寄せ合っていても、左肩は濡れた。恋人だった
頃ならば、密着する腕をなんとも思わなかったけれど、今はシャツが擦れるだけで、右側が
発熱したように熱くなった。
 狭山に切られた左腕は、やられた瞬間燃えてる様に赤く熱く感じていたけれど、今、智優
の右腕はそれよりももっと火照っていた。
苦しい。全身が痺れていくようだ。蛍琉の声が遠くなって、自分は頷いているけれど、
何一つ会話なんて理解していなかった。
 友達の関係で良いなんて嘘だ。自分はそんなものこれっぽっちも求めてない。
智優が欲しいのは蛍琉の友情なんかじゃない。溺れるほど愛して、愛されて、身体ごと
溶けてしまうような愛情を智優は望んでいるのだと、はっきりと分かった。
「ここでいいよ」
「本当に?」
「コンビニ、傘くらい売ってるって」
「そうだけどさ」
「ありがと」
「・・・・・・うん」
見上げた蛍琉は、顔を歪めていた。言いたい事が言えない顔だ。その心に閉じ込めてる
感情は何だ?智優への愛情がまだあるのなら、その線を飛び越えて欲しいと願ってしまう。
 けれど、智優への愛情があるとすれば、それこそ、蛍琉はその線を自分からは越えて来ない
だろう。自分が捨てた智優に、自分勝手な愛情で振り回すほど、蛍琉は酷い男じゃない。
 それが分かっているから、智優は蛍琉の溜めた言葉に過剰に期待してしまうのだ。
「じゃあ」
「智優っ・・・」
「・・・・・・」
曖昧なまま蛍琉の隣にいるより、今は一人になって考えたかった。営業的戦略を練る事なら
誰よりも得意だ。
 何本も絡まりあった糸の先に本当に欲しい答えは一つしかない。その糸を間違えない様に
手繰り寄せるには、慎重にならなければと、智優は急いてしまいそうになる気持ちに区切りを
つけた。
 智優は蛍琉の傘から駆け出すと、コンビニに飛び込んで行った。





 蛍琉と偶然の再会をしてから1週間が経った。智優はカレンダーを見ると、今しかないと
覚悟を決めた。
 蛍琉の気持ちは見えない。けれど、一つの可能性に智優は縋ってみたくなる。
 未練そうに見送られたあの顔を智優は信じたい。智優は携帯電話を引っ掴むとソファに
座った。床に着いた足が揺れる。部屋のエアコンは快適なはずなのに、背中が熱く額には
汗が滲んだ。





from:智優
sub:不在届け預かってます
  玄関ボードの上において置くから
時間のある時、取りに来て





それだけ打つのに、一体どれだけの時間を費やしたのだろう。
 文面を何度も見直して、私情が一つも無く、差しさわりの無いように気を使ってやっと
作り上げたメール。けれど、押し殺した感情が一緒に伝わってしまうようで、智優は送信
ボタンを押すまで、手が震えっぱなしだった。
 ソファに寝そべって、深呼吸を繰り返した。
蛍琉がその一歩を迷っているのなら、智優は背中を押すまでだ。蛍琉が智優の元に戻って
くるつもりがあるなら、蛍琉はきっと智優のいる時間にやってくるはずだ。
 もう一度、このマンションで、蛍琉と向き合いたい。掛け違えた答えを戻すために。
本当の気持ちを取り戻すために。
智優は大きな賭けに出た。





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