なかったことにしてください  memo  work  clap
Re:不在届け預かってます


 Re:休日に・・・・・・




 智優は車窓から流れていく日本海の海をぼんやりと眺めていた。12月の日本海はどんより
とした雲が一面を覆いかぶさり、いつ雨が降って来てもおかしくないほど湿った風が、吹き
荒れていた。
 蛍琉は「S2000」を飛ばしながら、オーディオから流れてくる歌に合わせて足を鳴らして
いる。時々聞こえてくる鼻歌に、智優は耳だけ向けた。
「・・・・・・初雪、降りそう」
「そうだね」
「わざわざこんな寒いとき選んで、こんなところに来なくてもいいのに」
智優は苦笑いして蛍琉を振り返ると、蛍琉はハンドルを切りながら笑った。
「うん。本当にね」
複雑な地形の海岸沿いが見えてくると、目的地はもう直ぐそこだった。
 この寒さで観光客もいないだろうと思っていたのに、名の通った観光地はそれでも客が
ぞろぞろと歩いている。よくこんな寒い日にこんなところへ来るもんだと智優は自分達の
ことを棚上げしながら、それらを見送った。
「大体、蛍琉だろ、東尋坊行こうなんて言ったの」
「智優がどこかに行きたそうにしてたから」
「確かにどっか行こうって言ったけど、東尋坊に行きたいなんて一言も言ってないって」
「どっかの中に、東尋坊の選択もあってもいいじゃないの?」
智優が住む金沢市から、蛍琉は目的地も告げず、いきなり車を飛ばしてきた。蛍琉のサプライズ
はよくあることで、気がついたら長野に蕎麦を食べに来てたり、新潟に新米を買いに来てたり
なんてこともあった。
 今日も、蛍琉は持ち前のフットワークの軽さで、智優を驚かせていた。蛍琉がどうして
ここを選んだのかそんな理由は、多分蛍琉にだって分からないだろう。そういう気分だった
としかいえないのだ。
「まあいいじゃん。せっかくの休日なんだし。カニ食って帰ろうよ。奢ってあげる」
「奢り?マジで」
「うん。・・・・・・誕生日の仕切りなおし」
「そういうことなら、遠慮なく」
智優はニヒっと笑うと運転中の蛍琉の肩を軽くパンチした。
 仲直りすれば、自分達はこんなにも幸せで、壊れていたのが嘘みたいだ。表面はつるりと
真新しい陶器でコーティングされたみたいに綺麗なのに、一枚はがれてしまえば、その下
には幾つもの傷跡が、爛れたままで残っている気がする。
 けれど、無理にそれを剥がすことはしたくないし、塗りなおして綺麗になったのなら、
もうそれ以上は目を閉じてしまいたかった。
「あー、ちょっと疲れた」
駐車場に車を停めると、蛍琉は伸びをした。
「今何時?」
「ん、3時半」
智優は腕時計に目を落として答えた。そして、答えたと同時に、自分の腕についた時計を
じっと見つめて、胸がぎゅっと締め付けられる気がした。
 智優は左腕に着けた新品のエクスプローラーU――ロレックスが光っている。智優は
ブレスを触りながら、数時間前の事を思い出した。





 水曜定休の蛍琉に合わせて久々に取った休みに、
「今日どうする?」
と聞かれて、智優は迷わず買い物と答えた。
 冬のボーナスが支給されて、迷いに迷った挙句、智優は前から欲しかった腕時計の購入
を決めたのだ。
 営業職についていれば、自然と周りの営業の身なりも気になる。同僚が最近持ち始めた
高級腕時計に触発されて、智優も物欲が止められなくなったのだ。
 正規販売店に行くと、智優は真っ直ぐにエクスプローラーUを目指した。
 智優が何度もエクスプローラーUを物色しているので、店の店員とは顔なじみになり、
今日も智優の顔を見るなり、にこりと笑って迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませ」
智優は高揚した気分で頷くと
「今日は、決めにきました」
と店員に向かって、エクスプローラーUを指差した。
「はめられますか?」
「はい」
店員が手袋の手でショーケースから取り出して、智優の腕に時計をはめる。どしっと来る
重さに智優の気分は一気に高まった。
「やっぱりいいですね」
「ありがとうございます」
店員が丁寧に頭を下げる。ショーケースの中の金額を目で確認しながら、これで冬のボーナス
は飛んだなと思いながら、智優は覚悟を決めた。
「じゃあ、これお願いします」
「畏まりました。ありがとうございます」
店員は智優の腕から時計を外すと、クッションの効いたトレーの上に乗せた。
 それからもう一度丁寧に布で吹き上げると、会計の為に、智優たちを別席へと導いた。
 目を疑うようなことが起きたのはこの後直ぐだった。
 智優と店員のやり取りを後ろで黙って見ていた蛍琉が、会計のときになって、いきなり
自分のカードを財布から出したのだ。
「蛍琉?!」
驚いて蛍琉を振り返ると、蛍琉は穏やかに笑いながら店員にカードを差し出した。
「いいよ、誕生日プレゼントだから」
「ええ?!」
「これでお願いします」
「いやいや、よくないって!何言ってんだよ、これは俺が勝手に買ったんだって・・・・・・」
智優達のやり取りに、店員は不審そうに見ている。
「うん。だけど、誕生日プレゼントなんにも買ってあげてないし」
「や・・・そうだけど!ダメだって。こんな馬鹿高いもの、貰えないって」
「去年もそう言って、何にも貰ってくれなかったじゃん。2年分だと思えばいいよ」
「無理無理!大体お前、そんなに金持ってないだろ」
「ないけど、智優用にはとってあるよ」
全然引く気の無い蛍琉に、店員の手前もあって智優は納得いかないまま、引き下がった。
「あの・・・・・・よろしいでしょうか?」
「・・・・・・はい。お願いします」
ゲイカップルだとばれただろうか。智優は不審そうに見ていた店員を見返したが、店員は
さらりとその視線をかわしてレジへ向かっていった。



 重厚なケースに収められて、ラッピングまでされた腕時計を、蛍琉の手から渡されて、
複雑な思いを抱きながら、智優は車に乗り込んだ。
「・・・・・・ホントにいいのかよ?」
「どうぞ」
「マジで、金足りなくなっても深夜にこっそり質屋に持ってくなよ」
「持ってかないよ、智優は俺の事どんだけ貧乏だと思ってんの」
「そりゃあ、パチンコ行く金がなくて休日部屋でごろごろしてるくらい貧乏だと思ってるよ!
・・・・・・なあ、ホントに大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。確かに楽器屋なんてこれっぽっちも儲かんないけど、たまにはいいところ
見せさせてよ」
「う、ん・・・・・・」
蛍琉に頭をくしゃりと撫でられて、智優はそれ以上何も言えなかった。
 蛍琉のこういう優しさに、智優はつくづく甘やかされていると思う。蛍琉の機嫌がいい
ときには、蛍琉は智優に信じられないほど甘いし、優しい。智優はそれが少し怖かった。
「着けてみたら?」
「うん」
包装されたばかりのリボンを解いて、ピカピカに輝いたエクスプローラーUを取り出すと、
智優はぎこちない動作で腕にはめた。
「・・・・・・すげえ、興奮する」
「よかったね」
「あー、なんかじっとしてられない。どっか行きたい気分」
「じゃあ、このままドライブしよう」
「マジで?」
「いいよ。どうせ今日は一日暇だし」
そうして、智優達は、東尋坊に行くことになったのだ。





 断崖絶壁を見下ろしながら、智優はぶるっと身体を震わせた。
「いつ見ても、怖わい!ありえない!どうするよ、ここから落ちたら!もう無理、智優、俺
どうしよう!」
崖を見下ろしながら、蛍琉は興奮気味に喚いた。
「怖いって言いながら、蛍琉前に出すぎだって」
「ちょっと智優、手離さないでよ」
「怖いなら見るなよ。俺が押したらお前落ちるぞ」
「智優を信じてるから」
東尋坊の中でも「大池」と呼ばれる、高さ25メートルの絶壁は、高所恐怖症じゃない智優
に取っても足の竦むものだ。高いところがあまり得意ではない蛍琉にしてみれば、這いつく
ばってないと恐ろしくて、帰ることも出来ないような恐怖を味合わせてくれる。
 そのくせ、好奇心があるから、智優の手を硬く握り締めて、前に行こうとするのだ。
 いい年した男が2人じゃれあってる様子は、異質な目で見られるのだろうけれど、この
場所が、それを許してくれる。二人はふざけながらも、しっかり手を繋いで、崖の下を
見下ろしては口々に喚いていた。



ピピピ・・・・・・



不意に鳴る智優の携帯電話。着信はメールを告げるものだ。智優は一歩後ろに下がった。
がっちりと蛍琉と掴んだままの手を見て、蛍琉にも一歩下がるように促す。
「ケータイ、見てもいい?」
「うん。どうぞ」
ポケットから電話を取り出して、液晶画面を開くと、見知った名前からのメールだった。



from:高藤
sub:休日に・・・・・・
  休日にメールしてすみません。
明日の会議、予定変更で9:30スタート
になりました。お知らせまで。

あ、水曜に有休って、ひょっとして
より戻しちゃいました?
忙しければ、返信は結構ですので。
お休み、楽しんでください。



智優はメールを確認すると、一瞬返事をしようか迷って、そのまま画面を閉じた。
「いいの、返信しなくても?」
「いいよ、会社からだし。明日の会議の予定時間変更の連絡!家に帰るまで気づかなかった
ことにするから!」
智優は、にっこり笑って、携帯電話をポケットに仕舞うと、再びその手を蛍琉に差し出した。
 高藤には、よりを戻したことを告げていなかった。
実家に戻ると言った直後によりを戻してしまい、告げるタイミングを失ってしまったのだ。
高藤はそんなことで、自分を詰ったりはしないけれど、何となく言う気になれなくて、
ついつい黙ったままになっていた。
 時々水曜日に休みを取るのが蛍琉のためだと、知っていたから、察しのいい高藤は、
気づいたのだろう。
 高藤の気持ちを知りながら、自分は高藤に甘えている。年下の癖に、妙に達観したところ
があって、はじめはそれが鼻持ちならなかったけれど、今は頼ってしまう弱い自分もいる。
 高藤に「すまん」と心の中で謝りながら、智優は高藤のメールを記憶の隅に追いやった。
「智優?」
「ちょっと、寒くない?日も暮れてきたし」
「そろそろ戻る?」
「・・・・・・うん」
智優は蛍琉の身体を自分の方に引き寄せて、強張った足を一歩一歩、絶壁から遠ざけて行った。
 岸壁を歩きながら、しっかりと握られた手の強さに、智優の胸はちくちくと痛んだ。
蛍琉は、自分と別れている間の事を聞かない。どこにいて誰とどんなことをしていたか
一度も聞いたことが無い。
 けれど、智優は、蛍琉が自分以外と身体を重ねていることくらいお見通しだろうと思って
いる。別れたのだから、そんなこといわれる筋合いはないし、別れたときは、本気で縁を
切るつもりで飛び出したのだから、浮気だとも思ってない。
 けれど、こうやってよりを戻してしまうと、やっぱり後ろめたい気分だけが残るのだ。
蛍琉は自分と別れていた間も、一人で過ごしていたはずなのに、自分だけ逃げ道があって
それを利用した自分が卑しい人間に思えて仕方が無い。
 もう二度とこんな思いはしたくない、智優はそう思う。蛍琉のごつごつとした掌を何度も握り
直す。蛍琉の手と自分の手を眺め、そしてそのすぐ上に着けた、真新しい腕時計に目が行った。
 崖の途中で立ち止まると、蛍琉が智優の見下ろした。
「どうしたの」
「うん。時計、ありがとな」
「やっぱりロレックスは違うね。夕日に当たるとこんなにも輝いてる」
「お前の時計だって、光ってるだろ」
「いやいや、ロレックス様には叶いません」
「時計に様なんてつけんなって」
「いえいえ、恐れ多い高級腕時計様ですから」
蛍琉はクスクスと笑って、智優の腕を高く持ち上げて、それに向かって頭を下げる。
「はっはっは、下々のものよ、ひれ伏すがいい」
智優も、芝居がかった台詞を吐いた。
「ははー。眩しくて目がくらみそうでございます」
「そうじゃろ、そうじゃろ」
ふざけながら、ぶんぶんと腕を振ると、蛍琉がその腕にしがみついたまま、苦笑いした。
「ロレックス様、出来ればその40万の腕で、早くわたくしを、この崖から離してもらえない
でしょうか」
夕焼けで薄暗くなった足元を気にしながら、蛍琉は弱気になって言った。
「よかろう、よかろう。早く帰って、今日はカニじゃ」
智優はまだ芝居がかった口調でふざけている。けれど、蛍琉が上げた腕を下ろすと、蛍琉
を手放さないようにしっかりと手を握った。
「カニで命が買えるなら、幾らでもどうぞ」
蛍琉もその手を握り返す。智優に一歩近づくと、そっと息を吐いた。
「カニ臭くて、お前とはキス出来ないって言うくらい食ってやる」
「俺も食うから、どっちが臭いかなんてわかんないって」
「それもそうか」
そういうと、2人は可笑しくなって見つめたまま笑い出した。
 蛍琉は優しい。優しくて智優に甘い。だから、自分は付け上がるのかもしれないと、智優
は思う。蛍琉の優しさが当たり前で、時々当たり前じゃなくなるときが来ると、プチンと
切れてしまう。切れた後、どうなるか分かってるのに、ほんの少しのわがままが許せない
のだ。別れるくらいなら、建設的な解決をすればいいのに。
 そんなことずっと前から分かってて、喧嘩なんてしたくないって思ってるのに、どうして
自分達は繰り返してしまうのだろう。もう二度と、喧嘩別れなんてしたくない。
「・・・・・・俺、蛍琉と一緒でよかった」
「改まってどうしたの」
「・・・・・・もう喧嘩は勘弁ってこと」
「そりゃ、こっちの台詞」
蛍琉は智優の腰を引き寄せて、潮風にすっかり冷えた智優の髪の毛に唇を落とした。
 穏やかな日常は、泣けるほど幸せだ。こんな日がいつまでも続けばいいのにと思いながら
その下には見えない問題が幾つも転がっているようで、智優はいつもどこかで不安になる。
 幸せの向こう側に潜んでるものが、顔を出さないように祈って、抱きしめてくれる蛍琉
の腕に自分の手を重ねた。





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