なかったことにしてください  memo  work  clap
天 球 座 標 系



 チラついていた雪は今は止んでいる。地面は先程まで降った雪で湿っていた。
「で?わざわざ、こんなクソ寒い屋上まで呼び出しておいて、何?」
目の前には不機嫌そうに身体を震わせている日高がいる。
 春樹が研究室に駆け込むと、研究室には日高の他に4年生が卒論作業をしていた。それで春樹は半ば
無理矢理日高を屋上まで呼び出したのだ。
 春樹の後ろを付いて階段を昇る間、日高はずっと不機嫌だった。要はそのずっと後ろに続いていた。
「日高先輩、事件の事、どれくらい知ってますか?」
春樹の言葉に日高の鋭い視線が向けられる。
「どれくらい?・・・朝霧さんが捕まったのは新聞で知ったけど」
「他には?」
「知らない」
日高は強張った顔つきで春樹を見つめ返す。実のところ、世間を襲ったセンセーショナルな事件は犯人が
恋人の朝霧純子であること以外、口外されていない。
 事実確認のためだろうか、警察の発表では、船田のことは未だに伏せられている。春樹は静かに首を
振った。
「船田先輩、自首したんですよ」
瞬間、日高の頬がびくりと動いた。春樹はそれを見逃すことなく、日高に食い下がった。
「知ってましたね、船田先輩が自首したこと」
「知らないね。何で俺がそんなこと知ってないといけないんだ?何か理由でもあるのか?」
日高のポーカーフェイスはそれ以上崩れることはない。しかし春樹も引かなかった。
「理由ならあります。日高先輩が船田先輩の恋人だからです」
「は、何を馬鹿なことを。誰が誰の恋人だって?」
日高の射殺すような目付きが春樹に向けられる。それで春樹は確信した。やはり、要の予想は当たって
いる。日高は船田の恋人か、もしくは恋人だった人物だ。
「・・・先輩が、船田先輩の恋人だってことです」
「進藤、頭イカレてるのか?俺も船田も男だぜ?」
「イカレてなんていません。・・・別に恥じることはないです。世間から不自然な感情だって見下されて
も、俺は分かりますから」
春樹は日高から視線を外すと、日高の肩越しに見える恋人に頷いて見せる。思ったよりも自分が穏やか
な笑顔であることに春樹は心がくすぐったくなった。
「俺も、同じだから」
春樹の初めてのカミングアウトは、こんな緊迫した状況下で起こった。
「な、に?」
「俺の付き合ってるのは、そこにいる要だから」
驚いたのは日高だけではない。日高に振り返られて、要もまた十分に驚いていたが、要の驚きには
柔らかい色がまじっていた。
 要はのろのろと春樹の傍に近づいていくと、日高に頭を下げた。
「前に一度、お会いしましたね」
日高とは学食で一度だけ会ったことがある。春樹が情報を流している所為で、要にとってはすっかり
馴染みのある人間になってしまったが。
 日高の掠れた声は冷たい風に消えてしまいそうになった。
「・・・ホントに」
「はい?」
「本当に、進藤と付き合ってるのか?」
今度は要に向けた問いに、要は躊躇いなく頷いた。
「・・・そう」
しかし、日高はそれに相槌を打つだけだった。自分の事は認める気がないらしい。だが、春樹もそして
要もすでに、日高の恋人が船田であることを確信している。
 要は春樹に視線を投げると、その言葉の後を継いだ。
「日高先輩、僕ずっと、考えていたんです。船田先輩の言葉を」
「言葉?」
「あの人、ここで、泣きながら言ったんですよ。『僕さえ、口を閉じれば終わる』って。それどう言う
意味かわかりますか?」
「ここで?・・・さあ?」
日高は怪訝な顔で要を見た。日高はまだ知らないのかもしれない。船田がここで自殺を図ろうとした
ことを。
 要は大きく息を吐いた。
「僕は、誰かを庇ってるんだと思いました」
「庇う?」
「そう。本当の犯人を庇ってるんです。・・・その人を守りたい一心でね」
「それが、なんだっていうんだ」
日高は少しイライラしながら要の言葉に返事をする。冷たい風が吹く度、身体が芯から冷えていく。
春樹も要も、そして日高もジャケットを着込んでいたが、誰もが小刻みに震えていた。
「寒いですね・・・長話は無用ですね。はっきり言いましょう。船田先輩はあなたを庇ってるんだと思い
ます。・・・あなたは赤平先輩の事件に一枚かんでる。どうです?違いますか?」
日高は要の畳み掛けるような発言に唖然とするが、すぐにそれを鼻で笑ってのけた。
「君達は探偵ごっこでもしてるのか?・・・だったら、もう少しマシな推理でもしたら?俺は赤平の
事件なんて何にも知らない。第一、船田が自首ってアイツは何したんだ」
春樹は唇をかんで首を振った。この人間の口を割らせるのは、他の誰よりも難しい。
「・・・ヒ素を盗んだ犯人だったんですよ、船田先輩は。そして、それを朝霧さんに送りつけた・・・」
そしてそれを使って赤平は死んでしまった。その全て後ろで操っていたのは、目の前にいる狡猾な
人間。日高は低い声のトーンのまま、冷静に切り返す。
「じゃあ、船田が勝手にヒ素を持ち出して、勝手に朝霧に押し付けた。そして、朝霧が勝手に使って
赤平を殺した。それだけのことだろ」
挑発する視線を受けて反論したのは要だった。
「でも、あなたはそれを全部知ってたでしょう?!」
「全部?なんのことだ」
「例えば、船田先輩がヒ素を盗んだことを知っていて、朝霧さんに押し付けるように示唆したり、
朝霧さんがヒ素を押しつけられたことを知っていて、わざと、朝霧さんに赤平先輩の悪口を吹き
込んで、朝霧さんに赤平さんに対する不信感を抱かせるようにした。。・・・あなたになら容易にこの
結末が想像できたはずじゃないですか?」
日高は笑って否定した。
「想像に過ぎないよ。俺は船田がヒ素を持っていたことなんて知らなかったし」
あくまで白を切るつもりの日高に、要も応戦する。こんなときの要はひどく冷静だ。春樹は唇の震え
が外の寒さからだけではないと思った。
「そうですか?あなたは絶対に知ってたはずです。そうでなければ、あの時、あんな発言しなかった
はずです」
「あの時?」
「そう。日高先輩、わざわざ進藤に教えてあげたんですよね?工学部からヒ素が盗まれた形跡がなかっ
たってことを」
要の視線が鋭く光る。手元に必要なカードはそろった。要は容赦ない。
「・・・」
「忘れてしまったんですか?日曜日の朝のことですよ?あなたは、進藤からプログラムを見せられて
何か思ったはずです。あのプログラムに見覚えがないはずがない。そんなものが何故進藤のところに
あるのか・・・。そこで隣を見れば、顔色を変えた船田先輩がいる。そこで、あなたは気が付いた。船田
先輩が影で全てを暴露しようとしていると。だから、すかさずあなたは言った。工学部からヒ素が
盗まれた形跡がないらしいと」
「それが、なんだっていうんだ」
日高の口調が少しだけ変わった。焦りの色がチラつく。
「船田先輩への牽制ですよ。警察はそこまで追ってきている。時間の問題だと。そして、その責任は
すべて船田先輩にあると。あれは進藤に向かって情報を提供した言葉じゃない。船田先輩への脅し
だったんじゃないんですか?」
「なんで、俺が、船田を脅さなくちゃいかけないんだ?」
「ヒ素の出所がばれても、船田先輩が何もかも1人でやった犯行にしろと、あなたはそういいたかった
んじゃないんですか?進藤にメッセージなんて送ってばらしたら許さない。そういう意味があったん
ですよね?」
「そんなことあるわけ・・・」
上ずった声に被せるように、要は力強く言い放った。
「そんなこと、あるんですよ。なぜなら、あなたが黒幕だからです」
日高の足元がぐらっと揺れた。一歩、後ずさりして首を振る。
「違う、俺はそんなの知らない」
「あなたは、ずるい。ずるいけれど、何一つ手を汚すことなく、赤平先輩という憎い人間を殺すこと
に成功したんだ。・・・最愛の犠牲を払って」
日高のメッキで出来たポーカーフェイスがポロポロと崩れていくようだった。少しずつ、日高の不安
や焦りが見え始める。
「俺は知らない。何にも知らないし、何にもしてない」
「そう、そうやってしらばっくれることができる。当然です。朝霧さんはあなたにそんな思惑があった
ことなんて知らなかったんだから。自分が偶然見てしまった現場に逆上して、偶然持っていたヒ素で
赤平先輩を殺してしまった。そう思ってるし、それが事実なんです。だけど、船田先輩はちゃんと
わかってた。偶然か、あなたから指示されたのか僕にはわかりません。だけど船田先輩はあなたの
真意を知ってしまった。わかってしまったから、朝霧さんにヒ素を送ったんだし、わかってしまった
から・・・」
要は悔しそうに唇を結んで、言葉を溜めた。そしてキッと日高を睨みつけると、その言葉を告げた。
「船田先輩は、あなたの真意をわかってたから、ここで自殺なんてしようとしたんです」
「船田が自殺?!」
やはり、日高は船田の自殺未遂については知らないようだった。
「船田先輩は咄嗟に考えたんだと思います。あなたの牽制の意味は、自分にまで巻き込むなという
サインだったんでしょう。責任の取り方を船田先輩は自殺することで、付けようとしたんだと思います。
自分さえ死んでしてしまえば、事件は極めて簡単になるはずだった。赤平先輩から受けた仕打ちに
逆上して船田先輩が殺した、それで終わりにするはずだった。だけど、僕達は気づいてしまった。
・・・もしかしたら船田先輩は気づいて欲しかったのかもしれないけど、僕達は、朝霧さんの犯行に
辿りついてしまったんです」
要は深いため息と共に春樹を見た。春樹は一言、日高に言った。
「俺は、どうしても赤平先輩の死の真実が知りたかった。どんな人でも無残に殺されていい理由
などどこにもないから。だから俺は見極めたかったんです」
そうしてたどり着いた先には、憎悪が渦巻く捻じ曲がった人間関係ばかりだった。
「僕達に、船田先輩の犯行は嘘であることを指摘されて、あの人は死ぬことを諦めたんだと思います。
そうして、船田先輩は自首したんですよ、あなたのために」
「俺の為だと・・・?」
「そう。あなたを庇うために!」
日高はそれでも、最後の砦だけは崩されまいと必死に平静を装う。しかし、そんな様子に春樹は虚しさ
しか感じなかった。
「警察と瀬戸際で戦ってるんだと思いますよ。警察があなたまで辿りつかない様に。自分ひとりで
その罪を被るために。船田先輩には十分な動機がある。赤平先輩をどうにかしたかった。それでヒ素
を盗んで、朝霧さんに殺させようとして送りつけた。それはすべて自分の意思であるといえば、もう
あなたに警察の手は伸びない」
二つの視線がぶつかり合う。要も日高も膠着したまま、視線を外すことができなかった。
どれくらいにらみ合ってただろうか。
日高がその視線を先に外した。要の足元に向かって、日高は吐き捨てるように言った。
「・・・俺は何もしてないからな」
「何も?」
「そうさ、朝霧にも船田にも。俺は赤平を殺せとも、何とかしろとも言ってない。確かに俺は、あいつ
がヒ素を盗んだことを知った。だけど俺はそれを使えとも朝霧に送りつけろとも一言も言ってない。
それどころか、俺は船田に人を殺すなんて馬鹿げてるって忠告までしてやったんだぜ?」
強張った表情の中から、なんとか皮肉な笑みを浮かべて日高は要を見る。
「それでも、俺は罪になるのか?」
ぶちんと、思考が途切れた。日高の笑いが春樹の感情を逆撫でる。春樹は日高に歩み寄るといきなり
胸ぐらを掴んだ。
「ふざけんなよ!」
春樹よりも背の高い日高は前のめりになる。そこを春樹の拳が綺麗に入った。ばしっと鈍い音で
日高は後ろに飛ばされた。打たれた頬が拳の形で赤くなり、唇の端が赤く滲んだ。
「痛っ・・・」
「あんた、全然分かってない!」
「何すんだ、進藤」
「あんた、どんな気持ちで船田先輩がここから飛び降りようとしてたかわかんないのかよ」
「・・・そんなの、知るか」
日高の吐き捨てる言葉に春樹はもう一度胸ぐらを掴みにかかる。殴った拳はじんじん痺れていたが
例え自分の手が傷ついても、春樹はもう一発殴るつもりだった。
 日高はひいっと喉を鳴らして、春樹の掴んだ腕から逃げ出す。春樹の気迫に負けたのか、作っていた
笑いはすぐに崩れ、眉間には皺が寄った。
「あ、あいつが・・・あいつが俺を裏切ったんだ!」
春樹の拳が直前で止まる。日高はその隙に春樹の腕を振り払って一歩後ろに逃げた。だが、その顔は
もう逃げられないと悟っているようだった。冷静さも作り笑いも全て取り外され、残ったのは、感情
のむき出しになった1人の孤独な人間の姿。
 そうして、春樹はやっと日高の本音を漸く引きずり出したのだった。

「・・・赤平が許せなかった」
長い沈黙の後、日高は俯いたままそう呟いた。握り締める拳に力が入る。
「赤平の身勝手さは、研究室が一緒になったころから分かってた。だけど、俺には関係ない、そう
思って過ごしてきた。赤平は事ある毎に俺に対抗意識をむき出しにしてきたけど、俺は殆どを無視
した。くだらないそう一蹴して。実際、アイツは優秀だったよ。赤平の作るプログラムは俺でも
分からないことがあった。俺が食ってかかることはなかったけど、お互い心の中では熾烈に炎を燃や
してた。負けたくない。それだけじゃない、アイツに勝ちたい。そう思うのは必然だった。だけど
俺は面と向かって赤平を相手にしなかった。だから平穏に衝突することなく過ごせたんだろう。
・・・あのことがあるまでは」
「あのこと?」
日高が顔を上げる。その声は力なかった。
「・・・そうだよ、君達が思ってる通り。俺は船田と付き合ってる・・・付き合ってたって言う方が正しい
のかもしれないけど」
「日高先輩・・・」
「進藤、カミングアウトするのは初めて?」
「・・・はい」
「そう。俺も初めてだ。だけど、赤平は俺達が付き合っていることを知った・・・俺のバカバカしい行動
の所為で」
「?」
日高は自嘲した。
「研究室で船田にキスしてたところを、赤平に見られたんだよ」
馬鹿な事したよな、日高の乾いた笑いは春樹の心をダイレクトに刺激する。
「赤平は、俺達を見た途端『気持ち悪い、死ね』って言ったんだ」
ちくちくと痛む胸を春樹は押さえた。
「アイツは、同性愛なんて本当は大嫌いなんだ。俺は何度も蔑む言葉を吐かれ、馬鹿にされた。赤平は
勝ち誇った気分になったんだろうな。その頃、卒業研究の真っ只中で、俺は赤平よりも遥かに進んでた
から、赤平は焦ってたんだ。初めて大敗する、そんなときに、俺の最大の秘密を知った。赤平にとって
俺との勝負はもう何でもよかった。プログラムの優劣から人間の優劣に摩り替わって、赤平は俺を思う
まま、卑下した」
握り締める掌の中に、春樹は日高と同じ思いを見た。この結末は春樹の結末でもある。自分が恐れてた
現実の恐怖を日高は実際に味わったのだ。
 祝福されることはない。それくらいは分かっているが、それならばそっとしておいて欲しい。けれども
自分達と異質なものは排除しなくては気がすまない人たちがいる、春樹の要に対する躊躇いはそ言う
ところにも来歴している。
「勿論俺にも後ろめたい気持ちがないわけじゃなかったから、赤平にそう言われる度、黙って無視する
のが辛くなった。言われっぱなしは相手を助長させる――それで反論することが多くなった。けど、
反論することで、平穏な毎日は跡形もなく崩れたよ。・・・それから後の関係は進藤もよく知ってるだろう」
相手を馬鹿にする数々の発言。罵倒するような会話の応酬。春樹が研究室に入ったのはもうその状態
だった。
 お互いそこまで叩き合う理由が春樹に漸く見えてくる。そして見えてきた分だけ、身体が切り刻ま
れるほど痛くなる。
「おかしくなったのは、俺がそんな状況でも船田と別れなかったからだと思う」
日高は悲しそうに笑った。日高の愛情の欠片。脆くて大切にしなければ見失ってしまう神聖な気持ち。

『お前に何をいわれようが、俺には居場所がある。それがあるからお前に何されようが、俺はお前に
負けたとは思わない』

赤平は益々歪んでいった。赤平には大切な居場所など、初めからなかったのか。それともそれに気づいて
ないだけなのか。春樹は赤平の孤独さに心が痛んだ。
「あるとき、赤平は気持ち悪くても男くらい抱けると言い出した。俺はその意味が分からなかった」
多分、暁との関係が始まったのはその頃なのだろう。赤平は暁に何を求めたのだろう。深く探ろうと
するほど、虚しさがこみ上げる。
「その後すぐだった。船田が赤平に抱かれたのは・・・」
日高は唇を噛み締める。零れそうな感情の波を必死に抑えているようだった。
「赤平に、『居場所を失った気分はどうだ?』って笑われて、船田が俺ではなく赤平を選んだと思った」
絶望と裏切りで日高は自分を失くしてしまいそうだった。
「選んだわけじゃないでしょう?船田先輩は赤平先輩に脅されたんじゃないんですか?」
「そんなのどっちでも一緒だ!・・・赤平は船田を抱いた。船田は赤平と繋がった。その事実はどんなに
俺が首を振ったって、嫌だと拒んだって、消えることはない!・・・俺とは一度も繋がったことなど
なかったのに・・・」
日高は自分が越えられなかったものを、無理矢理奪い去られたのだ。
 要はまるで自分に言い聞かせるかのように日高にその言葉を告げた。
「身体が繋がらなくても、心は繋がるってこと、あるでしょう?」
それはいつか春樹も言われたことだ。深く知ることが怖くて、本能的に拒んだ春樹を、要は自分を
慰めるように言ったのだ。春樹はそれをありがたく受け止めて、信じたが、それでも要を傷つけた
という気持ちはいつまでも残った。
 今の日高も同じ思いを握り締めているだろう。
「でも、俺は船田の裏切りが許せなかった」
「別に、船田先輩が裏切ったわけじゃないでしょう!・・・船田先輩は無理矢理だったんだから・・・」
「だけど、俺は許せなかった。何もかも許せなかった・・・」
日高は自分の頭をくしゃくしゃにかき乱し、目を覆った。感情が溢れ出す。言葉も痛みも滝のように
零れ落ちる。
「俺達の関係はめちゃくちゃになった。俺は船田を一方的に無視した。船田は何度も俺と話し合い
たいと駆け寄ったが、俺は船田の顔を見るのも辛かった。・・・そんな中で、赤平は船田を何度も
抱いた。・・・俺にご丁寧に写真まで見せてくれたよ・・・当然全ての関係が捩じれてく。悪循環なのに、
赤平だけが1人、自分の位置を見出してた。俺を潰すことで、赤平はやっと安心してその場で笑って
られたんだろうな。俺はずっと、赤平を憎んでた。いつか、本気でその笑った顔を凍らせてやるって
思ってた」
やはり誰よりも強く、赤平の死を望んでいたのは、日高だった。殺してしまいたいほど自分を見失って
いたのだ。ただ、それを実行に移すことはなかった。日高の理性――社会の中での生きる本能――は
僅かに勝っていた。だからこそ、その壁は乗り越えられないで済んでいたのに。
「船田がヒ素を盗んだのに気づいたのは、偶然だった。皮肉な偶然だよな。俺は赤平に、自分と船田の
ハメ撮りを船田にも送ってやったって言われて、おまけに船田はそれを大切に持ってるなんて言われて
その頃全てにおいて疑心暗鬼だった俺は、アイツのケータイ見てやろうと思った。それで、アイツの
鞄、物色したことがあったんだよ。それで、俺は船田がヒ素なんて持ってるのを知った」
船田にも殺意はあったのだ。初めから船田は赤平を殺して自分も死ぬという計画を持っていたのかも
しれない。
「出てきたものを見てびっくりしたよ。勿論ヒ素だなんて分かるもんか。だけど、こんな薬品普通持ち
歩かないだろ?・・・だから船田にかま掛けてみた。・・・そしたら、船田はあっさり白状した。何に使うか
なんていわなかったけど」
だが、日高は分かったはずだ。殺してしまいたい相手が誰であるか。
「俺は船田に忠告した。人を殺すなんて馬鹿げてる、と」
それは、日高の船田に対する愛情だった。愛するものを殺人者にしたくない。ただその一方で自分の
中に燻る怨念がそれすらも食いつぶした。日高は船田のその計画を根底からごっそり奪ったのだ。
「人を殺すのは馬鹿げてるけど、愛する者に裏切られる気持ちを、赤平も知ればいい・・・」
船田はその言葉の意味をはっきりと分かってしまった。そこから暗黙のルールが出来上がる。船田は
純子にヒ素を送りつけ、日高はそれを知った。
「朝霧さんが夜中に研究室で作業してるのを知った俺は、船田に一言だけ、言ったんだ。赤平と決着
つけてくれば、もう一度お前と話し合おうと。それだけだ」
船田があの時間の研究室を選んだのは、日高の発言の意味が分かったのか、それとも偶然なのか、それは
日高にも分からない。
 だが、現実は日高の思惑通りに全て動いた。船田は「最高の演出」をし、純子はそれによって赤平を
手にかけてしまった。
『愛する者に裏切られた』ことを知りながら赤平は死んでいった。

「それで・・・溜飲は下がったんですか?」
要の言葉が風に流される。消えかかりそうな声に日高はふるふると力なく首を振った。
「何でだろうな・・・俺の思ってたことは全て上手く行ったのに・・・俺は未だに孤独だ」
「それは、あなたが居場所を失くしたままだからじゃないですか?」
要の言葉は既に優しく、これ以上日高を責める為のものではなくなった。
 日高は顔を上げて、要の姿を確認すると、自嘲するようなため息を吐いた。
「結局、俺も赤平も、自分の居場所を求めて失敗したんだな」
「・・・でも、あなたはまだ取り戻せるでしょう?」
要の問いかけは、声援に変わる。背中を押されて日高も笑った。
「そうかな」
「そうです」
「・・・そうだな」
迷いを吹っ切るように、ゆっくりと頷いて、日高は春樹の前に立つ。
「進藤は、いいヤツに巡りあえたな」
「・・・そうですね」
「お前は間違えるなよ」
「え?」
「自分の居場所は、愛する人の隣にあることを。ソイツの一番であれば、それだけでいいってこと」
その気持ち一つで、人は繋がることが出来る。春樹が要の支えになりたいと願うように。粕谷が宇宙
の虚しさを埋めてくれるように。そして、船田が日高を思って必死で庇うように。
「あの・・・殴ってすみませんでした」
春樹が頭を下げると、日高はそのまま踵を返した。そして、背を向けたまま、春樹達に伝える。
「・・・ありがとう」
「日高先輩?」
「俺も、ちょっと遅いけど、取り戻しに行ってくる。・・・何年掛かるかわからないけどな」
日高はそのまま、片手を上げて歩き出す。そして、一度も振り返ることなく屋上を後にした。
 冷たい風がまた雪を運んでくる。残された春樹は、要に近づくと、その手をとって握にぎりしめた。
「帰ろう」
要の言葉に繋いだ手が、じんと痺れた。







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