なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 



 真夏の空を要と二人で歩いてる。
情報が錯綜したせいなのか、それとも目の前に陽炎でも浮き上がっているのか、春樹は軽い
目眩に襲われていた。
 終始無言のまま、どこまでも歩いていってしまいそうな勢いで、要の隣に並ぶ。先ほどまでの、
重たい空気は薄まることなく、春樹の回りにべっとりとまとわりついていた。
 正門を抜ければ、要とは別方向だ。要は歩調を緩めることなく歩き、そのまま家に帰るつもり
なのだろうと推測できた。
 正門で守衛が帽子を脱いで汗をぬぐっている。春樹はそれを横目で見ながら、先ほどから要に
心に思っていることを告げようか迷っていた。
 ラストチャンス。ターニングポイント。この地点をなんと呼べばいいのだろう。春樹は
今、ここで要と離れたら、もう二度と交わることのない世界へ行ってしまうような気がして
いるのだ。べたついた口が上手く回らない。春樹が戸惑っている間に、門をくぐり抜けて
しまった。
(要が、行ってしまう・・・)
春樹は汗で湿った手を握りしめて、要の後ろ姿に向かって言った。
「あのさ・・・」
「何?」
要が振り返る。春樹はその目を見て言った。
「お前、今から用事ある?」
「ううん、別に」
「そう・・・。あ、あのさ」
「うん」
声が震えて、次の言葉が上手く出てこない。それでも春樹は一呼吸置いて、要に言った。
「あのさ、お前、いやじゃなかったら、これから俺ん家、こない?」
「え・・・?」
要は春樹の発言に驚いて、目を見開いた。
「あ、いや、別に、嫌ならいいんだけど・・・」
「・・・行ってもいいの?」
「べ、別に、構わねえよ。俺、お前に来るななんて、今までに一言も言ってないだろ?」
「そうだね」
要は苦笑いを浮かべて、自分の行くべき方向を変えた。春樹から安堵のため息が漏れる。
 春樹の家までは、やはり無言のままだった。

「あがれよ。暑いけど。エアコン付けるから待ってろ」
「うん、おじゃまします」
要は春樹の部屋に上がり込むと、嘗ての自分の定位置に躊躇いなく座った。春樹にはそれが
懐かしくもあり、心の底が熱くなって気恥ずかしくもあった。
「今、ペットボトルの茶しか無いけど」
「うん、ありがとう。コンビニで何か買ってくればよかったね」
「・・・だな」
春樹は冷蔵庫からペットボトルを2本取り出すと、1本を要に向かって差し出す。もう1本を
勢いよく開けると、喉を鳴らして半分まで一気に飲んだ。
「あー、暑い」
エアコンのスイッチを入れ、春樹は要と辻向かいに座る。これも自分の定位置だ。もう随分と
要がここにいなかったように思うが、要がここに入り浸っていた時期とそう大して変わらない。
 春樹は自分が思っていた以上に、要がこの部屋に馴染んでいたことに、そして、要のいなくなった
喪失感がいかに大きかったのか改めて感じていた。
「あのさ・・・」
「うん」
「お前、ずっと、知ってたの?」
「・・・隼人先輩のこと?」
「そう」
「そうだね。確信はしてなかったけど、初めてサークルの飲み会で会ったときから、何となく
一真先輩のこと好きなのかなっとは思ってたよ」
「そっか・・・。なんか、お前ってすげーな」
「何がだよ。全然すごくなんかないよ」
「だってさー、要、大立ち回りしっかり納めて、まあ結果、解決したのかよく分かんねえ
けどさ。昔のあのちっこい要はどこ行ったんだろって正直びびった」
「・・・進藤は、昔のまんまで、かっこよかったよ。先輩に啖呵切ったとこなんて、特に」
要はくすくす笑って思い出している。
 春樹は笑う要の姿を見て、泣きたいような笑いたいような気分になった。
 人が人に気持ちを伝えることがどんなにも難しくて、上手く行かないことなのか、春樹は
そればかりを痛感している。隼人と一真はこれからどうなってしまうのだろう。永遠に平行線
のままでいられた「親友」を装えなくなってしまったのだ。一度交わった直線は後は離れて
いくだけだ。
 それは、そのまま自分達の関係にも言える。
春樹は感情的に、「それは嫌だ」と思った。二ヶ月近く要が自分から遠ざかっただけで、
こんなに、心を揺さぶられたのだ。このまま永遠に離れてしまったら、自分は立ち直れない
のではないか。でも、その一方で、この感情が要の求めている物と同質のものなのか、はっきりと
肯定できないのも事実だった。
 要は再会したときからずっと自分のことが好きだったと言った。それは、全て要の用意した
思い込みによって。
 間違った予備知識で見た映画は、間違った感想しか生まれない。
 春樹はずっとそう思っていた。要が自分を好きなのは、根本から間違っているのだ、と。
自分を好きでいる要を認めたくなかった。イレギュラーなことだと思っていた。
でも、本当は感想に間違いも正しいもない。その人が思ったことが全て真実なのだ。春樹は
漸くその結論にたどり着く。隼人の想いを知り、改めて要の想いを感じる。
 そうして、要の心を感じたところで、最初に出てくるのは「自分の元から離れていく恐怖」
なのだ。離れていくな。一緒にいてくれ。要の感情を知った上で、春樹はそう思う。
 春樹が顔を上げると、要の視線とぶつかった。お互いにひどく真面目な顔をしていた所為で、
春樹は何も言えなくなってしまった。
 一緒にいたいと想うのは偽善なのか、自分の感情なのか。その感情はどこから来るのか。
自分にも制御し難い思いにもどかしさを感じる。
 どこに行きたい?どうしたい?自問自答の答えは見えることはない。
 大きな沈黙が次の言葉をかき消した。

 「ねえ、進藤。世の中で一番怖い言葉知ってる?」
「あ?なんだよ、それ」
長い沈黙の後で要が唐突に発した。
「僕は『惰性』だと思う」
「惰性・・・?」
要は軽く息を飲み、横目で春樹を見やった。
「うん。そう。惰性で付き合うと、泥沼になるんだ」
春樹の顔が赤くなる。見透かされている?自分の感情は「惰性」から来るものなのだろうか。
自分は今までの居心地のよかった空間を手放すのを惜しんでる?
「・・・俺は別に」
「惰性でいいよ」
そんなんじゃない、そう否定しようとして、要は切なそうに言った。その言葉に春樹が目を
見開いて驚く。
「お前、何言って・・・」
「うん。惰性でいい。進藤と一緒にいられるなら、僕は泥沼になってもいい」
瞬間、頭が沸いたような気分になって、春樹は声を荒らげた。
「バカなこというな。そんなんで俺の気持ち片付けるな!」
部屋中に声が響いて自分でも何故そんなに怒っているのか春樹にも分からなかった。ただ、
要に惰性でもいいなどと言われることに、自分の気持ちをそんな風に片付けられることに
納得がいかなかったのだ。
「ごめん・・・でも、受け入れられなくても、進藤が友達で思ってくれるなら、隣に居てくれる
のなら、僕はそれでもいいんだ。泥沼でもなんでも、僕は進藤の隣にいたい」
「要・・・」
「・・・告白して、正直先走ったって後悔してた。それは、進藤が自分の傍に居ようとしてくれた
のに、それを僕は偽善だって思ってしまった。哀れまれてまで居るのはいやだって、そう思ったら
進藤のことが見られなくなってしまった・・・」
「俺は別にそんな風には思ってないっ!」
「ううん、でもいいんだ。それでもいい。どう思われたって、隣から消えられるよりマシ
なんだよ。進藤に傍に居てほしいんだ」
「俺は・・・」
要の告白は八ヶ岳の時よりも切実で春樹の心の中を侵略してくる。要の言葉には心を抉り
取っていくほどの力があった。
「八ヶ岳から帰ってきて進藤と僕の距離がポッカリ空いて、僕正直やばかったんだ。喪失感と、
虚しさで、鬱になりかけてた。・・・離れていく事への苛立ちと、それでもそこに縋ろうとする
気持ちで、自分が嫌で嫌で仕方なかった」
「要がそんなになったのは、やっぱり・・・俺の所為なのか?」
「真逆!そうじゃないんだ。僕は自分の告白に勝手に呪いをかけて、進藤から逃げてただけなんだ」
苦悩を隠すかのように、要は顔を覆う。この溝は2人で作ったものだ。お互いが、お互いを
追い詰めて、追い詰めるほどに深く掘り下がった。
 春樹は、辛辣にその言葉を受け止める。自分だって、要から逃げてなかっただろうか。
少なくとも、要を追う事はしなかった。それで去っていくなら、それでもいいと、思っていた
はずだ。
「もう、逃げたくないよ・・・」
掠れた声が指の隙間から漏れ出す。それは春樹の心にも反響した。
「俺だって、こんな苦しいのは嫌だよ・・・。俺、お前と笑いあっていたい・・・」
「進藤・・・」
要は歪んだままの顔を上げて、春樹を見る。春樹はそれを受け止めるべく、真っ直ぐに要を
見つめ返した。
 要の瞳の奥が揺れる。不自然に力の篭った顔の筋肉がすとんと落ちていく。まるであの時の
隼人と同じようだった。要は薄っすらと笑みを浮かべて、心のうちをさらけ出す。
「僕は、進藤が好きだよ。前も、今も。先走って告白したことを後悔したけど、でも進藤に
気持ちを伝えたことには後悔してない。だけど、本当はすごく怖かったんだ。君が怯えてる
ようで」
「俺が?」
「告白した僕を異物みたいに扱わなくてはならなくなった進藤が、怖かった」
「俺はっ・・・お前が、俺のこと避けてると思って。お前、自分ばっかり傷ついて、それが
まるで俺の所為だとでも言ってるように感じたんだよ、お前にそんなつもりはなかったかも
しれないけどさ」
「何で受け入れてくれないんだって心のどこかで進藤を詰ってたのかな、僕・・・」
そういう気持ちもどこかにはあったのかもしれないと、要は呟く。
「お前から、思い告げられて、正直、ショックだった。自分をそういう対象で見るお前も
そういう対象で見られてる自分も気持ち悪かった。でも、それって、俺が世の中のこと
知らなかっただけなのかもしれない。お前さ、飄々と俺に言うからさ、お前にとってその
一言は大した力持ってないかと思った。だけど、心療内科で先生の話聞いて、お前はお前で
凄く苦しんでたって知って、なんだ自分とおなじじゃん。そう思ったらなんか楽になった。
それから、隼人先輩の気持ち知って、世の中に、男を好きになる人間がいくらだっているって
ことも実感した。お前だけじゃない。きっといっぱいいるんだろう。お前だけが異質なわけ
じゃない。特別なわけじゃない。人の感情として、間違ってない、そう思ったら前より、
お前のこと気持ち悪くなくなったし。何よりこうやってお前と話してるのは、相変わらず楽しい」
一緒にいたいといってくれて、ありがとう。少しは要の気持ちに近づくことが出来ただろうか。
春樹は漸く要の気持ちを受け入れたいと思った。
「進藤、僕は・・・」
春樹は要の言葉を制して続けた。
「俺は・・・まだ、お前が思ってるようには要のこと好きじゃないかもしれないけど、こうやって
一緒にいたいと思う。それって、惰性なのか?・・・泥沼になるのか?」
「・・・」
「俺は、お前と一緒にいたいのは惰性なんかじゃないって思う・・・」
要の嬉しそうな、困ったような顔を見て春樹は笑った。その途端、要は春樹の腕を取って自分の
方に引き寄せた。重心が揺れ、要の方に倒れこむ。息遣いが聞こえそうな距離にまで迫っている。
「進藤・・・ごめん。・・・ありがとう」
要は春樹の唇に軽く唇を合わせる。突然のことに驚いて春樹は固まった。
「ね、キスしていい?」
「・・・あのさ、そういうのって、してから聞くのか?」
自分がキスされていたことをやっと自覚して、口の中でぼそぼそと文句を言う。
「フライングしちゃった。・・・先走るの、得意だから」
悪戯っぽく要は笑う。
「・・・お前なあ」
「嫌だった?」
春樹はたっぷり3秒考えて言った。
「わりと嫌じゃないかもしれない。要の唇、柔らかかった・・・気がするし」
「進藤って、天然なの?」
「何が?」
春樹が真顔で言うやいなや、要はもう一度唇を重ねた。今度はゆっくりと。春樹も目を閉じて
もう一度要の唇の熱を感じる。柔らかい唇の内側でねっとりと舌を絡ませ、お互いに息が上がる
まで、何度もキスを交わした。
 至近距離で要を見つけ、春樹の頬が薄っすら赤らんでいく。まんざらでもないと、春樹は
心の中だけでそれを唱える。要とこうしているのも悪くない、と。
 要が笑う。引き寄せられて、春樹は要の腕の中に収まった。要のエアコンで冷えた身体が
ひんやりとして気持ちがいい。このまま自分の熱ごと、火照った身体を冷ましてくれ、と恥ずかしさ
でいっぱいの春樹は思う。
 しかし、要は春樹の熱を奪うどころか、加熱しそうな勢いで耳元で囁いた。
「大好きだよ、進藤が」
「ば、ばか・・・」
要の声に春樹は真っ赤になった。それでも、嬉しくて要の肩口に向けてコクリと小さく頷いた。
気持ちが繋がる、その甘ったるい空気を身体中に纏わり付かせて。
 抱きしめられた腕に春樹はゆっくりと自分の身体を任せて要の心地よい体温を感じていた。





2007/01/20
お、終わったぞっ・・・。ここまで読んでくださった皆様、ありがとう。happy endで終われました。




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レス不要

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