なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 




 春樹は母親が妹と弟を風呂に入れている隙に、玄関からそっと忍び出た。父はリビングで
眠りこけている。腕には父から貰った時計がはめられていた。時計はデジタルで、100分の1まで
測れるものだ。春樹は時間確認する。9時まであと10分あった。
 外気は生ぬるく、早くも寝苦しい夏を彷彿させる湿度と温度を作り上げている。春樹は父親の車の
すぐ後ろにある庭木の影に腰を下ろした。座るとこちらからは外の様子が伺えるが、外からは春樹の
存在を確かめることはできなくなる。ここならば往来する大人に見つからずに要の姿が見えたら
すぐに出て行ける。春樹は夜空を見上げながら、要を待った。
 デネブ、ベガ、アルタイル。3つの星は春樹の頭上で小さく光っている。眠らない街といわれた
東京ですら、3つの星は懸命にその存在の証明を示そうとしているようだ。
 春樹はもう3つの星の名を空で言える。指を差して、一つ一つ小さく呟いてみた。
「ベガが織姫、アルタイルは彦星だよ」
いつだったか、要が3つの星の話をしているときに教えてくれた。
「じゃあ、デネブは何?」
「うーん・・・なんだろうね。七夕伝説では、天の川を渡してくれるのはカササギだったか、
月だったか。少なくとも白鳥じゃないね。でも、中国だと、白鳥座はカササギとして扱われたり
してるみたい」
「なんか、いろいろ姿があるんだな」
「白鳥は白鳥で神話も多いんだよ」
「忙しい星だな」
「うん。はくちょう座はね、別名、北十字とも言われてね、宗教や神話にすごく結びつきが
深いんだって」
「北十字?・・・じゃあ、南とか東とか西にも十字があったりするのかな」
「南には南十字星があるらしいよ。日本じゃ見られないみたいだけど」
「日本じゃ見られないって・・・日本以外の国だと見える星も違うのか?」
「南半球に行くと、全然違うって本には書いてあったよ。南には南の十字、北には北の十字が
それぞれ人を守ってくれてるんだってさ」
要は人を守るなんて信用していない口調で言った。ただ星の配列だけは確かだとその姿を
想像しながら笑った。
 春樹はその要の姿を思い出しながら天を見上げる。要の言う北の十字は白色超巨星以外ひっそりと
形を潜めている。
「ホントに、全部見えるのかよ」
春樹が呟いたとき、南の空が急激に赤くなるのが見えた。それと共にけたたましいサイレンの音が
春樹の家の周りを騒ぎ立てる。
 大通りにを何台もの消防車が集まってあたりは騒然としている。救急車の姿もあるらしい。
隣の家の犬が吼え始め、住人が外に出てくる。よく見れば、向いの家からも人が外に飛び出して
不安そうに周りをうろうろと歩いていた。
 春樹は立ち上がって空を見上げた。赤く染まった南の空から大量の煙が流れてくる。かなり近くで
火事があったのだと、春樹はそわそわしながら大通りまで見に行こうか迷っていた。
「まあ、やだ、火事?」
母親の声がして春樹はびっくりして振り返った。あたりの騒ぎに気がついて玄関から出てきた
らしかった。春樹は丁度、門扉の前で外に飛び出そうとしていたところだった。
「・・・母さん」
「春樹、あんた、こんなトコでなにしてんの?」
「・・・なんか、火事みたいだから」
「見に行くなんて馬鹿なことしないのよ、危ないから、さっさと家に入りなさい」
「近くかな」
「そうね、大通りで消防車が止まってるってことは近くね」
春樹は腕時計を見た。時計は9時を10分以上過ぎていた。
(要、遅い・・・)
この火事じゃ、上手く抜け出せないかもしれない。この場面を切り抜ける術を春樹は持ち合わせて
いなかった。
「早く、家入りなさい」
母親に急かされ、春樹は仕方なく家に戻る。
(要、どうしたんだよ、あいつも火事の混乱で抜け出せなかったのか・・・?)
春樹は2階の自分の部屋に上がると、窓を開けて家の前の人影を探す。さっきよりも野次馬が増え
大通りに向かう人もちらほら見える。
 2階からは大通りが見渡せる。確かに近くに消防車が止まっていて、大通りは騒然としていた。
(要の家の方だ・・・)
やっぱり、抜け出せなかったんだな、そう思いながらも春樹は要を諦めることが出来ず、結局その日
12時近くまで窓辺で要を待ったが、とうとう要は現れなかった。
 あれほど赤く染まった南の空も元の闇に吸い込まれたようにすっかりと暗くなり、騒然としていた
大通りもいつもどおりの深夜を迎えていた。
 春樹は瞼が段々と重くなり、やがてそのまま眠りに落ちてしまった。


「春樹、起きなさい、春樹!ラジオ体操、行くんでしょ?!」
1階から聞こえる母親の声で春樹は目を覚ます。ベッドの上で眠い目を擦り、起き上がった。
 目覚めたのは現実なのか、夢なのか分からないほど、春樹はひどい夢を見た、そう思った。
着替えようと思い、いつものようにパジャマに手を掛けて、ふとそれがパジャマではないことに
春樹は違和感を覚える。
 よく見れば腕には時計がしてあり、Tシャツに短パンという出で立ちだった。
(夢じゃなかったのか・・・?)
春樹は寝ぼける頭を必死に動かし、自分の行動を振り返る。そして、ここで要を待ちながら寝てしまった
ことに気がついて、大きく落胆した。
(なんだよ、要、来るって言ったのに・・・)
朝からやりきれない気分で春樹は自分の部屋を出る。玄関では妹が既に家を出る準備をしていた。
「お兄ちゃん、早くしないと、はじまっちゃうよー」
「うん、今行く」
妹に急かされながら、春樹は近くの公園まで向かう。6時を少し過ぎたという時間なのに、既に日差しは
暑く、春樹は家の影を探しながら歩いた。だらだらと歩いていると同じクラスの女子に会った。
「進藤君、おはよ」
「ああ、おはよ」
「ねえ、知ってる?昨日の火事」
「ああ、近くであったやつ?」
「そう!あれね、望月君のアパートなんだって」
「え?」
春樹は顔を上げて立ち止まる。
(い、今、何て・・・)
「望月って望月要か?」
「うん。アパート、全焼だって」
「か、要は?無事なの?」
「・・・よく分からないみたい。救急車で子どもが運ばれたって言ってたけど」
春樹は弾かれたように走り出した。
「え?ちょ、ちょっと、進藤君?」
「お兄ちゃん?!」
置いてきぼりにされた妹と同級生の声が後ろの方で聞こえたが春樹は構っていられなかった。
(要っ・・・。なんで、なんで・・・)
春樹は要の家に向かう。家に行ったことはないが、大体の場所だけなら知っている。要は春樹と
別れた後、いつも薬局の隣の道を入っていく。そこにあるアパート、そこに要がいたはずだ。
 大通りまで全力で走った。横断歩道で立ち止まると、体中から汗が吹き出てくる。
(要・・・)
春樹はくらくらする意識を引きずりながら薬局の隣の道を進む。
 暫く進むと、突然、変に視界が開けた。無理矢理切り開いたような、切り裂いたような光景に
春樹は立ち止まった。
 そこにあったのは、真っ黒に焦げた木の枠だった。小さな子どもが描くような家の骨格だけが
ぽっかりと浮かび上がっている。
「これ・・・」
 ここが嘗て家だったことを証明してくれるのは、辺りに散乱した焦げた家財だけだ。そのどれもが
水浸しになって、使い物にならなくなっている。
(本当にここに要が住んでいたのか?)
愕然としながら春樹はアパートの成れの果てを見上げた。いつの間にか隣に人が立っていて、独り言
のように呟いている。
「ひどい火事だったよ、あれは・・・」
春樹は驚いて顔を上げた。
「おじさん、昨日の火事、見てたの?」
「ああ。ウチ、あそこの薬局だったからな」
「ここに住んでた人、どうなったの?」
「・・・203の大人が2人と子どもが1人、亡くなったよ」
「こ、子ども?」
(子どもだって?もしかして・・・)
春樹は吐き気がこみ上げてくる。そんなはずはない、間違いだ。要が死ぬわけない。頭の血管が
ドクドクいいながら、脳を締め付けていく気がした。
「ああ、まだ小さい子だったのにな・・・これじゃ、残された子ども達が可愛そうだ」
「残された子ども・・・?それって・・・望月要・・・とかじゃない?」
「なんだ、望月さんと知り合いか」
春樹はコクリと頷く。頷いた途端に重力で涙が地面に零れ落ちた。その姿に驚いて薬局の親父は
ため息をついた。
「上の息子は病院に運ばれてった。すぐこの総合病院だ」
「上の息子って、要?要は生きてるんだよね?」
春樹は溢れてくる涙を拭うこともせず、隣に立つ大人にすがった。
「ああ、多分大丈夫だろ。まあ、いっても会えないかもしれないけどな」
「なんで?怪我してるの?そんなに悪いの?」
「病院に運ばれたときは、気失ってただけだけどな。なんせ、出火元が望月さんところで、事情
知って、生きてるのが息子2人だけだから、事情聴取とかされてるだろう。おまけに弟は小さいし
上の息子しか話できる子どもいないだろ」
「そう・・・」
春樹はもう一度焼け跡を眺めて、そしてその場を後にした。
 とりあえず、要は生きている。無事に生きている。それがわかってほっとしたのに、この現状は
受け入れがたいほど春樹の心を痛めつけた。
 新聞には大きく取りただされていた。出火元と思われる203号室の居間からは女性と男性の遺体が、
そして、隣の部屋からは3歳児の遺体が見つかったのだという。
 要の言うことを信じるならば、その女性は要の母で、男性というのは多分双子達の父親なのだろう。
隣の部屋から見つかったのは、おそらく双子のどちらか。宇宙か星夜か・・・。
 心の中のものを全てずたずたにされ、ゴミ箱に捨てられたような気分だった。空っぽになった
心は春樹の行動を完全に塞いだ。
 家に帰った春樹はそのまま寝込んだ。ひどい夢と受け入れがたい現実を繰り返し、春樹の夏休みは
最悪のスタートを切ったのだ。
 母親に心配され、火事から漸く5日目に、要の入院している病院に面会に行ったが、要に会うことは
出来なかった。
 既に退院したとのことだった。父が迎えにきたのだという。春樹はそれ以上連絡をつける術を持たず
そのまま病院を後にした。
その後、春樹は、二学期になっても要に会うことはなかった。


 <<2へ続く>>




よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要

astronomical observation


  top > work > 天体観測シリーズ > 天体観測プロローグ2
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13