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天 体 観 測 



「進藤、明日のサークル、飲み会だって。行く?」
講義が終わって大講義室で帰り支度をしていると、要が春樹を見つけて声を掛けてきた。
 共通科目Aは工学部の選択科目で、春樹も要も履修していた。工学部の人間ばかり100人、
その殆どが男子学生ということもあり、講義室はむさ苦しく感じる。
 春樹はダルそうに顔を上げながら、またかと呟いた。
「新歓コンパ、やったばっかりだろ」
「今年は『飲み会組』の勢力が強いんだってさ」
「・・・そう。しゃあねえな、要は行くんだろ?」
「まあね。一真先輩が幹事だし、行ってあげないと、さ」
「じゃあ、俺も行くよ。どうせ、お前俺ん家泊まってくんだろ?」
「・・・お願いしてもいい?」
「ああ、別にかまわねーよ」
春樹はそう言って笑った。
 要は自宅生だ。松本市内で通学にはさほど不便はないが、飲み会などがあると、どうしても
帰るのが億劫になる。
 必然と大学から歩いて5分の春樹のアパートは要の格好の仮宿となった。
4月のスケジュールはガイダンスやサークルの飲み会であっという間に埋まり、それらを
追いかけるように要も春樹もこなしていった。
 ゴールデンウィークを過ぎると慌しさからやっと解放され、張り詰めた気持ちがふっと緩む。
そんなときに1人、また1人と学校から姿を消す者もいて、春樹はせっかく友人になった人間が
姿を消すことに少しばかり虚しさを感じていた。
 それだからというわけではないが、春樹は自分が思っていたよりも積極的にサークルに
参加したし、要もまたそんな春樹と行動を共にすることが多くなった。
「で、どこでやるんだ?」
「武田先輩の家」
「武田って3年の?・・・宅呑みかよ」
「お金ないしね。まあ多くて15人くらいって言ってたし、ギュウギュウに詰めればなんとか入れる
と思うってさ。武田先輩の部屋10畳もあるらしいから」
 長野に来てから驚くことが多いが、アパートの相場もその一つだった。尤も高校までは実家で
生活を送っていたため、東京の家賃の相場を明確には知らなかった春樹だが、高校時代の
クラスメイトと電話で話すうち、長野の(もしかしたら松本だけなのかもしれないが)家賃が首都圏
と比べようもないほど安く、そしてその割りに部屋が広いことを知った。
 その広い部屋を活用してなのか、飲み屋に行く金がもったいないのかその辺りの真偽は分からないが
S大生は専ら「コンパ」「サークルの飲み会」というと市街地まで出かけていくよりも自分達のアパート
で呑むスタイルをとっていた。それは「宅呑み」というらしい。
「武田先輩、1年生に可愛い子がいるって張り切ってるらしいよ」
要はさほど興味なさそうな口調でしゃべった。
「可愛い子・・・誰だ、そりゃ」
春樹は1年のメンバーの顔を思い浮かべてみるが、どれもぼんやりして思い出せなかった。
天文サークルのメンバーは全部で50人くらいはいるらしいのだが、飲み会で出てくるメンバーを
除けば「天文サークル」として活動をしているメンバーは精精20人程度だ。
「さあ、ねえ。女の子って飲み会以外あんまり来ないもんね」
「飲み会に来るだけでもいいんだろ、武田先輩にとっては」
「そうとも言うね」
春樹はすっかり誰もいなくなった講義室で要としゃべっていたが、ふと時計を見ると慌てて席を立った。
「やべ、今日バイトだった。悪ィ、明日また連絡する」
そう言うと、春樹は要に手を上げ颯爽と講義室を後にした。残された要はその姿をただ見送っていた。


「武田せんぱーい、言われた物買って来ましたよ」
「おう、サンキュ。ビールは冷蔵庫入れといてくれや」
「お皿とかなさそうだったので、とりあえず紙皿買って来ましたよ」
「じゃあ、机の上に適当に置いといてくれ」
一真の連れてきた後輩ということで、サークル内での要と春樹のポジションは「一真の手駒」らしく
当然一真が幹事ならば、要と春樹も手伝い要請が舞い込んできた。
 飲み会は6時からだったが、春樹たちは一時間も前に武田の部屋に呼ばれ、言われた物を買い出しに
行かされた。
「今日、ホントに何人くるんですかね?」
「一真さんの話じゃ、17人らしいけど」
「入るんですか?この部屋」
「まあ、厳しいだろうな」
武田の部屋は綺麗に片付いていた。当然掃除はしたのだろうが、その前に物が少ない。ベッドも
なければたんすもソファーもない。
 聞けば布団は押入れにしまったとのことだが、それにしても生活感のない部屋だった。
武田はサラサラした茶髪を掻き揚げながら「前やったときは15人だったけど、厳しかったからな」
と呟く。春樹は武田の浅黒い顔を見上げながら聞いた。
「ところで、一真先輩は?」
「面接がまだ終わらないんじゃねえの?」
「え?」
「就活だよ、就活」
「就活・・・?」
「就職活動。はやいとこなんて3年の終わりからやってるんだからな」
「え?もうそんなことする時期なんですか?」
「まあなー。文系の奴等は4月5月がピークだな。理系は普通9月くらいなんだけどな。一真さん、
営業でも狙ってるのかな。俺も来年の今頃のこと考えるとげっそりするよ」
春樹には自分にも確実にやってくる未来を実感することができなかった。
 6時頃になると、メンバーが少しずつ増えていった。皆思い思いの場所を陣取り、中には早くも
冷蔵庫からビールを取り出して勝手に飲み始めるものさえいた。
「隼人さんフライングっすよ」
そう言って笑った武田もまた手にした缶ビールを一気に喉にあおった。
 飲み会には初めて見る顔もあった。要の隣に座った青年も初めて見る顔だったが、調子のよい
話方であっという間に要や春樹の緊張を解きほぐした。そして、ビールを床に置くと手を上げて
周りの会話を止めた。
 一瞬、しんとなった空間はその青年に一斉に注目した。
「はいはーい。そんじゃさ、せっかくだし、自己紹介しようぜ」
「隼人さーん、新歓の時、自己紹介もうしましたよ」
武田が早くも酔っ払いながら隼人と呼ばれた青年に絡んだ。
「うん。だから、俺が知らないから自己紹介してって言ってんの。ダメ?」
「いいんじゃない?」
別のところから返事がくるのを確認して隼人はうん、と頷いた。
「じゃ、決まりなー。えっと、名前と学年と学部は必須で、あとはしゃべりたいこと言って」
注目されることになれているのか、目立ちたがり屋なのか、周りの視線をものともせず、青年は
外した口調でしゃべり続ける。
「じゃあ、俺からねー。えっと、4年の大槻隼人(おおつきはやと)。人文学部の人間情報学科。
趣味はドライブと飲み会と将棋。あ、俺将棋、めちゃめちゃ強いから挑戦したかったらいつでも
相手するよん」
最後に「いえーい」とガッツポーズを決めるとなぜか周りのものは拍手をしてしまう。人間とは
おかしな習性だと春樹はこのところの飲み会でいつも思う。
 自己紹介は時計回りに回っていったので、要と春樹は最後の方になった。何人目かの自己紹介
の時、部屋のドアがチャイムもなしにいきなり開いた。
「4年の木久守弘(きくもりひろ)です。人文学部の人間情報学科です。趣味は・・・」
「いやあ、ごめん、すっかり遅くなっちゃって」
リクルートスーツに身を包んだ一真が鞄を抱えて入っていたのだった。
 視線が一斉に一真に集まる。一真はそれらの視線を驚きの表情で受けた。
「・・・あれ?今、なんかしてた?」
「一真、遅せーよ。しかも、めちゃめちゃ間悪いし」
隼人が場所を詰めながら言う。一真は空いた空間に座った。
「ごめん、ごめん。面接が大幅にずれ込んでさー、いやあ、参ったよ。で?間が悪いって?」
「今、木久が自己紹介してたとこだったの」
「あ、悪かったね。ごめん。じゃあ、続き、しゃべってよ」
「・・・いや、もう大体しゃべったから、次行って」
木久は既に続きを話すつもりはないらしく、手にした紙コップのビールを飲み始めていた。
 隣の女子学生は困ったようにしきりに木久と隼人を見返している。
「あ、いいよ、いいよ。はい、次、そこの可愛い子!名前教えてよ」
隼人は木久を一瞥すると隣の女子学生を促した。
「あ、はあい。えっと1年の吉本英恵です。人文学部です。趣味はお菓子作りで・・・」
女子学生がしゃべりだすと、隣に座っていた武田が高い声で囃し立てた。「よ、英恵ちゃ
んかわいい」としきりに言うので春樹も要も武田が狙っている「一年の可愛い子」が
吉本英恵であるのだろうと、想像した。
 順番が回ってきて、春樹も要も適当な自己紹介を済ませた。最後に一真が挨拶をすると
そこからはあっという間に小グループに分かれて雑談になった。
 春樹は要と一緒に隼人と一真の2人の4年を相手に飲み始めた。
「じゃあ、進藤は望月とたまたま一緒にいたからこのサークル入ったんか?」
「ええ、まあ、成り行きっていうか」
「でも、進藤も、星、興味あるですよ。な?」
「ああ、うん。まあ」
「お?じゃあ、今度、天体観測会、参加するか?」
「っていうか、そのためにサークル入ったんですけど」
「・・・まあ、そのためじゃないヤツの方が多いからな、ウチは」
そういうと一真はちらっと武田を見た。釣られて春樹たちもその視線を追う。
「その、筆頭だな、あいつは」
隼人は笑った。春樹は一真に問う。
「ところで、天体観測会ってどこでするんですか?」
「うん、今年はまず、八ヶ岳の方までいけたらいいと思ってるんだけどね」
「八ヶ岳・・・ですか」
「あ、進藤は出身、東京か。八ヶ岳、場所わかんないかな」
「ハイ。済みません。松本より北ですか?南です?」
すると、隼人が武田の部屋の数少ない家具――ローボードから東海地区の地図を取り出して
長野南部のページを開いて見せた。
「進藤、見てみ、この辺が松本な」
隼人は地図の上の方からはみ出して、床の上を指差した。
「んで、松本からずーっと南に下ってくると、諏訪市がある。諏訪湖があるやつだ。ここは
花火が有名だな。ま、夏になったらサークルで行こうっていうやつが出てくるから、行きたければ
参加するといいよ。そんで、もう少し南下っていうか南東下すると、八ヶ岳だ。こっちから
行くと、八ヶ岳を挟んで向こう側に有名な清里がある。清里くらいは聞いたことあるだろ?」
春樹はぼんやりと清里のイメージを浮かべた。夏場の避暑地。コテージや別荘が建ち並び、
木々の間から涼しげな風が吹いてくる。春樹が思い描けたのは精精それくらいだ。それが
軽井沢と聞いて思い浮かべるものと殆ど大差はなかった。
(俺ってホント、何にも知らないで長野に来ちまったんだな・・・)
春樹は開かれた地図を眺めながら隼人の指差す八ヶ岳を想像した。
「八ヶ岳は冬になるとスキーも出来るからな。そこそこデカくて、自然の豊かなとこだよ」
「スキーってことは雪、結構積もるんですよね」
「あはは、当たり前だよ。進藤、長野の冬を舐めてたらひどい目に遭うよ」
要が春樹の背中を軽く叩く。
「やっぱり、東京より寒いんだろうな・・・」
「東京と比べるな。根本的に東京とは冬の乗り越え方が違うからな。雪国だと思え」
「俺、なんか随分なところに来ちゃったみたい・・・」
隼人は地図からとを離すと飲みかけのビールを煽った。
「なに、松本にいればそれほど大変じゃない。大変なのは、多分、来年からだな」
「来年・・・」
ふと春樹は工学部が二年次からキャンパスが変わることを思い出す。
「確か、長野市・・・」
「あそこは松本より北だからな。ま、でもスキー場まで1時間圏内だし、そういう楽しみ方
してれば、十分満喫できると思うぜ?」
隼人が話していると、突然に床に転がっていた誰かの携帯電話が鳴り響いた。
「あ、ごめん、俺だ」
一真がそれを手にとって見ている。どうやら、メールだったらしい。
 隼人はその姿を一瞬だけ目にして、すぐにそらした。一真はメールを読み終えると軽く
溜息を付いて返信を打ち始める。
 面倒くさい相手なのだろう、と春樹でも予想できる。一真が返信をして、1分も経たない間に
またも一真の携帯は鳴った。
 先ほどよりもやや乱暴気味に手にとって画面を開く。今度は先ほどよりも更にぞんざいな
態度でメールを返している。
 春樹は目のやり場に困り、東海地方の地図をぱらぱらと捲って眺めていた。
「あー、ごめんな。話が途切れちまった」
一真は携帯を床に転がすと、誰にでもなく謝った。
 一真とは数回しか会ったことがないが、春樹の印象では温和で頼りがいのある先輩という
イメージが強い。人間誰しもいろんな面を持っているのだとは分かっているが、こんな風に
イライラする一真を春樹は少し驚いた気持ちで見た。
 隼人はメールの相手が誰か知っているのか、何も言わなかった。隣に座る要を見ると、要は
じっと何かを考えるように、口につけたビールがそのままの体勢で固まっていた。
 春樹はその少し憂いを帯びた要の顔を久しぶりに見た気がしていた。



 <<4へ続く>>




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