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天 体 観 測 



 八ヶ岳までは途中、何度も休憩を取ったために3時間もかかってしまった。春樹は痛くなった腰を
伸ばしながら車外に出た。
 着いた場所は八ヶ岳の麓にあるペンションだった。春樹も車から降りた他のメンバーもきょとんと
していた。
「ペンション・・・ですか?」
「そう、一真のウチのな」
「え?一真先輩のなんですか?」
「ああ。まあ、ふるいけどな。ペンション、掃除したら使っていいって親が言ったからさ。ギリギリ
まで交渉してたから、皆に連絡できなかったけど」
「じゃ、今から掃除〜?」
「そーいうこと」
「ちぇえ、どーりで早くから出かけるなと思ったんだよ」
そういわれて春樹は時計を見た。4時を少し回ったところだった。一真はまあまあと笑って説明を
始めた。
「泊まるところもあるわけだし、今日はゆっくりできるだろ?はい、買出し組みと掃除組みに別れて
さっさとやろうぜ。飲み会のあとで裏庭に出れば天体観測できるから。10時くらいになったら
外でようぜ」
 周りの女が5人ほど、一真の声を聞いて高い声で叫んだ。
「あたし、びっくりした〜。八ヶ岳の公園で雑魚寝しながら星見るのかと思ってた〜」
春樹も内心そう思っていた。思わぬ展開にびっくりしたが、どうせ1人暮らしの身、一泊くらい
どうにでもなる。春樹はそう思って、一真の後についてペンションへ入っていった。
 部屋の掃除や買出し、そして飲み会の準備であっという間に日が暮れた。
日が落ちると辺りは一気に暗くなる。一番近くのスーパーまで車で15分ほど掛かるし、この季節
ペンションを使っている人間も殆どおらず、この辺りでは一真のペンションだけに明かりが
灯っていて、この明かりが消えてしまえば文字通り「闇」が周りにはびこっているようだった。

  飲み会はいつも通りの調子で始まった。
相変わらず武田は陽気に振舞い、周りはそれを見て笑いあっている。隣には英恵の楽しそうな
顔も見られる。
 春樹は一真に誘われて、外に出た。
「進藤は、飲み会より、こっちの方だろ?」
連れて行かれた場所はペンションの裏庭だった。部屋の明かりが遮られ真っ暗な闇の中で、
人影がした。
「準備できたか?」
「はい。3台はセットできましたよ。あ、一つはこと座のM57にあわせてありますよ」
「もう、見つけたのか?」
「ここは凄いですね。すぐ見つかりました。M57は小さい割りに見つけやすいですから」
声の主は要だった。その後ろにもう1つ2つ影が動く。おっという声がして、それが隼人の声
だと分かった。
「どうした?」
「流れ星はっけーん」
春樹はその声に釣られて夜空を見上げた。
「あっ・・・」
「どうした、進藤?」
(・・・)
春樹は目が回って目の前がチカチカしているのかと思った。暗闇の中で燦然と輝く見事な星。
(な、何なんだ、これは・・・)
心臓の鼓動が大きくなる。
これは、自分の許容を遥かに超えていると春樹は驚愕する。
(こんな、星の数・・・見たことない・・・)
口をぽっかり開けたまま、春樹は固まっていた。
「進藤・・・?」
(す、すごい・・・)
春樹は一真の呼びかけにも気がつかないほど魅了されていた。まるで魂を持っていかれたみたいに
そこに佇んでいる。
「おーい、進藤・・・?」
「トランスしちゃってるよ」
隼人が春樹の目の前を手で振って意識を呼び戻す。
「え?・・・あ・・・え?」
春樹はこちらの世界に戻ってきた。スリップでもしていたかのように、緩慢な動作で声の方を
振り返る。
「ふふふ、進藤、びっくりしたでしょ?」
要は得意げに春樹に笑い掛ける。子どもみたいだ。
「ああ、すげーな」
そう思った春樹も子どものように無邪気に頷いた。


要たちがセットした望遠鏡は3台あり、3,4メートル置きに等間隔に並んでいた。
暗闇に目が慣れたといえ、それだけ離れていると殆ど姿は見えない。声は辛うじて聞こえて
くるが何を話しているかまでは聞き取れない。
 春樹は要と一緒に一番隅の望遠鏡からM57を覗いていた。
「・・・これ、何?」
「こと座の環状星雲。M57っていうんだ。環状星雲ってわかる?」
「惑星状星雲みたいなもんか・・・?超新星なれなかった恒星が、ガス出してるってやつ?」
「うんうん。そう。よく知ってるね」
「へえ、やっぱりそうなんだ。写真で見たことあるけど、ホンモノは初めてだ・・・写真と同じだ」
要はやはり楽しそうにクスクスと笑う。
「進藤、ホントに星が好きになったんだね」
「まあ、なあ・・・お前ほどじゃないとは思うけどな」
春樹は望遠鏡から顔を離すと庭の芝生の上に座った。要が予め用意していたらしく、芝生の上
にはビニールシートが敷かれていた。
 要はそれを見て苦笑いを浮かべた。
「せっかく、観測会するっていうから外でもお酒飲めるようにビニールシート敷いたんだけどね」
「あの人たちは別に、酒が飲めればいい人たちばっかりだからさ」
「ま、来たくなったらそのうち、出てくるかな?」
要も春樹の隣に座って、天を仰いだ。
 あの日も、八ヶ岳はこんな星空だったんだろうか。ふと春樹は要と最後に会った日の夜を
思い出した。
 梅雨明けしたばかりの一学期最後の日。暑さの中で庭の片隅から見上げた夜空は、遥かに
貧相だったけれど、高揚した気持ちは今と同じだと思う。
 必死に探した白鳥座。それでも、春樹の家からは1等星のデネブしか見えなかった。見上げた
夜空は大きな羽を羽ばたかせた鳥の形が肉眼でもはっきりと見て取れる。
 天の川の上に大きな羽を広げて、ワシ座やこと座に負けないほど存在を主張しているようだ。
「これが、肉眼で見えるんだもんな・・・」
8年前の夜空は今見ている夜空と同じはずなのに、全く別の世界にでも来た様な気分だった。
 春樹が呆然としていると、要が春樹を振り向いて静かに訊ねた。
「ねえ、進藤。・・・ウチが燃えた時のこと、覚えてる?」
びっくりして隣の要を見る。要と目が合った。いきなり何を言い出すのかと思い、戸惑ったが、
考えてみれば、こんな場所だからこそ、語れる話なのかもしれない。
 要とは大学で再会してからいろんな話をしたが、どうしてもあの日のことだけは触れられなかった。
 今の要と自分の記憶の中の要を確実に繋げるあの日の要。聞きたいことはたくさんあったけれど
それを聞くのが怖かった。
 昔の要を知っている自分だからこそ、すっかり性格の変わってしまった要の変貌の原因が
あの日の出来事であるのではないかと思うと、簡単に聞けるものではなかった。
 自分の予想が及ばないほどの体験。失ったものの大きさ。春樹は大きなため息をついた。
「・・・覚えてる何も、忘れるわけない。俺はあの晩、ずっと、庭に隠れてお前待ってたんだぜ?」
「え?」
「お前、約束しただろ?一緒に星見に行くって。俺さ、母さんと弟達が一緒に風呂入ってる隙に
こっそり抜け出して庭の木の陰に隠れてスタンバってたわけよ。お前が来たらすぐに行けるようにって」
要は下唇を噛んで、悲しそうな顔をした。
「・・・僕も、行くつもりだったんだよ、本当に」
「だけど、お前はいつになっても来なかった。…それどころか、庭に隠れてたの母さんに
見つかっちまった。なんせ、消防車やら救急車の音で辺り、騒然としてたからな。顔上げたら
西の空がどんどん真っ赤に染まって、何が起きたのか、呆然としてたよ。まさか、それが
お前の家だなんて思いもよらなかったけど・・・」
「ごめん…」
「なんで、謝るんだよ」
「約束、守れなくて」
「…そんなのしょうがねーだろ。お前が破りたくて破った訳じゃないなら、俺は別に怒らねーよ。
それに、お前の方が、大変だっただろうし…」
 あの火事で要は母親と弟を失った。要自身も気を失って病院に運ばれた。春樹は一歩が踏み出せず
要の運ばれた病院に向かうことが出来なかった。
 やっとの想いでたどり着いたときには、もうすでに要はいなくなっていた。
「でも、僕は進藤と約束守れなかったの、ずっと後悔してた・・・。父さんに引き取られて松本に
来てからも、白鳥座を見上げるたびにずっと思い出してたんだ。進藤と約束果たせなかったなって。
だけどね、だんだん、年を追うごとに、進藤は僕が言った星のことなんてどうでもよくなって
るんじゃないか、とか、僕のことわすれちゃったんじゃないのか、なんてマイナス思考ばっかりに
なってた。僕だけの記憶の中で、僕だけの贖罪になってるんじゃないかってずっと思ってた」
「お前もあの約束、ずっと覚えてたのか?」
春樹は驚いて要を見る。覚えていてくれた嬉しさとくすぐったさで胸が熱くなる。
「忘れるわけないよ!・・・ずっと忘れられないで、辛かったんだから」
要が春樹から視線を外して、空を見上げる。春樹も同じようにした。これ以上顔をあせていたら
暗闇でも少し照れくさい。
「…でも、もう、いいだろ。成り行きだけど、こうやってお前俺に星見せてくれたし。
俺今、すげー感動してる。ちゃんと、見えるぜ?白鳥座。北の十字星」
要は小さな声で呟く。
「8年もかかっちゃったね」
8年。お互いの8年はどれだけ違ったものを見てきたんだろう。違う空を見上げ、別々の思いを
抱いて。それでも・・・。
「でもさ。『星の世界の8年』なんてたいしたこと無いんだろ?」
「光年のこと?時間じゃなくて、距離だけどね。光が1年に進む距離が1光年」
「8年前に光ったデネブはまだ、地球には届いてないだろ?だったら、大したことないんだよ、きっと。
奴等は果てしなくのんびりだから」
要がクスクスと笑った。
「時間がゆっくり進んでると錯角しちゃうよね。果てしなく遠いだけなのに。でも、デネブの光
にしてみたら、8年なんてどうってことないのかも」
膨大な時間の波に乗せられると、自分の人生は豆粒でしかない。それは虚しさや儚さを感じる
というよりも、自分の持ってる尺度がいかに適当で、自分の悩みがどれだけちっぽけなことで
あるかを、教えてくれるような気がする。
 心が凪のように静まっていく感覚だと思う。
「たった8年だって言われてるのかな、俺達」
「大抵の星は、位置とか見え方なんか8年くらいじゃ変わらないよね」
要がすっと手を伸ばして、1等星を指差した。
「わし座のアルタイルは16光年だから、僕たちが生まれて2歳の時に光った光がようやく
見えてるんだよ。意外と近いね」
あまりに要があっさり言うから、春樹は少し引いて、聞きなおす。
「近いのか」
「近いさ、人間が確認した最も遠い銀河なんて128億光年先にあるんだって」
「誰だよ、そんなの発見したのは」
「すばる」
すばる、そう言われて春樹は人の名前かと思って、名の知れた天文学者を思いだしてみる。だが
春樹の知る人にそのような名はない。
 そして、はっと顔を戻して要を見た。
「すばるって、あの、ハワイの?」
「そう。日本のすばる望遠鏡」
「どうやって、128億光年なんてわかるんだろうな」
春樹は128億光年の意味を実感出来ないでいる。気の長くなるほど遠い距離だと分かっていても
自分のモノサシを超えている。
 要は困った顔をして笑った。
「凡人には結果を聞いてうなずくしか出来ないね。それが正しいかどうかすら判定出来ない」
「言ったもん勝ちじゃん」
「それはそうかもしれないけどさ」
要にだって、128億光年先に銀河があるのかなんてわかりっこないし、それが正しいのかも
一生かかっても証明なんてできやしない。
 でも、そんなことはどうだっていい。今見えている星星は光っている場所も届く時間も全く
違うけれど、確かに春樹には見えている。ちゃんと、あの日の約束は果たされた。ここに、
満天の星空と要がいる。それが重要なのだ。
「でもさ、嘘じゃなかったな」
春樹は思い出し笑いでもしそうな勢いでしゃべった。
「え?」
「あったんだな、満天の星。お前、プラネタリウムで力説してたもんな」
「ホントにそんなとこまで覚えてるの?」
「そりゃ、あんな無口なお前が、あれだけ星に付いて熱く語ってたんだから、俺の中では
インパクトかなりでかかったんだぜ?」
要は拗ねたように口を尖らせた。
「だって、進藤、すごく不服そうだったから」
「見たこと無かったんだよ、星空なんて。興味なかったし、第一、夜、空を見上げたいなんて
思ったことなかったんだ。だから、いきなりあんな星空見させられて、これが夜空ですなんて
言われても、全然実感なかったし、所詮、偽物だって思ったら腹が立って仕方なかったんだよ」
隣から溜息が漏れる。
「進藤らしいね」
「そうか?」
「うん。…すごく、見せたかったんだ、進藤に。この星空」
その切実な思いはしっかりと春樹にも届いた。ありがとう、こんな夜空を見せてくれて。春樹は
心の中でそう呟く。
「怖いくらいにきれいだな」
「うん」
「寝転がってみると、もっとすごいよ」
要は既に横で寝そべっている。春樹も要に並んで寝転がって空を仰いだ。
視界には空と遠くにそびえる八ヶ岳。星の瞬きが自分に向かってくる様だった。
 春樹は息を呑む。自然の美しさに手も足も心も縛られている。
「…星が降ってくるみたいだ」
要の息遣いまで伝わってきそうな静かな空気が2人を包んでいた。


 <<7へ続く>>




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