なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 



 こうして話してみると、結構な体験だよねと、要は淡々と語った。
「意識が戻ると、僕は病院のベッドで寝てた。隣にね、父さんがいたんだ。父さんが母さんと
離婚して4年経ってたから、会うのも4年ぶり。父さん、僕の顔みて、よくがんばったな
って言ったんだ」
 その途端にぼろぼろと涙が零れた。何も頑張った事など一つもない。母を殺し、星夜を助け
られなかったのは自分の責任だと、要は思ったのだという。
「遺体の損傷が激しくてね、母さんと杉下さんは見ても分からない程だったらしいよ。星夜
は、眠ったまま苦しまずに逝ってくれたことだけが救いだった・・・」
春樹は口を押さえた。小学5年のあの夏の日に、春樹が庭で空を見上げていた時に、要は
こんなにも過酷な体験をしていたのだ。
「警察が来てね、色々と話を聞かれて、僕は見てきた殆どのことをしゃべらなかった。何で
だろうね・・・。母さん死んじゃったんだから、ホントのこと言ったって構わないのに。僕は
なぜか必死に母を庇うつもりで、『星を観察して、帰ってきたら家から煙が出てた』って
言った。だから中で何が起きていたのか知らないって」
 そうやって事実は封印された。あの火事がどうやって処理されたのか春樹にも詳しく知らない。
痴情のもつれだとか、心中とか、新聞でそういった言葉を見かけた記憶がないことから、
原因は不明のままなのかもしれない。ただ、町内の噂で、「要の家には通ってくる男がいて、
その男と要の母が大声で言い合いをしている」と囁かれていたことは事実で、そのことを考えると
あの火事が、心中あるいはそれに順ずるものだと言うことは、暗黙の了解だったのかもしれない。
「あれは、母さんと、僕が招いた事件だったんだ」
「・・・別にお前が悪いわけじゃないだろう。ただそこにいただけで」
「そこにいたから、責任があるんだ。僕はもっと早くに杉下さんのために救急車を呼ぶことも、
カーテンに水を掛けて消化することも出来たはずなのに、どちらもしなかったんだから」
しなかったのではなく、出来なかったのではないのか?母の狂気に当てられて。
 母・・・。狂気の中で、笑っていた母。燃えさかる火の粉の中で、男の首に身体を巻きつけながら、
自分の所有を確かめてうっとりと笑った女。
 春樹は背筋がぞくりとする。そうか、そういうことなのか。春樹は要の長い長い体験の後に
やっと繋がったと思った。
「フラッシュバック・・・」
「え?」
「お前の女がダメな原因」
「うん・・・。そう、なんだと、病院の先生に言われた。確かに吐き気を催した瞬間、彼女達は
『感じていた』んだ」
女の性的興奮が母の狂気と被るなんて、皮肉にも程があると、要は自嘲した。春樹は同調
することも、同情することも出来ずにいる。
 言葉に出来ずにいると、2人の間に沈黙が訪れた。さっきまで語られたことは、作り話でも
要の思い込みでもない。自分と同じ時間軸で生きてきた1人の少年の話なのだ。
 春樹は途方に暮れてしまいそうになる。横目で要を見ると、要は、天を仰ぎ、何かを考えている
様子だった。
 11歳の少年に、そんな過酷な運命を押し付けた母の身勝手さに腹を立てるわけでもなく、要は
自らの運命を苦しみながら、受け入れたのだと思うと、心が悲鳴を上げそうなほど痛んだ。
「・・・僕は、不幸なわけじゃない」
「あ?」
「同情されても嬉しくないとか、そう意味じゃなくてね、本当に不幸だとは思ってないよ」
「そうか・・・」
「うん。不幸じゃないよ、女を受け入れられなくても」
要は1拍間を置いてから、呟いた。
「だって、僕には進藤がいるから」
思わず流してしまいそうな程さらりとした言葉だった。
「ま、まあ、俺はお前の友達だし・・・」
「ううん、そうじゃなくて」
仰向けでしゃべっていた要は起き上がると、春樹を上から覗き込んだ。天へ通じる視界に
いきなりアップで現れた要に春樹はびっくりした。
「な、何だよ、いきなり」
「僕には、ずっと進藤がいた」
「あ?なんだよ、それ・・・」
要の表情がいつになく堅く強張っている。けれどその眼差しは真剣で、春樹を射竦めるほどだった。
「進藤、僕、進藤が好きだよ」
血流が凄い勢いで巡っていく。頭に血が上るとはこういう現象なのだろう。
「・・って、ええ?何言ってんの、お前・・」
「うん。進藤、今頭の中、パニック?」
「あったり前・・・」
要は追い討ちを掛けるように、最後通告のような言葉を吐いた。
「僕、進藤が、恋愛対象として好きだよ」
「ま、待てよ・・・要・・・」
裏切られたとまでは思わないが、仲良く並んで笑いあった時間が、嘘で固められた作り物のように
感じられる。自分と同じ距離感で要も立っているのだと、寸分も疑ったことなどなかった。
 そして、それはこれからも変わらないとも。
 喉がカラカラと渇いている。衝撃的な体験の最後の締めくくりがこんな告白だなんて、春樹は
想像だにしていなかったことだ。
 要は女が受け入れられないと告白したときから、既に自分に思いを告げることを決心していた
のだろうか?だから、くどいほど細かく、そして淡々と語ったのだろうか。
 春樹への告白のためにゆっくりと助走をつけて、その先に何が待ち受けているのか分からなくても
(もしかしたら、目を逸らしたくなる結果だと分かっていたとしても)要はダイブした。
 それでも、春樹には分からないことが多すぎる。思いが交錯して整理がつかない。ばたばたと
子どものように暴れてしまいたくなった。
 高校時代の物理の教師の口癖は「問題を読んで、解き方が全く分からなかったときは、まず
真っ先に、何が知りたい答えなのかを明確にしろ」だった。そして「文章題の中にある与えられた
条件つまりヒントを見落とすな」と口うるさく言ったものだ。「そうしたら、後は、使えそうな
公式を全部書き出せ。自分の覚えた公式を並べてみろ。それから、それに当てはまる数値を
問題文の中から見つけろ。どんなモンでもいい。答えに関係なさそうな式でもいいから書き並べろ。
何か使えるはずだ」というものだった。
 春樹はこの攻略法で円運動や交流電力の問題を落とさずに済んだ。それ以来、春樹は難問に
突き当たると、とりあえず自分が何を知りたいのかを考えることにしている。それは物理の
問題だけでなく、どんな場合にでも。
 そうすることで、自分のデタラメに進んでいる思考を統合することが出来ると、自分の
落ち着かせ方を春樹は知っていた。
 要は自分が好きだと言う。女が受け入れられないとも言った。だけど男が好きなわけではない。
この3つは繋がるようで実はなんの関連性もない。春樹は数段落ち着いた口調で要に問う。
「なんで、俺が好きなんだ?」
要が困ったように笑った。
「進藤、人の気持ちは公式には当てはまらないよ」
「・・・別に、俺はそんな堅物じゃないさ、ただ、わからない。お前と再会してまだ2ヶ月ちょっと
しか経ってないのに、そ、そんな、俺のことが好きとか・・・分からない」
「そうだよね・・・。ごめん。これでも凄く緊張してるんだ。友達だと思って信じて疑わない人間
相手に告白するって結構勇気いるんだね」
僅かに震える声に春樹は要の張り詰めた想いを汲む。
「ちゃんと、話せよ。理解できないかもしれないけど、お前の話、聞いてみるから」
進藤らしいね、と要は頷いた。要は春樹の視界から消えると再び隣に仰向けに寝転がった。
「僕、転校してからずっと、進藤が好きだったんだと思う」
「転校してから?」
妙な言い回しに春樹は問い直す。
「うん・・・。ちょっと屈折してると思う。子どもの頃、進藤と星の話してた時は、そういう感情
なかったから」
あの頃は純粋に友達だと思っていたと、要は言った。
「多分、憧れやあの時の後悔が大きくて、忘れられなかったのがきっかけなんだと思う。憧れ
だけなら小学校の時からあったよ。進藤に話しかけたとき、自分でもあんなに興奮するなんて
思わないくらいにね。友だちになりたい、もっといろいろ話したいっていう欲求はずっとあった」
「そうなのか?」
「僕、プラネタリウムで無茶苦茶緊張して、無茶苦茶興奮してたでしょ?」
要が鼻で笑ったのが分かった。興奮していたのは、何も星座の話をしたからではなかった。
「それなのに、あんな風に別れてしまって、後悔してた。だけど、離れたら、もう連絡取る
ことすら怖くて。きっと、僕のことなんて忘れてるって。無理矢理進藤のことは心に押し込めてさ。
進藤にとって、僕は人生の通過点の一点でしかないと、ガキの頃の友達なんて、皆そんなもの
なんだって、そう思い込んでた」
春樹は、要が姿を消して、要のことを忘れたことはなかった。いつも心の片隅で、「星の大好き
な少年」として、しっかりとそこにいた。
「高校の時、彼女とそういう関係になって、自分が女がダメって分かったとき、なんだか、
ストンって繋がっちゃったんだよね。女の子がダメなら男なのか?って。だけど、周りには
むさ苦しい高校生ばっかりで、好きになるはずもない。女の子もダメ、周りの男もダメって
なった時、『ああ、僕は進藤がいるじゃないか』って」
「お、お前、それ、暴走しすぎ・・・」
心の中に押し込めた春樹を要は神格化でもしたように、好きになったのだ。
「ホントにね。暴走しすぎてたよ。だけど、そのときはそう思ったんだ。僕は進藤が好き
だから別に不幸じゃないって。女の子、抱けなくても、進藤がいるから、それでいいって。
もう、大暴走だよね。自分でも馬鹿なこと考えたって思ったけど、そう思ったらどんどん想像が
膨らんだ。それで結局、僕は8年前から進藤が好きっだったていう過去を勝手に作り上げて
自分の女がダメだっていう事実を正当化しようとしたのかもしれない」
『春樹しか受け入れられない』と要は思い込んだのだろう。春樹にしてみれば随分と迷惑な
話だ。ただ、怒る気にはならない。そうやって、自分を立て直すのに必死で生きてきたのだから。
「だからさ、正直、半分は自分の想像が作り上げた進藤をずっと好きだった。・・・でも、
こうして、進藤に再会して、進藤と話して、あのころと全然変わらない進藤が、やっぱり
好きだって実感したんだ。それは紛れもなく本当の進藤を見て思ったことだよ」
好きだと思い込んでいた人間に出会って、好きなことを実感する。間違った予備知識で見た
映画は、間違った感想しか生まれない。
 春樹は要を傷つけるつもりはないが、その思いを受け止められないでいる。
 男を好きになるか女を好きになるかで、悩んだことなど春樹にはない。そんなのは悩むもの
ではない。当たり前に、処理されることだ。
 男を好きになるなどということは、考えたこともなかった。
「気持ち悪い?」
「・・・気持ち悪いかどうかは分からない。分からないけど、俺はお前の気持ちには答えることは
出来ないと思う。考えたことなかったから。でも、考えることができるかどうか、それも分からない。
だったら、お前に思わせぶりなことを言いたくない」
「・・・うん。返事が欲しいわけでも、進藤とどうかなりたいわけでもないから、大丈夫。勿論
受け入れてくれるならそんなに嬉しいことはないけど、そこまでおめでたくないから。僕にだって、
進藤の今の気持ちくらい分かるよ。僕も男が好きなわけじゃないから。無理しなくていいよ。
気持ち悪いって思ってるだろ。いいんだ、それで」
「気持ち悪くはない。ただ、お前とは・・・」
「ごめん。言うべきことじゃないんだろうね、ホントは。自分の中で処理して、終わらせて・・・。
でも、知ってほしかった。進藤と一緒にいる時間が増えるほど、僕は進藤にどんどん惹かれて
いくんだ。だから、聞かなかったことにしてほしくはない」
「ああ」
「こんな、告白された後で、友だちでいてくれたらいいと思うっていうのはずるいかな」
「…お前、それでいいのか?」
春樹の答えに、要がため息をつく。どこまでお人好しなのだと。
「違うよ、進藤がそれでもいいの?」
そういう目で見ている人間を隣に置いて友人だと言う。どちらの立場が残酷なのだろう。
「ごめん・・・」
「進藤が謝る必要なんてないよ。僕が勝手にこの関係を崩そうとしただけだから」
「お、俺は、お前の友達でいたいんだ・・・」
隣で要が小さく、ありがとうと呟いた。

空から降り注ぐ星屑よりももっと多くの感情が春樹に容赦なく、ぶつかって来る。光速で入ってきた
情報は自分の中で処理できずに、いつまでも燻っている。
 納得できる答えにはたどり着かない。ただ、要が隣にいてくれと、願うなら、それくらいは
自分にも叶えられると、春樹は思う。
 隣にいることで、傷つくことがあったとしても、春樹は要から逃げないでいようと、
八ヶ岳の満天の星に向かって誓ったのだった。


 <<10へ続く>>




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