なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 望 






 冬の星座が頭上を照らしている。11月の夜空は、今日も綺麗だった。
吐く息が白く、歩いていても身体の芯から冷えていく。信州の冬は早い。春樹は長野に
来て4度目の冬を迎えようとしていた。
「しし座流星群とはなんぞや」
その声は、恐ろしく通って、暗闇の中を一直線にやってくる。振り返るまもなく、その声が
再び彼らを呼んだ。
「進藤、望月、流星群だ。何なのだそれは」
大学の帰り道で、要と一緒にアパートに向かって歩いていた春樹は、思わず苦笑いを浮かべ
要を見た。
 相変わらずな口調と、相変わらずな発言で、春樹は振り返らなくても声の主が誰であるか
分かっている。
「また、どこでそんな話を拾ってきたの」
春樹の代わりに、隣を歩いていた要が振り返えって、その声に答えた。
「さっき、研究室を出るときに、流星群を見ろと教授に言われたのだ」
「ロマンチックな先生だね」
春樹は教授の顔を思い浮かべて、そんなロマンチックなことを言う人間じゃないと内心で
突っ込んだ。
「ふむ。パソコンは眼精疲労の元だから、遠くを見て目を休めろという意味らしいぞ」
「やっぱり」
思わず口に出た感想を、隣に並んだ男――板橋ワタルは軽く頷いて言った。
「卒論の真っ只中で、暢気に星を眺めろなんて言う教授がどこにいるのだ」
「うちの研究室の連中は、皆で見に行こうなんて言ってたよ、先生も含めて」
「要のトコは余裕だな」
「僕は別にプログラム組んでるわけじゃないからね。それに、進藤達みたいに深夜組じゃ
ないし」
卒論を書き始めてすっかり朝型になってしまった要は、春樹や板橋のように深夜遅くまで
パソコンに向かっていることが出来ない。卒論の追い込みが進めば進むほど、夜は眠くなる。
「あー、卒論がこんなに辛いもんなんて、去年は想像なんて出来なかったなー」
「出来てたら、めげてたでしょ」
「それもそうだけど」
要の言葉に納得して、春樹は夜空に向かってぐんと伸びをした。吐き出す息が白い。
「でも、ホントあっという間の4年間だったね。なんか淋しい気もする」
つられて要も空を見上げる。板橋は前を向いたまま、自分の吐く息の白さを見ていた。
「どうせ、お前達も院に行くんだろ。あと2年はある」
「そうだけどさ、就職するヤツもいるし、どんなヤツでも、今まで4年も一緒にいたヤツが
明日からいなくなるってなれば、やっぱり淋しいだろ」
気がつけば大学4年になって、そして卒論に追われ、もう11月だ。就職活動を免れた分
(と言っても2年後には巡ってくるのだけど)就職組よりも幾分楽だとは言え、卒論と言う
終わりの見えない膨大な作業に、春樹も要も些か疲れ始めている。
 何も出来ないまま学生生活が終わっていく、そんな錯覚すらした。
「あー、たまには羽伸ばして、遊びたいよな」
「たまには?お前達、結構遊んでるだろう。大祭も出てたんじゃないのか」
「板橋みたいに、1週間、部屋に引きこもっても平気なヤツにはわかんないだろうけど、
俺達は新鮮な空気を吸い続けないと、死んじゃうんだよ」
「そうか。それは不便な身体だな」
板橋は見当違いな返答をして、ふんふんと頷いた。
「で、しし座流星群とはなんぞ」
それから板橋は会話の流れを強引に修正する。要は夜空を見上げて、流星群が見える時間
そこにあるはずであるしし座の方角を指さした。
「しし座の辺りで見られる流星群だよ。いまはまだ地平線の向こう側だけど、しし座があの
辺りに来た頃、見えるんだ。あ、流星群っていうのはすごーく、平たく言うと大量の流れ星」
「今年は当たり年らしいからなー。明日辺りは見えるかもな」
春樹は再び空を見上げた。頭上には早くも冬の星座、オリオンの三ツ星がキラキラと光って
いる。その角度から10時頃を回っているのだろうと、春樹は思った。
「いきなり発生するのか、そんなものが」
「いきなり発生するっていうのは、学術的にはどうかと思うけど、感覚としては、そうだよ。
夜中にいきなり大量の星が降って来る」
そう言うと、板橋は「うほ」っと不思議な声を出した。
「板橋?」
「よし、進藤。明日はお前達の思い出作りに加担してやろう。羽でも鼻の下でも思う存分
伸ばすといい!」
「ええ?!」
「ちょっと、板橋・・・・・・」
呆気にとられる2人を置いて、板橋は一人ハイテンションで笑った。
「要、どうするよ・・・・・・」
2人目を合わせて、じっと考えてから苦笑い。
「まあいいんじゃない?息抜きしたいって思ってたのは事実だし。最近観測会にも顔出して
なかったしさ」
わざわざ見に行くつもりはなかったけれど、見られたらいいなと思っていたのは春樹も事実だ。
「こういう強引なヤツがいないと、羽も伸ばせないのか、俺達は」
「でもさ、中途半端にダラダラするより、遊ぶときは遊んだ方が効率いいかもよ」
「まあ、そうだな。・・・・・・で、どこで見るよ」
「そうだなあ。あんまり遠くには行きたくないし。天文台でも観測会やってるだろうけど、
山に行って見た方がゆっくり出来ていいよね」
「山か。いいなそれ」
降って来たサプライズに、途端にワクワクし始める春樹を要が楽しそうに微笑む。2人きり
じゃないから、ロマンチックを求めることは出来ないだろうけど、今の2人には、板橋と
3人で学生生活の思い出を作る方が、楽しい気がしたのだ。
 2人の会話を一歩前で聞いていた板橋は、振り返ると、
「よし。明日の夜、流星群とやらを拝みに行こう。じゃあな」
そう言って、勝手に2人をおいて歩いていってしまった。
「置いてかれたね」
「・・・・・・あいつ、絶対俺が同じアパートに住んでること忘れてると思う。何でここまで
一緒に歩いておいて、あと100メートルを先に帰るんだ」
いつものごとく、自分のしたいことだけをしていく板橋に、2人は慣れた気持ちで呟いた。
「それが板橋だからでしょ」
「あいつがいつか社会人になると思うと、怖くなるな」
春樹は板橋が消えていった方を見つめて軽く溜息を吐いていた。





 スキーシーズン前の飯綱高原は夜空を遮るナイターの明かりもなく、絶好の観測スポット
だった。春樹たちの住む長野市内からも車で3,40分と手ごろなこともあって、他にも
同じような車が何台も停まっている。
 既に初雪を観測した飯綱高原は、車から一歩降りるだけで、真冬の寒さだった。
「寒い」
「でも綺麗だよ、ほら、東の方にしし座もちゃんと見える」
要が指をさした方向には、獅子の心臓に見立てられる「レグルス」も尻尾の「デネボラ」も、
そしてしし座の象徴である「?」マークを裏返しにした「ししの大鎌」も綺麗に見えている。
しし座はもう東の空高くなり始め、流星群の時間まで、あと数十分だろうと要は板橋に告げた。
「2,30分はかかるんだろう。よしわかった。眠って待っている」
板橋は一度外に出たものの、直ぐに諦めてさっさと車の中に戻ってしまった。それから
長身の身体を丸めて後部座席に横たわると、春樹が防寒用に持ってきた毛布を顔の半分辺り
まで被って目を閉じてしまった。
 呆気にとられてみていると、ルームライトに照らされた板橋の身体が規則正しく上下して、
早くも眠りに落ちている様に見えた。春樹たちは、ルームライトがゆっくりと消えていく
車内を尻目に車の窓ガラスに並んでもたれかかり、東の空高いしし座を見上げた。
「あいつ、2秒で寝られるのか」
「今日のために、昨日寝ないで卒論用のプログラム書いてたって言ってたから、よっぽど
眠かったんだろうね」
「何しに来たんだよ、板橋は」
「まあいいじゃないの?おかげで、進藤と2人になれたし」
要はそう言うと冷たい手で春樹の手を握った。
「・・・・・・」
「案外、気を効かせてくれたのかもよ?」
「ばーか、板橋にそんな能力が備わってるわけ無いだろ」
春樹はその手を自分のダウンコートのポケットに突っ込むと、ポケットの中で握り返す。
 2人で寄り添って肩をくっつけ合うと、寒いのにそれだけで幸せだと思った。
「・・・・・・それに、板橋は知らないだろ」
「多分ね」
他人とどうも感覚の違う友人は、自分達の事をどれだけ理解しているのか、春樹も要も分か
らない。面と向かってカミングアウトしたことはないし、勿論する気も無いのだけれど、時々
板橋は、ゲイのカップルを実際に見たことがあるとか、それを見ても仲むつまじくていいんじゃ
ないかと思ったとか、気づいているような発言をして2人をどきまぎさせることがある。
 かといって、自分達を探るようなこともしなければ、相変わらず、出会った頃と同じ
スタンスで付き合い続けている、不思議な友人だ。
「でもさ、僕達は板橋のおかげで救われている部分もあるよね」
「そうかぁ?」
春樹が軽く否定すると、要はポケットの中の手をもぞもぞと動かして、春樹の掌をなぞった。
「思った以上にナーバスにならないで済んでる」
「ナーバスって・・・そんなに、なってたかぁ?」
板橋の気質のおかげと断言するのは悔しい気もするが、同性の恋愛に対して、春樹は昔よりも
ずっと柔軟になった気がする。
 曖昧な返事に、要は悪戯っぽく春樹を見下ろした。
「最初は、あんなに拒否しまくってたのに、こんな風になってくれるなんて、僕はびっくり
だけどね。でも、それを板橋のおかげって言うのは微妙かな」
「・・・・・・ばーか、板橋のおかげじゃねえよ」
要の指が春樹の掌を伝って、指先までつるりと触ると、春樹は小さく身体を揺らした。
 無言でその愛撫に答えるように、春樹も同じように要の指に自分のを絡める。身体の芯が
疼く感覚を思い出し、春樹は上目遣いで要を見上げた。
 つい3年前までは、自分の方が身長も高かったはずなのに、気がつけば要を見る視線が
変わってしまった。大学生になってもまだ伸び続けた身長は、漸く今年の春頃には落ち
着いたらしいけれど、隣でどんどん大きくなっていく要を春樹は照れくさい気持ちで見て
いた。
「5センチの身長差って一番キスしやすいらしいよ」
いつだったか要が言った台詞が現実になってしまった。要の身長が伸びるたび、要が自分を
包み込んでいく気がして、春樹はゆっくりと要に自分を委ねるようになった。
 それは依存ではないと思う。これが愛なのだと言えば、春樹は照れくさく否定しながらも
内心では認めにるに違いない。言葉にするのは相変わらず下手くそだけれど、春樹の気持ち
も身体も今はしっかりと要を見ている。
 掠れた声が耳元に近づいて、春樹は耳たぶに冷たい要の唇の感触を覚えた。
「んっ、くすぐったいって」
「進藤」
「うん・・・・・・」
名前を呼ばれて、一瞬車の中を振り返る。暗くてこちらからは板橋の顔は確認できなかった。
 それから、周りの人間が誰も自分達を見えてないことを確認して、漸く要を見上げる。
「どんだけなの、進藤は」
要が苦笑いしながら、もう片方の手で春樹の顔を引き寄せた。
 冷たいと思ったのは瞬間で、2,3度啄ばむようなキスの後で要はがぶりと春樹の唇を
食いついて、吸い上げた。
 ちゅっちゅと小さな音が暗闇に溶けていく。
「ん・・・かな、めっ」
春樹が口を開けた途端に、要の舌がするりと春樹の中に入った。
「はむっ」
要の舌は、春樹の舌の側面をなぞっていく。それだけでぞわっと体中の細胞が一気に色めき
立った。春樹も空いている方の手で要のダウンジャケットにしがみつくと、その舌に答える
様に要の舌に自分のものを絡めた。
「はっ、ふっ」
「んん・・・・・・」
息遣いが耳元に届いて、静かに消える。外気に触れている部分は凍るほど冷たいのに、唇
は熱を帯び、身体は疼いた。
 ポケットに突っ込んだ手はお互い硬く握りあっていた。
「・・・・・・」
「あっ・・・・・・」
「?!」
息の隙間で、要が声を上げた。春樹も唇を離す。
「何?」
「流星」
「もう?」
春樹もつられて要が見上げた方向を見た。
「・・・・・・そうみたい。うわあ、すごい」
「すげえ・・・・・・」
2,3個程、小さな星が流れた後、流星痕を残すような大きな流星が現れて、春樹たちは
思わず息を呑んだ。
どこからとなく、歓声や拍手が聞こえて、春樹たちの後ろでもゴトゴトと車が揺れた。
「なんだ、流星群はやってきたのか」
2人の後ろから板橋が毛布にぐるぐるに包まって身体を出す。
「起きたの?」
「丁度出始めたころだ。お前ホントにタイミングいいな」
「ほう」
板橋も空を仰いだ。
 3人無言で見つめる空に、また大きな流星が現れる。
「ほぉう」
板橋の奇声に近い声が響く。春樹たちも苦笑いしつつその姿に見蕩れた。
「降って来るんだね、本当に」
「昔の人が書いたあのイラストは、あながち嘘じゃなかったんだな」
「あ、また流星痕」
「今日は願い事叶うヤツいそうだな」
冗談ぽく春樹が言うと、板橋がそうかと思い出したように頷いた。
「願い事は一個の星に対して3回なのか?・・・・・・それは至難の業だな」
「チャンスはいくらでもあるよ。今日は天の神様も大盤振る舞いだから」
「でも、板橋、願い事なんてあるのかよ」
「まあな」
板橋に願い事なんて似合わないのが気になって、春樹は突っ込んだ。
「何願うんだ」
「自分の将来」
「ぶっ、お前が将来を流れ星に願って叶ったら、一大事件だぜ」
「よし。じゃあ、願い事が叶ったら、大事件として新聞屋にでも売っていいぞ」
相変わらずふざけたことを言いながら3人は次々と降って来る星を眺めた。



どれくらいそうしていたのだろう。身体はすっかり冷えていた。
「いつまでも続きそうだな・・・・・・」
降り続ける流星に春樹は時間を忘れかけている。
「僕達は宇宙の奇跡の中では無力だ」
要のお決まりの台詞が飛び出して、春樹はあれからずっとポケットに突っ込んだままの手
を迷いながらも再び硬く握った。
「誰もが無力だから、この奇跡を素直に感動できるのだろう」
珍しく板橋が正論を呟いた。板橋もまた、目の前に降って来る星に感動しているのだ。
 自分達は無力だけれど、この地球に生まれて、ここに立っている。この大天体ショーを
観望することを許されたたった一つの生命として。大切な人とこの奇跡を体験することが
できる唯一の存在として。
 ここに立たされている意味を、要の隣に自分が立っている意味を春樹はかみ締める。
 これから先も色褪せないだろう学生時代の思い出の中に、要と何故か板橋もいることを、
春樹は、小さくありがとうと天からの贈り物に向かって呟いていた。









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レス不要

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