なかったことにしてください  memo  work  clap
天が下、憂い濃ゆく―晴の際会―



――97年10月26日
 丘が晴くんに似てくる度、お母さんは顔をしかめる。
晴くんを初めて両親に会わせた時、晴くんは親知らずを抜いたばかりで、両頬がなすびみたいに
膨れ上がっていたの。しゃべる言葉は片言の日本語で、お母さんは本当にこの人と結婚するのかと
何度も聞いてきた。
 今思えば、最初の出会いから晴くんは失敗していたのね。
                                 ―弥生の日記より―


「どういうことか、私にも説明してくれるわよね?」
義母さんが俺と天を睨んでいる。
 普段はアツシが何たら戦隊サイバーマンの戦いで大暴れする時くらいしか使われない和室に、
義母さんと義父さん、俺と天と、それから、お前達はあっちで待ってろって言ったのに、絶対に
一緒にいると言って聞かなかった丘と、しょうがないからアツシと6人で、座卓に膝突き合せて
座っている。
 丘は酷く心配そうな顔をして義母さんの顔を見つめていた。ああ、ごめんな。父さんの不用意な
一言で、こんなことになってしまって・・・。
 天も余所行きの顔をして俺の隣に座っている。ここはどう切り出すべきか。・・・謝って済むなら
土下座でもなんでもするんだけど。
 義母さんには土下座も泣き落としも通用しないことを俺はこの十年近くの付き合いで痛いほど
知っているし、義母さんも俺がもうそんなことはしないって分かってるはずだ。
 過去、弥生を巡って、丘の名づけを巡って、アツシの教育を巡って・・・もう何度巡りめぐったか
分からないほど、俺と義母さんは戦って、そして、俺は全敗した。
 それでも、今まで上手く行ってたのはすべて「誰よりも強い弥生」が俺の味方だったからだ。
義母さんはなんだかんだいって、一人娘の弥生には甘かったし、弥生はこうと決めたら絶対に
貫く頑固者だったし、やっちゃんが俺の意見を尊重してくれなかったら、今頃アツシは私立の
幼稚園に通い、丘は「一博」になっていたし、そもそもやっちゃんと結婚すらできなかっただろう。
 情けないかな、俺はいつでもやっちゃんに守られてた。やっちゃんはホントにかっこよかった。
ああ、今、この場に、やっちゃんがいてくれたら・・・。

 やっちゃんがいたら、こんなことにはなってないか。

 もう、やっちゃんに頼ることはできない。今度は俺がこの子達を守らなくてはいけないのだ。
俺は覚悟を決めると、義母さんを見て、はっきりと言った。
「佳美ちゃんから、聞いてると思いますが、俺が彼と同棲しているのは本当です。俺は彼が好き
ですし、そういう意味で一緒に暮らしていると思ってくださって結構です」
「――!!」
義母さんは血管が切れるんじゃないかってくらい顔に血を上らせて、俺を睨み付けた。
「し、信じられない。晴さん、あなた正気なの?!」
「はい。もちろん本気です」
義母さんのひいとかふひいとか言う声にならない叫び声がする。人は怒ると声も出なくなるらしい。
「晴さん、あなたは、うちの娘を蔑ろにでもするつもり?」
「・・・どういう意味ですか」
「娘が死んだら、次の人は男の人なんて・・・」
「そういうわけじゃありません。勿論弥生のことは今でも大切に思ってますし、相手が男だったのは
ただの偶然です」
ここで負けるわけにはいかないんだ。ねじ伏せてでも納得して帰ってもらわなければ。俺も真っ直ぐに
義母さんを見下ろす。だけど、義母さんはまるで俺達を穢れ者でも扱うように見ている。
 ここまで露骨に嫌な顔をされるのは、分かっていても辛かった。でも、それは天と一緒に暮らすと
決めたときに一緒に飲み込んだ「覚悟」だ。それぐらい受け入れよう。天だってずっとそうしてきた
事だし。一緒なら乗り切れるよ、と言ってくれた一言を、俺は信じよう。
「あたなは?」
義母さんが天を軽蔑の眼差しで見る。天はその視線を当たり前のように受け、そして頭を下げた。
「井原天です。アツシの保育園の担任をしています」
「担任っ!!」
「はい。そうです」
「・・・あなたが、唆したの?晴さんを。そうなんでしょ!」
義母さんは机をタンタン叩いて、天を責める。あんなに叫んだら血管が切れるんじゃないかって
思うほど、義母さんは顔を真っ赤にしていた。
「まあまあ、和江。そんなに興奮するな、な?」
義父さんが宥めに入るが、義母さんはそれをぴしゃりといいつけた。
「お父さんは黙っててください」
こういうところ、弥生にそっくりだ。・・・いや、弥生がこれを受け継いだのか。義父さんはそう
言われて、結局それ以上は何も言えずに黙ったままになった。
 助け舟は期待できないらしい。
「大体、私はずっと思ってたのよ。あなたみたいな男が子ども2人抱えてきちんと生活できる
わけがないって。だから、弥生が死んだとき、私たちが引き取るって言ったのに。なのに、
あなたは、自分が面倒見るから一緒にいるからって頭下げるから、私は渋々それを承知したのに。
なのに、あなたときたら、この子達の教育に悪いことばかりやってるじゃないの!」
「教育に悪いって、俺が男と付き合うことがですか?確かにここで暮らすことは、丘には苦労掛けて
ることも多いです。でも、俺は何一つ教育に悪いことなんてしてないつもりです」
俺も興奮気味に義母さんに言った。丘は相変わらず不安そうに、俺と義母さんのやり取りを見ている。
大丈夫、心配ないと、俺は丘の頭をぐりぐりと撫ぜた。笑って見せると、丘は俯いてしまう。丘
なりに、不安なんだろう。丘はこうやって、俺と義母さんが言い合いになっているところを見た
ことがないのだ。大抵は言い負けて、やっちゃんが出てきて、やっちゃんと義母さんが喧嘩して、
そして、やっちゃんが勝利を収めていくのだけど。
「晴さん、よくお考えなさい」
「何をですか」
「あなたがその男と付き合うことです」
「それの何が悪いんですか」
「不潔です!」
気持ち悪いと、義母さんははっきりと言った。
「彼との関係を不潔というのはやめてください。俺達は真剣ですから」
「真剣なら、尚の事。冗談じゃありません。子ども達をこんな環境の下で暮らさせるわけには
いきませんよ」
それを義母さんに言われる筋合いはない、俺はそう思って、はっきりと言った。
「色々あったけど、俺達はやっと家族になれて、これからも4人でここで暮らしたいと思ってます。
丘もそれは分かってくれてるし」
 この生活を手放すつもりは俺にだって無い。机の下で、天の手を握ると、天も握り返してくれた。
大丈夫、俺達はやれる、そう言ってくれているようだった。
「あなた達が、ここでそうやって暮らすなら、どうぞ、ご自由に。その代わり、弥生とは一切
縁を切ってもらいますから」
義母さんの目つきが変わる。怒りに任せて俺に攻撃してきたのとは明らかに違うトーンで言った。
後で思えば、初めからそのつもりでここに来たんだろう。元々、義母さんは丘たちを引き取りたい
と言っていたのだし。
「どういう、ことですか?」
「弥生の位牌と、この子達はうちで引き取ります。それからアツシはすぐその保育園は辞めさせます」
「なっ・・・」
俺が驚いて顔を上げると同時に丘が義母さんに向かって叫んだ。
「ばあちゃん!オレやだよ、父さんと離れるなんて」
その声に驚いて、アツシが泣き出す。
「丘、よく考えなさい。こんな父親の元で暮らしたら、あなた達の将来はダメになってしまうのよ」
「どうダメになるっていうんだよ」
「ろくでもない人間にしかならないってことです」
ろくでもないって・・・。確かに俺は、良識人とは言えないことも多いけど、人として間違った道を
歩んでるとは思ってない。そして、それは丘だってそうだ。
 少なくとも今、この子達がろくでもない人間ではないことは確かなのに。
「義母さん、それだけは止めてください。俺達、ここで4人で暮らしたいんです」
お願いしますと俺は深く頭を下げたが、頭の上から降ってきた義母さんの言葉は無情なものだった。
「ともかく、その男と今すぐ別れなければ、この子達は連れて行きます。晴さん、お決めなさい」
握った拳の中で汗が湧き出ていた。俺に、天と子ども達を選べというのか。
 今まで考えたことも無かった。どちらを選ばなければいけないかなんて。
俺は隣を見た。天はすっかり物分りのいい大人の顔に戻っていた。いつでも、身を引く覚悟は
出来ていると、全身から俺に訴えかけている。
 そんなのは嫌だ。天と別れることなんて、考えたくもない。嫌いになったわけでもないのに。
だけど、その一方で、天と別れなければ子ども達を連れて行かれてしまう現実があって。
・・・
 浮かんでくるのは、やっちゃんが、毎日書き付けていた日記。
『晴くん、子ども達を幸せにしてね』
やっちゃんの最後の日記の言葉。
 俺には丘やアツシを幸せにしてやらなければいけない義務がある。
・・・だけど、幸せってなんなんだろう。
子ども達はここで暮らしていることが幸せなんだろうか。義母さんに引き取られて何不自由なく
暮らす方が子ども達は幸せなんじゃないのか?
 考えれば、義母さんの言う通りだ。俺みたいなめちゃくちゃな親の元で、子ども達がまともに育つ
はずがなくて。俺が子ども達を幸せにできるなんて、傲慢な考えなのかもしれない。
 そう考えた途端、躊躇った。
止めるべきなんだろうか、と。
俺みたいな息子にため息つかれるような父親の元で暮らすことは、子どもにとって幸せなんだろうか?
手放したくない、別れたくないと思うのは、彼らの幸せを願うことではなく、俺のエゴなんじゃないのか?
 分からない。こんな急性に答えを求められても、分かるはずの無いことだ。
天が机の下で俺を小突く。早くしろと、俺の言うべき言葉は決まっていると、天はそう訴えかけている。
でも、ダメだ。俺には何一つ答えは出せそうに無い。
「父さん!」
丘の悲鳴に、俺は思わず顔を逸らした。待ってくれ、答えをそんなに早く求めないでくれ。
 義母さんが立ち上がる。
「晴さんの考えはよくわかりました。あなたは、子ども達よりも、その男を選ぶというのですね。
丘、陸、あなた達は今日から土屋の家で暮らします。さっさと用意してらっしゃい」
「嫌だ!絶対嫌だ!」
「何を言ってるの、あなたのお父さんはあなたを捨てて、この男と暮らすと言ってるのよ」
「ち、違います、そうじゃないんです」
捨てるとか、そんな風には言わないで、義母さん。俺はただ・・・。
「何が違うのです?現に、その男と別れる気はないのでしょう?」
それは・・・。
 天が我慢の限界だといわんばかりに義母さんに言い放つ。
「わかりました。俺が身を引きます。だから、こいつらを連れて行くのはやめてください。俺、
出て行きますから」
「ええ、じゃあ、そうしてください。今すぐに」
「・・・はい。晴さん、お世話になりました」
天が俺に向かって頭を下げる。・・・天が出て行ってしまう。彼は本気だ。誰よりも「家族の意味」を
大切にしている天だからこそ、天は身を引こうとしているんだ。
 だけど・・・。
だけど、それじゃ、何の解決にもならない。天が出て行ったところで・・・いや、天が出て行くなんて
絶対にそれも嫌だ。
 立ち上がろうとする天の腕を俺は掴んだ。
「行くな」
「晴さん・・・」
義母さんのため息が聞こえる。
「そう、そういうことなのね、丘、よくわかったでしょう」
「父さん・・・」
「晴さんの意思はわかりました。行きますよ、丘、陸。荷物はあとで、この人に取りに来させますから
さあ、早く行きなさい」
 義母さんが丘を立ち上がらせる。俺は項垂れて、その姿を見ることは出来なかった。丘は抵抗すること
なく、立ち上がった。その時、丘がどんな顔してたかなんて、俺には全然わかっていなかった。
「ばあば、どこいくの?」
アツシの泣き腫らした声がする。
「ばあばの所よ」
「パパは?パパと天せんせいは?いっしょ?」
「・・・今日は、お兄ちゃんと2人よ。陸は大きいから、お父さんと離れてても怖くないでしょう」
「兄ちゃ、いっしょ?」
「・・・アツシ、こっち来いよ」
丘がアツシを抱き上げる。
 行ってしまう。そう分かってるのに、最後の一言が口に出せない。この子達の本当の幸せ。丘なんて
俺と暮らせば暮らすほど、どんどん負担をかけてる。アツシの面倒や、家の事だって、丘に世話に
なりっぱなしで・・・。
 ここに引き止めたいなんて、丘の幸せより、俺のためなんじゃないのか。
言えないよ。ここにいる方がお前達は幸せなんだ、なんて。
俯いていると、俺を通り越して、義母さんと義父さんが、そして、丘とアツシが出て行ってしまった。
最後は無言で。
 俺は、丘たちが玄関を出て、義父さんの車のエンジンがかかって、その音が聞こえなくなるまで、
ただ、その場で固まっていた。


「晴さん!!」
何度か呼ばれて、俺はやっと顔を上げた。見れば真剣に怒っている天の顔がある。
「何で止めなかったんですか!あれじゃ、丘がかわいそうだよ」
「・・・止めたいよ・・・止めたかったけど・・・」
俺に止める資格があるのか、分からなかったんだ・・・。
 そう言ったら、ぼたっと畳に水滴が落ちた。ばたばたとその上に何滴も落ちていく。自分に対して
ただ悔しいと俺は思う。
 止められないのは、俺が不甲斐ないから・・・。
「晴さん、あんた、全然分かってない」
天にそう言われて、思いっきり抱きしめられた。
「天・・・」
「馬鹿だよ、あんたは・・・」
俺は天に抱きつきながら、ただ、大粒の涙を流すことしか出来ずにいる。陰っていく気持ちをどうやって
立ち直らせればいいのか。
 前を向くにはあまりに辛くて、このまま天の腕の中で消えてしまいたくもなる。連れて行かれた
子ども達を、どうしていいのか、俺にはわからない。あいつ等の幸せ・・・。
 そう思って、ふと顔を上げると、天の肩越しに見える仏壇から、やっちゃんの写真がこっちを
向いていた。そこには位牌もまだあった。興奮して出て行った義母さんが持っていき忘れたのだろう。
 心臓がとくんと、鳴る。

『晴、大人なんだから、しっかりしなさい』

やっちゃんの口癖がどこからか聞こえてきたような気がした。




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【天野家ことわざ辞典】
天が下、憂い濃ゆく(あまがした、うれいこゆく)
憂いている人はどんどんと感染し、そしてその憂いがお互いを酷く傷つけていく様。






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