なかったことにしてください  memo  work  clap
天離る、生まれ落ちる―丘の慢性―



――03年6月06日
 陸が生まれて、入退院が増えた。
家でも寝ていることが多くなった。丘は大きなぴかぴかのランドセルに身体半分以上隠して
まるで、ランドセルが歩いているみたい。それでも毎日楽しそうに学校から帰ってくると、今日
あったことを話してくれる。
 できるなら、その笑顔がいつまでも蔭ることの無いよう・・・。
                                 ―弥生の日記より―


 じいちゃんの車の中で、オレはアツシの手を握ったまま、ずっと外の景色を眺めていた。家が
どんどんと遠くなっていく。
 もう、歩いては帰れない距離だった。だけど、たとえ帰ったところで、オレは歓迎されないん
だろう。父さんは、天を引き止めたのに、オレの事は引き止めてくれなかった。
 どんなことがっても、家族一緒にいようって、母さんが死んだときそう約束したのに、父さんは
オレよりも天の事を選んだんだ。
 そのことがショックで、オレは何も考えられず、じいちゃんの車に乗った。
ばあちゃんがしきりに何か言ってるけど、オレの耳には入ってこない。何も聞きたくないし、
考えたくもなかった。ただアツシの温かい体温がオレの気持ちを揺さぶって、車がカーブで
揺れるたび、涙が零れ落ちた。
 オレはそれを隠すのに、必死で外を眺めていたのだ。
父さんは天との2人の生活がしたかったの?オレたちのこと、邪魔になったの?オレ、2人の仲、
そんなにいっぱい邪魔してた?だから、嫌いになったのかな。
もう、このまま、バラバラになっちゃうの・・・?父さん・・・。


 学校は二日休んだ。ばあちゃんとは殆ど口を聞いてない。酷く怒っていたけど、しゃべる気には
ならなかったんだ。アツシも当然保育園は休まされて、オレと2人与えられた部屋でぼうっとしていた。
 火曜日の夜にばあちゃんが、このまま学校に通わないなら、そろそろ転校の手続きでもしなきゃ
いけないなんて言い出して、オレはそれだけは絶対に嫌だって言って、明日には学校行くと宣言
してしまい、今日は、朝からじいちゃんの車で登校する羽目になった。
「学校行く前に、家に寄って。ランドセルとか取りに行くから」
「・・・丘、大丈夫かい?」
じいちゃんは、ずっと心配してくれていた。ばあちゃんはちょっと苦手だけど、じいちゃんは優しくて
オレもアツシも大好きだ。だけど、ちょっと気が弱いっていうか、ばあちゃんの言うことには逆らえ
なくて、結局オレを送り迎えしたりすることになってるんだけど。
「じいちゃん・・・オレどうなっちゃうのかな」
「・・・晴君が、お父さんがきっと何とかしに来るよ。大丈夫、大丈夫」
じいちゃんは優しく言ってくれるけど、オレには信じられなかった。あの時の父さん、オレの顔を
見ようともしなかった。
 オレを引き止めるのが、そんなに嫌だったんだ。そう思ったらからオレは何も言わずに家を出た。
そんな父さんが今更何とかしてくれるなんて、思えなかった。

 家に着いたのは9時を少し過ぎていた。じいちゃんの車の時計が合ってればの話だけど。でもまあ
どっちにしても、学校は遅刻だろう。
「ちょっと、荷物とってくるから」
「ああ、行っておいで」
オレは車から降りると3日ぶりの家に帰ってきた。
 玄関を開ける。しんとした空気がまとわり付いてきた。
「誰もいない・・・」
 よく考えれば当たり前の事だ。父さんだって天だって、この時間仕事に出かけてるんだから。オレは
自分の部屋に戻って、ランドセルに必要なものを詰め込んで、ダッシュで階段を駆け下りる。
 こんな昼間の誰もいない家になんていたくなかったのだ。
 心臓がどくどくなって、苦しかった。はっきりと分かる、この感情は「恐怖」ってヤツだ。
目を閉じると、自分の周りがどんどん暗くなって、やがて自分の足場まで無くなっていくようだった。
オレはキッチンでコップに水を注いで、一気に飲んだ。
 呼吸は荒いままだった。押しつぶされそうになる気持ちに立っているのが精一杯だ。
この感覚は、あの時に凄く似ている。あの時っていうのは、母さんが最後に入院した日のこと。
二度と帰ってくることのなかった入院。学校が終わって急いで家に帰ったら、家には誰にもいなかった。
 家中母さんを探して、走り回った。だけどどこにもいなくて、オレは大泣きしたんだよね。
そしたら、そのうち父さんが帰ってきて、母さんが入院してること告げられて、また号泣。
だから、オレは昼間の1人の家っていうのが、怖い。全ての感覚がよくないことの前兆に繋がって
いるみたいだから。
 母さん・・・。どうして、オレ達を置いて行ってしまったんだよ。あの時、散々泣いて、頭が痛くなる
くらい泣いたのに、母さんの事を思うと未だに湿った気持ちになる。
 こんな、家族バラバラになってしまった今、それは特に堪えた。
飲み終えたコップを流しに置いて、オレはキッチンを後にする。家を出ようと思って、リビングに
放り投げたランドセルを持ちあげた時、ふと、仏壇が開いていることに気づいた。
 母さんの笑顔がオレを見ている。オレの足は自然とそっちに向かった。母さんの前に座って、手を
合わせる。どうして良いか分かんないよ、母さんに問いかけるけど、母さんは笑ったままで何も
教えてはくれなかった。
目に溜まった涙を手で拭いて、オレは立ち上がる。じいちゃん待ってるから行くね、そう告げて
オレは母さんから離れた。
 ランドセルを背負って、靴を履いて、今度こそこの家を出なくては。・・・いつか帰ってくることが
あるのかな。オレを受け入れてくれることはあるのかな。そんな風に思って、玄関の扉を開けた。
 いってきます、と心の中だけで唱えると、母さんの声が聞こえた気がした。勿論振り返っても
誰もいなかったけど。

『丘、陸をお願いね。お父さんをお願いね』

ああ、母さんは最期にそう言ったんだった・・・。


「あれ?雨宮じゃん」
「天野?」
オレは昼休みに図書室で雨宮を見つけると、声を掛けた。偶然見つけた振りをして。でも、実は
雨宮は昼休みになると、必ず図書室にいることを、オレは前から知っていて、追っかけてきたのだ。
 オレが近づくと雨宮は読んでいた本から顔を上げてびっくりしていた。オレが偶然でもここに
いることに、だ。普段のオレの行動から言えばびっくりされて当然なわけだけどさ。オレ図書室なんて
年に3回来ればいい方なのに。でもいい。その3回のうちの1回だ。オレはできるだけ不自然にならない
ように雨宮に話しかける。
「お前って図書室で本読んでる人なのかよ?」
「・・・昼休みはいつもいるけど」
・・・知ってる。お前がいつも昼休みになると、どこかにいなくなることに気づいて、後を追っかけた
事があったから。 オレとしては、こっそり女の子とかと会ってたっていうのだったら面白いのに
なんて思いながら追っかけて、図書室かよとがっかりしたっていうか、でもなんかほっとしたりして。
 雨宮の隣の席に座ると、雨宮は読んでいた本を閉じた。表紙には「日本の武将12―伊達正宗」と
書いてある。
「面白いの、それ」
「まあまあかな」
オレはそれが誰なのかよくわからなかったけど、雨宮は楽しそうに見えた。そして、オレが次の台詞
考えてる間に雨宮はさっさとオレに聞いていた。
「あのさ、天野ってどこかの坊ちゃんだったの?」
雨宮は今朝の登校の時のことを言ってるんだろう。家に帰って荷物とって、学校に着いたのは
2時間目の休み時間だった。
 校庭で遊んでいたタケのヒデキにじいちゃんに車で送ってもらった姿を思いっきり見られて、
「お前、お坊ちゃま〜」
「久しぶりに来たと思ったら、お金持ちになってんじゃん」
とからかわれたのだ。オレは慌てて否定する。ただ、車で送ってもらって何がお坊ちゃまだよ。だけど
あっという間にそのことはクラス中に広まってしまった。雨宮の耳にも入っていたんだな。
「ちがうって・・・ただ、ちょっと家で揉めてて・・・」
「・・・また?」
そう、また。雨宮の反応は面白かった。うんざりしているわけでもなく、ただお前の家はまた揉めて
いるのかと、驚いているからだ。
 そう言えば、オレはここんところ、何か大問題が起きると雨宮を頼ってばかりだ。よく飽きずに
オレに付き合ってくれてるよな。
 でも何故か、家の問題をタケやヒデキに言う気にはなれなかった。あいつ等だって、母さんが
死んだ時、一緒に泣いてくれたし、今だって悩みを言えば聞いてくれるだろう。だけど、あいつ等
には、そんな姿を見せたくはなかった。強がってるだけかもしれないけど、そういう自分の弱さを
さらけ出すことが出来なくなっていた。
 だったら、雨宮ならいいのかっていうと、それもどうかと思うんだよな。別に雨宮にべったり
頼りたいわけじゃない。だけど、一度オレの家の秘密を知った者として、頼りやすくなってるのは
確かなんだよな。最後まで責任取ってくれっていうわけじゃないけど、もう少しだけ、オレの悩み
相談担当でいてほしいっていうかさ。
「・・・ばあちゃん、母さんの方のばあちゃんに、父さんの天のこと、ばれたんだ」
雨宮はメガネの奥の目を丸くしながらオレを見る。
 オレってば、雨宮驚かすことにかけて、天才的かも。普段ぜったいこんな顔しないからな、コイツ。
「相変わらずヘヴィーな話だね」
「重すぎるよな・・・。しかも、父さんのノーテンキな一言でばれちゃって」
自業自得とはいえなさ過ぎなほど、大きな災いが降って来た。
 オレは雨宮に日曜日にあった出来事を話した。ばあちゃんが乗り込んできたこと、そして天と
別れなければ、オレ達を引き取るって言ったこと。そして、父さんがオレたちを止めてくれ
なかったこと・・・。
 月曜と火曜は不貞腐れて寝ていたことも。全部話した。話しているうちに段々と気持ちが塞ぎ
掛けてきて、最後には涙声になってしまう。
 オレ、雨宮の前で泣いてばっかりだ。かっこ悪いな・・・。
「じいちゃんの車で通うなんて、大変だし、時間かかるし。なんでこんなになっちゃったんだろう」
大人の勝手な都合で、オレは振り回されてばかりだ。だけど、オレには何にも言える権利もなくて。
子どもだからちゃんと大人の言うこと聞きなさい。昨日、ばあちゃんにいろいろ言われたけど、
覚えてるのはこれくらいだ。
 雨宮が読んでいた本をぺらぺら捲りながら言った。
「天野、そんなに辛いなら、また俺のうち来てもいいよ」
「雨宮・・・」
「俺の家からなら、天野の家だって帰れるだろうし」
雨宮のメガネの奥が曇っていて、その表情は見えないけど、雨宮は多分照れている。こうやって、
時々、雨宮はオレに優しい言葉を掛けてくれる。そんな時は絶対目を合わせてはくれないし、オレも
じっとは見つめない。
 雨宮と一緒にいるようになって数ヶ月。雨宮の性格がやっと分かってきた。その優しさが胸に
染みてくる。
 きっと、だから、オレは雨宮を頼ってしまうんだろうな。オレは雨宮の肩をぎゅっと抱いて、
ありがとうと、いいやつだなと、何度も言った。雨宮が友達でいてくれてホントによかった。
「ありがと。お前ってホントいいやつだな。・・・でも、家には帰れないよ」
雨宮はオレの肩に回した腕を外して振り向いた。
「なんで?」
「だって、父さん、オレの事捨てたんだもん」
「物騒なこというなよ」
オレはもう一度、あの時のことを詳しく語った。父さんがオレの顔を避けた時、オレはもう
いらないんだって分かったんだ。そう言ったら、雨宮は首を振った。
「・・・天野、それ違うんじゃないの?」
「え?」
「天野の父さんがお前を捨てて、その弟の先生を選んだっていうの・・・多分、違うと思う」
雨宮はオレに必死で救いの言葉を探してくれてるみたいだった。オレの方を見て、顔赤くして。
「俺、お前の家の事情なんてあんまりわかんないけど、でも、今まで天野達のこと、すっごく
大切にしてきたんだろ?朝ごはんだって毎日一緒に食べたりとか、日曜日一緒にバスケするとか・・・。
そういう親が簡単に子どもの事手放すっての、なんか違うと思うけど」
「だけど、ずっと我慢してたのかもしれないし・・・。オレ父さんと天の仲、邪魔してたし・・・」
「我慢してたなら、とっくに2人で家出てるんじゃないの、普通なら。多分、天野の父さんも悩んだ
んじゃないの?どっちも大切で、どっちも失いたくなかったから。それって簡単に答えの出る
もんじゃないだろ。お前だって、父さんと弟どっちか選べって言われたら困るだろ?」
確かにそうだけど、でも・・・。
「・・・父さんはオレの事嫌いになったんだ。意地悪ばっかりしたから。だから、オレが無理矢理
帰ってもきっと追い出されるだけだよ」
だから雨宮の家に行っても、そこから家に帰ることはできないんだ。
「じゃあ、天野はどうしたいの?」
「どうにもならないよ、オレがどんなに足掻いたって」
「そうじゃなくて、天野はどうしたいの?離れたままでいいの?帰りたいんじゃないのか?」
・・・どうしたいかなんて、オレにだってわかんないよ、もう・・・。オレが首を振ると雨宮がため息
を付いた。お手上げだって言いたいみたいだった。
 オレは雨宮に聞いてくれてありがとうと言って、席を立った。昼休みがあと2分で終わろうと
していた。


その日、家に帰ってきて、オレの気持ちは揺らいでいた。雨宮の言葉を信じていいのか分からない。
ただ、そうだったらどんなに救われるんだろうって思う。父さん、オレ達が大切で悩んだの?
ホントにオレ達のこといらないわけじゃないの?
 だけど、それを確かめる術はなくて、オレの気持ちは行ったり来たり。そんなぐるぐる回った
感情の中で、夕食なんて食べれるわけもなく、オレは出された夕食の殆どに手をつけていなかった。
 ばあちゃんが、大きなため息をついた。
「さっさと、食べなさい」
「・・・もう、今日はいらない」
「もういらないって、こんなにも残して!食べ物を粗末にするもんじゃありませんよ」
「・・・いらないんだ。明日にして。食べたくない」
オレは箸をおいた。ばあちゃんはそれを見て思いっきりいやみを言ってきた。
「まったく、晴さんはどういう躾をしてきたのかしら」
「父さんの悪口言うな」
 机を蹴り上げると、食器がガタンガタンと揺れた。ばあちゃんはそれを見て、オレの頬を打った。
「丘!」
「っ痛って・・・」
「・・・あなたは、どこまでも、晴さんの悪いところばかり似ていくのね」
「父さんに似て、どこが悪いんだよ!」
もう、あったま来た。父さんはそりゃ、ちょっとは変なとこあるけど、悪くなんてないんだ!
 ばあちゃんを睨みつけて、席を立つと、オレはそのまま、部屋に走って逃げた。
もう嫌だ。誰にも、会いたくない。1人にして。オレにも考える時間くれよ・・・。
真っ暗な部屋の中で布団を被り、じっとその場を動かずにいる。自分の呼吸だけが全ての音だった。
父さんも、ばあちゃんも、オレに何を求めてるんだろう。大人の気持ちがわからない。
 ただ、この家はひどく居心地の悪い場所だってことだけは、はっきりとしていた。
オレが怒って部屋に引っ込んでから暫くして、アツシも泣きながら部屋に入ってきた。今日は1人
きりでずっと淋しかったんだろう。オレが家を出るときもずっと泣いていた。泣きすぎて鼻の下
なんてバリバリになっている。真っ赤に腫れた目が痛々しかった。
「兄ちゃ、パパにあいたい」
「アツシ、泣くな」
泣いたって、どうしようもないんだから。父さんがオレ達を捨てたんだから・・・。そう思って我慢
してたのに、アツシがあまりにもわんわん泣くから、オレもアツシを抱きしめながら、涙が溢れて
きてしまった。
「オレだって・・・帰りたい・・・」
 言ってしまったら、感情が一気にあふれ出した。帰りたい。あの家に。
父さんに嫌われていたとしても、あの家はオレの家なんだよ。オレとアツシと父さんと母さんと
それから、天の・・・。


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【天野家ことわざ辞典】
天離る、生まれ落ちる(あまさかる、うまれおちる)
天にも見放されたような、生まれながらにして、不幸の星に生まれてきた子どもに対して
使われる。丘は本人は全く思っていないが、回りの人間によくそう思われているらしい。






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