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二階からタラシにつける薬―晴の事実―



先生、街中で偶然見かけた恋人の後を追うのは、やはり反則でなのですか?――35歳・会社員


 やっちゃんが体調を崩してから、残業の量は減った。減らしたというより、周りの同僚や
部下が、一々気を使ってくれて、俺もそれに甘んじた結果、普段なら8時前には帰路につけるように
なり、それが数年来ずっと続いている。
 ところが、その日に限って、客が電話先で態度を二転三転させるものだから、俺達はそれに
振り回されて結局会社を出れたのは10時を軽く過ぎていた。
「あー、疲れた」
「天野はこんなに残業するの久しぶりだろ?」
同僚の二階堂も俺と並びながら伸びをする。隣の部署の二階堂とは同期の中でもそこそこ仲が
いい。俺たちは会社を出てから、駅まで2人で歩いた。二階堂は駅の裏通りにある飲み屋で
これから飲みに行くのだそうだ。俺は駅のバスターミナルからバスに乗って帰る。随分と生活
が違うもんだな。
「この時間まで残業してる他のメンバーにホント感謝だよ」
「まあ、役職付いてるやつなんか、さっさと帰ったほうがいいんだよ。上司元気で留守がいい」
「なんだ、そりゃ」
「お前のところは優秀な部下が多いってこと」
「俺がまるで優秀じゃないってことみたいじゃないか」
まあ、ホントのことだけど。
 二階堂はフォローもせずに鼻で笑った。二階堂は同期でいち早く出世したいわば俺たちの中で
期待のホープだった。がクソ食らえな上司に嫌われたおかげで、未だに俺と同じ役職のままだ。
 だからというわけではないけれど、二階堂は俺の亀のようなのろい出世野郎に追いつかれるのが
ちょっと癪に障っているんじゃないかと俺は思う。
 実際、能力を考えたら、俺と二階堂が同じ役職っていうのもひどい話だけれど。俺の部下はちょっと
可哀想だと思ってしまう。
 ごめんな、こんなダメ上司で・・・。
「まあ、明日は休みだし、家帰ってゆっくり休めよ」
「そうする。子どもたちも待ってるし」
「・・・」
俺がそういうと、二階堂が引きつった笑いを浮かべた。
「何?」
「お前、その顔でホントに子どもいるんだよな」
「どういう意味だよ」
「まんま」
そう言って、二階堂はじゃあなと手を振って、繁華街の方に消えていった。独身35歳。目下飲み屋の
姉ちゃんと恋愛中・・・とかいう噂。ホントの所は分からないけれど、モテるくせに、会社の独身女の
誘いをバシバシ断っているので、そんな噂が立ってたりする。

 俺は二階堂を見送っていた。どんどんと小さくなる二階堂の背中と、そこに現れた若いカップル。
初めは何の気無しにそれを見ていたが、ふと捻りを効かせたあの髪型に目がとまって、思わず凝視。
(・・・どうみても、あれ、天だよな?)
俺はすっかり、視線を二階堂からそのカップルに移して目で追っていた。
 女の方はひどく酔っぱらっているようで、しきりに男にまとわりついている。ふらふら歩く女を
男は介抱しながら、駅の方へ歩こうとしているが、女は路地の方に引っ張り込もうとしていた。
 俺の記憶が間違っていなければ、女が連れて行こうとしている方向は、ホテル街だ。
「何やってんだ、天・・・」
本当に、天なのか。天なら、何であんなところで、酔っぱらった女に絡まれているのか。確か今日は
「保育士の連中と飲み会です」
なんて言ってたからここにいてもおかしくはない。
 俺は急激に不安になって、カップルに近づいていった。

「ちょっと、もう、帰えるよ!先生、飲み過ぎです」
「いいじゃないの〜、もうちょっと、付き合いなさいよ〜」
「よくないだろ、先生べろべろだぜ?、迎え呼ぶから帰るぞ?」
路地裏に吸い込まれていった2人を追うと、やはり男の方は天だった。俺は後ろから声を掛けようか
迷った挙げ句、2人の動向が気になって、そのまま物陰に隠れた。
 探偵のする尾行ってこんなもんなのかな。
相手の女は同じたんぽぽ保育園の先生だった。俺も顔を見たことがある。天よりも更に2つか3つ
ほど若くて可愛い女性の先生だった。
「いや〜、今日は帰らない〜」
「帰りなさいよ。心配する人がいるでしょ」
「いないもん、天先生が心配してよ〜」
天は大きくため息をついて、回りを見渡してる。どうするつもりなんだろう。あんなにきれいな人に
誘われて、しかもホテルの前まで連れてかれて断る男なんてまずいない。
 路上で、帰る帰らないの押し問答をしているが、じわじわとホテルの入り口が近づいている。
 俺は知らず知らず拳を握りしめていた。手の中に汗が浮かび上がる。
(どうするつもりなんだ・・・)
鼓動が大きくなり、見てられなくなった。夫の浮気現場を目撃する妻の気持ち。ああ、これか、と
妙に納得して、震える身体を抱きしめる。
(入るな、帰ってこい!)
「ね〜、先生〜、あたし、帰れない〜」
そして、ついに、女の強引な誘惑で、2人はホテルへ消えてしまった。
(・・・!!)
たーかーしー!お前はーーーっ!!!
 一瞬、乗り込もうと本気で思って、3歩駆け出して、はたと足を止めた。
 相手が、俺だもんな。
なんだかんだ言っても、天だって男だし、若くてきれいな女と、35のオヤジだったら、当然
どっちを選ぶかなんて決まってるよな。
 そう思ったら急激に気持ちが沈んで、俺は元来た道を引き返した。見なきゃよかった。後なんて
追わなければよかった。
 付き合い初めて1年とちょっと。3年目の浮気にはまだ早いぜ?天。だけど、1年で浮気されるって
ことは、俺の魅力もそれくらいってモノなんだよな。
 俺はショックを引きずったまま、バスに乗り込み、家に帰った。

 だから、ショックのまま、気が動転していたのか、家に明かりがついていなかったことも、そこに
息子2人の姿が見えなかったことも、全く気づかなかったのだ。
 寝室に入ると、着替えることもなく、ベッドになだれ込んだ。
 別れてやった方がひょっとしたら、天の為なのかもしれない。あいつ若いし、こんなオヤジに
捕まってたら、可哀想だ。
 薬指に二重にはめた指輪を眺めて、俺は決心した。
(よし、浮気を逆ギレされたら、別れよう)



 「ただいまー」
耳元で天の声がする。酒臭さで、目が覚めた。
「・・・お帰り」
俺は顔も上げずに枕に向かって呟いた。
「あー、参ったよ。酔っぱらい相手してたら、すっかり遅くなっちゃって。部屋の明かり全部
消えてるから、どうしたかと思ったけど、みんな寝てたんだね」
「・・・」
「ん?・・・晴さんどうかした?」
「・・・」
「眠い?体調悪い?あれ?着替えてないじゃん。どーしたの?」
あまりにも脳天気にしゃべるから、俺は思わずむかついて起きあがってまくし立てた。
「きれいな酔っぱらいに絡まれたら、天はホテルでも、どこにでもついていくんだな」
「え・・・?」
天の表情が曇る。
「見てた、の?」
「ああ、もう、この目でばっちり、しっかりとな。天が女に絡まれて、ホテルに連れ込まれる
ところまで、ちゃんと見てたよ」
切れて言うつもりは無かったのだけれど、思わず口調が強くなった。ところが肝心の天は
悪びれることなく、さらりと言ってのけた。
「なんだよ、見てたなら、声掛けてくれればよかったのに」
「は?なんて?ホテルの前でその気になってる女に向かって、俺の恋人になんか用ですかって?」
「そうじゃないでしょ。助けてくれたってよかったのに。もうあの後だって、散々だったんだから」
「何、浮気しといて、その言いぐさ」
「ちょ、ちょっと待てよ。浮気って何」
「浮気だろ!お前、女とホテルなんて入ってさ」
あー、もう、頭来た。こいつそう言えば、昔の恋人に、浮気しすぎて振られたことあるって言ってたな。
やっぱり、そういう性格なんだ、こいつは。
 そう思ったら腹が立って仕方なかった。天にも、そんな男に惹かれた自分にも。逆ギレされる前
に俺は切れた。もう無理、もう別れる。
俺は天を睨み付けると、ベッドから立ち上がった。
「出てってくれ」
「はあ?何それ」
「もう、お前とは無理」
「ちょ、ちょっと待ってよ。浮気って、確かにホテルに連れ込まれたけど、すぐに出てきた
だろ?」
「・・・知らない」
「出てきたの!すぐに!」
天の口調も段々とヒートアップしてきている。穏やかな「ただいま」や、余裕をみせていた
「声掛けてくれればよかったのに」なんて言っていたときの口調は吹っ飛んでいた。
 天も俺を真正面に捕らえて、真剣にはむかってくる。普段、絶対しない顔つきに、俺は、返って
「浮気を必死に隠そうとしている男の姿」を連想してしまう。すれ違う心はどこまでも、なのだ。
「出てきたのがすぐかどうかなんて、関係ない。連れ込まれたのは、天にも、まんざらじゃないっ
て気持ちがあったからだろ?」
直ぐに出てきたのは本当かもしれないけど、でも入ったのも事実だ。俺はその瀬戸際で断れなかった
天の方がやっぱり悪いと思う。
「そんな気持ちがあったら、直ぐになんて出てこないよ!」
「そんなのいくらでも口実なんて作れる!」
「はあ?じゃあ、言うけど、あの後そのまま、連れ込んでセックスしてたら、こんな時間に帰って
来られるはずないでしょ」
時計を見ると、俺が帰ってきてから30分も経っていなかった。確かに帰ってくるには早い。
「俺のセックスがどれだけ、ハードでドロドロなのか一番知ってるのは晴さんだろ?30分で
出てこられるわけないだろ」
「止めろっ・・・そんなこと言うな」
こんなときに、そんな話、聞きたくない。俺は自分と天のセックスよりも、天とあの女の先生の
セックスが頭の中に浮かんで、必死で頭を振った。
 最悪だ。
「それに」
そう言って、俺は天に両腕をがしっと掴まれて壁際に追いやられた。ブラウンがかった瞳が明らかに
怒りを帯びていた。
 瞳孔が開きかけた目で真剣に訴えられる。
「大体、あんた、勘違いしてるようだけど、俺ゲイなの。しかも真性の。わかる?女には全く
興味ないの」
「だけど、誘われたら付いてくだろ」
「確かに引き込まれたけど、すぐに出てきたし、タクシー乗っけて帰らせたってーの。あんたが
他の男の裸見て興奮しないように、俺だって、女の裸見たってチンコ勃たねえってーの!」
 ・・・そんなのは、分かってる。分かってた。・・・いや、こうやって喧嘩しながら、気づいた。
天と俺では、根本的なところで違うんだ。天が女にあんなに無防備なのは、女に対して、何の
魅力も感じてないからなのだろう。
それだけ真剣になるんだから、天が何にもなかったって言うなら、きっと何にもなかったのだろう。
だけど、それならそうで、他に言うべきことがあるだろう?
 けして、催促して搾り出すものではなく。
だけど、天はそれを口にする気はないらしく、勘違いで俺に捲くし立てられたことに腹を立てていた。
「お前がその気じゃなくても、その現場をみて、俺は傷ついたし、俺はそれを浮気だと思った。
それは、事実なんだ。お前の気持ちの問題じゃなくて。・・・ごめん、お前のこと、ちょっと考えさせて」
「晴さん!?」
「いいよ、俺が出てく」
「ちょっと待てよ」
天の俺の腕を掴む力が強くなるけれど、俺はそれを振りほどいて、寝室を出た。
「一人にしてくれ」
その言葉に天の動きが止まる。小さく俺を呼ぶ声が聞こえたが、振り返りはしなかった。
 玄関を出ると涙が溢れて、こんなのはやっちゃんが死んだとき以来だと思った。あの時ほど、
号泣したことはないけれど、今ほど悔しいことはない。やっちゃんの病気は不可抗力だったけど
天の浮気は、俺の不甲斐なさにあるんじゃないか?
 そう思ったら、悔しくて、そして天にも腹立たしくて。
「惨めな独占欲だ」
俺はあてもなく夜の街を歩いた。


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【天野家ことわざ辞典】
二階からタラシにつける薬(にかいからタラシにつけるくすり)
浮気をするようなタラシにつける薬は効力がとても強いので、2階のように遠いところから投薬
しなければ、それこそ壊滅的な悲惨な結果になる。






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