なかったことにしてください  memo work  clap
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「そんなこともあったな」
「満はあの頃から、策士だったよね」
「っていうか、俺が犠牲になることばっかりだったんだけど・・・」
「人見てるんだよ」
「アイツ、慎吾なら何やっても許されると思ってるからな」
4人は笑いながらスタンドに向かう。階段を登りながら、出口の先の光はどこに繋がっているんだろうと
皆思った。トンネルの先は5年前の共有した時代ならいいのにとも思う。
 先を歩く慎吾や悠が逆光でシルエットの周りが強く輝いていく。一歩一歩登る毎に、その輝きが
どんどん強くなって、やがてその姿は光と同化して、翔は階段を登りきった。
 太陽の強い日差しの下で少年達は懐かしいバットの響きを聞く。土ぼこりのむせるような匂い。ミットに
収まるボールの心地よい音、グラウンドに掛け声がこだまする。
 誰ともなく4人はため息を漏らした。
懐かしさと心苦しさで、翔はここに足を運んだことを早速後悔していた。こんな気持ちで、悠たちに付き合う
のも申し訳ない気がしている。
 野球なんて知らなければよかった。この思いにどんな決着があるのだろう。自分は何に対し怒り、憎しみ
そして失望しているのか。それでも、押し込めた野球への憧れは未だ消えることはなかった。
 それだけははっきりと分かった。
「きっと、勝つよね」
悠が呟く。
「勿論。勝つ試合を見に来たんだから」
そう言って慎吾が応援席に座る。続々と観客がスタンドに集まりだし、一塁側も三塁側もあっという間に
座席は応援団で埋め尽くされた。
 翔は悠の隣に無言で座った。あの日、野球部の誘いを断らなければ、自分はあそこに立っていたのだろうか。
円陣を組んでいるあの中で、汗水たらしながらかっこ悪いくらい熱いセイシュンとやらを謳歌していた
のだろうか。
(・・・冗談じゃない。誰が今更。俺は、リョウがどうなろうと、もう二度とリョウとは野球なんて
しない。そう決めたじゃないか)
 自分が亮太の隣に並んでも平気なくらい才能がなければよかった。そうしたら、今でもあそこで
亮太に全面的に信頼を置いて心置きなく試合をしていただろう。
 自分に備わった中途半端としか言いようのない才能が全ての邪魔をする。亮太の輝かしい未来を
演出するためだけにいるような存在。翔は自分をそう評価する。
 悔しくて堪らないが、亮太の才能を一番知る自分がそう思うのだから、揺らぎ無いことなのだ。
少なくとも翔の中では。


「翔?」
隣で悠が心配そうな顔で覗いている。
「え?あ、何?」
「何っていうか、試合、始まってるよ」
そういわれてふと顔を上げると、さっきまでグラウンドの隅でキャッチボールしていたはずの光景は
どこにも無かった。
 丁度小田南のバッターがフライを打ち上げたところだった。そんな腕の振り方したら打球が伸びない
だろう、もったいないな。
翔はバッターを批評した後でスコアボードを見てびっくりした。試合は3回の表まで進んでいたのだ。
随分と長く考え事をしていたらしい。思考の袋小路は日増しに大きくなっているようだった。
「・・・ちゃんと見てる?」
「ああ、まあな」
「もー、翔、ちゃんと応援しないと亮太打てないよ」
「あー?」
「・・・今のフライ、亮太だよ」
慎吾が指を刺す。翔は驚いてベンチに帰っていく選手を見下ろす。その背中はまさに亮太だった。
(なんで、リョウがバッターボックスにいたとき、気づかなかったんだろう・・・)
微かな違和感は次の亮太の打席で明らかになった。

 拮抗した試合展開になった。7回表まで進んで0対0の同点。白熱した投手対決といってもよかった。
ただ、それは小田南の戦略とは大きくかけ離れたもので、当然、観客が期待している試合展開ではなかった。
 地道に丁寧にコーナーを突くピッチャー。小田南の投手はけして下手なわけではない。それどころか
全国大会に出ても引け目のない選手だ。だが、久瀬亮太という大物スラッガーを前にして、その
存在は霞んでいる。投手本人にしてみれば、注目されないだけ気が楽なのかもしれないが、試合を
している以上、責任は重要である。そのピッチャーがこうやって懸命に投げているのだから、それを
応援するのが筋なのだろう。だが、観客は、久瀬亮太の試合を見に来たのだ。久瀬亮太というスラッガーが
スタンドにたたき出すホームランを、期待しているのだ。
 ワンアウトで打席に亮太が座った。ピッチャーがキャッチャーのサインを読んで頷く。ゆっくりと振りかぶって
インコースぎりぎりにボールは綺麗に決まった。
 審判のストライクという声に反応して亮太はミットに収まったボールを見た。距離感は間違ってはいない、
そう思うのだが、手を出すことが出来なかった。
「ねえ、慎吾?」
「あ?」
「亮太・・・なんか調子悪いのかなあ?」
「うん、なんだかあんまり打ててないなー。翔、亮太ってもっと打つよね?」
「あ?ああ・・・。たまたま調子が悪いんじゃねえの?」
翔はそういったが、実際のところ、翔の見る限り亮太の調子は最悪に近かった。腕の振り方、腰の回し具合
それら全てのバランスが亮太らしくない。初めは偶然かと思ったが、そうではないらしい。スイングを
改良しているわけでもなさそうなのに、このバランスの崩れ方は一体なんなのだ。
 亮太を見間違ったのは、この崩れ方のせいだった。
 翔は初めて見る亮太の姿に愕然とした。
(リョウ、いつから、こんなスイングしてる)
翔はバッターボックスに立つ亮太を見下ろす。構える姿もぎこちなかった。
(よく、こんなので勝ってきたな。リョウ以外がすごいチームだってことなのか・・・?)
地方予選の準決勝まで、小田南は順当に勝ちあがったと報じられている。が、実際の内容は辛勝と言ったほうが
的確だった。翔の考えているほど、飛びぬけてチーム力があるわけでもない。ただ、日ごろの適切な
練習と、丁寧なピッチングをするピッチャーのおかげである。
 結果、準決勝までの平均得点は秋季大会の平均得点よりも2点も少ない。
 それは、全て亮太の不振のせいだった。亮太は地方予選が始まって以来、いや、正確に言えば
あの日、翔に『俺の人生からお前の全てを消し去りたい』と言われて以来、打てなくなっていたのだ。
 人生初の大スランプだった。翔に自分を全否定されること、それは亮太に重く圧し掛かっていた。
その意味がどういうことなのか、亮太にははっきり分かっていた。自分と翔が離れていくことへの
不安。翔が自分の存在を苦痛に感じていることも、自分の気持ちにも気づいている。そんなことで
揺さぶられるわけにはいかない。そうは思ってもバットには自分の動揺が表れてしまった。
それでも、亮太は4番に立ち、辛うじて2割をキープしていたが、ホームランは未だに1本もなかった。
不安そうに悠が翔を見る。
「翔、亮太とけんかでもしてるの?」
「は?なんで?」
「なんとなく。小学校のころ、翔と亮太が一緒にいないと、どっちもなんか不安定な感じだったから・・・」
「あー、分かる。風邪とかで翔が学校休むと、亮太、めちゃめちゃ元気なかったもんな」
慎吾が隣で突っ込んでくる。さらにその奥で康弘も頷いていた。
「今更ガキじゃあるまい、んなことあるかよ」
「そう?じゃあ、亮太、なんでこんなに調子が悪いんだろう・・・」
「さあな・・・」
(まさか、な・・・)
翔は秋季大会での亮太の姿を思い出す。お手本と称されるような綺麗なスイングで軽々とレフト線への
当たりを連発していた。
 秋季大会からは半年以上経っている。その間に何が起こったというのだ。翔はにわかに信じがたかった。
自分のたった一言が亮太のバッティングを左右するほどの威力を持っているとは夢にも思っていなかった
からだ。
「亮太、『熱中甲子園』で地方大会が始まってから、ずっと低迷してるって言われてた。練習風景
なんか、結構取材されてて、この夏一番の注目株だって言われてたのに。試合が始まった途端
快音が聞こえなくなったって」
康弘が翔を見る。
「小田南の一回戦っていつだったか覚えてるか?」
「翔・・・?小田南はシードだから、二回戦からだけど・・・うーんいつだったかな。2週間くらい前・・・?
慎吾、覚えてるか?」
「あー、うん。えーっとねえ、俺、試合の前の日、亮太に会ったんだ」
「どこで?」
「駅前の自転車屋の前。自転車パンクして直してもらってたのを引き取りに行くところを、俺が見つけて
声かけたんだ」
翔の頬がぴくっと引きつる。
「すげー久しぶりだったから、俺も亮太も驚いてさー。ちょっと話したら次の日から予選大会だって
言うから、試合見に行くよって言ったんだ。あの時、調子最高だって言ってたのになあ。ホームラン
5本は打ちたいとか言ってたのに。・・・でも、あの時、亮太やけに疲れた顔してたけど、練習、
きつかったのかな」
目を閉じると、怒りに震えて店を出て行く亮太が映る。慎吾が出会ったのはその後のことだろう。
(嘘だろ・・・)
 亮太がスイングする。バットに当たったボールはセカンドの頭上を越えた。亮太が走り出す。小田南の
スタンドが一気に大歓声で埋め尽くされた。
(リョウ、俺と喧嘩したから、なんて言うなよ、そんな馬鹿なこと)
いつもの亮太ならホームラン級の当たりだった。亮太は今セカンドベースに留まっている。
(俺のせいなんて、絶対に言うなよ)
翔は拳を握り締め、亮太を見つめる。その視線に亮太は気づかない。真剣に次の打者を見ている。
試合に集中したまま、自分の浮上のチャンスをうかがっているとでもいうのか。
 根本的な解決を、翔も、そして亮太も見出せないまま、ただ時間だけが流れていく。
 隣で祈るように応援する悠を見て、翔は、絶望という淵を探して、濁流で溺れかけている自分を思った。


<<7へ続く>>



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