なかったことにしてください  memo work  clap
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満は机の中からカードキーのようなものを取り出して、部屋を出た。
 翔もその後を追う。廊下に出て、歩き出すと、満が立ち止まった。
「あ、忘れた」
「何を?」
「・・・ちょっとここで待ってろ」
そういうと満は部屋に戻っていく。翔はその後姿を見ながら、かっこいい男なんだろうな、と思う。
 彼女とか、いるのだろうか。満に人並みの「好き」とか「愛してる」なんていう感情がある
のか疑問だけど。でも、そういうことで悩んでいることもあるのだろうか、そう思うと、翔は
可笑しく思った。誰かに胸焦がすような思いの満?ありえない。翔は自分の考えが陳腐すぎて
思わず苦笑いになった。
 満は1分も立たないうちに戻ってきた。
「行こうぜ」
満は翔を通り越していく。こんな勝手な人間に、恋愛なんてやっぱりできない、翔は満の
後ろを歩きながら思う。
・・・自分も言えた義理じゃないけど。
満は廊下の一番隅の部屋で止まった。他の部屋とは入り口からして違う。扉の前には『寮監室』
とプレートがはめ込まれていた。
「・・・ココ?」
「そ、ココ」
満が持っていたカードキーを差し込むと、ドアの内部でかちゃっと鍵の外れる音がする。そして
鍵を抜き、満は躊躇うことなく部屋に入った。
 『寮監』というくらいなんだから、誰にでも解放しているわけではないはずだ。どういう経緯で
満はこれを手に入れたんだろう。翔は怪訝な顔で部屋の内部を覗いた。
 部屋の作りは生徒の部屋とは全く異なっていた。それはビジネスホテルの一室を少し広くした
ような作りだ。
「早く来いよ」
ドアの前で突っ立っている翔に、声を掛ける。満は既にラグマットの上に座り、冷蔵庫の中を物色
している。
 翔は、おずおずと部屋に入り、満と机を挟んで真向かいに座った。
「これしかないわ」
満が冷蔵庫から取り出したのは、2本の缶ビールだった。
「満・・・お前なあ・・・」
「飲めるだろ?」
「まあ・・・」
満は翔にそのうちの1本を手渡すと、もう1本を開けて、実に旨そうに飲み始める。翔も手渡された
缶のプルトップを押し開けた。黙って一口飲む。喉に受ける刺激が心地いい。
 満は缶を机に置くと、立ち上がって、冷蔵庫の上にあるモノを翔に差し出した。
「はい」
「灰皿・・・」
そして、ポケットに忍ばせたタバコも翔に返す。
「どういうことだよ」
「ココは、寮監の部屋なんだ」
「・・・らしいな。でも、なんで満がここの鍵を持ってるんだよ」
皮肉そうに笑いながら、満は、翔の手からタバコを1本抜き取ると、手馴れた手つきで吸い始める。
「俺と寮監のルールってヤツかな。寮監ってまあ、先生なんだけど、夏休みも基本的に寮監は寮に
いなきゃならない。夏休みなんてあったもんじゃないわけだ」
「でも、いないじゃないか」
「そ。俺と取引したん。寮監がいなくても、居たようにしてやるから、その代わり、寮監室の鍵貸せってね」
「悪人・・・」
「なんとでも。その条件を呑んで鍵を渡した寮監にも責任がある。まずいと思ったら普通、そんなことは
しない。俺はそれをしても、大丈夫だと思われるくらいは信用を勝ち得てただけだ」
「そんで、寮監室で、こうやって規則破ってるのかよ」
翔は批難の声で言った。
「ルールなんてな、破るもんじゃないんだ。勿論守るべきモノだけど、そんながちがちに縛られてちゃ
生きていくのはシンドイだけだろ?だから人は折り合いをつけるんだ。それこそ、『守ってます』っていう
態度が必要なの。物事が円滑に進むためにだけあるの、ルールってヤツは。人が傷つかない、自分を
傷つけない。それがルールと折り合いをつける目安。それを理解すればいいだけの話であって、
俺は別に遵法者なわけじゃない」
「欺瞞だ」
「違う、本音と建前は使い分けろってことだ。そんな一直線にしか走れない子どもじゃないだろ?お前は」
「言ってることとやってることが無茶苦茶だ」
「あのね、寮の部屋でタバコを吸えば匂いがつく。そうなったら、誰も言い逃れなんて出来ない。ここを
提供してる寮監だって、俺を庇えなくなる。それは何のメリットもない。俺と寮監のルールを
破ることになるんだ。寮監は、俺が寮監室で何をしているか『知らないことになっている』んだ。
それって実は一番重要でさ、お互い逃げ口が用意されてるってことなんだよ。ココでタバコを吸う。
吸ったのは寮監かもしれないし、寮監じゃないかもしれない。だけど、寮監室で吸った以上、普通は
寮監が吸っていたことになる。表向きはそれで許されるだろ。そうやってさ、グレーゾーンは常に
作っておかないと、あとで自分がしんどくなるだけだぞ?」
「グレーゾーン・・・?」
「そ。物事にはなんでもグレーゾーンが必要なんだよ。割り切れない部分は割り切れないままに
しておく。例えば、幼馴染の天才の素行を見逃してやる、とかな」
どうしてそこで幼馴染なんていう単語が出てくるのか、翔には不可解だったが、風向きのよい方向に
話が進まないことは確かだ。
 今は満に亮太のことを触れられたくない。一番えぐられたくない傷だ。
「どーいう、意味だ・・・」
「自分の人生を狂わせたと思ってる人間に逃げる隙をあたえてやったらってこと」
自分の人生を狂わせた・・・図星に近いことを指摘されて翔は思わず叫んだ。
「満、リョウになんか言われたのかよ」
「別に。ただ、お前等見てると、お互い、首絞めあってるように見えてさ」
「そんなことあるわけないだろう。俺とリョウはただの幼馴染だっただけで、それ以外なんでもない」
「ふーん、そう」
タバコの灰を灰皿に落とし、満は目を細めて再び咥える。
「なんだよ」
「亮太が不振なのは、お前のせいだろ」
満にも気づかれていたのか?!翔は手に持ったビールの缶に力が入る。
「俺のせいじゃねえよ」
「そうか?じゃあ、お前が気づいてないだけだろ」
満の口から灰色の空気が上に昇っていく。翔はそれを見て、悟られていることをどう隠すか必死に考える。
「確かにリョウは調子悪い。地方予選に一度行ったけど、明らかにいつものバッティングとは
違った。うん、あれはスランプなんだろう。それは分かる。でも、俺に分かるのはそれだけだぜ」
「地方予選始まる前に、お前、亮太に何か言ったやろ?」
「何かって、何だよ」
「そんなの知らないよ。ただ、予想するなら、亮太を拒絶するようなこと・・・かな」
思い当たる節は十分にある。亮太が怒って店を飛び出す直前に翔に投げた一言だ。
 ただ、翔にはそれがどれだけ亮太に影響を及ぼす一言なのか理解できない。会えば喧嘩しかしない
ような仲になってしまった幼馴染に今更何を言われても、傷つくはずはない。
「リョウには、会った。で、アイツがうだうだ言うから、喧嘩になった。それだけだ。大体悪いのは
アイツなんだ。俺は野球を辞めて、アイツとも縁を切る。そう言っただけなのに」
「だけ、ねえ」
「ああ、それだけだ。それだけで怒るほうが悪い。リョウなんて、俺の気持ち散々踏みにじって
俺がどんだけの思いで野球辞めたかなんて知りもしない。それでアイツが怒るなんて勝手すぎだ」
亮太のことを思うといつだってイライラする。そして、自分を正当化するために、何倍も
しゃべらなくてはいけなくなる。
「翔は、自分に原因がるとか思ったことないのか?」
「・・・何の原因だよ、リョウと俺は何も関係ない。アイツのスランプはアイツのせいだ。俺は、もう
アイツのことなんて考えたくないんだ。むかつくんだよ、アイツのこと考えると」
満は片肘を机について、その上に顔を乗せる。空を見つめて、翔の度肝を抜くようなことを言った。
「お前さ、ごちゃごちゃ抜かしてないで、そんなに亮太のことで頭いっぱいなら、一度やってみれば?」
「は?やるって・・・」
「やるって、何?アホか。やるだよ、やる、セックスだ。お前、亮太に抱かれてみたらいい」
「何、バカなこと言ってんだ」
翔は絶句した。
 満はいきなり何を言い出すんだ。俺と亮太がやる?俺が亮太に抱かれる?何バカなことを・・・
「満っ・・・お前、バカじゃないのか?俺も亮太も男だ。大体、亮太が俺を抱きたいわけないだろう!」
満の発言はいつも自分の常識の限界を超えている。
「そうか?俺は結構いい案だと思うけどな。お前さがさ、亮太のことどう思おうが、俺は知った
こどじゃない。だけど、亮太はお前がどう思ってるのか、お前の一挙手一投足に踊らされてるって
ことを、ちゃんと理解した方がいい。その意味を考えろ。ヤツはお前じゃない。お前と違う」
「そんなこと言われなくても分かって・・・」
「分かってないから言ってやってんだよ、バーカ」
満は吸いかけたタバコを灰皿に戻すと、冷蔵庫からさらにビールの缶を2本取り出してくる。
「まだ飲むだろ?」
顔をしかめながら翔は受け取る。
「満・・無茶苦茶だな・・・」
「ココはこういうルールなんだ」
満は口の端だけで笑う。どんな空間でも真っ先に主導権を握る。その上で踊らされているのは自分だ。
気に食わない以上に、翔は怖かった。満は一体どれだけ自分を見透かしているのか。亮太に対する
劣等感、それがいつしか恨みに変わって、自分が身動き取れなくなったことも、満は全部わかって
いるのだろうか。
 いっそ、満に敗北宣言でもして、この気持ちを吐露してしまった方が楽なんじゃないのか、その
気持ちがないわけじゃない。でも、そのラインを超えてしまうことは本当に自分が崩壊してしまう
と思う。きっと、全てを打ち明けたら満に依存してしまうだろう。それは楽な道でもある。満と
いう後ろ盾があれば、亮太1人を恨み続けるなんてことしなくて済むかもしれない。
 それでも、翔はここに杭留まっている。そういう捨て方はしたくなかった。
「翔は、自分の気持ちがどこに向かっているか、分からなくなってるだろ」
「自分のことくらいわかってる」
「そうか?じゃあ、例えば、お前、もう野球辞めたって言うけど、野球は好きか?嫌いか?」
「・・・嫌い・・・じゃ、ないと思う」
「もう一度グラウンドに立ちたいか?」
「・・・今は無理」
はあっと、満は声に出してため息をついた。まるで、「俺には手におえない」とでも言いたいみたいだ。
「お前の行動は、矛盾だらけだな・・・」
満はジーパンのポケットから、自分のタバコを取り出す。タバコを口に咥えたまま、ライターをカチャカチャ
鳴らして、翔への次なる攻撃を考えているかのようだ。
「ホントは野球が好き、グラウンドにも立ちたい。だけど、亮太と一緒には無理、亮太の野球する
姿は腹が立つ。・・・なのに、わざわざ亮太の近くにいる」
「近くになんていないだろ。俺は、高校に入ってから数回しか会ってない」
「だけど、こうやって、お前は未だに亮太と宙ぶらりんになったまま繋がってるじゃないか」
「それは、悠が・・・」
「悠のせいなんかにするな。お前が本気で亮太から逃げたかったら、悠くらい切れるはずだ。
お前は、やることが甘いんだよ」
「悠は、友達だ。リョウとは関係ない」
咥えたタバコに火を着けたが、一口吸っただけで、満は灰皿に置いた。
「大体、なんで亮太と同じ高校なんかに進んでるんだよ、それこそ、甘ちゃんなんだよ。本気で
亮太が憎くて、亮太から逃げたければ、小田南になんて行くわけないだろう。亮太が小田南に入るなんて
ことは、初めから判っていたことなのに」
「俺が、どこの高校に行こうが、俺の勝手だ」
「そりゃ、そうだ。お前の勝手だ。だけどな、そうやって自分を追い込んでおきながら、自分だけが
悪くないってふんぞり返ろうっていうのは、甘いって言ってんだ」
「俺は、何も悪いことなんてしてないだろう。俺は自分で高校を決めて、自分で野球を辞めた。
ただそれだけだ。誰にも迷惑なんて掛けてない。周りが勝手に騒ぐだけだ。リョウだって、俺が
野球辞めること、ちゃんと分かってるのに・・・あいつは俺を見下して笑ってるだけだ」
本気でそう思ってるのか?満は少し驚いている。翔は紅潮した顔をそのまま固まらせていた。アルコールの
酔いも手伝ってか、いつもより饒舌になっている。自分の胸の内をさらけ出す気などなかったのに、
満を前に、翔はしゃべりたくないことまでしゃべってしまった。
「お前は、自分のことしか考えられない、ガキだ。そうやって、自分ばかり悲劇の主人公になってるのは
さぞかし楽しいだろう。お前は久瀬亮太というたった一人のガキに翻弄されてるだけなのに」
「な・・・」
「いいか、翔。お前は亮太の何を見てる?野球の才能か?お前はもう野球なんぞ捨てたんだろ。
だったら、亮太の野球の才能から固執するのやめたらどうだ。恨んでも憎んでも、それはお前の
感情だ。好きにするがいい。けどな、お前の感情が、お前の言葉がどれだけの力を持っているのか
ちゃんと考えろ。悲劇の主人公はどこにでもいるんだぜ?」
「満に俺の何が分かるってんだよ、何だよ、何もかも分かったような口聞いて。高みの見物か?
そうやってお前も俺を笑ってんのかよ」
「俺は、お前のことなんて殆どわからん。そんなの当たり前だろう。ただ、今まで一度足りと翔を
侮蔑して見たことなんかない」
 満からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。翔は、それが満の本心か疑ったが、満はその発言に
笑ったり、茶化したりするような真似はしなかった。
 現に、満は翔と真剣に向き合っていた。悠に言われたときはあれほど面倒くさいと思った仲介役を
満は結果引き受けた。その理由をただ一点「友情」にだけ求めて。青臭いと思いながら、満にとっても
取って捨てるだけの仲間とは違うのだろう。
 ビールを一口飲み、翔を見据える。
「自分と亮太の感情に逃げないで向き合え」
「逃げてなんて、ないだろ」
「逃げてるだろう。卑屈になって、暴走して・・・現に亮太がスランプになった。それを自分が引き金
になったってことを認めてないあたり、逃げてるとしか言いようがない」
「俺のせいじゃないっ。俺は何にも言ってないし、やってない」
「・・・まあ、いいさ。そう思うなら」
そこで一度言葉を切る。灰皿にタバコを押し付けて、満は翔を射竦めた。
「だけどな、この期に及んで自分から、亮太から逃げるような真似をするなら、俺はお前を二度と
友達だとは思わない」
満はもう笑ってはいなかった。この言葉に嘘はない、翔はそう思うからこそ、怖かった。満は自分の
知らない亮太を知っている。知った上で自分に逃げることを許さないと言うのだ。
 翔は、残りのビールを一気にあおった。生ぬるいビールは喉を締め付け、ひどく酔いが回った。
 満が何か言っているようだったが、翔の耳には届かない。そのまま横になると、すぐに眠りがやってきた。
亮太への思いはどこに向かっているのか自分でも分からなくなるほど、満の言葉に翻弄されて、翔は
心が疲れてしまった。


<<10へ続く>>



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