青い鳥はカゴの中で
シャワーの後の清潔な匂いがした。
玄関に立つ、自分よりも一回り大きな身体。笑ってない顔はいつもの事だ。彼は自分の
前だけで特別な顔を見せる。誰にも見せたことのないような狂気。
「・・・」
「飯食った?」
「いや」
「俺も、今帰ってきたとこ。・・・なんか食う?」
「ああ」
亮太は翔の前に来る時だけ極端に言葉数が少なくなる。17の夏に翔と関係を持ってからずっと
こんな調子だ。だけど、それにもお互い慣れてしまって、今更取り繕ったりはしない。
翔は亮太を玄関に入れると、それ以上の事はせずにリビングに向かう。亮太も当たり前の
様に勝手に靴を脱いであがる。そして、自然な動作でリビングのソファに沈み込んだ。
翔は冷蔵庫からもう1本ビールを取り出して、亮太に手渡すと、ソファーには座らずに
少し離れた床に座り込んだ。
亮太と距離を保とうとするのは、いつでも自分を守るためだ。自分の肉体、精神それら
全てを破壊されないように。
亮太がテレビを付けると、野球ニュースは続いていた。ヒーローインタビュー中の亮太が
軽やかにファンへの感謝の言葉を述べている。
弾んだ息の下で、にこやかに笑い、手を振った。
(こいつ、誰だよ・・・)
目の前で憮然として座る亮太とテレビの中の亮太。これが同一人物であるようには到底思え
ない。しかし、どちらが作り物かといえば、それはどちらも本物の亮太だ。
亮太は本来明るく、朗らかな性格だった。今でも翔以外の前では大物っぷりを感じさせる
豪快さを見せるし、よくしゃべる性格は変わらない。
ただ、翔の前だけは、性格を封印してしまったかのように無表情で言葉数も少ない。時々
皮肉そうに笑って見せる顔は、多分翔くらいしか見たことないだろう。
亮太は今までに一度も翔に気持ちを言葉にして伝えたことは無い。言い争いの中で、翔が
亮太の気持ちに気づいただけで、明確に告げたわけではない。
しかし、この関係が続いているということは、亮太の翔への執着心は薄れているわけでは
ないのだろう。
翔自信、亮太の気持ちは分からないが、肉体を求められていることは確かだ。
求められれば逆らえず、抱かれている間は、心の中で相変わらず亮太を蔑んでいる。自分
の正気を保つためには、亮太を恨んでいるしかなかった。
苦しい。辛い。
だけど、そんなとき、誰にもこの気持ちを吐き出すことはできなくて、平気な振りをしな
がら、日常をこなすしかないのだ。
翔は、小さい頃から「やればそこそこできる」という子どもだった。やればやっただけの
見返りもあった。すごいね、そういわれることは快感だった。
翔の周りが全て凡人だったら、翔はその快感を手にしたまま今も気高く生きていたかも
しれない。
ただ、彼には運が無かった。二人の「天才」に囲まれて、やがて彼自身が凡人に成り
下がってしまった。
勿論それは翔が勝手に下した評価であって、周りの人間は相変わらず翔を褒めたのだが、
翔には届くことは無かった。
久瀬亮太と松下満。彼らは神から授かった天賦を思い余すことなく発揮している。
特に、亮太は、共に始めた野球で、直ぐにその才能を発揮した。中学までは、天才スラッガー
と名ショートと二人仲良く賞賛された亮太と翔だったが、既に翔には分かっていた。
亮太には自分とは比べ物にならないほどの才能があることを。自分には限界がある。この
先、グラブを握っても、先は見えている。そのうち、天才久瀬亮太の幼馴染として、テレビ
や新聞にインタビューを受けたりすることなど、目に見えていた。
自分は亮太の踏み台に過ぎない。亮太を演出するための一番のピエロ。そう思ったから、
翔は野球をやめた。
止めたのだ、亮太と競うことを。諦めて、逃げ出したのだ。
亮太に比べられて、惨めな思いをするなら、かかわりの無い人生を送りたい。
けれど、亮太に繋ぎとめられて、翔は亮太と共に落ちてしまった。先の見えない真っ暗
な闇の中に。
夢や、希望などずっと昔に忘れてしまった。
「・・・お前、今年調子いいじゃん」
翔はテレビの中の亮太に皮肉を言う。ペナントレース後半を迎え、亮太のチームは熾烈な
優勝争いをしている。
優勝と更には、亮太には3冠というバッターにとって名誉な称号もチラついていた。
真夏の夜空に何度も打ちあがる亮太のホームランにファンは酔いしれる。
「まだ分からない」
確かに打率など直ぐにひっくり返されてしまうことを思えば、本人は浮かれていられる
はずも無いのだが、周りの人間はきっとそれをやってくれると信じている。
彼にはプレッシャーが無いのだろうか。押しつぶされそうな期待で、逃げ出したくなったり
しないのだろうか。
亮太の才能は計り知れない。翔もそれは認めている。しかし、彼だとて限界があるはずだ。
翔は、その限界がどこにあるのか眺めてはみるものの、自分の想像を超えた場所では、
探せるはずも無かった。
自分と亮太はこんなにも違う。
「来いよ」
亮太はテレビのリモコンを取ると電源を消した。音が無くなれば、空気は一気に重くなる。
頭の中でチェッカーフラグが振られた気がした。亮太の腕が伸びて、翔の手の中で握られた
ビールの缶がもぎ取られる。
空に近いそれを乱暴にローテーブルに置くと、カン、とマヌケな音がした。
「・・・・・・」
視線の先に亮太が写る。
「翔」
名前を呼ばれて、立ち上がった。
「シャワー浴びてくる」
目を逸らして、亮太から逃げる。この後の事なんて幾らでも想像が付く。どんなふうに抱かれる
のかすら、自分には分かってしまう。
それを屈辱だと感じたくはない。抱かれることで、自分はまだ亮太に勝っている。自分に
あるのはその自負だけだ。
何の役にも立たない自負だけど。
翔のマンションは1LDKでこざっぱりしている。生活感があまり感じられないのは、部屋で
過ごす時間が短いからだろう。
平日の残業は月60時間を越えている。プログラマーとしてはそれくらいの残業はザラだが
身体は少しずつ毒されている気がした。
疲れが溜まる。仕事で溜めた疲れは、家に帰ると更に溜まった。
「リョウ・・・やめっ・・・」
シャワー上りの湿った身体を後ろから引きずられて、翔はベッドに埋もれた。
ぎしっとスプリングが鳴る。翔の腕を掴む亮太の手に力が入った。
「痛っ・・・」
亮太は大抵無言だ。翔を抱くとき、声をかけたりしない。愛撫も乱暴だし、挿入も唐突だ。
半ば自己防衛の為に翔が買ったローションを、亮太は慣れた手つきで翔の腹にかけた。
ぴちゃぴちゃと厭らしい音を立てながら亮太はそれを手に絡め、ぬめった手を翔の性器
へと伸ばす。
「・・・っ」
軽く手で握られると、翔の性器は面白いほどに膨れ上がる。長年染み付いた感覚なのか、
亮太の手で擦られるとあっという間に勃起してしまう。
勃ち上がった性器からは、ぷっくりと蜜が溢れてくる。それを指でこねくり回されて、
ローションと混じった。
亮太のごつごつした手がローションのぬめりで、くすぐったいほど滑らかに動く。それが
返って刺激になり、翔は声を上げたいのを我慢しなくてはならないほどだった。
翔は亮太に抱かれるとき、1つだけ決めていることがある。
『亮太とはキスをしない』
自分でもどこかの娼婦の信条みたいだと笑ってしまうが、身体だけを投げ出してやったのだ
という気持ちを忘れたくなかったのだ。
口付けを拒むことで、亮太が自分を支配してるなどと思わなくするために。
亮太はぬめった手で翔の乳首を弾いた。手の中で転がすと、面白いように膨れる。
「・・・っ!」
喉の奥で、快楽が零れ落ちそうになる。翔は声が出ないように意識をそちらへと導くが、
亮太の手の中で踊る自分を止められそうもなかった。
翔の呼吸が一段と早くなる。亮太はそれに合わせて、性器に刺激を与える。亮太のセックス
は急性で自分に余裕がなくなってしまう。
翔は、他の男に抱かれたことは無いが、亮太だけは特別だと思う。自分が他の女を抱く
時だって、こんな快感は得られない。
亮太は刺激を与え続けていた手を止めると、今度はその手を後ろに滑らせた。
「はっ・・・」
蕾に刺激を与えられ、1本目は軽く入った。
体中の毛穴がよじれ立つ感覚。翔はこれをそんな風に思う。ネコがびっくりして毛穴を
立ててるようなイメージ。異物は不快と快感の間を行ったり来たりだ。
中指でぐるりと中をかき混ぜられ、ローションの潤滑に助けられて人差し指も進入する。
亮太の太い指はそれだけで、入り口を引きちぎられそうなほどだ。
「ふっ・・・」
その頃になると、翔の口からも、幾度と無く甘ったるい声が漏れる。
心の中とは裏腹に。
差し出すのは身体だけ。満足してるのは、お前だけ。
そう呪いながらも、身体は快楽に従順で、亮太からの更なる刺激を欲している。
亮太は翔の中で絡ませていた指を一気に引っこ抜くと、たらたらに濡れた指を自分の性器
に塗りたくる。
亮太の性器も既に反り立っていた。
赤黒くてかった性器を見るたび、これが自分の中に納まるのだという恐怖は消えない。
痛みはいつもそこにあって、後から麻痺するようにやってくる快楽がその痛みをオブラート
のように消し去っていくが、快楽が通り過ぎれば、やはり痛みは戻ってくる。
押し返す圧力をそれ以上の力でねじ込まれ、つかまれた腕は、赤くなった。
根元まで押し込むと、亮太はそこでやっと深い息を吐く。
その息遣いが身体の内側を通って翔にも伝わった。
「んっ」
野獣のような姿勢にされて、腰を掴まれる。奥まで入った性器はぎりぎりのところまで
抜かれ、そしてまた勢いよく突かれる。
内側からの刺激で、翔の性器も痛いほどに感じている。手を添えれば、直ぐにでも爆ぜて
しまいそうだ。
息遣いと肌のぶつかり合う音。くちゅくちゅとローションが溢れる卑猥な響き。
(これで、いいんだ・・・・・・)
そう思って、抱かれたのは10年前。亮太が自分を求めるなら、闇のそこで手招きしていよう
と、この関係を始めた。
亮太には伝わっているのだろうか、翔の苦しみが。手を伸ばしても、追いつくことの無い
劣等感と憎しみで溢れ返っていた翔の気持ちが。
「自分だけが辛いなんて、思い上がるのもいい加減にしろよ」
満の言葉はいつも正しい。
自分達はお互いがお互いを縛りつけあって、もうどこにも逃げ道など無いほどになっている。
亮太の腰の動きが早くなる。掴まれた腰は、砕けそうなほど力が加わった。
上り詰めていく感覚が、内側から伝わる。亮太は片手を翔の性器に滑らせると、腰の動きに
あわせて、擦りあげた。
「はぅ」
両側からの刺激で、翔も先が近い。目を閉じると、白黒の光が交互に目の前を照らしている。
「ああっ・・・」
一層の強い快楽で、翔は、自分の性器から、白濁が零れ落ちたことを知る。
「・・・っく」
亮太は一つ、小さくなくと、翔の中に思いと共にぶちまけた。
後には、二人分の息遣いだけが残っていた。
この時期、亮太が翔の部屋に泊まる事はない。亮太にとっても、球団にとっても大事な
時であることは、亮太自身一番分かっている。
亮太はシャワーを浴びると、早々に着替えを済ませた。
翔は、ベッドに横たわったままそれを眺める。鍛え抜かれた身体。焼けた肌。
少なくとも中学時代には、それほど体格の差など気にならなかった。けれど、室内で過ごす
ことが殆どの翔の身体はこの時期でも白い。体力の落ちた腕も昔と比べると、随分と細く
なっていた。
「風邪、引くぞ」
「ああ」
亮太に言われ、翔は、ひらひらと手を振った。帰れ、の合図だ。
亮太はそれに無言で答える。言い出せない気持ちを噛み締めると、振り返らずに部屋を出た。
カゴの鳥は、青色の羽を羽ばたかせ。
二人はそれに気づくことなく、今夜も眠る。
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