なかったことにしてください  memo  work  clap
青い鳥はカゴの中で




 芹沢悠は都内の会社に勤めて5年目になる。
営業マンとしてやっと一通りの仕事を覚え、取引先メーカーの営業マンにも対等に渡り
歩けるようになってきた。
 公共事業部というお役所相手の仕事は緊張の連続で、辞めようと思わなかった日の方が
少ないくらいだ。
 しかし、1年、2年と経ち、公官庁相手に上手くやっていくコツがつかめると、入札に競り
勝つことも出来るようになった。
 大きな仕事は課長にバックアップについてもらうこともあるが、それでも自分で取った
という充実感は感じている。
 サラリーマンとしては、充実した日々だった。

「じゃあ、課長さんの顔を立てて、掛け率はこれくらいでどうです?」
懇意にしているメーカーの営業が内々の見積書を提示してくる。
 課長はそれを見ると満足そうに頭を下げた。
「ありがとうございます、芹沢共々頑張りますので、宜しく願いします」
「頑張ります。ありがとうございます。必ず、入札取りますので」
悠も頭を下げた。
 公共事業部の仕事は苦手だった。だけど、こうやって信頼を勝ち得てくると面白いと
思うことがある。悠は張り付いたままの笑顔でメーカーの営業マンを見る。
 相手はそれが社交辞令だと分かっていながら、同じ笑顔で受け取ってくれた。

営業マンは、「入札、頼みますよ」と言って卓上の資料を片付けると、それに合わせて
課長は立ち上がった。
 悠もそれに続いた。



 翔が小学校時代の友人、芹沢悠に会おうと決心したのは、些細な理由だった。
 出勤で、何時も通りに家を出て、晴れた真夏の空を歩いていてふと思ったのだ。
自分の時は何時まで止まっているのだろう、と。
このまま意味の分からない流れの中で生きていたくない。誰かに動かされる人生ではなく
自分で決めた道に乗ってみたい、と。
 その第一歩が、仕事を辞めることだった。
クライアントの言うとおりの設計をして、ひたすらプログラムを組んでいく。自分の存在
意義などこれっぽっちもない会社にこれ以上いることが正しいとは思っていない。
 しかし、動き出すには大きなエネルギーが要る。
そんな時、会いたくなるのは、決まって悠だった。大学に入学したばかりの頃も、就職
活動の時も、ふらっと誘っては二人で飲んだりした。
 彼には人を癒す力があると思う。天才と言われた亮太にも満にも持っていないもの。
大らかなオーラに包まれた悠に会うと、自然と前に進める気がした。
そう思った瞬間、翔はケータイのメモリから悠の番号を探していた。彼も同じ都心に住む
人間。会おうと思ったらいつでも会える距離だ。
 メールの内容は、軽快にした。
『久しぶり!今週暇ある?飲みに行こう』


翔は東京に出てきて以来、七根小の同級生と殆ど連絡を取っていない。慎吾や康弘など
成人式以降は数回しか会ってなかった。
 悠にしても仕事が忙しくなって、自然と連絡が空いた。しかし、こうやって稀に連絡を
取る仲になっても、悠との距離はあまり感じない。
 悠とは7時に駅前のコーヒーショップで待ち合わせにした。アイスコーヒーを飲みながら
窓越しに忙しなく歩く人たちの波を見る。それを見てうんざりするが、つい先ほどまで、
自分もあの中の1人だった。
 都会の暮らしは好きだ。干渉されることもなく、1人でいることのプレッシャーもない。
けれど、時々自分の立っている所を確認しなければ、自分が生きているのか死んでいるの
かもわからないほど、自分を見失ってしまうことがある。
 無表情で歩く人の波のどれくらいが自分を失ってるんだろう、翔はそんなことを思って
いた。

悠は7時を15分ほど過ぎて現れた。
「ごめん、遅くなって」
「いや、いいよ。久しぶり」
「うん。久しぶり。翔、ちょっと痩せた?」
「そうかな?ちょっと忙しかったからなあ・・・」
翔は白くほっそりとした頬を撫でた。内勤ばかりで日に当たることがないので、翔の肌は
夏でも白い。
 それに比べ、悠は顔が赤く焼けていた。
「営業マンは足が命だからねー、炎天下の中歩き回ってるし」
悠は穏やかな笑みを浮かべて言った。

 近くの落ち着いた雰囲気と旨い料理で定評のあるレストランバーに入った。週末で流石に
客は多く、予約なしの客が店の外で座って待っていた。
「予約取っておいたから」
「悠ってそういうとこ、マメだよな」
「営業マンですから」
通された席は窓際で、すっかり暗くなった街が見下ろせた。
 スーツ姿の男2人で来るには些か浮いているようだったが、悠も翔も気にしなかった。
 グラスで出されたビールで乾杯して、前菜を幾つか頼んだ。
 一口飲むたびにごきゅっと喉を鳴らして、悠は旨そうに黄金色の液体を胃の中に納めて
行く。
「仕事終わりにはやっぱりビールだよね」
「よく来る?」
「時々ね」
悠はグラスを半分ほど空けて置いた。
「彼女と?」
「え?・・・あはは、うん、まあね」
はにかみながら、悠は頭を掻いた。翔はそれを意外な気持ちで見る。
「お前にも、彼女かあ・・・」
「まあねえ・・・。でも、僕達今年27だよ」
翔の中の悠は小学校6年の夏で止まったままだ。一番楽しかったとき。何も怖いものなんて
なかった。自分の才能も亮太の才能も。
「27、か・・・。年喰ったよな、俺ら」
「僕は未だに自分が30になる姿を想像できないよ」
「きっと変わんないぜ」
「そだね。・・・・・・小学校卒業するときにさ、僕は6年の夏に転校しちゃったからみんなの事
直接見てないから知らないけど、七根小って卒業生は学ランとセーラー服着るでしょ?
在校生の時、アレをきた卒業生がものすごく大人に見えたんだけど、自分達が卒業して
見ると、全然大して大人じゃなかったってことに気づくんだよね」
その年齢になってみて初めて分かることは、大して成長なんてしてないということだ。
「お前さそれ、20歳って思ったより子どもなんだなっていうのと同じ発想」
翔が出された前菜を口にしながら言う。
 悠は少し驚いた顔で、翔を見た。
「・・・満にも同じこと言われたよ」
「はあ?」
翔が露骨に嫌な顔をするので、悠は笑った。
「小学校の卒業式の後、満、わざわざ僕に会いに来てくれたんだ。神奈川から埼玉くんだり
までだよ、あの満が」
「ミツルが?」
「そう、あの満が。・・・それでさ、小学校卒業したけど、全然大人になった気分じゃないって
言ったら、今と同じこと言われたんだ。『悠はきっと、20歳になっても、20歳って思った
より子どもなんだって言うぜ』って」
実際、悠は20歳になったときも自分の成長を感じることはなかった。
「成長なんて、自分じゃ実感しにくいからな」
「そうだね。会社に後輩とか入ってきて、何も出来ないでいるのを見たとき、やっと自分が
今まで積み重ねてきたことの意味を知った気がした」
変わらないと思いながらも、悠は自分の成長を知っている。仕事が上手く回っているのだ
ろうと翔は思う。疲れの中に心地よさが見え隠れしている。翔はそれが羨ましかった。
 自分は何時までも同じところを彷徨っている。逃げ出そうとしているのか、逃げている
振りをしているのか、自分でも分からないほどだ。

「・・・・・・俺さ、・・・」
「うん?」
箸を止め、悠は翔を見る。一直線に見つめられて、その瞳に怯みそうになる。自分の中の
悠は無垢で穢れがない。実際は知らないけど、翔にとって悠はそんな存在だった。
「仕事、辞めようと思って」
「え?」
きょとんとした顔がやがて曇りだす。
「・・・なんかあった?」
「いや、別に。プログラムばっかり書いてるの飽きたからさ・・・ちょっと自分でweb系の仕事
でも立ち上げようかなって」
それはなんとなく心に描いていたことだが、具体的にはなんの計画もなかった。なのに、
翔は悠を前にしたらさらっと口が滑ってしまった。
 言った自分がまず驚いて、それ以上に驚いている悠と目が合って沈黙した。
「す、すごいじゃん、翔!企業家!ベンチャー!社長!」
先に正気に戻ったのは悠の方で、手を叩いて喜んでいる。
「あ、まだ、思ってるだけだしさ・・・」
「それでもすごいよ。翔っていつかなんかやってくれそうなキャラだもんね」
意外なことを言われた。自分に掛かる期待など当の昔に忘れていた。なんでもそつなくこなす
けれど、それだけ。
 会社に入ってからは、「よく動く歯車」として重宝されていたとは思うけど、その場所で
回っていなければ、何の役にも立たない。
「なんかやりそうなのは、俺じゃなくて満とかだろ」
文句を垂れると、悠はそうかなと首をかしげた。
「満は、なるべくしてなったって気もするけどねえ」
松下満は今や世界を股に掛ける新鋭チェリストだ。しかもそのことを知ったのは、悠も翔も
ずっと後になってからだった。
 満が音大進学するって事も、昔からこっそり習っていたことも悠たちは知らなかった。
「アイツは自分の事はとことん秘密主義だからな」
これは七根小のメンバーの共通認識だった。水面下の努力を絶対に誰にも悟られずに、
自分の上を歩く人間。
 努力が見えているだけ、亮太の方が可愛げがある。
 翔はここにはいない悪友の顔を浮かべて苦笑いした。


「でも、きっと翔なら上手く行くよ。webデザインって発注貰ってお店とかのwebサイト
作ったりするんでしょ?」
「まあね」
「すごいなあ・・・僕なんて仕事でパソコン使うのだって苦労してるのに」
「プログラム組めるやつでも、表計算ソフト使えない人間なんてザラにいるぜ」
「そんなもん?」
「ああ」
悠が笑う。その笑いに今日も癒されていると思う。悠の笑いは無邪気だったあの頃に自分
を戻してくれる気がする。痛みを知らない時代。亮太に嫉妬も恨みもせず、対等であった
と誇らしげに思っていた時代。
 確かにそんな時代があったのだ。それが幻ではないと思うだけで心が落ち着くなんて、
自分の心はどれだけ荒んでいるんだろう。
 背中を押してもらう。そのことが翔にとってどれだけすごいことなのか、悠は知らない。
 亮太や満にはけしてできない事。

「ねえ、そういえば、満、日本に帰ってきてるって知ってた?」
「へえ?そう」
気のない返事を返すと、悠は鞄から一枚のパンフレットを差し出した。
「・・・胡散臭せえな、この笑顔」
「おばちゃんたちのアイドルだよ」
「ますます胡散臭いって」
パンフレットは凱旋コンサートのものだった。日程と場所を見れば、実家の駅前のホール
の名前もある。
「コンサート終わったら、白井寿司で打ち上げやるんだって。久しぶりだから、行こうと
思うんだけど、翔も行こうよ」
誘われて、素直に頷けなかった。満に最後に会ったのは大学卒業の時だ。あの時も2人で
飲んで、満にキツイ言葉を掛けられた。
 会えば落ち込んで帰ってきてしまうのに、悠とは別の意味で会いたくなる。満は常に現実
を突きつけてくる。
 自分が目を逸らしているものを痛いほど正確に言い当てて、撃沈させて。
「・・・翔?土曜日だから、時間あるかと思ったけど、忙しい?」
「うーん・・・。打ち上げって誰が来るの」
「康弘と慎吾だよ。あ、慎吾、今小学校の先生やってるんだけど、一緒の職場に堤先生が
いるんだって。だから堤先生も来るかもって」
「うわあ・・・あいつ、子どもと一緒に怒られてんじゃないのか?」
「僕もそう言ったら、怒ってたよ」
そう言って二人顔を合わせて笑う。慎吾はいつまでたってもかわいい弟のような存在だ。

「・・・亮太は、きっと忙しいだろうね」
悠は上目に翔を見た。
「・・・・・・ああ。試合だから無理だろうな」
亮太のことになると、必然とトーンが低くなる。悠は翔と亮太の関係を知らない。少なく
とも、翔はそう思っている。
 勘のいい悠のことだから、何かしら感じることはあるだろうけど、自分が亮太に抱かれて
泥沼なような関係を引きずっていることは知らないだろう。
「今年は三冠とるかなあ・・・」
「どうかな。終わってみないことにはわからんだろ」
「僕は取れるって信じてるけどね」
悠はアルコールで赤くなった顔を緩めた。
「じゃあ亮太には、球場でがんばってもらうって事で、5人で集まろうよ」
悠の笑顔が眩しい。吸い込まれて、自分を昔の自分へと戻してしまう。
「うん」
気がついたときには、翔は、打ち上げに参加することに頷いていた。






<<next>>




よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要



  top > work > uniqueシリーズ > 青い鳥はカゴの中で3
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13