なかったことにしてください  memo  work  clap
青い鳥はカゴの中で




 気持ちの落ち着かない日が続いた。
久しぶりの友人に会う、ただそれだけのことが、翔の気分を高揚させたり落ち込ませたり
する。懐かし気持ちと触れられたくない痛みは常に隣に張り付いていている。
 悠のように、気を使う人間なら、翔の痛みを避けてくれる。気づかない振りをして、そこ
に触れることはない。
 けれど、慎吾や康弘は知らないのだ。土足で上がってきては、見られたくない部屋を開けて
しまう。満に至っては、確信的にそれをするのだから、たちが悪い。
 野球を止めてしまったことの本質を知っているのは満だ。自分がどんな気持ちで、止めた
のかも、そして亮太がどんな気持ちでいるのかも。
 満に会うのは、勇気がいる。
また、見透かされる。底知れぬ怖さ。
けれど、満に会えば、痛くてもこの関係が変わる気もしている。
『満なら、なんとかしてくれる』
七根小のメンバーは、いつもそう思っていた。何度も助けられたし、教師に怒られたときも
言い負かしたのだって満だ。
 銀縁の眼鏡をずり上げて、「メンドクサイ」といいながらも、メンバーを見放したりしな
かった。
 満は、今も変わらないでいるのだろうか。
翔は都会の澱んだ夜空を仰いだ。今日も定時を4時間も過ぎてからの帰宅になった。


 亮太は試合に勝っても負けても自分の前では大して変わらないと、翔は思う。ホームラン
打った日のコメントやヒーローインタビューに答えている姿は確かに興奮しているし、何
より嬉しさが前面に出ている。
 だからこそ、その後で自分の部屋に無言で入ってる亮太とのギャップに翔は驚いてしまう
のだ。勝った日も負けた日も同じようなテンションでここを訪れる亮太に。

 今日の試合は久々の大敗だった。亮太も4打席ノーヒットという不振だ。長いペナント
レースを戦えばそんな日もある。亮太は反省こそしたものの、落ち込んだりはしない。
メンタルは鍛えているつもりだ。
 亮太は、翔の部屋の前で一つ呼吸を整えると、チャイムを鳴らした。
部屋の中からは、客人を迎える声はしない。ただ、無言で近づいてきて玄関のロックを
解除するだけだ。
「・・・お疲れ」
翔は着替えもせず部屋用の眼鏡を掛けて、出迎えた。
「帰ったとこ?」
「・・・・・・ちょっと仕事、持ち帰った」
「そう」
亮太が受け入れられているのか分からない玄関に無理矢理入ると、翔は何時ものように
客人を接待する様子もなく1人部屋の中に戻っていく。
 亮太も無言で続いた。
リビングには、ノートパソコンが3台も立ち上げられていて、その周りには乱雑に資料
が落ちていた。
「納期が近いんだ」
翔はやや疲れた顔でパソコンに目を落とす。亮太は翔に背を向けるようにソファーに座り
込んだ。
「飯、喰った?」
「まだ」
「冷蔵庫のモン、適当に食えよ」
「ああ」
時々思う。自分と亮太がこんな関係ではなかったら、亮太とどんな話をしていたのだろうと。
笑い合った日々はあまりにも昔で、想像も付かない。
 目の前で笑う亮太。それを自分はどんな気持ちで見るのだろう。

くだらない感傷だ。
それも、これも、悠に皆で集まろうといわれた所為だ。
「・・・・・・満が、帰ってきてるらしいぜ」
冷蔵庫からビールを取り出す亮太の背中に翔は言った。一瞬その動きが止まる。
「なんで?」
「凱旋コンサート」
「デカクなったな、あいつ」
それを言ってひがみにならないのは、亮太くらいなものだろう。翔は苦笑する。
 亮太は満の事どう思っているのだろうか。10年前、甲子園を前にスランプに陥った亮太を
翔の元へ向かわせたのは満だった。
 手を差し伸べてくれたのか、どん底に突き落としに来た悪魔なのか、それを亮太がどう
思っているのか翔には分からない。
「駅前のKホールに来るんだって」
「地元の?」
「そう。その後、白井寿司で打ち上げ」
「行くのか?」
「悠に誘われた。今度の土曜日。お前、試合だから無理だって言っといた」
今更、どの面さげて、仲良く出席すればいい?亮太がたとえ他のメンバーと会いたいと言っ
ても、翔は亮太と一緒に行く気にはなれない。亮太が行くというのなら、自分は欠席する
つもりだ。
「・・・・・・ああ、そうだな。よろしく言っといてくれ」
亮太はビールを呷ると、そっけない口調でそう言った。


 亮太と2人きりの時間は、いつも重い時間だった。こんな関係に成り立てのころは、激しい
口論も、つかみ合いの喧嘩もした。翔は亮太が傷つくことを分かって罵ったこともある。
 けれど今はそれもない。
薄められた毒の液体の中に横たわっているようなものだ。ゆっくりとダメになっていく。
言い合うこともない。気持ちを伝えることも、亮太を知ることもない。
「いつまで・・・」
「え?」
「いつまで、続くんだろうな・・・」
「な、にが?」
「・・・・・・あいつら。仲、いいんだろ、慎吾達」
(そっちの事か)
「そうだな・・・何時まで、仲良しでいるんだろうな・・・」
翔は、亮太の発言に敏感に反応してしまった。自分達の関係の話を始めたのだと思ったのだ。
思えば、そんなことを話したことは一度もない。触れられないことだった。
 自分からそんな話をすれば、それは自分が「負け」を認める事と同じことだ。
 実のところ、亮太がプロになった時点で、翔は亮太の才能に嫉妬することは止めた。あまり
にも離れすぎて、勝負にもならない。
 後一歩で手が届く、そのもどかしさはもうないのだ。
もう、負けていたのだ。自分の嫉妬が追いつかないほどに。
 その時点で、自分達のこのアンバランスな関係も終わりにすればよかったのに、抜け出せ
なかったのは、惰性なのか、それとも別の感情があったからなのか。
 翔にも分からない。
そうして、亮太の才能への嫉妬は、自分をこんな風にした亮太への恨みに見事にシフトした。
中身のない恨みに終わりなどない。それこそ泥沼だ。
「慎吾、今さ、堤先生と同じ学校で教師してるらしいぜ」
「ガキと一緒に怒られてるんじゃないのか」
珍しく亮太が皮肉混じりに笑った。
「みんな、同じことを言う」
釣られて翔も鼻で笑った。


 自分の辛さは誰にも伝えられない。
亮太には、自分が辛いことを悟られたくない。亮太の前では、自分がこの関係に後悔し
てるなんて、絶対に思われたくないのだ。
 亮太が自分を求める。自分はそれを蔑みながら応えてる。
常に主導権を持ってるのは自分で、亮太は翔の闇に引っ張られ続けている。
そういう模式図の中に自分達を無理矢理閉じ込めていなければ、翔は自分が崩壊してし
まう気がしている。
 けれど、歪んで作った檻など、幾つだって綻びがある。そこに光が当たれば、暗闇の住人
は嫌でもそちらに気が向くだろう。
 もしかして、亮太も、もがいているのだろうか。翔は亮太の読み取れない表情を見る。
自分が押し込めてるように、亮太にも、押し込めている想いがあるとしたら、これが、
爆発したらどうなるんだろう。
 傷つけあって、相打ちでもいいなんて思って、既に相打ち以上の仕打ちは受けている気が した。
 何時も通りに抱かれた後で、事後のけだるさから抜け出せずに、翔はベッドの中でうつぶせ
のまま、そんなことを思った。
 亮太は着替えを済ませると、ベッドの中の翔に2,3話しかけて、部屋を出て行った。
無反応なのも、何時も通りだ。
 ただ、
「いつまで、か」
亮太が最後に言った独り言が、翔の耳でいつまでもこだまし続けた。



土曜日は快晴だった。
夏と秋の狭間を行ったり来たりしている季候に、身体はだるい。昼間は歩くだけで汗ばんだ。
実家へと向かう電車に乗るのは何年ぶりだろう。新幹線のホームから、在来線のホーム
へと歩きながら、随分と実家に帰ってなかったことに気づく。
 埃くさいホームに立てば、思い出すのは高校生の頃のことだ。
溜めたバイト代で、大阪にいる満に会いに行った。自分の抑えられない苛立ちを、持て
余して、満にぶつけようとした。結局、ぶつける前に火をつけられて自爆したようなもの
だったが。
 どこか自分の知らないところに繋がっているレールを見つめて、気持ちが高ぶったのは
あれが、自分の青春だったのかもしれない。
 自分が見つめるレールは自分が飛び出した街。知らない場所ではないのに、やはり同じ
ように気分が高揚していた。

 駅前に5時に待ち合わせをした。大人しく満のコンサートに行くのもたるかったのだが
悠が4人分のチケットを買い揃えてしまったのだ。
「翔?!・・・ねえ、翔でしょ!?ってギャグじゃないよ!」
駅隣接のコーヒーショップで時間を潰していると、店に入ってくるなり馬鹿デカイ声で話
しかけられた。
 声に覚えはないが、明らかに知った顔だ。
「よう、慎吾!」
「やっぱりー、ひっさしぶり!やべえ、すっかり都会人じゃん」
「慎吾も、少しくらいは大人にみえるな」
どうも、翔の中では慎吾の声は小学生の頃の甲高い声のイメージが強い。低くなった声に
抵抗を見せながらも、しゃべり方は全く変わっていないことにほっとした。
「少しくらいって!これでも先生なんだけど!」
「子どもと一緒に遊んでんじゃないの」
「翔、ひでえ〜」
慎吾は笑って隣の席に座った。身体の小さかった慎吾も今ではそんなに変わらない。時が
流れたことを実感するのは、こういうときなのだろう。
「ヤスは?」
「今、車止めに行ってるよ。うちもそうだけど、ヤスのトコも家族総出なんだよ」
「・・・何、この満フィーバー」
「あったりまえじゃん、満と亮太はこの町が生んだヒーローだもん」
「満の実家、大阪だろ」
「いいの、いいの。多感な小学生を過ごした場所なんだからさ」
慎吾は楽しそうだ。久しぶりの再会を素直に喜んでいる。その笑顔は眩しい。

5時を少し過ぎて、最後に現れたのは悠だった。
「あ、悠!」
「ごめん、ちょっと遅れた」
悠はスーツ姿だった。
「お疲れ〜、仕事だったの?」
「昨日入札だったんだけど、思わぬ動きになって、今日は休日出勤・・・なんとか終わらせて
駆けつけたよー。あーあっつい!」
走ってきた悠の額には幾つも汗が玉になって噴出している。
「みんな、揃ったな・・・慎吾は珍しい顔ぶれじゃないけど。悠と翔は久しぶりだな」
康弘が笑う。
「慎吾、白井寿司のお得意さんなの?」
「あはは、うん。週一で通ってる」
「ツケし放題だしな」
「あれ、おばちゃんのおごりじゃないの!?」
「馬鹿、ツケだツケ」
2人が笑えば、悠と翔も笑った。あの頃と変わらない。

「亮太も来られればよかったのにねえ」
慎吾は純粋にそんなことを言う。何も知らないのは多分慎吾だけだ。康弘も悠も何かを掴んで
何かに気づいているはずだ。
「さーてと、久々、満の似非スマイルでも拝見するとしますか!」
「毒舌トークが聞けるぜ」
「アイツ、金払って入ってもらった「お客様」にも容赦ないからな」
「あはは、でもおばちゃん達に大人気なんだってよ」
4人はコーヒーショップを後にして、Kホールに向かう。


 一歩進む毎に、何かが揺れる。身体の中で、カリン、カリンと音がする。剥がれ落ちて、
メッキが落ちていく音なのか。
麻痺した関係が、また動き出す。
満に会うということは、そういうことだ。
今度は一体どこに向かっていくのだろう・・・。







<<next>>




よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要



  top > work > uniqueシリーズ > 青い鳥はカゴの中で4
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13