青い鳥はカゴの中で
「で、なんで俺も見舞いに行くことになってるんだ?」
「満は、亮太の事心配じゃないの?」
「今日か明日退院する人間を心配するほど、暇じゃない」
「冷たいなあ、満」
亮太の入院する病院に、悠と満が見舞いに来たのは、亮太が事故で入院してから1週間が
経った時のことだった。
悠は翔から、亮太が比較的軽傷であったことを聞き出していたので、すぐに駆けつける
ことをしなかった。その代わり、なるべく多くのメンバーと見舞いに行こうと、マメに連絡
を付けていたのだ。
悠と満は病院前でタクシーを降りると、亮太の病室へと向かう。
「わざわざ、入院先に行くこともないだろ」
「だって、満、来週には日本発つんでしょ?」
「まあな」
「だったら、日本離れる前に会っておこうとか、思わないの?この前だって、亮太に会え
なかったんだし」
「別に、死んでなきゃいつでも会えるだろ」
「死ななきゃって・・・・・・なんでそんなに乗り気じゃないのさ」
「いい加減、あいつらの近くにいるのが嫌なんだよ」
答えた台詞に悠が眉を顰めるので、満は溜息を吐いて弁解した。
「あー、はいはい。別にあいつらが嫌いとかそういうんじゃないから」
「じゃあ、どういう意味?」
「当事者以外は首を突っ込むとろくな事がないってコト。ほら、夫婦喧嘩はなんとやらって
いうアレだ」
「満、それ違うと思う・・・・・・」
悠は満の冗談に乗る気になれずに、首を振った。
病院の廊下は、薬品臭くて、明るい日差しが窓から差し込んでくるのが、余計に哀しい
気分になる。悠は翔に教えられた病室番号を辿って歩く。
満が翔や亮太にこれ以上会いたくないのも分かる気がする。強がっているようにも見える
満の行動は、すべて翔や亮太を心配するからこその事だ。
自分が出て行けば、動かずに入られなくなることを満は知っている。やり方は何時だって
荒療治だけど、苦しんでいる二人をそのまま見過ごすことができないのだ。
素直じゃないのは満も同じだ、悠はそう思う。
「みんな、慎吾みたいに素直ならいいのに」
「お、珍しくイヤミ?」
「満が、優しく手を差し伸べないからだよ」
「じゃあ、悠は優しく手を出したのか?」
悠はあれから一度だけ翔に会った。つい3日前の話だ。亮太の症状を聞くくらいなら電話でも
済むだろ、と翔に苦笑いされたが、悠はとにかく会いたかった。
3日前、亮太のチームはリーグ優勝を果たした。亮太はそれを病院のベッドの上で見届け
ることとなった。
規定打席には到達しているので、亮太はチームを離脱しても、三冠の資格は失うことは
ない。少なくとも首位打者は狙える位置にいる。
それが亮太にとってどれ程価値のあるものになるのか、悠は分からない。最後まで試合
に出ることなくもらえる栄誉に、亮太は心から喜べるのだろうか。
その虚しさを、その敗北を翔はどんな気持ちで見ているのか、悠は心配でたまらなかっ
たのだ。
「・・・・・・で、そのオジョウサマはなんて?」
「ザマアミロだって」
「優しく手を差し伸べるヤツには噛み付くんだよ、負け犬は」
「満!」
悠の口調が強くなる。勿論満が本気でそんなことを言っているとは思わないが、満の評価
はいつだって厳しい。
翔は自分達に弱いところを見せたくないだけなのに。悠はそれが分かるから、翔の強がり
を無言で受け入れる。
エレベーターホールでエレベーターが下りてくるのを待った。亮太の病室には既に慎吾
と康弘が向かっているはずだ。
悠は翔も誘ったが、仕事があると断られた。仲良く6人でなんていう夢を描いている自分
は、やはり浅はかなのだろうか。悠は翔に断られたあの虚しさを思い出す。
翔と亮太がどんな関係を築いて、二人がどんな思いをしているかなんて、悠には分から
ない。けれど、あの夏、甲子園を前に翔を大阪まで、満のところまで呼び出した自分の責任
を、悠はずっと感じているのだ。
「大丈夫かな・・・」
「放って置けって言っただろ?」
「だって!」
「俺達が出て行っても、引っ掻き回すだけだって」
引っ掻き回すことで、現状を抜け出せることもある。悠はあの夏の甲子園で優勝した亮太
を、忘れることは出来ない。
地方大会で絶不調だった亮太が、満の仕掛けた作戦であんなにも変わったのだ。
ただ、それと共に亮太と翔の関係も、変わってしまったのだが。けして良い方とは言え
ない方向に。
「何回も言うけど、俺はあの時、金輪際、あいつらの面倒見ないって言っただろうに」
「だけど・・・・・・満だって、ホントは気になってるんだろ?」
ハイリスク、ハイリターンの賭けに、悠はもう一度賭けてみたくなる。
「俺達は、17のガキじゃない。翔も亮太も大人だ・・・ああ見えてもな」
「ああ見えても・・・あの2人の時間は多分止まったままだよ!」
満が悠を睨んだ。悠も引けなくなって、その冷ややかな瞳を見つめ返す。
「だったら、悠がなんとかしな」
「無理だよ!・・・っていうか無理だったんだよ。僕に心を開く術は一つもなかった。もう、
手駒は残ってないんだよ。お願い、大将自ら動いてよ」
悠の気持ちが分からないでもない。満は「面倒くさい」と「わずかな良心」を必死に天秤
に掛けている。
エレベーターの中は緊迫した空気になった。
こういうときの悠の瞳は揺ぎ無い。満は目を逸らし、首の後ろに左手を当てて肩を揺すった。
満が何か考えるときの昔からの癖だ。
「大将じゃねえよ、バカ」
「いいじゃん、王将で桂馬取ってくれば」
「アイツが桂馬か?だったら相手の王将は誰やっちゅーねん」
「うーん・・・亮太?」
「暴れ馬が言うこと聞かないって?」
満の声が柔らかくなる。
「あーあ、たまに日本帰ってくるとコレだよ・・・」
「そういう星の元に生まれたんじゃないの?」
エレベーターの扉が開く。
「さてと。じゃあ、もう一お節介焼きますか」
満は悠の背中を押して、亮太の病室へと向かった。
「あ、まっちゃん、悠!遅いよ」
「ごめん、満が遅れてくるから」
「悪い、打ち合わせが長引いたんだよ。亮太、随分と元気そうだな」
「オッス」
病室の亮太は普段着に着替えて、ベッドに座っていた。亮太の他には、慎吾と康弘がパイプ
椅子に座って、雑談をしている。
「あれ、もしかして、もう退院?」
「そう。午後には退院だって・・・こんなことならもう一日早く来ればよかったな」
康弘が答える。
「いいじゃん、みんなで一緒に帰ろうよ」
慎吾は相変わらずのん気な発想で笑った。
「亮太。手首の方はどうなの」
「おかげで、完治・・・とはいえないけど大分いいよ。・・・日本シリーズには出られると思う。
いや、絶対出たい」
亮太は手首をくるくる回して見せた。腫れはすっかり引いていて、日常生活には支障はない
ように見える。
「あーあ、それにしても残念だったね。折角優勝したっていうのに」
「まあ、仕方ないさ。来年もあるし。・・・三冠だって、このまま全試合終われば俺の物だしな」
「欲しい?」
悠の言葉に亮太は眉を顰めた。
「・・・・・・当たり前だろ」
その表情からは、亮太の気持ちを推し量ることはできなかった。
「それにしても、微妙に全員で集まれないよね」
慎吾が周りを見渡して言った。
「満の凱旋コンサートの時は亮太いなかったし、今回は翔がいないし」
「仕事なんだろ」
亮太の声が幾分低くなる。
康弘が持ってきた見舞いのリンゴを手で撫で回して言った。
「まあ直ぐ退院って分かってるなら、2度も見舞いなんて来ないのかもな」
康弘のリンゴを回す手が止まる。亮太に凝視されて、その視線に康弘は固まった。
「な、に?」
亮太の顔が強張る。見据えられた康弘は得体の知れない怖さに背筋がぞぐっとした。
「翔、来てたのか?」
「・・・・・・亮太会わなかった?」
「ああ」
呼吸を飲んで、返事をすると、亮太は表情をなくしたまま頷いた。
慎吾は亮太の空気を吹っ飛ばすように、その間に割ってはいる。
「翔なら、亮太が事故った日に駆けつけてるはずだよ?僕達、翔から亮太の症状のこと
聞いたんだから」
「・・・・・・そうか。俺、運び込まれた夜は寝てたからな」
「大体、亮太、事故ってどんなんだったのさ?」
慎吾は、パイプ椅子に座って、亮太の為に買って来たペットボトルのお茶をのん気に飲ん
でいる。
亮太の事故はニュースでも何度か取り上げられていた。悠もそれを見て、おおよその
ところは把握している。
飲酒運転の車が歩道を歩いていた亮太に突っ込んできて、それを避けた拍子に左手を捻った
のだ。歩道には縁石もガードレールもあって、おまけに飲酒運転の車はスピードが出てい
なかったおかげで、亮太は簡単に避けることができた。
ただ、受身を取った瞬間に左手が先に地面に着いてしまったのだ。
「ニュースに出てた通りだけど」
「・・・そうなの?」
「ああ」
亮太は事故の話になると、明らかに口数が減った。
慎吾や康弘には亮太の事故った現場がどこであるか地名を告げたところで、大した反応
はないだろうが、悠は亮太が運ばれた病院が「ココ」であることに、ずっと不安だった。
そして、一部報道でされていた地名を見て、納得した。
多分、亮太は翔の住む部屋に向かう途中だったのだ。
日常的に亮太と翔が会っているとか、単純に仲のよい仲間だとすれば、悠もそれほど
気にはしない。
だけど、少なくともあの事故が会った日、亮太が翔の家に向かっていたということを、
翔は知らないはずだ。
でなければ、事故を知って連絡したときに、あんな反応はしないはずだ。
悠はほんの少しだけ、賭けに出ることにした。隣に満がいるという、失敗しても満が
なんとかしてくれるだろうという、満が聞けば怒りそうなことを思って。
「でもさ、なんであんなところ歩いてたの?」
「・・・・・・」
「亮太の寝泊りしてるトコ、あっちじゃないよね?」
「・・・・・・ああ」
亮太は何しに行くつもりだったんだろう。優勝を目前とした大切なときに、夜中に1人で
翔の家に行くなんて。
自分がしようとしてることは、ただのお節介だ。そんなことは重々承知だ。昔のように
仲良く笑い合いたいなんて、夢みたいなことをいつまでも言っている年でもない。
けれど、目の前で苦しい顔をしているのに、自分達には何一つ泣き言を言わない亮太にも
翔にも、悠はもどかしさを隠せない。
苦しいなら、苦しいと、言えばいい。
自らの闇の中で、自分だけがこんなに苦しいと思い悩み、周りを断絶してしまう、その
孤独に、周りには仲間がいるのだと、教えたくて、気づかせたくて。
「・・・・・・会いに行くつもりだった?」
その言葉を発した瞬間、亮太は悠を睨みつけた。
蛇に睨まれた蛙とは言ったもので、その鋭い瞳に悠は身体がすくんだ。
辺りの空気も一瞬のうちに凍りついた。悠は地雷を踏んだのだ。
「・・・・・・」
誰も、何も言えなくなってしまった。
しん、とした重い空気は、慎吾ですら払拭することができない。ただ困惑気味に亮太を見つ
めるだけだ。
その空気をぶった切ったのは、満だった。
満の溜息が室内に響く。左手を首の後ろに回して、そこを押さえている。
(何を考えてる、満?)
悠は満の動きを目で追った。
2,3度、目を瞬かせた後、満は重い口を開いた。
「亮太、翔の部屋知ってるだろ?」
「・・・・・・」
「教えろ」
「なに・・・?」
「いいから、教えろ」
満の声が低く響く。
動き出す。最後の砦が破壊される。悠は、思わず息を呑んでいた。
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