はしま道中流離譚―俺とあなたに架ける橋―
夕方と言うには少し早い時刻だった。
さすがに何時間も運転するのは疲れるのだろう。板橋は止まったコンビニで、僕に缶
コーヒーを買って来るように言って外に追い出すと、シートを倒してしまった。
「本でも立ち読みしてきていいよ」
振り返ると、板橋は既に目を閉じていた。
コンビニの入り口の扉には「高松店」と書いてある。
香川に入ってから、板橋はひどく悩んでいた。僕にすれば些細過ぎる悩みなんだけど、
それはもう真剣そのものっていう目で僕を見つめて、
「俺は、ここに来るといつも、この重大な問題に悩まされるんだ」
と言った。
何のことはない、四国を脱出するルートを「瀬戸大橋」にするか「鳴門・明石海峡大橋」
にするか、の選択のことなのだ。
しかし、板橋の橋オタクの血が騒ぎ立てるのか、僕がどっちでもいいんじゃないと、軽く
漏らしてしまったが最後、烈火のごとく怒られた。
板橋って、橋のことになると、本当に性格変わる。オタクを舐めると痛い目に遭う。
僕はまた一つ学んだ。
コンビニで30分は立ち読みして時間を潰し、板橋に頼まれたコーヒーとお茶を取ると
(僕の所持金は102円というパックのお茶くらいしか買えない勢いなので、当然板橋から
お金を借りるはめになった)レジを済ませて、車に向かった。
立ち読みしてるときに、隣に立った男がやたらとこちらを向いていた気がしたけど、
知り合いだったかな・・・。
小学生時代の友人とか、こんな縁もない土地でばったり出会ったら絶対分からないだろ
うな。フルネーム言われてもピンとこないだろうし。人の顔も名前も覚えるの苦手だ。
僕の方も2,3度ちら見をしてみたのだけど、やっぱり知り合いではない気がした。
・・・・・・ま、いっか。
車を覗くと、板橋はまだ眠っていた。
板橋の寝顔って、綺麗だな。普段ぼやっと笑ったり、怖いくらい真剣な顔つきで橋のこと
考えてたりするから、そういう表現って絶対似合わないんだけど、寝顔は素直で、綺麗だ。
21歳の伸び盛りの青年の顔をしてると思う。
僕は、板橋をもう少し寝かしてやろうと思って、車の中に買ってきたコーヒーとお茶を
乗せると、少し離れた縁石の上に腰を降ろした。日ざしは相変わらず強くて、座った縁石
は熱かった。
ケータイを取り出すと、落としていた電源を入れる。やはり、社長からのメールが痛い
ほど沢山来ていた。
「後悔するなら、僕と関係なんか持つなよ」
心がぎゅうっと絞られる。帰って来いなんて、どの口が言うんだ。別れようって真剣に
言ったのは、あなたじゃないか。
戻ったところで、きっと繰り返す。戻りたくないわけじゃないけど、もう引き返さない
方がいいに決まってる。そもそも、この関係は間違いだらけなのだから。
僕は頭を抱えた。
会社の休みももう終わる。この調子で神奈川に帰るとなると、間違いなく無断欠勤が続く
ことになる。
でもいい。僕はもう会社を辞めるつもりだ。
社長に一言だけ、メールをした。
『辞表は適当に作って、処理してください』
何年も真面目に働いてきた(つもりの)会社をこんな事情で辞めなくてはならないのは、
さすがに痛いけど、自業自得な部分だってある。
就職活動はつらいなあ。退職理由は上司との意見の不一致でいいのかなあ・・・。
メールを打つと、直ぐに電源を落とした。一方的で卑怯だけど、社長のことは、まだ
考えたくない。
縁石の上に座りながら、通り過ぎていく車を見つめる。日差しが暑くて、少しくらっと
した。
「こんなトコに座ってると、日射病になるぜ?」
座っているといきなり声をかけられた。頭上を見上げると、逆光で声の主は見えなかった。
「・・・・・・」
黙っていたら、額にペットボトルのお茶を貼り付けられた。ひんやりとして、気持ちいい。
「何してんの、こんなトコで」
声の主は、僕の隣に座った。見れば、先ほどコンビニで何度もこちらを見てきた男だった。
あれ、やっぱり知り合いかな。まずいな、全然記憶にない顔なんだけど。確かに同い年
くらいだけど・・・同級生かなあ。
「あの・・・?」
「お茶、やるよ。あっついなー、しかし」
「えっと、知り合い・・・でしたっけ?」
こういうのってメチャ失礼なんだけど、きっとヒント貰ったところで、僕が答えられるわけ
がないので、素直に聞いてみた。
しかし、男はあっさり首を振った。
「いや、声掛けてみただけ」
「え?」
それにしては、馴れ馴れしい態度だ。
「声掛けただけ。ダメだった?」
「・・・・・・そう」
「で、何してるの?」
「家に帰ってるとこだよ」
「家?どこ?」
「神奈川」
「・・・・・・どっから来たの?」
質問が多いなヤツだなあ。そういえば、板橋はあんまりプライベートに突っ込んでこない
よな。自分の事も話さないし。(僕が聞かないっていうのもあるけど)僕がゲイってこと
と、社長と不倫旅行で振られて飛び出したってこと、あと神奈川に帰る以外は、多分僕の
ことなど、知らない。・・・知って欲しいわけじゃないけど、不思議な関係だな、ヒッチハイク
って。
相手が余りにしつこく聞いてくるから、面倒くさいと思いながらも、僕はその質問に一々
答えてしまった。
「九州。大分。ヒッチハイクで家に帰ってる最中なの。今車の持ち主が休憩してるから、
時間潰してるんだ」
僕が答えると、男は
「ふーん」
と言って、僕を上から下まで舐めるように見た。背筋の辺りに鳥肌が立つ。
「なあ、オレもヒッチハイク頼める?」
「は?」
「だからさ、オレもその車、乗せてよ」
男は、その30分後には板橋の車の後部座席に座っていた。
「あのさ、ヒッチハイクしてくんない?」の一言に、板橋は一瞬怪訝な顔をした。どこまで
と問うと、「神奈川」と答える男に、大きくため息を吐いて、親指で後部座席を指した。
「乗りな」
こうして、僕達の旅は2人から3人に増えることになった。
「あんた、名前は?」
「オレ?・・・テルでいいよ」
男は――テルは態度もふざけていたが、全てがふざけていた。どう見てもヒッチハイクで
神奈川まで行く用事なんてなさそうだし、服装だって精々近所のコンビニに立ち読みしに
来ましたって感じだった。
テルの目的は分からないけど、頼子さんのことで起きた2人の気まずい空気が、薄まれば
いいと少しだけ期待もしていた。
板橋は相変わらず行く先で橋を眺めては車を止めた。
僕とテルは殆ど無視で、車内に置いてきぼりをくらったり、一緒に外に連れ出されて、
橋を眺めさせられたりした。
さすがのテルも板橋の趣味には唖然とした様子で、しきりに「板橋って何者?」と僕に
聞いてきたけど、僕だって板橋が何者かなんて分かるはずもなかった。「橋好きの大学生」
とだけ答えると、テルは興味なさそうに「ふうん」と言った。
すっかり日が暮れたのにも関わらず、僕達はいまだ香川に(しかも高松)留まっていた。
要するに、隣の市にも移動できてないほど、鈍足に動いてるってコトだ。
こんなに鈍足になってしまった一番の理由は、板橋が絶対見た方がいいという、橋の宝庫
(これは板橋の形容)「栗林公園」という有名な(残念ながら僕の中では有名じゃなかった)
景勝地に連れて行かれ、木造の橋を堪能してしまったことにある。
尤も、堪能してたのは板橋で、僕は普通に景色を楽しんだだけなんだけど。テルに至っては、
つまらなそうに、僕の後ろを歩いていただけだ。
今日はきっとこのまま高松で1泊するんだろうな。でも、2人ならまだしも、3人でオデッセイ
に雑魚寝はキツイよな。
板橋、どうするつもりなんだろう。
さすがに今日の寝床については板橋も考えていたらしい。安いビジネスホテルを取るか、
もっと安く済ませるなら、漫画喫茶だな、と呟いた。今の漫画喫茶は侮れない。駅近くの
なんて、終電に乗り遅れた人をターゲットにしているせいか、リクライニングの効いた
ソファ、毛布、そしてシャワーまであって、漫画を読むというより、眠る前に本でも読む
といった感じだ。
「生活する」という行為に対して無頓着としか言いようのない板橋は当然、漫画喫茶でも
ホテルでも構わないと言ったが、僕が安い(これが重要)漫画喫茶、テルがどうしてもホテル
だと言い張った所為で、3人は止まったコンビニの駐車場で今後の方向性が決まらず膠着して
しまった。
(どうして、そこまでして、テルはホテルに拘るんだ!)
僕と板橋だけなら、悩まないで済む問題なのになあ・・・。ってそもそも2人なら車の中で
寝れば済むことか。
話し合いは平行線というか、値段で譲れない僕と理由が分からないけどホテルを推すテル
の間で、ちっともまとまらない。
「どっちでもいいから、決めておいてよ」
呆れた板橋は言い捨てて、1人コンビニに行ってしまった。
大きなため息が出た。3人て疲れる・・・。
出会ったばかりの男は図々しくて、ちゃらちゃらしてて、いいトコなんて、身体くらい
じゃないか!(正直、身体はタイプだと思う)
僕が本気で説得に掛かろうとしたその時、助手席の窓ガラスをバンバンと手で叩く音が
した。僕もテルも驚いて窓の外を見る。
そこには、若くて綺麗な女の子(多分女子大学生くらいだろう)がいて、ドアを開ける
ように外で叫んでいる。
あまりに激しく叩くので、僕は窓が割れるんじゃないかって恐ろしくなって窓を開けて
しまった。
「ねえ、この車、ハッシーでしょ?!」
「黒のオデッセイ!ナンバー見て確信したもん!ハッシーいるんでしょ?!」
彼女のハイテンションと図々しさはテルにも引けを取らないほどで、返答に窮している僕
に、彼女は追い討ちを掛けるように言った。
「あたし、ブログ読んでるから知ってるのよ!あなたがヒッチハイクの人ね。・・・二人も
いたなんて知らなかったけど、ねえハッシーはどこ?」
ああ、橋オタク仲間か。って、こんな可愛い子でも橋オタクなのか?
「彼ならコンビニで買い物でもしてるよ・・・」
コンビニの入り口を見ると、丁度板橋が出てくるところだった。
「あ!!」
彼女が飛び出したのと、板橋がそれに気づいて、持っていたコンビニの袋を地面に落とす
のは、ほぼ同時だった。
「ハッシー!昨日のブログで愛媛にいるって言ってたから、絶対こっちにも来ると思って
たの!」
そう言うと、彼女はいきなり抱きついた。
え?板橋の恋人・・・?
後ろで、テルがやるな、あの兄ちゃんと品の悪い野次を飛ばす。僕はその姿を見て直感的に
むかっとした。別に深い意味はない、と思う。
板橋は絡みつく女の子の腕を解くと、落とした袋を拾った。
「久しぶり、響子ちゃん」
「ハッシーってば全然連絡くれないんだもん」
頬をぷうっと膨らませて拗ねる姿は、女の子特有で、やっぱり可愛いなって思う。憎らしい
けど、僕にはできない(やったら気持ち悪い)。女の子って得だなあ。
板橋が運転席に戻ってくると、彼女も当然と言ったように、車に乗り込んできた。
後部座席には2人のわがまま星人。
板橋の顔もさすがにちょっとだけ曇っていた。
「あなた達、ヒッチハイクの人?」
彼女は隣にいるテルに声を掛ける。
「さっき拾ってもらった。君、名前は?」
「あたし響子」
「オレ、テル」
図々しい人間って、多分溶け込むのも早いんだろうな。
「響子ちゃん、どういう関係?」
「えー、ハッシーと?・・・恋人みたいなもん?」
さすがにその答えに、板橋が反論した。
「響子ちゃん、初対面の人に嘘教えないように。気にするな、この子妄想壁のある子だから」
「へえ、お似合いなのに」
テルが言うと、響子ちゃんは嬉しそうに声を上げた。
女の子って1人いるだけで、どうしてこんなにもうるさいんだ。
「で、みんな今からどうするの?」
「今日泊まるとこ決めてるんだけど、ホテルかマンキツで揉めてる」
テルが言うと、板橋も渋々会話に参加し始める。僕は黙ったままだった。初対面の女の子
って、緊張して上手くしゃべれないんだよね。まああんまりしゃべりたい相手じゃないけど。
「2人なら、車で寝られるんだけどさ、さすがに3人はなあ・・・」
「だったら、ハッシーがうちに来ればいいよ」
「え?」
「車の中、2人なら寝られるんでしょ?」
「まあ、そうだけどなあ・・・」
「昨日だって、頼子ちゃんのとこ泊まったんでしょ?いいでしょ、うちでも!駐車場もある
から、そこに泊めてこの人たちは寝ればいいし、ハッシーはあたしの部屋で寝ればいいでしょ」
板橋が押されてる。
っていうか、この子、何?この強引さ。ハッシーだけ泊めるって何だよ。頼子さんは僕も
一緒に泊めてくれたよ?
初めから印象はよくなかったけど、この一言で、響子ちゃんに対するイメージは最悪に
なった。お前なんて響子ちゃんなんて、ちゃん付けして呼びたくない、響子だ、響子。
凶子で十分だ!
あー、なんか、ムカムカする!板橋もそんなお誘い断れ!
安いところなんていわない。ビジネスホテルでもカプセルホテルでも我慢するから、
(板橋のお金だけど)お願いだから、彼女のところに行かないでほしい。
あれ・・・なんで、僕、こんなに焦ってるんだろう。
響子の白い腕が板橋の肩に伸びる。噛み千切ってしまいたい衝動を抑えながら、目を
逸らした。
「ねえ、ハッシー、いいでしょ?」
板橋に、触るな。
僕は心の奥に沸き起こるある一つの気持ちを全力で否定しなければならなかった。
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