はしま道中流離譚―俺とあなたに架ける橋―
板橋があらわれた。
板橋はおこっている。
板橋はいきなりこうげきしてきた。
「あんたら、俺の車で何してんだ」
「えっと、あの・・・あうっ」
勢いよくテルの股間から後ろに飛び跳ねた所為で、後頭部を窓ガラスに打ち付けてしまった。
オレンジの室内灯の下で、板橋の顔がはっきりと見える。その室内灯に照らされて、テルの
性器が唾液でてらてら光っていた。
板橋は今までに見たこともないような形相で、僕とテルを睨んでいる。
緊迫した空気の中で、その空気に穴を開けたのはテルだった。
「何って、ハッシーと同じこと。あんただって響子ちゃんとイイコトしてたんだろ?」
テルは余裕をかましながら散らばった下着をかき集め、手早く着替えた。いかにも修羅場
慣れしてます、と言った様子でジッパーを上げる。
その姿に板橋は益々切れた。
「ふざけんなよ、人の車の中で!」
板橋にとって、車は神聖な場所なのか?板橋の怒りの元が何なのか、イマイチ理解できない
けど、とりあえず板橋は相当怒ってるのは分かる。
その目で睨みつけられて、自分が下半身何もつけてないことに恥ずかしくなって、慌て
てズボンを履いた。
テルは少しだけニヤニヤしてるように見えた。
「・・・ねえ、ハッシー、なんなの?」
車の外で響子がこちらを覗っている。
あっぶない、こんな姿響子に見られたら何言われるか分かったもんじゃない。
「うるさい、あんたは黙ってろ」
「何よ、いきなり。さっきからなんでそんなに怒ってるのよ、全然ハッシーらしくない」
「らしいも、らしくないも関係ない」
板橋は何時もの口調とは考えられないほど荒れていて、僕だけでなく響子もひるんでいた。
「なんだよ、そんな切れんなって。悪かった、悪かった。あんたの車汚すような真似して。
でも、まだ何にもやってないんだから、そうカリカリすんなよ、お坊ちゃま」
テルがポケットからタバコを取り出す。それを口に咥えた瞬間、板橋は運転席から姿を消した。
「?」
一瞬の間の後、後部座席のスライドドアが勢いよく開いて、板橋はそこからテルの首根っこ
を掴むといきなり外へとずり出したのだ。
「うわあ」
テルはバランスを崩して、地面に叩きつけられる。咥えたタバコだけが口から零れ落ち、
車の中に置き去りにされた。
「痛ってえ!何すんだ、てめえ!」
腰を抑えたまま蹲っているテルに、板橋は冷たい眼差しを向けた。
「ふん」
「こ、この・・・」
テルが起き上がって板橋の胸ぐらを掴む。
「離せよ」
「離すかよ、一発殴らせろ」
「何で俺があんたに殴られなきゃいけないんだ」
「よく言うぜ、こっちはお楽しみの最中だったのに、邪魔しやがって」
テルの主張も無茶苦茶だ。
「邪魔して悪かったな」
「ああ、ホント邪魔。もう少しでおいしくいただけるところだったのに」
テルの挑発に板橋は眉をしかめる。睨みあって、板橋は胸元のテルの手を掴んだ。
「はっしー、一体何があったの、ねえ?」
板橋の後ろで響子が慌てた。板橋もテルも響子の声を無視して睨みあっている。
「邪魔して悪かったな。・・・でも車は禁煙だ。俺のルールを守れないヤツは車から降りろ」
テルの絡みついた腕を払い、板橋は言った。
その後すぐに、テルが小さくうめいた。多分板橋はその払った腕を捻ったんだろう。
テルは打った腰と捻られた腕を庇いながら、後ろによろけた。
「くっそ、何すんだ・・・」
板橋は怖い、初めてそう思った。
「あの、い、板橋君・・・」
僕はその時、テルを助けたかったのか自分を弁解したかったのかよく分からない。とにかく
この気まずい雰囲気から抜け出したくて、空回りしながら必死で取り繕っていた気がする。
板橋が車の中で呆然と座る僕を一瞥する。目が合うと、自分が年上であることを忘れる
くらい恐ろしい視線と絡み合う。
迫力があるというか、切迫しているというか。相手の気持ちに押された。
「・・・・・・」
何も言えずに黙っているとスライドのドアが、がががっと閉まった。そうして、僕の視界
からテルと響子が消えると、背筋がぞくっとした。
皆、この状況を唖然として見ている。
響子の金切り声も、テルの罵声も聞こえない。状況に誰一人ついていけないんだ。怒り
っていうのは、主体になってる人が一番強い。一番強く現場をかき混ぜられる。
「じゃあな」
板橋は、運転席に乗り込むと、エンジンを掛けた。サイドブレーキを外して、アクセルを
踏み込む。
「ええ?」
驚いて、運転席の後ろまで這って行くと、板橋は怒りながらこちらを睨んだ。
「あんたも降りるか?」
「・・・・・・」
板橋はそう言うと、そのまま車を発進させてしまった。
車が動き出すと、外の2人が何か叫びだす。漸く自分の置かれてる状況を把握したのだ。
深夜の住宅街で迷惑甚だしいけど、2人にはそれどころじゃなかったのだろう。
バックミラー越しに2人が手を上げている姿が見える。
「あの・・・」
「何」
「いや・・・」
板橋の怒りの前では何も言えるはずもなく、僕は後部座席で激しく揺られながら、高松を
後にすることになった。
瀬戸大橋の玄関は坂出市というところらしい。真夜中に浮かぶ高速道路の看板で、坂出
という文字を見つけると、板橋は躊躇いなくそこに吸い込まれて行った。
響子のところを出てから、無言だった。
無言だったけど、板橋が未だに怒っていることは分かる。
板橋の逆鱗に触れた本質が何なのか分からない以上弁解も謝罪も出来そうになかった。
指先でハンドルを弾く音が板橋のイライラをよく現している。小刻みに音を鳴らし、ため息
と共に、ハンドルを叩く。
板橋がこんなに感情のある人間だなんて思っても見なかった。生活の9割は橋の事しか頭
にないような人間。温和で笑ってるかにやけてるか、ぼーっとしてるか(多分その殆どが
橋の事を考えてるときの表情だ)それくらいしかないと思ってたのに、今の板橋は明らかに
感情を表に出して、怒っている。
一体、板橋は何に怒ったんだろう。
僕は思いつく限りのことを頭に浮かべてみた。
1.板橋の車で、セックスしようとしたから
2.テルの態度が横暴だったから
3.響子と言い争っていたことでテルに八つ当たり
あの状況で考えられるのはこの3つかな。1あたりが一番有力だと思うけど。誰だって人の
車で他人がセックスなんてしてたら腹立てるよな。しかも男同士の。
気持ち悪いよな、腹立つよな。シートに精液飛んだらシャレにならないもんな。それは
僕だって嫌だ。僕も車の免許は持ってるけど(だからと言って運転が出来るわけじゃない)
もし、自分の車で赤の他人がセックスしてたら、切れると思う。
車の中汚れるし、臭いし。しかも、この車高そうだしな。車の値段なんてよく知らない
けど、3ナンバーってことは結構値段するんだろ?
後先考えずにしようとした僕達が悪かったけど・・・。
でも、未遂なんだから、そろそろ口くらい利いてくれたっていいのに。なんでそんなに
怒るんだよ。ゲイだって告白したときだって、そんなに気持ち悪がらずに隣にいてくれた
のにさ。
何時もの優しい板橋の対応とはエライ違いだ。
そこで、ふと、もう一つの可能性について思い浮かんだ。
4.板橋の車で、テルと僕がセックスしようとしたから
言葉にすると1とよく似てるけど、意味は大違いだ。
大違い。
テルと僕が・・・僕が誰かと・・・。
その意味を自分で考えて、傲慢というか、妄想というか、期待と理想と現実逃避と、
あらゆる自分の欲が入っていることに自己嫌悪した。
あはは、板橋が僕のこと思って、テルに嫉妬するなんてありえないじゃん。
僕って、つくづくおめでたいヤツ。
「はあっ・・・」
思わず、でっかいため息が漏れた。
「ため息吐きたいのは、こっちだ」
板橋の怒りの矛先が僕に向いた。
「聞こえてたの?」
「聞こえるにきまってんだろ、無音なんだから」
板橋の車にはカーナビがついていて、それを操作すると音楽も聴けるらしいんだけど(何度
も言うようだけど、僕は機械音痴でそのあたりがよくわからない)板橋はいつもラジオを
流している。各地のFMを渡り歩いてるって言った方がいいのか、県が変わると躊躇いなく
チャンネル変えたりしてるから、多分板橋のお気に入りの局が幾つかあるんだろう。
そのラジオも今は聞こえていない。気づかなかったけど、板橋が消したんだと思う。
エンジン音と風を切る音、板橋はもうハンドルを小刻みに弾いたりはしていなかった。
無音の車は暗闇の中に浮かぶ一筋の光を頼りに、永遠と真っ直ぐに進んでいた。
暗闇に浮かぶ瀬戸大橋のオレンジ色の光。真っ黒に塗りたくったキャンパスに一筋、躊躇い
もなく引かれた線のようだ。続いていく先のはっきりした、自分の道を知っている橋。
長くても、着地点があって、それを間違えないで進む。ゆるぎない信念みたいな。
僕の橋はきっと、無駄にうねうねと曲がって、途中で陥落しているんじゃないんだろうか。
「・・・・・・あんたの所為で、せっかくの瀬戸大橋が台無しだ」
「え?」
「夜の瀬戸大橋なんて、恋人同士だって大喜びだぞ」
確かに夜景としてもロマンチックに映るだろう。
恋人という言葉に、助手席に座った響子を連れて、板橋がここを走る姿を想像してし
まった。
あ、今凄くむかついてる、僕。
そうして、僕は板橋が僕達の事を怒る前に、響子と言い合いしていたことを思い出す。
あの時、板橋は何て言った?
テルの股間に顔埋めてたって、ちゃんと聞こえるもんは聞こえてたんだ!
「そんなに来たかったなら、僕じゃなくて響子ちゃんでも連れてくればよかったじゃない!」
一層刺々しい声で板橋が言う。
「なんでそこにあの子が出てくるんだ」
「き、聞こえてたんだからね!」
「何が」
一瞬、運転中の板橋が後ろを振り返った。それが動揺なのか威嚇なのか。
「響子ちゃん、車の前で叫んでた、『どういうつもりで、抱いたの』って」
「・・・・・・」
板橋は黙った。触れられたくない事だって顔に思いっきり書いてある。
「言ってくれればいいのに、恋人なら恋人だって」
「違うって言ってんだろ」
イライラした感じは相変わらずだったけど、板橋の口調がちょっとだけ変わった。
「じゃあ、何?響子ちゃんとは付き合ってもないのに、そういうことするんだ」
「・・・・・・確かに、したけど、もう1年も前の話だ。酔ってたし、あの子が抱けって迫るから
仕方なく抱いてやったんだよ。恋人気取りもいい加減にして欲しいね」
「随分な言い方だね、抱いてやったって。味見したらポイ捨て?!」
けんか腰になって、僕は後部座席から身体を乗り出した。
板橋は前を見ながら、目だけ軽くこちらを向くと、鼻で短く息をした。
「あんただって、してるだろ。そんな事、あんたに言われる筋合いない」
「そういう、言い方するんだ!」
「だって、そうだろ。社長に振られて、フリーになったら、ハイ次の人、って尻軽もいい
トコじゃん。どうせ行きずりにするつもりだったんだろ?」
し、尻軽って・・・
「僕だって、男だもん、溜まる時は溜まるんだよ」
「だったら、誰でもいいって言うのか」
う・・・・・・。
板橋の声が痛い。心を串刺しにするような台詞に真実は告げられない。
夜の闇に浮かぶオレンジの線は、目の前に広がる光の洪水に繋がっていく。岡山の街の
灯りが、高速道路と入り混じって、真っ直ぐな意思が溶け出したみたいだ。
雪崩れ込む光に目がくらくらする。
瀬戸大橋の終わりだった。
誰でもいいわけじゃない、ただテルはちょっとばかり好みの身体で・・・それに、本当に抱かれ
てもいいと思ったのは・・・・・・
「誰でもいいのかよ、あんたは」
板橋の視線が噛み付く。震える声を絞って僕は首を振った。
「誰でもいいわけじゃない」
はっきりと告げた言葉に、板橋が返した言葉は、僕の予測を軽く超えていた。
「だったら、俺でもいいのか」
「は?」
今、何て言った・・・・・・?
「だったら、俺が抱いてやる」
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