はしま道中流離譚―道中、お気をつけて―
この世の終わりはあの世の始まり。此岸と彼岸を繋ぐ橋。
行くは許されて、戻る事はけしてない。
賽の河原は霧の中。愛しい声はおぼろげに、消えゆく影は彼の岸へ。
誰と問うても返事はなく、誰と問わずとも響く啼き声。
「いたばし――――っ」
呼んだ名前は、空気に吸い込まれていった。
「・・・板橋?・・・・・・板橋?!」
4度目はさすがに、声がでかくなった。あたりを見渡しても、板橋の姿がない。
どうして、こんなところではぐれたりするんだよ!?
こんなところで・・・・・・。
独特の空気の中で背筋に寒気が走る。霧に囲まれて視界が悪い。遠くに見える影が人な
のか、木が揺れているのかもわからないほどだ。
妙な人気を感じて薄ら寒くなる。はっきり言って怖い。板橋がこんなところに来たい
なんて言わなかったら、絶対こんなところ来ない。
あー、板橋の馬鹿馬鹿馬鹿。ここで僕を一人にするか、普通!?
「いたばしぃ・・・」
呟いた僕の背中を冷たい風が通り抜ける。
肩を落としてもしかたない。とにかく探すしかない。こんなところに一人置いていかれ
たら、家にだって帰れやしない。
僕は途方に暮れながら薄気味悪い三途の川を眺めた。
目の前に広がるのは、三途の川。死んだ人がこれの向こうに行くといわれてる川。
・・・・・・と言っても僕が死んだわけでもなく、ここがこの世とあの世の境目というわけ
でもない。
ただ、目の前にある川が本当に「三途の川」という名前なんだ。
ここは青森の山奥。目の前にあるのはかの有名な霊場、恐山。
霊場だよ、霊場。もう、なんていうか、この字面が悪いよね。霊って。霊。なんでまた
そんな名前にしちゃったんだろう。聖地とか素直に神社とか寺とかそんな名前で抑えてて
おいてくれたらよかったのに。
「あんた、幽霊とか信じてるのか?」
出発前に、板橋が僕を馬鹿にして言ってた。
「じゃあ、板橋は信じてないの?」
「幽霊なんて、見えるやつにだけ見えるんだ。俺は見たことないからなんともいえない
けど、怖いものじゃない。寧ろ会えるなら会ってみたい位だな」
そう言いながら、板橋は余裕っぷりをかまして怖気づく僕の背中を推した。
「いるかいないかが問題なんじゃないんだ!怖いか怖くないかなんだよ、馬鹿!!」
心細さに板橋の悪態を吐いてみるものの、10月の冷たい風にかき消されるだけで余計に
震えた。
この場所で独りぼっちというのはかなり怖い。土地勘もないし、どこに行っていいのか
もわからない。
板橋はこの太鼓橋の前で、三途の川の恐ろしい話を散々しまくった後、
「あっちに渡ってくるけど、あんたも来る?」
なんて言うから、僕は思い切り躊躇った。
そうして迷ってるうちに、板橋はさっさと橋を渡ってしまったのだ。更に運が悪い事に
板橋が渡った頃から急に霧が深くなって、見る見る間に板橋の姿が消えてしまったのだ。
「待ってよ」
声を掛けたのに、板橋の声は聞こえなかった。
そうしてこちら側でうろうろしていると、ついに橋の辺りまで霧が掛かって来て、僕は
本当に途方にくれた。
これじゃまるで、板橋が彼岸に行ってしまったみたいじゃん。
こんなところで生き別れたりしないよね?彼岸の人に連れてかれちゃったりしないよね?
・・・・・・ね?
怖いやら、情けないやら、ここへ来たことへの後悔やら。あんな板橋の言葉に踊らされた
りせずに、ちゃんと断ればよかった。
悔しくて、僕はもう一度濃霧の中に向かって板橋の名を呼んだ。
「いたばし―――っ・・・・・・この橋バカやろう!!」
思い起こせば、そもそもの旅の始まり方から言って間違ってたんだ。
板橋と出会って2ヶ月。僕は仕事を辞め、板橋は大学に行きながら相変わらず橋ヲタクに
磨きをかけていた。
定職にも就かず、短期のバイトをこなしている僕を両親は嘆いたけど、少なくともあと
1年半、板橋が社会人になるまでは意地でも定職に就く気にはなれない。
・・・・・・だって、板橋って放っておくと一人で勝手に旅に出ちゃうんだもん。
おちおち仕事なんてしれられないっていうか。どこのアマアマカップルだと言われそう
なことは十分承知だけど、板橋って一度旅に出たらもう二度と戻ってこないような、そんな
オーラを持ってるから、僕としては心配なわけです。
九州から帰ってきても、板橋はずっと次の旅のことを考えていた。
「北に行きたい。あっちには見たことない橋が多いから」
会えばそんなことばかり言って、甘い睦言が橋談義なんて板橋にしては当たり前。
まあね、邪険にされてるわけでもないし、会えばグダグダからもつれ込んだりしてヤル事
はやってるあたり、僕も板橋も正常な(?)男ではあるのだけど。
「北に何があるっていうんだよ」
「・・・・・・あんたさ、三途の川って見たことある?」
「はあ?三途の川?それって、死んだ人が渡るあの川?」
「そうだけど、あるんだよ、日本に」
「ええ〜!?」
「日本のさ、青森の山奥、恐山に・・・三途の川があるんだってさ。そこに架かる太鼓橋って
ヤツがどんなもんか見てみたくない?」
「お、恐山って・・・あのイタコがいる・・・ところ?!」
「ん・・・・・・そうかも」
「いっ・・・いやだ!絶対ヤダ!!」
「なんで?」
「や、やだよ・・・そんなトコ・・・」
「ぶっ・・・あんた、まさか怖いの?」
板橋の笑い声が頭の上に落ちてきて、右手で髪を梳くわれた。
密着した肌が汗ばんでるけど、空調の中ではすぐにその汗も引くだろう。小麦色に焼けた
板橋の肩に頭を預けて、僕は不貞腐れて首を振った。
「怖くなんて・・・ないけどさ・・・」
「じゃあ、決まりな。次の行き先は青森」
「やだー、絶対やだー!」
「うわっ・・・バカ、腹蹴んな・・・痛てっ・・・」
そんなやり取りが幾日か続いて、僕が何とかして板橋の三途の川巡りを阻止しようとして
いるところに、最悪の便りは届いた。
その日、僕が日雇いのバイトを終えて板橋の家に行くと、板橋はものすごくだるそうな
声で電話をしていた。
「・・・やだよ、俺。えー?・・・前の九州は俺が行ったんだから・・・・・・うん、うん・・・そう。
だからさ今度はワタルに行かせてよ・・・・・・」
僕が玄関で板橋を待ってると、板橋は電話を当てたまま僕を部屋に招き入れる。ソファー
に座らされて、その背後を抱きしめられたまま、板橋はしゃべっている。
「・・・どっちが行っても構わないんだろ?・・・うん。・・・じゃあ、俺がワタル説得したら
いいんでしょ?」
電話口から低い男の声がしている。ワタルというのは板橋の双子の兄で、一卵性らしく
顔はそっくりなのに、小麦色の板橋に対してワタルは白い。だから僕はこっそり白板橋
と命名して呼んでいるのだ。
「ああ、もうわかった、わかったから・・・」
相手はどうも板橋の親らしかった。電話口の声が低い男の声から女性の声に変わる。
「なに、母さんまで?」
『・・・・・・っちゃん、覚えてる?あの子も行くみたいだから、お願いね?』
「あー、はいはい。ワタルに言っとくから」
板橋は勢いで電話を切ると、豪快な溜息をついた。
「なんかあったの?」
肩に頭を寄せて見上げると、板橋は不機嫌そうな顔で頷いた。
「あの人達は、俺を自分の身代わりだとでも思ってるんだ。本当にいい迷惑」
そうしてすぐさま、もう一度携帯電話を手にすると、誰かに電話を掛けた。
電話は暫くして繋がった。
「もしもし、ワタル?」
『なんだ』
「出動命令。お前さ、ちょっと園田家行って来て」
『やだね・・・あのバカ親父はまた身代わり立てたのか』
「行けよ。この前九州行ってやっただろ」
『それはお前が九州に行きたかったからだろうが。次は俺ってその理論おかしい』
「おかしくねえよ。九州行きたかったのは確かだけど、葬式になんて誰が出たいなんて
言った!・・・絶対お前行けよ」
『ちっ・・・で、園田家は何だ。葬式か結婚式か』
「結婚式。なんだったかな。なんとかチャンが結婚するそうだ。お前も会ったことがある
って親父が言ってたから、多分従姉妹か何かだ」
『・・・面倒くさいな。第一、あんなトコまでどうやって行けって?』
「お前の大好きな電車にでも乗ればいいだろう」
『アホか、あそこは電車が通ってない・・・・・・それに、今忙しい。時間がもったいない』
「それは俺だって同じっ・・・・・・て、そうか、分かった。俺が車で送っていってやるから、
お前結婚式に出ろ」
『なんだ、痛み分か?・・・・・・いや、橋か』
「送って行ってやるんだから、文句言うな」
『あー、はいはい。九州のこともあるし、今回は素直に従ってやろう。今ちょっと忙しい
から詳細メールで送ってくれ。・・・じゃあな』
電話が切れると、板橋は一つ伸びをした。
何故か一気に機嫌がよくなる。
「何?」
「っていうわけだから、あんたも来いよ」
「・・・全然わかんないよ!何の話?!」
「理解力ないなあ・・・。園田家って母さんの実家な。親父達忙しくて結婚式出られないから
変わりに俺かワタルに行けって言ってきたんだけど、俺は前に九州で親父の葬式出たばっか
だから、ワタルが行くことになったってこと」
「うん・・・それで」
「で、式はあいつが出るけど、俺が車で送ってくことになった。だからあんたも一緒に
行くか?って誘ってるんだけど」
話の内容はわかる。送り迎えのついでに、板橋は橋巡りでもしようとしてるんだ。っていう
ことは園田家というのは遠いトコなんだろうか。
真逆・・・。
「・・・・・・どこにあるの、園田家って」
背筋が寒くなった。恐る恐る首を上げて板橋に問うと、板橋はニヤニヤ笑いながら、首を
縦に振った。
「青森だ!」
板橋は僕を思いっきり抱きしめて、ゲラゲラ笑っていた。
あー、もう最悪。
断ればよかったんだ。放浪の旅じゃないし、白板橋だって一緒なのだから。必ず帰って
くるだろうし、素直に家で待っていればよかったんだ。
待ってればこんな目に遭わなかったのに。
僕はさっきから、橋の前でうろうろしながら、板橋が帰ってくるのをずっと待っている。
青森についてから、まだ時間があると言い出した板橋は嫌がる白板橋と僕を引き連れて
無理矢理ここまでやってきた。(白板橋が嫌がったのは、僕の理由とは違って、ただ面倒
くさいからだったのだけど)
山のふもとでバスに乗り、揺られること数十分。恐山前で降りると、板橋は恐山には
目もくれず、さっさとこの三途の川へとやってきたのだ。
白板橋はバス停の前のベンチに座ると
「ここで待ってる。さっさと見て来い」
と言うと、持ってきたノートパソコンを広げた。
・・・・・・この人たち、恐山に何しに来たんだ?
「じゃあ、行くか」
「あ、ちょっと待ってよ・・・」
恐山の独特の空気に既に巻き込まれてる僕は、こんなトコで一人になるのも怖くて、慌てて
板橋を追いかけた。
今思えば、僕も白板橋の隣でじっと座ってればよかったんだ。
何度も分岐点はあったはずなのに。僕は確実にバットエンディングの方向を選んでいた
のだ。なんて馬鹿。
ああ、もう本当にどうしよう。バス停まで帰ってればいいのだろうけど、この霧でバス停
の場所まで一人で行ける気がしない。
(霧の所為にしてるけど、本当は一人でここを歩くのが怖い・・・・・・)
望みは薄いけどそれ以外やることがなくて、僕は真っ白い世界に向かって叫んだ。
「いたばしーっ」
途端、じゃりっと音がして人影が現れた。
「板橋!?」
近づいてくるシルエットが段々とはっきりしてくる。はあ、助かった・・・ったく一人に
しないでほしいよ。
文句の一つでも言おうと思って、その人影を待ち構えていると、僕の目の前に立ったのは
「板橋のような」ものだった。
「なっ・・・・・・」
「何?なんか様?」
板橋よりもはるかに高い声で見上げるそれは、不審そうにしている。
「あ・・・ええ?!」
「・・・何?」
僕がびっくりするのも、無理はない。
なんせ、僕の目の前に現れたのは、どこからどう見ても「板橋の小学生バージョン」
だったのだ。
何?これ・・・呪い?あっちに渡って帰ってくると、そんな呪いがかかるの?悪の秘密組織
に猛毒でも飲まされた?
なんで・・・なんで・・・。そんな小さくちゃ、僕のこと抱けないじゃん!!
「板橋・・・なんで、そんなにちっちゃくなっちゃったんだよぉ〜!」
叫んだ声は、やっぱり霧の中に吸い込まれていった。
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