なかったことにしてください  memo work  clap

はしま道中流離譚―道中、お気をつけて―



 そうなんのそう。そう。そうなんだ。そうなんなんだ。




 鉄平の後を追って歩いていると、あっという間にバス停に辿り着いた。
辺りは相変わらず霧掛かっていが、三途の川の辺りの濃い霧というより、薄い半透明の
膜でも張られてるようで、バックに佇む恐山から吐き出される人は、あの世から下界に
帰ってくるようにも見えた。
「バス停着いたけど?」
「うん。ところで、鉄平君は一人で来たの?」
「そう」
「一人で?ホントに?」
「そうだよ、なんどもくどいよ」
「ごめん」
小学生に謝る大人。どうもこの手のタイプの子は苦手なのか、劣等感を感じてるのか。いや
やっぱり、板橋を連想してしまうのがいけないんだろう。
「じゃあさ、あんなとこでなにしてたの?」
めげずに質問を繰り返すと、鉄平は一瞬ひるんだ。ひるんだというか戸惑った顔をして、
僕の方を見上げていたが、我に返った瞬間その顔は急にきつくなって僕を睨んだ。
「べつに、関係ないだろ」
小学生が理由もなくあんなところにいるはずがないのは確かだけど、言いたくない何かを
鉄平は持ってるんだろう。
 他人の様には見えないけど鉄平は他人でしかも小学生なんだから、これ以上質問しても
かわいそうな気がして、僕は追及することをやめた。
「そんで、友達いたのか?」
「うん・・・それが・・・」
見渡してみたけれど、板橋どころかベンチで待ってるはずの白板橋までいなくなっていた。
っとに、自由すぎだよあの双子は。
「参ったなあ」
「バスで来たの?」
「うん。麓の駐車場に車止めて来たんだ・・・あっ!」
「?」
思わず叫んでしまったのは、探してる対象物を発見したからだけでなく、それが事もあろうに
出発前のバスの中にいたからだ。
「あの子達っ・・・!!」
僕を置いて帰るつもり!?
「ば、バス!」
「は?」
「バスに友達が乗ってるんだ」
「じゃあ急げば?」
停車していたバスが大きな音を立てる。鉄平の声はバスのエンジン音でかき消された。
「もう出発しちゃうの!?やばい、ちょっと待ってよ!」
「ちょ、ちょっと!」

僕は慌てて走り出していた。―――何故か、鉄平の手を引いて。





 バスに乗り込むと、バスは僕を待っていたかのようにすぐにドアが閉まり出発した。
「はっ、はっ・・・間に合った・・・ってあれ!?鉄平君!?」
「あんた、なにしてくれるんだよ!」
右手の先には鉄平の左手。更にその先には困惑と怒りに満ちた鉄平の顔が見える。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
僕は関係ない鉄平までもバスに連れ込んでしまったらしい。おかしいなあ、なんで鉄平の
手なんて握ってたんだろう。
 無意識に板橋と間違えたのかな。(別に板橋とも手繋いで歩く事なんてめったにないが)
「ご、ごめんっ」
「・・・・・・別にいいよ。どうせそろそろ帰るつもりだったし。それより早く手、離してくれ
ない?」
「ごめん」
子ども相手に謝ってばっかりだ。悪いのは僕なんだけどね。
 鉄平の手を離してバスの中を見渡した。バスの乗客は半分くらいで、空席も目立つ。僕は
見知った顔を捜して、また大声を上げた。
「え!?」
乗客が一斉に僕の方を見る。鉄平の痛い視線を受けて僕は小さく頭を下げた。
「何デカイ声出してんだよ」
「・・・・・・いない」
「は?」
「乗ってたはずのツレがいないんだよ!」
「はあ?」
頭を抱えて空いてる席に座り込む。
 なんで!?なんで、いないんだよ!
ちゃんとこの目で見たんだ、板橋がバスに乗ってる姿を。後ろから3、4列目の右側だった
はず!
・・・・・・それは今僕が座ってる席だ。
どうしよう・・・迷子になった挙句、勘違いで現場から立ち去るなんて・・・・・・板橋との距離が
また遠くなってしまった。
 隣では鉄平が呆れて溜息を吐いている。
「あんたさ、頭だけでなく目も悪いの?」
「・・・・・・でも、見たんだよ。ちゃんと!乗ってるのをさ」
「じゃあ、あんたが見たの、お化けか幽霊なんじゃないの?」
鉄平はぎょっとするような事を言う。
「縁起でもないこと言わないでよ」
けれど、見たのにそこにいないっていうのは僕の勘違いでなければ、そういう類のものに
なってしまう。
 冗談、板橋はまだ死んでなんてない。ただちょっと三途の川の向こうに渡ってしまった
だけだ。
 だけど急激に不安になった心には、ここに来る道中のある一つの出来事が思い出されて
いた。思えば遭難の相が出ていたってことなのかもしれない。
 それから、お化けに出くわすという相も。







 山梨の猿橋を後にした僕達は、板橋の独断で群馬に向かう事になった。独断というか、
そもそも僕達には行き先を決定する権利などない。(白板橋に至っては青森に行くと言う
目的が達成されれば問題はないと思ってるらしい)
 群馬なんて同じ関東地方といえど僕には全く馴染みがない。避暑地とかの高原にも滅多
にいかないし、そもそも群馬なんて何があるのか知らない。あ、きゃべつが美味しい産地
があるんだっけ?(所詮その程度だ、僕の群馬情報なんて)
「で、次はどの橋なの?」
助手席で板橋に話しかけると、板橋はハンドルを指でトントンと弾きながら言った。これ
は機嫌が良いときの証拠。
「めがね橋」
「何それ」
僕はどんな橋の名前を言われても口から出る最初の一言は決まってこれだ。
 でも仕方ないでしょ、橋の名前聞いたところで「ああ、あれね」なんて反応できる方が
おかしいんだから。
「碓氷峠にあるレンガ造りの橋。昔は列車が走ってたらしいけど、今は歩道になってる」
「碓氷峠?」
「軽井沢の近くだ」
そこまで言うと、さっきからずっと後部座席で大人しく座っていた白板橋が前に乗り出して
きた。
「なんだ、信越本線のか。そうか、それなら行っても良いな」
「それって鉄道の世界でも有名なの?」
「さあ、しらん。俺の中では有名だけど。アプト式列車が50年くらい前まで走ってたらしい。
あの時代、あそこを旅するのはえらい時間が掛かったな」
まるで知っているかのような言い草。・・・いや、白板橋は知ってるんだろう。机上旅行という
妄想のおかげで。
 こんなおかしな言動の2人に囲まれてたら、僕どうかなりそう。
「めがね橋は、正式には碓氷第三橋梁って言ってレンガ造りの4連アーチの橋なんだ。あんた
見たことない?」
「ないよ」
「見たら、びっくりするぜ」
「猿橋以上に?」
「あんたなら、猿橋以上にビビルかもな」
どういう意味なんだろう。聞いたところで教えてくれるはずもないから、僕は黙ってその
めがね橋とやらの前に行くまで我慢するはめになるんだろう。



 車は141号沿いを北に上がっていく。途中清里を抜けて軽井沢の辺りまで僕はすっかり
熟睡してた。助手席で居眠りは助手席失格なのかもしれないけど、さすがに眠い。
 こんなことなら、出発前に「当分ベッドの上ではできないから」なんていう理由で盛って
る板橋を無理矢理にでも寝かしつけるべきだった。
 いやでも、あれだけやっといて、こんなに元気に運転してるんだから板橋のタフさという
か橋にかける熱情はただもんじゃないんだろうな。
 軽井沢を抜ける頃には浅い眠りになって、何度かカーブで車が曲がるたび、頭を座席に
ぶつけて目を覚ました。
「ごめん、寝てた・・・」
「べつにいいよ。それより、もうすぐ着くから、驚く準備でもしておきな」
板橋は軽快な走りで峠を上っていく。驚く準備ってなんだよ。
 助手席で軽く伸びをすると、後ろから白板橋が話しかけてきた。
「はしま君もいい加減こんな馬鹿に朝も夜も付き合ってたら、身体が持たないだろう」
朝も夜もって・・・どういう意味だ。
「大丈夫だよ、多分」
「馬鹿は加減をしらんからな。はしま君も少しは断るということを覚えたほうがいい」
「はあ」
「ワタル、うるさい黙れ」
横を向けば板橋の顔がほんのり赤くなっていた。
「ぼ、僕が寝てる間に一体何話してたの!?」
「何にも話してないよ」
慌てて振り返ると、白板橋の方はニヤニヤしていた。その口が小さくご馳走さまと動く。
車の中では板橋の舌打ちが響いていた。





「すごい・・・」
 森の中に突如として現れた建造物に僕の口はあんぐり開いたままになった。
「やっぱり驚いたな」
隣で板橋が得意げに言うけど、これが驚かずにいられるかっていうんだ。
「めがね橋なんだ、これが」
真下から見上げると澄み切った空にレンガ造りのアーチが冴え渡っている。
 板橋の話によると、その昔この上を列車が走っていたのだけど、新しい線路とともにこっち
は使われなくなったらしい。
 それで今では重要文化財だかになって、人々の目を楽しませているのだと。
 全長は91メートル、高さ31メートルで使用されたレンガは200万個以上なんだっていうんだ
からやっぱり驚かずにはいられない。
 呆然と見上げていると板橋が歩き出した。
「橋の上歩けるから、俺は行くけど、あんたどうする?」
「行く!」
そのとき僕は少なからず興奮していた。完全に板橋の橋オタクが乗り移ってたんだと思う。
僕は嬉々として板橋の後を付いて、橋の上に登った。
 橋の上から下を見下ろすと足がすくんだ。高い。高いうえに、これが全部レンガで出来
ているかと思うと、崩れないのか心配になる。
「この橋作るの大変だったらしいぜ。殉職者500人なんだって」
「じゅ、殉職者って!この橋作るのに人が死んでるの?」
「デカイ建造物には殉職者はつきもんだよ」
板橋はさらっというけど、僕は心が揺れた。500人もの犠牲があってやっと出来た橋も、今は
ただの観光地なんて・・・。

 わき道は橋の袂に繋がっていてそこは小さな広場のようになっている。橋の両端はどちら
ともトンネルになっていた。
「どこまで続いてるの?」
「横川駅だったかな。鉄道の事はワタルの方が詳しいから、ワタルに聞いてみな」
板橋はそう言うと橋の上やその手前でカメラを向け始めた。こうなったら何を話しかけても
無駄だ。
 あーあ。(別にいいけどね)
メガネ橋に直結してるトンネルは第五トンネルとかいう名前のトンネルで遊歩道として
も整備されていた。反対側にも第六トンネルがある(どうやら軽井沢に繋がってるらしい)
のだけど、こっちは立ち入り禁止になっている。
 そのトンネルを白板橋を追って入っていくと、白板橋は天井を見上げながらブツブツと
文句を言っていた。
「あの・・・?」
「やあ、はしま君。君も橋は見飽きたのかい」
相変わらず演技くさいしゃべり方に僕は思わず笑った。
「そう言うわけじゃないけど・・・。何してるの」
「自然との対話」
白の言うこともさっぱり意味が分からない。暫くは一緒にトンネル内を歩いていたけど、
一つ目のトンネルを抜けたところで、白板橋の会話についていけなくなって、僕は一人
引き返えすことにした。
「あんまり遠くまで行かないでよ」
「はしま君は俺のお母さんみたいな人だな」
白板橋は機嫌よく次のトンネルの中へと消えていく。僕はそれを見送って今来たトンネル
を戻った。

 トンネルを抜ければ、まばらに観光客が橋の上やら下でカメラを向けている。その中に
板橋の姿を探すが、僕はそこで板橋の姿がないことに気づいた。
「いたばし!?」
驚いて橋の上を駆け抜ける。そこで僕は板橋らしき背中をやっと発見した。
「板橋、ちょっと待って!」
呼びかけたのに、板橋は振り返る事もなく、事もあろうに立ち入り禁止の第六トンネルの
中へと消えていってしまった。
「ええっ・・・!」
こういうときの僕の反応っていうのは必ず間違うらしい。
 焦った僕は板橋を追いかけて、立ち入り禁止のバリケードを破って板橋を追いかけて
トンネルの中に入ってしまったのだ。



「暗い・・・板橋ー!」
当然立ち入り禁止のトンネル内は暗くて薄気味悪い。板橋の名前を呼んだけど、自分の声
が木霊するだけだった。
 板橋の足音がない事に気づいたのはそこから更に奥に進んだところで、自分の足音だけ
が隋道に木霊していることに心臓がバクバクと高鳴る。一体どう言うことなんだろう?
「板橋っ!?」
ぴちゃぴちゃと水の滴る音にびっくりして振り返る。出口の明かりはもう豆粒くらいに小さく
なっていた。
「ど、どうしよう・・・引き返そうかな・・・でも、さっきの板橋だったよ・・・ね?」
板橋は何のためにこんな中に入っていったんだろう。

不安になって体をさすっていると、トンネルの奥でドンという大きな音がする。
「ええ?!」
板橋に何かあったんだろうか、そうは思ったものの足が一歩も動かない。
 人でなしと言われそうで引き返すこともできないでいると、豆粒くらいの明かりの方から、
複数の声が聞こえてきた。
 その中には聞き覚えのある声が、聞き覚えのある名前を呼んでいる。
「誰か、いるのかー?」
「大丈夫かー?」
「おーい、はしまくーん」
「直哉!直哉ー!?」

あ、れ・・・?

なんで板橋の声がするんだ?
頭の中が真っ白になる。僕は板橋を追いかけてこの中に入ってきたんだよね?
 暗闇の中を振り返れば、水滴の音が微かに響くだけで、板橋の存在を物語るようなもの
は何一つなさそうだった。
 それどころか、人が通った痕跡すらない。
 じゃあ、僕の見間違い?・・・いや、例え板橋を他の誰かと見間違えようと、板橋を人間
以外のものと見間違えるなんてことないだろ?!
 僕が驚いて突っ立っていると、再びトンネルの奥からドーンという音が響いてきた。
今度はさっきよりも近い。
「直哉ー!?」
トンネルの外の板橋の声も大きくなっていた。
 とりあえず板橋は外にいる。急いで外に出よう。
 そう思ってふと横を見ると、小さな祭壇があってそれは殉職者を祭ってあるようだった。
「うわあっ」
僕は大声で喚きながら、板橋の呼ぶ声の方に走りぬいていった。




「馬鹿だね、はしまくん」
「何やってんだよ」
トンネルから抜け出してくると、人だかりが出来ていて安堵と非難の溜息が聞こえた。
「あ、の・・・」
白い方は呆れていて、小麦色の方は怒っていた。どうも、僕が立ち入り禁止のトンネルに
入った事を見ていた観光客がいるらしく、それで人だかりが出来ていたんだそうだ。
 そこに来てトンネルの奥から不気味な音が響いてきたから、とりあえずみんなで呼びかけ
てくれたらしい。僕が帰るのがもう少し遅かったら、危うく警察に連絡されるところだった
ことも説明された。
 僕は申し訳なくて周りの観光客に謝って事情を説明すると白板橋は腹を抱えて笑っていた。
「じゃあ、何?はしま君はカケルの幽霊でも見たのか」
「俺はまだ死んでねえよ」
「でも、羨ましいなあ、幽霊なんて。俺もカケルも昔から幽霊と名の付くものには出くわした
ことがないんだ」
一度でいいから出会いたいね、白板橋は笑いながらわき道を駐車場へと降りて行く。
 取り残された僕は、バツが悪くて板橋の5歩も後ろをうだうだと歩いた。
「直哉」
名前を呼ばれて顔を上げると、板橋は困った顔で立ち止まっている。
「はやく、来いよ」
「うん」
近づいて隣に並ぶと、板橋は掠れる声で言った。
「あんまり心配かけんなよ」
「・・・・・・うん」
板橋の隣はやっぱり心地がいい。









 バスに揺られながら旅の思い出を話していると、鉄平は感心したような顔をしていた。
「やっぱり、幽霊が見えるんじゃん」
「見えないよ!あれは幽霊じゃなかった・・・と思うし」
「でも、このバスにだって友達の霊が乗ってたんだろ?」
「霊って、ツレはまだ生きてるよ」
「ふーん・・・でも、あんた羨ましいな」
「何が?」
鉄平は寂しそうな笑顔で呟いた。
「俺も、幽霊に会いたい」
会いたいって・・・。普通幽霊には出くわしたりするもので、会うものではないとは思うけど。
鉄平は僕が見つめると顔を逸らして、外の景色を眺め始めてしまった。
 下界が近づくたび、視界は良好になっていく。鉄平は晴れない顔でその様子を見ている。


僕は、鉄平があそこに何をしにいったのかを薄々感じ始めていた。



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