はしま道中流離譚―道中、お気をつけて―
「会いたい人に会えなくなるってどんな気持ち?」
バスの中で鉄平は流れる景色を見ながらポツリと呟いた。
10月の空はうす曇で肌寒く見える。下界が近づくたび霧は晴れてきているけれど、心は
晴れないまま混沌としていた。
「・・・・・・別に、一生会えなくなったわけじゃないだろうし」
歯切れ悪く答えると鉄平は振り返って言った。
「会えなくなるっていうのは突然だよ。明日も会える1時間後も会える、みんなそう思って
安心してるだけだ」
鉄平の言葉は僕の心を一気に不安にさせた。けれどそれは本当の事だ。これから先、板橋
にもう一度会えるという保障は何一つない。ただ板橋が死ぬわけないし、携帯電話の充電
さえ復活すればもう一度連絡だって取れるに決まっていると、何の根拠もない自信がある
だけだ。
死ぬだの怪我するだの、非日常的な心配など普段ならしない。当たり前にそんなことは
起きないと思っているからだ。だってそんなこと今まで起きたことなんてないんだから。
僕達はそういう奇跡の上で生きている事を忘れている。気づかない振りをして、ごく
当たり前に生きてるんだ。
だから、ふと足元を揺さぶられることが起きるとと急激に不安になる。このまま板橋に
会えなくなってしまうんじゃないかとか、重大な事故にあってるんじゃないかとか。不安
は栄養を貰った細菌みたいに爆発的に増殖する。
鉄平は虚ろな顔になって再び窓の方へ目をやった。
「誰も、あんたの友達のこと言ってるわけじゃないから」
「鉄平君・・・」
気を使ったつもりなのだろう。僕はそんなに不安な顔をしていたということか。小学生に
心配されるのもいい加減慣れてきてしまいそうだ。
だけどこの鉄平の言葉には少し引っかかるものがある。
板橋のことを指しているのではないとすれば、この言葉は彼の経験からにじみ出てきた
ものだ。
僕は心の中で息を吐いた。この子は少なからず今の僕と同じ気持ちをどこかで共有して
いるんじゃないか?
僕は躊躇いながらも切り出してみた。
「じゃあ鉄平君の事?」
外を向いたままの鉄平の肩が揺れる。板橋よりも小さな肩。それが更に小さく見えた。
「会いたい人に突然会えなくなった経験でもあるの?」
「・・・・・・」
「鉄平君?」
「あんたには関係ないだろ」
話の核心に触れようとすると急激に心を閉ざす。彼の抱えている闇は結構深いのかもしれ
ない。
薄気味悪い三途の川の橋の前で一人で佇んでいた事や、こんなところに一人で来たこと、
鉄平は日常から逃げ出したいほど辛い事があってあそこにいたんじゃないんだろうか。あそこ
にいた理由は分からないけれど、抱えているものがあるのは確かだ。
僕が嘗て一度も体験した事のない、そして今体験しそうになっている辛い事。
鉄平の顔が板橋に似てるっていうだけじゃない。僕はなんだか鉄平が他人事のようには
思えなくなってしまった。
「あっ」
「何!?」
急に叫んだ声はやっぱり大きくて周りの乗客(まばらになってたけど)がまた一斉にこっち
を振り向いた。
鉄平も驚いて僕を見上げている。
「麓のバス停で降りるの忘れた!!」
考え事をしていた所為で、僕は最初に板橋達と乗ったバス停を見送ってしまったらしい。
これで、車で板橋達が待機してるかどうかも分からなくなってしまった。バスは無情にも
淡々と次のバス停へと向かって走る。
鉄平が呆れた顔で固まっていた。
「女よりどんくさい」
「あはは・・・」
確かにみっとも無いところばかり見られてる。これが僕の実態だといえば否定はしないけど。
しかしどうしたもんかな。次のバス停で降りてとりあえず車のところまで行ってみようか。
そこで板橋たちが待っていれば万事解決だし、いなかったら来るまで待っていればいい。
「でも、もし車すらなかったら・・・?」
口に出して恐ろしくなった。
そんなの、本当に僕が捨てられたってことになっちゃうじゃないか。でも橋に夢中になって
いる板橋に常識なんて言葉は通用しない。何が起きてもおかしくはない。
橋に夢中になってる板橋は、僕の1人や2人くらい簡単に置いていってしまうようなヤツだ。
ジョーダン。こんなところで離れ離れになるなんて死んでもいやだからね、僕は。
「だったらさ、泊まってるホテル来る?」
「え?」
「さっきちょっと見えたけど、あんたの使ってるケータイのメーカー、うちの父さんと
同じだと思うから、ホテルに帰ったら充電くらい自由にさせてもえらえると思うけど」
「ホント?!」
「・・・別にそれくらいいいよ」
「ありがとう。・・・・・・でも鉄平君って地元の子じゃないんだね。てっきりあの辺りを歩いて
いたから、地元の子かと思ってたよ」
「・・・・・・違う。旅行っていうか用事があって来た」
「そう」
鉄平は僕を見上げた。
「その代わり・・・」
「その代わり?」
「もっと橋の話して。出来れば神秘的なヤツ。幽霊が見えるあんたなら、神様くらい見え
たりするだろ」
「神様って・・・」
鉄平の出した交換条件に僕は思わず唸ってしまった。
神秘的というとあの橋以外ない。神橋(しんきょう)だ。文字通り神の橋。
神様がいる橋なのか橋が神なのか分からないけど、名前負けしない神々しい橋とはいえる
気がする。
碓氷峠を後にした僕達が次に立ち寄ったのは日光だった。
ここでも板橋は相変わらず橋のことばかり考えていて、僕の気持ちを複雑にしてくれた。
「猿橋行った時にさ、日本三奇橋のこと話したの覚えてる?」
「うん。えっと猿橋と錦帯橋と、あとどっか・・・」
僕にしてはかなり覚えている方だ。オデッセイのハンドルを握りながら板橋は頷いた。
「そうそう、それ。あと一つは富山の愛本橋って言われてるんだけど、コレが現存して
なくてさ、それでこの橋の代わりに他の橋をあげてる人がいるんだ。で、その中の一つに
日光の二荒山神橋をあげてる人もいる」
「・・・・・・そこに行くんだね?」
「ああ、そうとも!」
板橋は白板橋の演技掛かったセリフを真似して言った。
日光の神橋がなんで奇橋と言われるのか僕には分からないけど、その成り立ちというか
伝説を聞いて随分と仰々しい橋であることは分かった。
だってこの橋、昔は一般人は通ってはいけなかったんだって!(今は通行料を払えば
誰でも通れるらしいけど)
その伝説っていうのもまたホントに伝説伝説してて、昔まだこの川に橋が架かってな
かった頃、あるエライ坊さんがその向こうにある山に修行に行こうとして、急流に行く手
を阻まれてしまった時に、天に祈ると神様(どうやら深沙大王というらしい)が現れて、
赤青2匹の蛇が両岸をつなぎ、その背に山管を生やして坊さんを対岸に渡したんだとか。
「この神秘的な伝説を尊んで一般人の立ち入り禁止を決めたっていう話」
「すごい伝説だね。蛇が橋作るなんて」
「まあ、所詮伝説だからな。言ったモン勝ちだ。それよりも俺は伝説よりもこの橋には
もっと別の役目があったんだと思う」
「別の役目?」
振り向くと、ハンドルを握った板橋は少々渋い顔を作って言った。
「神橋っていうのは結界みたいな役目も担ってたんだろうと俺は思うよ。橋の向こう側に
は東照宮があるし」
「結界?」
「橋の役目っていうのはさ、あっち側とこっち側を繋ぐって言うだけじゃない。俺達に
とってはそれだけのものでしかないけど、一部の人間にはそうじゃなかったんだ」
「どういうこと?」
「橋っていうのはその存在だけで結界にもなる。橋の手前に、この橋渡るべからずって
書いてあれば、誰だって一瞬その先に「何かがある」って想像してしまうだろ?」
「うん・・・・・・」
「禁止されることでそこに結界ができたんだろう。東照宮がそれだけ特別なもんだった
んじゃないのかって俺は思う。真意は分からないけど」
こちらの世界と異質なものがある。だから渡ってはいけない。そういうことなのか。あの
三途の川(最終的に板橋が目指そうとしている橋がある川らしい)だって、川を隔てて
あの世とこの世を分けてるんだから、橋にはそういう力もあるんだろう。
二つの異質な世界を結ぶ唯一の道が橋だということを僕は改めて考えた。
あの世とこの世を結ぶ橋――――。
その仰々しい生い立ちと伝説と佇まいに圧倒されるはずだった・・・・・・。しかし、実際
神橋の前に立って圧倒されたのは板橋達の行動だ。
板橋は相変わらず僕なんて空気か空気以下の扱いで橋に見入ってたし、白板橋に至って
は、奇声を上げて真っ赤な橋を渡り始めている。
それを異端の目で見る大勢の観光客。・・・・・・ああ、こんなのがツレだなんて思いたくないっ!
僕はなるべく彼らから距離を置いて、他人の振りをして歩いた。そうしてせっかく知らん顔
してたのに、白板橋は何に興奮したのか、橋のど真ん中で数メートル後ろの僕を振り返って
大きく手を振った。
「おい、はしま君!はしま君、みたまえ!橋が赤い」
「・・・・・・」
こ、声をかけないでほしいっ・・・
「赤いぞ、すごいじゃないか」
だからなんなんだ。
「こんなに橋が赤くては、周りの自然は大変じゃないか」
恥ずかしくて板橋の後ろにでも隠れようと思ったけど、板橋も板橋で周りの好奇の目で
見られながら激しく写真を撮っていて、とてもじゃないけどこっちにも近寄りたくなかった。
「おーい!はしま君!聞こえないのか。君には手を離してても耳を塞ぐというそんな特異
なことができるのか!」
「しっ・・・しらないよ!!」
通り過ぎていく観光客が白板橋と僕を振り返る。ああ・・・これで僕がこいつらの仲間だって
ばれてしまうじゃないか。
ダッシュでこの場を立ち去りたい。顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなって後ずさんだ
ら、見事に余所見をしていた板橋にぶつかって、そこから2人こんがらがって橋の上で転倒。
ばたん、という激しい音を立てて僕は板橋の上にダイブしていた。
「痛っ・・・」
観光客が驚いて僕達の周りに集まってくるのが肌で感じる。
「大丈夫?」
「立てるかい?」
心配して声をかけてくる人、手を差し伸べてくれる人・・・・・・どうぞ、僕は空気です。お願い
そのままスルーして!どうぞ、こんな淀んだ空気など放っておいて、早く東照宮にでも
どこにでも行ってください。
いつまでも動けないでいると、ざわざわと周りがどよめきだした。
「大丈夫?」
「どこか打ったんじゃないの?」
僕は片手を上げて、その声を制した。大丈夫、大丈夫だからお願い、散って!!
しかし、その手が急に重くなったかと思うと下に引っ張られて、それどころか僕は地面に
抱きしめられていた。
「?!」
「直哉って結構大胆なんだなあ」
耳元で囁かれた言葉はこんな的外れな言葉だった。
「――――!?」
い、い、板橋の色ボケ野郎!!!
見下ろしたら、板橋の顔はにやけていた。それがどんな意味なのか全くわからない。
ただこの非常識なシチュエーションにこの非常識な人間はどうも馴染んでいるというか、
空気を全く読んでないというか。自分がこの場を支配してるというか。
むにゅっとした感触が股間に当たった。板橋の足が僕の足に絡んだ。てか、絡ませるなよ。
「板橋っ」
「こういうの興奮する性質?」
ちょ、ちょっと、待て。
周りの空気がおかしくなる。観光客が軽い悲鳴を上げた。人だかりが更に広がって、
橋の上はちょっとした見世物場にでもなっているようだった。
「板橋っ、離してって!」
僕は漸くそこで叫ぶ事ができた。
僕が板橋の上でもがいていると、突然ざわめく人だかりが割れた。そしてモーゼのごとく
現れたのは奇声を発した白い方。
「わっはは、昼間から盛んなやつだな。自重という言葉を知らないのか」
・・・・・・もう、最悪。
「でも、はしま君は思ったより大胆な行動をとる。うん、君はいい。素質がある」
僕は漸く板橋の絡んだ手足から抜け出すと、その場に座り込んで白いのを見上げた。
白板橋は両手を組んで偉そうにふんぞり返って僕を見下ろす。観光客の先頭に立って
真っ先に僕達を非難しているようにも見えるが、等の観光客は白板橋を含め僕達に軽蔑の
視線を送っていた。
「さあ、続けたまえ!この目でしっかり見届けてやろう」
こっちの板橋も全く空気を読まないようで、僕が睨みつけているのにも平気で「さあ、
苦しくない、続けなさい」などととんでもない事を言っている。
・・・・・・もうやだ。
「かっ、帰る!」
こんな恥ずかしいヤツと一緒に橋なんて見てられるか!何が神々しい橋だ!こんなの神様
だってびっくりして対岸から橋落とすんじゃないかって思うね。
僕は橋の真ん中で出来た人だかりを蹴散らして、ダッシュで駐車場まで走った。
けれど、板橋も白板橋も追いかけてくれなくて、やつらが戻ってきたのは僕が駐車場で
不貞腐れて1時間も経った後だった。
駐車場に立つトライアングルの僕らの間を秋風が静かにすり抜けていった。
さすがに、この間抜けな話までは鉄平にする事が出来なかった。
「神様には会えなかったってこと?」
「っていうか、神様に会うための橋じゃないんだけど・・・」
鉄平も何を期待してたのか、僕の話に少しだけがっかりした様子だった。
「じゃあ、どんな橋なの」
「えっと、結界の代わり・・・あ、でもちょっと特別な橋だったな」
僕はこの惨事が起きる前の板橋のセリフを思い出した。
板橋は伝説の話をしていたときに、こんな事も言っていた。それが随分と板橋からぬ発言
で僕はずっと胸につかえていた。
「橋っていうのは、こっち側からもあっち側からも『渡りたい』っていう意思がなければ
絶対に渡れない。橋を架けるっていうのはそう言うことだと思う」
「それって技術的なこと?」
「心理的なもの」
「よくわかんないなあ」
「こっちが渡りたくても、彼岸のヤツがその橋を架けることを認めない限りつながれない
ってこと」
「なんだか、心の架け橋みたいだよ」
「精神としては同じかもね」
「板橋が橋に精神論持ち込んでる!」
「技術だけあっても架からないのは事実。いらないの一言でいつまでたっても架からない
橋だっていくつもあるでしょ」
「そりゃそうだけど。でも意外だなあ、板橋がそんな事言うなんて」
「そうかな。正論だと思うけど。俺はその心理を人と人のコミュニケーションに直結する
ことには疑問持ってるけど、それ自体は正しいと思うよ。神橋の伝説なんて正にそうだと
思うけどね。坊さんが渡りたいって願って、深沙大王がそれを了承して。彼岸の意志と一致
したから初めて橋が架かったんだ」
板橋は相変わらず捻くれてるけど、それはやっぱり人と人の間にも言える事だと思う。
お互いが歩み寄らない限り打ち解ける事はできないし、恋人という間柄ならなお更そうだ
と思う。言っても嫌な顔するだけだろうから僕は何も言わずに板橋の隣で神々しく佇む
神橋を見つめた。この後起きる惨事など予想もせずに。
「まあ、そんな橋もあったよ。あの橋を渡れば絶対神様に会えるかっていうと難しいけど。
大体僕は幽霊も神様も見たことないんだって。あの友達似の誰かはきっと目の錯覚だよ」
最後のダメ押しみたいな説明にも鉄平は唇を噛み締めていた。
「鉄平君?」
鉄平は僕の呼びかけに上の空みたいだ。神橋の話のどこかで別の思考に嵌ってしまったらしい。
僕の話の何に引っかかっているんだろう?それは鉄平の「悩み」に直結する何かがあるのだ
ろうか。
虚ろな表情から一瞬悲壮な表情に変わる。小学生でもこんな顔をするのかと僕が驚いて
いると、鉄平の拳が小刻みに揺れた。
「あっち側からも会いたいって思わないと、橋は架からない」
鉄平は何かを噛み締めるように呟いていた。
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