なかったことにしてください  memo work  clap

はしま道中流離譚―道中、お気をつけて―



 次の日の朝の朝食は更に親族が増えていた。まるで結婚式の前哨戦みたいな勢いで親戚
一同がホテルのレストランに集まって朝食を取った。
 勿論僕はその一番隅の席で縮こまりながらこの時間が過ぎていくのを待つだけだ。味も
よくわからない。
 鉄平は僕の方を見ようともせず時々白板橋に話しかけられることに小さく頷いている。
板橋といえば、相変わらずの表情で目の前にある朝食を黙々と食べていた。
仲直り、出来るんだろうか・・・・・・。



 拷問のような時間が終わり、僕は一人部屋に帰った。今日は結婚式だから白板橋は今頃
出席の準備でもしてるんだろう。板橋はどうするつもりか。
 自然と溜息が漏れる。
使わなかった方のベッドにダイブして目を閉じた。今日は一日この中で幽閉気分でも味わう
しかない。ああ、晴れ渡った10月の空が憎らしい。
 こんなことなら暇つぶしに本の1冊でも持ってくればよかった。出かけるときにそんな暇
が出来るなんて想像出来るわけないか。
 思えば板橋と喧嘩したの初めてだなあ・・・。一番初めに出会ったあのヒッチハイクで、僕が
ゆきずりのヤツと寝ようとしてたときに一方的に怒って、一方的に抱かれたっていうか
(僕に嫌だっていう気持ちがなければ、あれは犯されたとでも言ったほうがいいんじゃない
のかって思うけどね)そんなことはあったけど。
 あの時も板橋の気持ちはさっぱり分からなかったけど、今もさっぱりわかんない。
板橋はなんであそこまで怒ってたんだろう。橋を見に来ただけなのに、僕がお騒がせな
事してるからか。
 結局、橋。
あーあ、と声を出すと余計に虚しくなる。嫉妬なんだ、僕の。板橋が全力で自分に向いて
くれないから、こんなときちょっとのズレが大きくなってしまうんだ。
 声が静寂にかき消される。なんて静かなんだろう。
寝返りを一つ打ったときに部屋のドアが小さく鳴った。



 部屋の前にいたのは、正真正銘板橋カケルだった。
「・・・・・・」
「出掛けるから・・・・・・」
「え?」
「出掛けるから、あんたも用意して」
「はい?」
「聞こえなかったの?今から出掛けるから、あんたも用意しなって言ったの」
板橋は殆ど読めない表情で僕に言う。
 僕には出掛ける事に対して選択肢はないのか。見上げる板橋は表情一つ変えずにいる。
息を吐いて僕は言った。
「・・・・・・わかった。待ってて」
財布にケータイ、身支度を整えて部屋の前に出る。板橋はそんな僕を尻目にエレベーター
ホールへと歩き出した。
「どこ行くの」
「鶴に会いに行く」
「鶴・・・?」
何のことなのかさっぱり理解できないけれど、板橋の行動からすれば当然橋がらみに決まっ
てる。橋見に行くなら一人で行けばいいのに。
 そうは思いながらも、こうして一緒に連れて行ってもらえることへの安心感みたいなもの
を僅かでも感じてしまうのは、弱みなのか。
 こうして僕は強制的に板橋に連れられて、旅の続きをすることとなった。






 無言の車中。空気は重く、まるでこれから別れ話でもするような雰囲気だ。・・・・・・どうしよう
本当に別れ話の為に呼び出されたんだったら。
一抹の不安の中で車は迷うことなく走る。流れていく景色が死を宣告されるまでの僅かな
オアシスみたいに思えた。
 ナビの無機質な音声が右だの左だの言うたび、板橋はそれを確認して進んでいく。こんなに
近くにいるのに、板橋が地球の反対側に行ってしまったくらい遠く感じる。
 車に乗り込んでから一言も発しないのは、怒ってるという証拠なんだろうか。横目で板橋
をみたけれど、その表情からは何も読めなかった。
 鼻歌も指でハンドルを弾く軽快な音もない。右ひじを窓枠に引っ掛けて、そこに頭を預け
ながら運転しているその姿はいつかの板橋と重なる。
 あの後、どうしたんだっけ・・・・・・。



 それから何時間走ったのかはっきりしない。1時間くらいだった気もするし、永遠走ってた
ような気もする。
 板橋は大きな公園のようなところの駐車場に入るとそこに車を止めた。
「富士見湖パーク・・・・・・?」
「降りるよ」
「・・・・・・うん」
こんな公園の中に何があるっていうんだろう。板橋に続くように車を降りて周りを見渡し
てみる。大きな公園といった以外何も見当たらない気がするけど・・・・・・。
 板橋は「行くよ」と一言声を発すると歩き出す。置いてかれるのだけはゴメンだ。僕も
静かにその後に従った。
 森を抜けて、花壇を越えて、不思議な遊具を素通りしていくと、突然目の前が開けた。
「湖・・・」
「富士見湖。目の前に見えるのが岩木山。通称津軽富士。・・・・・・で、その3連太鼓橋が
鶴の舞橋。日本一の木造歩道橋」
「鶴・・・・・・」
確かにその形は鶴が羽根を広げたような伸びやかな優雅さを持っていて、後ろの津軽富士
ともきれいにマッチしていた。
 なんで鶴がテーマにされたのか、この町の名前が鶴田だからなのか鶴が生息しているから
なのか僕は知らないけれど、この風景は素直に綺麗だと感じる。
 隣に立つ板橋も微かに表情を崩したように見えた。
こんな綺麗な景色の中で別れ話だったら、いっそのことこの湖にでも飛び込んでやる
なんて半分本気で思いながら僕は板橋よりも先に橋を渡り始めた。
 太鼓橋って言うのは見た目よりもかなり反っている気がする。橋を歩くと「昇って降りる」
といった感覚がするし、実際平たんな道よりも幾分歩くのに体力がいった。
 そもそも300メートルもあるこの橋をノンストップで歩くっていうのが間違ってるのかも
しれないけれど。
 100メートルごとにある休憩所では観光客が湖や山を指差して談笑している。僕も何度か
歩くスピードを落としながら晴れ渡った空に浮かぶ津軽富士を眺めたりした。
 空気が澄んでいる。秋の空だからなのかこの場所の所為なのか。このすがすがしさが僕
の心の中までも空洞にしていく。
 寒いな・・・・・・。







 橋を渡り終えて、近くのベンチで休憩した。橋の上では子ども達がはしゃいで大きな声
を出している。ゆっくりと歩く老夫婦やカップルの中に板橋を発見した。
 遠くからだって発見できるんだ、僕は。・・・・・・恐山では全然探せなかったのに。
感覚が研ぎ澄まされていくみたいに板橋の一挙手一投足が分かる。橋の構造や形に見惚れて
いるんだ、あれは。
 僕を連れてきた事なんてもう板橋の頭の中にはないだろう。
板橋は人よりもゆっくりと橋を渡る。少しずつ近づいてくる姿に動揺した。



「疲れた?」
板橋はベンチで座る僕を見つけると隣に座った。
「ううん、そうでもないけど」
「そう」
隣に座られるだけで妙な圧迫感がる。絶えられず僕は立ち上がった。一歩二歩進んで、板橋
から距離をとる。
 息遣いが聞こえるほど近くにいるのが苦しいんだ。これが別れ話になるような気がして。
「あのさあ」
「・・・・・・うん」
聞きたくないと条件反射的に身体が硬直する。けれど板橋はその先をなかなか口にしようと
しなかった。
「・・・・・・あのさあ」
「うん・・・・・・」
「―――あんた」
「?」
板橋は言いかけて、何度も止める。その表情が見てられなくて、僕は顔を背けた。目の前
に広がる景色に板橋の表情をかき消す。辺りは少しずつ夕暮れに向かっている。観光客の
姿もぼんやりとしたシルエットになりつつあった。
 長い沈黙の後、板橋は漸くその続きをしゃべり始めた。
「・・・・・・あんたさ、考えてる?」
「何を?」
「俺が怒ってた理由とか」
「・・・・・・」
そんなの嫌って言うくらい考えた。そして僕の至った結論といえば
「僕が板橋の橋の邪魔したからでしょ」
という単純な答えだ。だって現に昨日そう言ってたし。静かに橋を見に来ただけだって。
「・・・・・・」
板橋を振り返れば、驚いた顔で固まっている。
「板橋?」
「あんた、それ本気?」
「うん」
板橋は豪快に溜息を吐く。そして頭をくしゃくしゃと掻き分けて顔を覆った。
「伝わらないもんなんだな・・・・・・こういうのって」
「は?」
「だから人間相手は苦手だ」
それっきり、板橋は黙ってしまった。わかんないのはこっちの方だ。僕はベンチに蹲る
板橋を暫く見ていたが、いくら待っても顔を上げる様子がないので、振り返って鶴の舞橋
を眺めた。
 きれいなシルエットだ。橋の事は僕にはよく分からないけれど、夕焼けに照らされた橋
はとても優美に見える。
 心が落ち着くってこういう風景なんだろう。板橋が橋が好きなの理由とは同じにはならない
かもしれないけれど、こういう気持ちにさせてくれる橋は僕も好きだ。
 板橋に橋の話を聞くのは嫌いじゃないと、最近になって思うようになった。それは多分
板橋が橋の話をしているときの顔が純粋に可愛いからだと思う。子どもみたいに得意気に
なってる姿に、思わず自分の顔も綻んでしまうからだ。
 好きな人が好きな事をしてる姿は本当は好きなはずなのに・・・・・・。

『板橋は僕の心配より橋のことばっかり!』

なんであんな事を言ってしまったんだろう。板橋を怒らせたいわけでも困らせたいわけ
でもないのに。
 ただ、ちょっと嫉妬しただけなんだ。あんな楽しそうに笑う瞳を自分にも向けて貰いたくて。


「?!」
無心になりながら橋に見惚れていると、いきなり後ろからにょきっと手が伸びてきた。
 その手は僕の肩を抱きかかえ、耳元には小さな息遣いが聞こえる。
「い・・・た、ばし・・・・・・」
突然の出来事に心臓がひっくり返りそうなほどびっくりした。
 だって、今、僕、後ろから抱きかかえられてるよね?
目の前の絡まれた腕が板橋だと認識すればするほど、鼓動が早くなる。
「ひっ、人が・・・・・・」
見てる。観光客が薄暗くなった景色の中で僕らの事を目ざとく見つけて、指さしたり顔を
背けたり。
 けれど板橋にはそんなものは一切関係ないらしく、抱きかかえられた腕の力が緩むこと
はない。それどころか、そこからどんどん熱が伝わって来て、身体が蒸発してしまうんじゃ
ないかと思った。
「あのっ」
「・・・・・・あんまり、心配させるな」
「え?」
「恐山であんたがいなくなって、俺がどれだけ心配したと思ってるんだ」
ええっ・・・・・・それって・・・・・・。
 板橋の声が耳元で掠れる。一語一句が身体を痺れさせて僕の中に落ちていった。
「心配・・・・・・してた・・・・・・」
 あの、板橋君・・・・・・胸が・・・・・・苦しいです・・・・・・。
「今日だって橋見ても全然面白くないし。あんたの顔がちらついて橋どころじゃないんだ」
こんなことは初めてだ、ぼそりと呟く板橋の声。
「あんたが、またどこかに消えてしまうんじゃないかって、そればかり頭に浮かぶ。正直
勘弁してほしいよ」
回された腕にまた力が入る。締め付けられて苦しいのは身体なのか、心なのか。返す言葉
もなく、ただじっと板橋の言葉が降ってくるのを待った。
「あんたがそこにいるって分かってるから、俺は静かに橋を楽しめるんだ」
あの台詞はそう言うことだったのだ。理解してみればひどく照れくさくなる。板橋がこんな
風に自分の気持ちを告白してくれる事なんてめったにない。
 今更ながら心臓がドクンと跳ねた。
「心配掛けて・・・・・・ごめん」
遠くなった心が急激に近づく。スピードが付き過ぎて熱い。
 板橋の言葉が照れくさくて、むず痒くて、それでいて新鮮でうれしい。僕の事を怒っていた
のは僕を心配してたからってことなんだ。
 白板橋に言わせれば「当たり前じゃないか、はしま君は馬鹿か」とでも言われそうな事
(実際後で言われることになるんだけど)なのに、僕には板橋が信じられなかった。
 そう言うちょっとした事ですれ違ってしまうほど人の心なんて危うい。仲のよかった親友
と鉄平が喧嘩したように、お互い想いあってる恋人だって些細な事で信頼を失ってしまう。
 だけど僕はやっぱり板橋が好きだし、このまま喧嘩別れなんてしなくてよかった。
 仲直り出来てよかった。最悪の結末なんて信じてなかったけど、本当によかった。
板橋は僕から離れる様子もなく、ぴったりくっついて続けた。
「頼むから、勝手に一人で行動しないで」
「うん」
「心臓に悪い事しないで」
「うん」
「俺の傍から、いなくなったりしないで」
「うん・・・・・・」
その瞬間、僕は絶対橋に勝っていたと思う。



――>>next








よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要



  top > work > はしま道中流離譚 > 道中お気をつけて7
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13