はしま道中流離譚―橋は道連れ、世は情け―
随分と僕達はそこで時間を潰していた。板橋と繋いだ手の中は熱くなっていたけど、
それでも手を離す気にはなれなかった。
幸せだと思う。祝福されることは少ないけど、二人でいるだけでいいんだ。
僕達が橋を見ながら取り留めの無い話をしていると、駐車場から続く道の方から足音と人
の声が聞こえてきた。
僕が振り返ると、若い男女がいちゃつきながらこっちへ歩いてくるところだった。
女の子はヒールのあるサンダルで何度もふらつきながら、男に身体を支えられている。
先客がいることもお構いなく、2人の世界を楽しんでいるようだったので、僕も知らん顔
で橋の方に顔を戻した。
「ねえ、ちょっと〜。ここ道悪すぎなんだけど〜」
「だから、靴はいて来いっていったのに」
「あの上渡れるの?行ってもいい?」
「怒られるって」
僕達の後ろを通り過ぎるとき、瞬間会話が途切れた。急に声のトーンが低くなったけど、
僕にはばっちり聞こえた。
「ちょっと、あの2人手つないでるよー」
「ホモだろ」
「えーやだー、気持ち悪い」
「人のいるとこで手なんて繋ぐなよな。非常識なやつら〜」
耳が痛い。心も痛い。背中で陰口を言われるのは、ゲイじゃなくても傷つくだろ。
けれど、繋いだ手の力を緩めて僕が手を離そうとすると、板橋はその手を強く握り返し
てきた。
「板橋・・・・・・」
「いいんじゃない、言わせておけば」
「・・・・・・僕、板橋みたいに心臓強くないんだけど」
「不倫してた人がよく言うよ」
「ひどっ・・・・・・」
見上げると、板橋は真面目な顔で僕を見ていた。それから、何を思ったのかいきなり僕の
後頭部を引き寄せると、びっくりするような濃厚なキスをされた。
「ん、んん・・・!?」
何、何だよ、ちょっと・・・!
「きゃっ・・・」
後ろで女の叫び声が聞こえて、その後で男の蔑む笑いが耳に届いた。
「い、板橋・・・止めろよ、人が見てるって」
「悪いことしてるなら今すぐ止めればいいんだ。悪いと思うなら止めればいいし、悪いと
思わないなら、止める事は無い。結局そんなのはその人の意思の問題で、周りの人間なんて
関係ないんだよ」
「!?」
「行こう。今日は温泉宿取ってあるんだ」
「・・・・・・」
「あ、その前に、あと5つ橋見てっていい?」
「・・・・・・うん」
僕は板橋に手を引かれながら、タウシュベツ橋梁を後にした。
「板橋、ありがと」
「何が?」
「・・・・・・いいよ。素直じゃないのは分かってるから」
オデッセイに乗り込んで、森林を抜けていきながら、僕は板橋にさっきのお礼を言った。
板橋はちょっとの間考えていたけど、真っ直ぐ向いてハンドルの上に腕を乗せながら
はっきりと言った。
「橋を見に来る人の中で、一番嫌いなのは、橋を見てない人なの」
「は?」
「あの2人みたいに、邪な気持ちでああいうところに来る奴らが一番嫌い」
「邪って・・・別に何にもしてなかったじゃん」
「俺達がいなくなれば、なんでもやるだろ」
「妄想しすぎだって」
「匂いで分かる」
「何それー」
「橋オタクを舐めるなよ」
板橋は最後は笑いながら僕を横目で見た。
気遣いなのか、空気を読んでないのかいまいち分からないけど、板橋のこういうとこが
今の僕には珍しくありがたかった。
社長と奥さんの事で胸を痛めるのはもう止めようと、僕は前を向き直しながら思っていた。
「本当に温泉宿取ってくれたんだ」
「だって、あんたが温泉入りたいっていうから」
一応聞いてたのか。・・・・・・登別じゃないけど、まあ板橋が取ってくれた温泉ならどこでも
いいやって気になった。だって橋の事しか考えてない人間が、温泉宿までとるなんてどんだけ
進歩したんだって驚かない?
「板橋も少しずつ普通の人間に近づいてきたね」
「あんた、俺の事なんだと思ってんの」
「橋人間」
「超合金でできてそうだな、それ」
笑いながら僕達は小さな露天風呂に浸かった。温泉っていうから純和風の宿を想像して
いたんだけど、板橋が取ってくれたのは小さなペンションだった。
気さくな店主が出迎えてくれて、夕食の前に貸切で露天風呂に浸かっている。旅の疲れ
というほど、身体は疲れてないけれど、気持ちは結構疲れていて、温泉の温かいお湯が
身体に沁みこんでくると、大きな溜息が出た。
タウシュベツ橋梁を後にして、僕達はさらに同じような橋を幾つも回った。ダム湖――
糠平湖というらしい――の周りに廃線の残りがあってそれが見れるようになっていたのだ。
それを一日かけてじっくりじっくり堪能して、気が付けば夕暮れ。今日一日でしたこと
といえば、ご飯食べることと、橋を見ることだけだ。流石に僕も飽きてきて、最後には、
「まだ見るの・・・」
と思わず零してしまったほどだ。(それでもよく付き合った方だと自分で褒めてあげたい
気分だけど!)
タウシュベツ橋梁から一番近い温泉は、静かで僕達みたいな人間にとっては一番有難い
場所だった。
「・・・・・・板橋は、ちょっと変だけど強いよね」
「何それ」
「同性の恋人がいるって後ろめたかったり、隠したくなったりするもんなのにさ。僕なんて
不倫と同じくらい重かったよ、昔は・・・・・・。今でも、それを考えるとちょっとナーバスに
なることもあるし」
「好きなのに後ろめたいもあるかよ?人に分かってもらおうと思って恋愛するわけじゃない
んだしさ」
「うん、ホントにそうだね。・・・・・・悪いことしてるわけじゃないんだし」
『悪いことしてるなら今すぐ止めればいいんだ。悪いと思うなら止めればいいし、悪いと
思わないなら、止める事は無い。結局そんなのはその人の意思の問題で、周りの人間なんて
関係ないんだよ』
板橋のあの言葉は、久々に僕の涙腺を弱くした。湧き上がりそうになる涙を堪えるのが
精一杯で、鼻の奥がつんと痛い。
他人にとってみれば、僕達は所詮、ゲイで普通の恋愛とは線を引かれてしまうものだ。
恋人が出来ても、上機嫌で触れ回ったり、友人に堂々と紹介するのもやっぱり出来ない。
けれど、本当は普通の恋愛と何にも変わらないし、同じ「秘密」でも不倫とは全然違う。
板橋は、きっと僕の心の中に燻っていたものに気づいていて、その僕の中の消えない蟠り
にも救いの手を向けてくれたんだろうと思う。
僕と社長は終わったことだ。過去は消せないけど、これから先、僕達が交わることもない。
奥さんがしていることは、奥さんの責任であって、たとえ僕が切っ掛けだったとしても
それを止められなかったのは奥さんの所為だ。
そういうことにやっと気づいて、僕は本当の意味で忘れられる気がした。
次の日も、見事な青空の中を僕達を乗せたオデッセイは走り続けた。広大な景色を見ながら
今日で旅が終わってしまうことに、淋しくなる。
空港でレンタカーを返却した後は、ただただ、名残惜しくて、溜息が出た。
「あーあ。ホントに橋を見に行っただけの旅行になっちゃった」
「牧場行って、キャラメル食いまくってただろ」
「うん。旨かったなあ・・・」
さっきまでいた牧場の景色を思い出すと、口の中にあの甘さが蘇ってきた。初めて食べる
生キャラメルの旨さに僕は夢中になっていた。
更に、僕のお土産の袋の中には数個の生キャラメルが詰まってる。ホントにそれくらい
しか観光できなかったから、悔しくて買えるだけ買ってやったんだ。
帯広空港で北海道の名残を惜しみながら、僕達は羽田行きの便に乗り込んだ。
僕達は終始くだらない話を繰り返しながら、家路に着いた。
板橋のアパートに着く頃にはすっかり日も暮れ、夜空には小さな星がぽつんと現れ始めて
いる。夜は寒いと思っていたけれど、この数日間でぐっと温かくなった気がする。たった
3日間だけだったのに、うらしまな気分だ。
板橋の部屋は、当たり前だけど3日前に出てきたままだった。読みかけの雑誌も、雑然と
積まれた本の山も、何事も無かったように僕達を迎え入れてくれる。
「あー、やっぱり家に帰ってくると落ち着くね」
僕は勝手知ったる板橋の部屋で、早くもくつろぎ始めた。電気ケトルでお湯を沸かして、
インスタントのコーヒーをセット。お土産の生キャラメルは一箱だけ出して、後は冷蔵庫
に突っ込む。
板橋も、僕のお土産のキャラメルを勝手に開けて一粒口に運んだ。
「何度食べても甘いしか感想が出てこないんだけど」
「やめてよ、勿体無い。そういう人にあげるほどあまってないよ」
僕も一粒、口に入れる。とろけていくキャラメルが北海道の大地を思い起こさせた。
「あーあ。今度は絶対、札幌とか小樽とか函館とか行くんだ!」
「いいけど、今度こそ「今度」っていつになるかわかんないよ?」
「え?」
「あんた来月から働くんでしょ」
「そうだった・・・・・・」
「暫くは大人しくしてるんだな」
「僕の事置いてかないでよ?!」
「どうしようかなあー、あんた当分行けないとなるとなあ・・・・・・俺、橋見れないと発狂
しちゃうかもよ?」
「発狂するってどうなるんだよ」
笑いながら板橋を見ると、板橋はインスタントのコーヒーを口に運んで、難しそうな顔を
作った。
「どうなるか、発狂してみないとわかんないな。・・・・・・試してみる?」
「試さなくたって、直ぐ発狂できるよ。どうせ旅には当分いけないんだから」
不毛なぐるぐるした会話を繰り返しても、僕達はなんだか楽しくて、それで幸せだ。
僕は板橋の隣にくっついて座りなおすと、旅と橋の思い出話に花を咲かせた。
「あ〜橋見に行きたい」
相変わらずの板橋の台詞に、コーヒーの入ったマグカップを手の中で温めて、僕は苦笑い
した。
次の橋も、オデッセィの助手席に乗って、僕は付いて行くからね。
ああ、次はどんな橋に出会えるんだろうな・・・!
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