なかったことにしてください  memo  work  clap




 7月。梅雨明け間近の豊山南高校のグラウンド上空には、鮮やか過ぎる空が広がっていた。
木霊する金属バット。ボールは大きな弧を描いて、いくつもフェンスにぶつかっている。
だみ声が響くグラウンドには、汗だくの球児たちの顔が真剣な表情で一球一球を追いかけ
続けていた。
 白いユニフォームは誰もが真っ黒く土をつけ、ぴりっとした空気が漂っている。
予選が近い。今年こそ、今年こそ念願の甲子園へ、と誰もが願う。―――特に3年生の思い
入れは1,2年よりも強い。
 湧井が真剣になればなるほど、部活の緊張は高まっていった。





 真っ暗になるまで練習は続き、へとへとになりながら陽斗は校門を抜けた。
駅までの道のりが長い。一歩前に出すだけで、体中の筋肉が軋む。練習量では誰にも負け
ないと思っていた陽斗だが、中学の部活とは一味も二味も違っていた。
 それを軽くこなしている歩が、陽斗は心底不思議だった。
あんなに細くて小さな身体でなんであそこまで走れるんだろう。自分はまだ全然敵わない。
追いつきたい。対等に並んで、歩に認められてたい。
 そうしたら、この想いもちゃんと伝わったりするんだろうか・・・・・・。



 陽斗が1人暗くなった道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「陽斗〜!」
「お疲れ」
振り返ると、歩と同じく2年の青木彰吾が手を振っている。彰吾は真っ黒に焼けて、暗闇の
中で、白い体操服だけが浮かび上がっていて妙だった。
「先輩達、お疲れっす」
陽斗は2人が追いつくのを待って一緒に歩き出す。歩に対しては勿論だが、陽斗はこの青木
彰吾に対しても、好感を持っていた。
 陽斗の記憶が正しければ、彼もまた湧井と黒田を慕ってここに入ってきた人間だ。しかも
彼は、中学時代から湧井と黒田を慕っている。彰吾は湧井と黒田の中学時代からの後輩なのだ。
 彰吾は有能な4番打者で、しかも強肩のライトだ。2年でレギュラーを勝ち取ったのは、
それだけ優秀だということだろう。真面目に練習しているその姿が陽斗には好ましく映る。
 更に、それだけでなく、彰吾は誰に対しても概ね紳士的だった。陽斗にもわけ隔てなく
接してくれるからこそ、陽斗も自然と彰吾には心を開けるようになった。
「先輩達、元気っすね」
「陽斗、ヘコヘコじゃん!」
歩が隣に並んで笑った。歩も彰吾もまだまだ動けそうなほど、しっかりとした足取りだ。
「夏の練習がこんなにキツイなんて、思ってもみなかったですよ」
「あはは、俺達も去年はそうだったよ」
「歩なんて、バケツに汲んであった水、頭から何回も掛けられてたもんな」
「それ思うと、ちょっとは成長したよね」
「俺も、来年は・・・・・・そう言えるといいんすけど」
屈託なく笑う歩が眩しい。来年はこうやって自分も一緒に笑ってられるだろうか。
 仲間として、一緒のチームメートとして。尊敬するピッチャー、淡い恋心を寄せる愛おしい
人間の隣に、来年は堂々と並んでいられるだろうか。
 でも、と陽斗は自分の思考を遮る。
 アユ先輩は、色恋沙汰になると、ホント鈍感だからなあ。来年も進歩なくこんな感じで
並んでるのかもしれないよな・・・。



陽斗が急に黙り込んでしまったので、場が一気にしん、とした。
「陽斗?」
陽斗は咄嗟に話題を探す。そして、いつも喉まで出掛かっていた疑問をぽろっと口から
吐き出してしまった。
「あの・・・・・・アユ先輩達はなんで、あの時俺のこと助けてくれたんですか?」
「あの時って?」
歩はすっかり忘れてるような雰囲気で言った。多分、歩にとっては陽斗を助けた事など
それくらいの事でしかないのだろう。ごく当たり前で、普通の事。
 けれど、陽斗はずっと考えていた。どうして他人の自分にこんなに一生懸命になってくれ
るのか。こんな経験は初めてで、陽斗はその理由がどうしても見つからなかった。
「T高との試合の後で・・・」
「ああ、陽斗ってば、まだそんなこと気にしてたの?」
「気にしてたっていうか、不思議で・・・・・・」
「普通は助けるでしょ」
彰吾も当たり前のように呟く。けれど陽斗にとっては、その感覚はけして普通などではな
かった。
 黙りこくった陽斗に歩が首を傾げる。普通じゃないと思う方が分らないと歩の表情は
語っていた。
「・・・・・・あのね、先輩」
「何?」
「俺、中学の時、1年の頃から結構注目してもらってたんですよ」
「へえ、確かに陽斗の球、すごいもんなあ」
「アユ先輩には敵いませんけど・・・。まあ、でも監督も俺のこと買ってくれて、練習も
レギュラーと同じメニューしたり、練習試合で投げさせてもらったりしたんですよ」
「うん」
「だけどね、そういうのってやっぱり快く思わない人もいるわけで・・・・・・」
陽斗が溜息を吐くと、彰吾が納得したように頷いた。
「先輩のヒガミか」
「まあそうです。1年の頃は、補欠メンバーからは嫌がらせも受けたし、同級生とは特別視
されてる俺と、どんどん溝が出来たって感じでしたね」
「それ、俺もちょっと分るな」
「ショーゴも?そんな経験あるの?」
「俺、湧井先輩や黒田先輩と仲良かったから。レギュラーやってるのもその所為だって
思われてる節あってさ。嫌われてたとは思わないけど、溝はあったかも」
「ショーゴは本当に上手いのに!」
「ありがと」
不思議そうに驚く歩には、多分そんな経験がないんだろう。いや、あっても歩のことだ、
そんなことになんて気がつかなかったのかもしれない。
「チーム内で孤立してく俺を助けてくれたのが・・・・・・実は他でもない金子先輩だったんです」
「ええ!?あの人が?!」
「はい。バッテリー組んで、いい球投げるなって褒めてくれて。他のヤツにどんなこと
言われても、お前の球は凄いんだから、それで見返してやれって」
言われた当時は、心底救われた気分だった。
 だから信頼したし、なんでも相談して、頼りにしてた。けれど・・・・・・。
「そんないい先輩が、お前の事いびったりするんだよ?」
「・・・・・・俺がいけないんです」
「何それ」
「俺が、金子先輩の信頼を裏切ったっていうか・・・・・・」
陽斗は言葉が続かなかった。あんなによくして貰った先輩だったのに、陽斗が夢中になって
追いかけていたのは別の人間だった。陽斗はそれを隠し通すつもりだったが、金子には
それがばれてしまったらしい。
 そして、陽斗は強請られた。あるいは初めから金子にその打算があったのかもしれない。
今となっては、金子が陽斗に近づいた目的がなんであったのか陽斗には知る術はないが、
陽斗にとって、金子との接点は人生の汚点であることには間違いない。
 あんな風に屈した自分は今でも悔しくて許せない。けれどそれは消せるものでもないし、
金子を前にして、全然克服出来てないことも知ってしまった。
「金子先輩、人が変わった様になって・・・・・・。部室で怒られたりもしたんだけど、結局誰も
助けてくれる人なんていなかった。みんな内心ざまあみろって思ってたんだと思うけど」
だから、困ってるときに誰かが助けてくれるなんて構想はまったくなかったのだ。
 今回のことだって、歩が自分の前に割って入ってきたことに心底驚いている。
「で、陽斗は俺達が助けに入ったのが不思議でたまんないって思うわけ?」
彰吾が呆れたように言った。
「はい」
「陽斗って、意外と苦労人だったんだなあ」
歩が一つ伸びをした。ぼんやりと呟いた言葉に陽斗は歩が幸せな中学時代を過ごしてきた
んだろうと、想像する。
 歩にイジメなどという言葉は似合わない。
「苦労人ってほどじゃないですよ。ただ、こんな風に助けられたことがないだけで」
「それが苦労人っていうんだと思うけど。チームメートに恵まれないのは、可愛そうだ」
「ここの野球部は、いい人が多すぎるって思いました」
「みんな、湧井先輩のこと尊敬して、それで集まってきたからなあ。結束は強いかもね」
「結束・・・?」
不思議そうに呟くと、彰吾も頷いた。
「ああ、そうだな、それ。結束。湧井先輩と一緒になんとかして甲子園に行きたいって。
出発点が一緒だから自然と仲間意識も強くなるのかもよ?」
そう言うものなのだろうか。中学の頃だって、目標はみんな同じだったはずだし、チーム
としては、まとまりは悪くなかったはずだが、豊山南の野球部のメンバーとは質が違う。
 個人能力主義というのが第一にあって、その中ではみんなライバルだった。味方はまず
蹴落とすためにいて、その上で能力だけで繋がっているそういうチームだった。
 勿論、豊山南高校の野球部も甘くない。レギュラーは安泰ではないし、必要ならば直ぐに
交代が待っている。
 けれどチームとして何か一つまとまっている、そう感じるのだ。それが、湧井の力という
のなら、彼はどれほど凄い人間なのだろう。
「湧井先輩って、何モノなんですかね・・・・・・」
思わず口から漏れた言葉に彰吾が笑った。
「一緒にいると、いつの間にか、あの先輩の思考に汚染されてる」
「汚染!?」
「強力なウイルスみたいな人だよな」
「あはは。ショーゴ、酷い」
「でも、分るだろ?気がつくと、あの先輩と同じものの考え方してたりしてさ」
「まあね」
「そう言うモンですか?」
「1年一緒にいるとそうなるよ。・・・・・・おかげで俺達、湧井先輩の所為でK高大っ嫌いに
なっちゃったし」
彰吾がいうと、歩が手を叩いて「そう、それ!」と叫んだ。
 陽斗が不可解な顔をして2人を覗き見る。
「K高。四天王の一角のK高だよ。あそこには、湧井先輩の敵がいるんだよ。大ッ嫌いの人が」
「入部当初、そんな話してましたね。それが?」
「一昨年、K高と当たった時、俺中3だったけど、豊山南に進学しようと思って、K高との
試合見に行ってたんだ。そしたら、見たこと無い湧井先輩がいた。ライバル心むき出しで、
あの試合は、ドキドキだった」
「俺も見てたよ。そんで膝が震えた・・・・・・湧井先輩の気迫が凄すぎて。結局負けちゃった
けど、あの試合は今まで見てきた試合の中で一番印象に残ったな。俺、スタンドで見てた
だけなのに」
「そう。だからさ、俺達にはK高に何の恨みも思いもないわけ。対戦した事もないし、俺に
ライバルがいるわけでもない。だけどさ、湧井先輩がこんなんだったから入部して1年経って
みたら、俺達まで勝手にK高の事ライバルだと思い込んじゃってるんだ」
湧井ほどの人物になれば、K高にだってライバルがいるのだろう。けれど、対戦もしたこと
ない歩や彰吾までそんな思いになるのはどうしてだ。
 それほど、湧井の影響力が大きいということなのか。
「今年、当たれば大変な事になるから、陽斗も覚悟しとけよ!」
彰吾に脅されて、陽斗はぶるっと身震いした。湧井にとってみれば、今年がラストイヤー
なのだから、当然気合の入り方も一昨年とは比べ物にならないはずだ。
 それにしたって不思議だ。湧井ほどの人物がどうしてこんな辺境の公立高校になんて
入ってきたのか。
「強豪私立に入ってれば、絶対楽に甲子園行けただろうに」
「そこが湧井先輩の意味不明なトコだよね」
「あの人パイオニアだから」
彰吾の言葉に3人納得して笑った。



「おーい、ショーゴ!彰ちゃん!」
駅までの道を3人歩いていると、更に後ろから声がして、3人は立ち止まった。振り返れば
野球部のマネージャー、春田則子が自転車で3人を――正確には彰吾を呼んでいた。
「お、ノリちゃん!」
振り返って、彰吾が手を振る。マネージャーは彰吾の彼女だ。
「ふう、やっと追いついた・・・・・・みんなお疲れ!」
「春田ちゃんも!」
「あ、マネージャー、お疲れさまです」
歩と陽斗もマネージャーに声を掛ける。マネージャーはセミロングの髪を頭の上でお団子に
まとめていて、笑い顔がさわやかだった。
「ノリちゃん、どうしたの」
「えー!彰ちゃん今日、うち寄ってくって言ったのに、あたしのこと置いてくんだもん」
「あ、そうだった」
マネージャーは自転車から降りると、少しだけふくれっつらをする。女の子らしい仕草に
陽斗は思わず微笑んだ。
「ごめん、ごめん。送ってくからさ」
彰吾はマネージャーから自転車を奪うと、それに乗っかった。
「歩、陽斗、ゴメン。そう言うわけだから先帰るわ」
「ゴメンね、みんな。お先です!」
マネージャーもニコリと笑う。
「うん。気をつけて」
「お疲れっした」
片足を付いて止まると、彰吾はマネージャーを振り返る。
「ノリちゃん、後ろ乗って」
「転ばないでよ」
「任せろって」
マネージャーは自転車の後輪に付いたハブステップに足を掛けて、彰吾の肩に手を乗せた。
そうやってバランスを取ると、自転車は陽斗と歩の前から静かに駆け出していく。
 一度だけ彰吾が振り返って手を振った。



「・・・・・・なんか、青春っぽくっていいですよねー、あの2人」
「彼女かあ・・・・・・」
「アユ先輩は、彼女とか・・・・・・いないんですか」
「いるわけないよ、17年生きてきて一度も!モテた事ないんだから!」
歩が拗ねた口調で言う。陽斗は内心嬉しくなって話を膨らませた。
「そうなんですか?時々告白されたって話聞きますよ〜?」
「・・・・・・マウンド上以外でモテたことないの、陽斗も知ってるでしょ。普段の俺みて幻滅して
帰って行く女の子の話とか」
「わかってないですよねー、その子達。普段のアユ先輩だってこんなにカッコイイのに」
「褒めてるの、それ?」
「いつもいってるじゃないですかあ、俺は先輩にめちゃめちゃ惚れてるって!」
陽斗はどさくさにまぎれて、歩の肩を抱き寄せる。汗臭い中に僅かに歩の甘い匂いが漂う。
このままもっと抱きしめてしまいたい。
 一体何時になったら、自分の気持ちがちゃんと伝わるんだろう。
「陽斗はいい後輩だなあ。俺、弟とかいないから、弟出来たみたいでちょっと嬉しい」
歩は照れたように笑った。
 全然伝わってないのが虚しいけど、今はまあいいか。ゆっくりやるさ、時間はあるんだし。
頭上では一番星が早くも輝き始めて、ひっそりと夜を連れてきている。明日も暑い一日に
なるんだろう。
 キツイ練習を思い出してげっそりする。けれど、隣で歩が一緒にいてくれれば、それも
また楽しめる気がする。
 大概自分もノー天気だ。陽斗は苦笑いしながら何時までも歩の肩を抱いて歩いていた。





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