刺すような寒さと共に、3学期が始まった。一歩外に出ると、寒さで指の先までじん、と
痺れるようだ。亜希は鼻をすすりながら、重い足取りで学校へと向かう。
真野に叩きつけられたダイエットノートが鞄の中に入っている。そこから棘が突き出て
亜希をちくちくと刺激していた。
真野に絶望され、美咲に呆れられ、あれからケーキはストップしたけれど、体重は78キロ
のままだ。
せっかく痩せたのに。その後悔は亜希にもあって、真野に失望されたのと同じくらい、
実は自分だって自分に嫌気が差していた。
「だって・・・・・・真野が」
亜希はその都度、真野の裏切りをあげて言い訳にしたけれど、やっぱり虚しい。
美咲の言うとおり、自分が真野の事、何とも思っていなければ、真野が自分を賭けの対象
にしてたかどうかなんて、気にすること無かったのだ。痩せたっていう結果だけあれば、
満足できたはずなのに。あんなに腹が立ったって事は・・・・・・
そこまで考えて、ぶるぶると顔を振る。次の一言は意外と重たい。認めると、自分を支えて
来たものがポキリと折れてしまう気がする。真野と対等でいられなくなると、自分はどうなって
しまうんだろう。
「もう!なんで俺の頭の中、真野だらけなんだよっ」
亜希はコートで更に丸々となった身体を震わせて、学校へと向かった。
亜希が教室に一歩踏み入れると、クラスの空気が変わった。
「え?」
「亜希ちゃん?」
「どーしたのよ〜」
驚いている女子。半笑いの友人。腹を抱えて笑っている遠巻き。
それぞれが色々な思いを抱いて亜希を見つめている。その突き刺さる視線に目を合わせない
ようにして、亜希は自分の席に着いた。
亜希が自分の席に着くと、敦子達が慌てて追いかけてきた。
「亜希ちゃん!」
「あ、おはよ」
「ちょっと見ないうちに・・・・・・なんか顔がパンパンになってるんだけど」
「うん・・・。お正月、油断しちゃったみたい」
あははと乾いた笑いで頭を掻くと、敦子達はため息を落とした。
「お正月は、ダイエット続かなかったのね。真野君はどうしてたの?」
「ま、真野は・・・・・・」
亜希は2学期最後の日の事と、真野が家にやってきた日の事を思い出して、ぶるぶると首を
振った。
「亜希ちゃん?」
「あいつは・・・・・・俺のダイエット協力するのもう嫌なんだって。だから止めるって」
亜希が言うと、女の子達は高い声で一斉に文句を言い始めた。
「ええ!?そんなの勝手だわ」
「何かあったの?真野君になんかされたの?」
「ちょっと私文句言ってくるー!」
「約束したのに、ひどいよ真野君」
自分にも多少は非があると思ってる亜希は、その言葉が痛かった。
「・・・・・・で、でもさ。アイツも3ヶ月、付き合ってくれたんだし・・・・・・もういいんだ」
力なく女の子達を止めに入ると、敦子が訝しげに亜希を覗き込んだ。
何かあったのはバレバレで、その何かの更に奥にある感情すら敦子に見透かされた
ようで亜希は身体を強張らせた。
「・・・・・・」
敦子は、一呼吸置いて亜希に言った。
「ねえ、ダイエット止めちゃうとか言わないよね?」
「え?」
「亜希ちゃんのダイエット、あたし達の夢なんだから」
「夢って・・・・・・」
そんな、勝手に人のダイエットに夢を託されても困る。
亜希の困惑した表情に、敦子が慌てて手を振った。
「あー、そんな大げさなものじゃなくてね。この3ヶ月間、亜希ちゃんが痩せていく姿見て
努力って報われるんだってよーく分かったから。それを証明してくれる気がしてたのよ」
「報われてたか?」
「だって、ちゃんと減ったじゃない6キロ以上!すごいことよ?」
「6キロ減っても全然まだまだだよ・・・・・・」
「いきなり3ヶ月で20キロも減る方がおかしいわよ」
「そうだけどさ」
後ろ向きな亜希に、女の子達は何かを察知したのか、最後の一言を言わせないように、亜希
を盛り上げた。
「大丈夫、亜希ちゃんなら絶対痩せられるって」
「コレくらいのリバウンドなら、またがんばればやれるよ」
「そうよ。真野君にもまた協力させればいいんだしさ」
「あたしたちも、後でもう一回協力するように、真野君に言ってみるからさー。亜希ちゃん
もがんばってよ」
女子パワーに圧倒されて、亜希は思わず頷いてしまった。
「・・・・・・が、がんばるよ・・・・・・」
結局、ダイエットを止めたことは言えずに、それどころかまたがんばる羽目になってしまった
ことに、亜希はひどく疲れてしまった。
真野とはあの日から口を利いていない。教室で会っても真野は空気みたいに無視するし
亜希はそうなると何も言えなかった。
今の状況では、亜希の方が圧倒的に分が悪い。賭けなんてひどい仕打ちされて、怒って
いたのは亜希の方だったのに、リバウンドした所為で、クラス中の人間が自分をまるで悪者
の様に見ている気がした。
亜希は敦子達に押されて、ダイエット続行を約束してしまったけれど、真野が協力して
くれたときほど、気力も沸かないし、実際上手くも行ってなかった。
リバウンドで78キロ。そこから500グラムくらい減ったきり、グラフはまた横に伸びていた。
「やっぱり真野君に協力してもらった方がいいんじゃない?」
「・・・・・・いいよ、一人でがんばれるから」
心配する敦子達に亜希は力なく答えた。
昼休み、敦子達に囲まれるのが嫌で、亜希は珍しく教室を出ていた。どこへ向かうともなく
足が勝手に向かっていたのは体育館だった。
体育の授業が大が付くほど嫌いな亜希が、どうしてここに向かっていたのか、自分でも
体育館を目の前にして驚きを隠せなかった。
びゅうっと風に巻き上げられて、亜希のさらさらの髪の毛が立ち上がると、亜希は身体
を震わせた。
吹きさらしの体育館前の渡り廊下を足早に抜けて、亜希は体育館に滑り込む。さして
暖かくも無いけれど、外の風に当たってるよりはマシだった。
亜希が体育館に入ると、ダンダンとボールを突く音が響いていた。音の元を辿ると、2人
の男子生徒がバスケットボールを奪い合ってシュートを競っている。
亜希は瞬間、目を疑った。そこにいるのは、同じクラスのバスケ部の田村と、真野だ。
亜希は2人に見つからないように、急いで舞台袖に隠れた。
「あー、真野。もう勘弁。ちょっと、休憩」
「バテるの早いぞ」
「お前がタフすぎるんだよ!」
ボールの音が止むと、2人の会話が亜希の耳にも届いてきた。2人はバスケを止めて、亜希
の近くまで来ているらしい。
亜希は身体を硬くしてその場に立ち尽くしていた。
「筋トレが足りないんだろ」
「お前の作ったあの無茶苦茶なメニュー、これでも一応こなしてるつもりだけど!」
田村が嫌味っぽく言うと、真野も軽く笑った。
「じゃ、もっと増やすか?」
「冗談!」
田村はクラスでもそこそこ面白いヤツで、亜希もバスケ部の筋トレに強制的に参加させられる
ようになって、少しだけ仲良くなった。飾らない性格が真野に合っているのか、田村の前
では、真野も少しばかり警戒心を解いているように思えた。
「あー、そう。筋トレ言えば、高城、筋トレ来なくなったな」
田村は手元にあるボールを突いた。
「あ?」
「真野、高城のダイエット付き合うの止めたの?」
「ああ」
短く答える真野に、田村が神妙な顔をした。
「賭けは?」
「さあ。続いてるんじゃねえの」
2人の会話の中に突然自分の名前が挙がって、亜希は益々身体を強張らせた。しかも、話は
自分のダイエットと問題の賭けの話なのだから、亜希の耳も自然とそちらに集中してしまう。
「適当だなあ。このままだと、真野負けちゃうよ。高城リバウンドしちゃったし。掛け金
5万だっけ?勿体無いなあ」
「仕方ないだろ」
そっけない答えに、田村は真野の顔色を窺った。
「・・・・・・真野ってさ、やっぱり賭けなんて初めからどうでもよかったんじゃない?」
「はあ?」
「真野、高城を痩せさせたいだけだろ」
むすっとした顔で睨まれても田村は構わず続けた。
「だってさー、真野、遠足のとき、小学生の高城の写真みて、釘付けになってたもんな」
「なっ!?」
真野の反応が予想以上で、田村はクククと喉で笑った。
「あの写真は衝撃的だったよなー。デブの高城が、4年前まではスリムの超美少年だなんて
さー。なんで太っちゃったんだろ。勿体無いと思わない?」
「そんなの知るか」
「入学したとき、高城が痩せてたら、絶対クラスの女子、ほっておかなかったと思うぜ。
あ、誰かさんもかな」
睨まれたのに、田村は怯まなかった。それどころか、その反応が面白かったのか、真野を
更にからってはやし立てた。田村の軽い声が亜希の耳にも届く。亜希のは指の先までびりびり
と痺れが走った。
「真野って、やっぱりアイツに惚れてるんじゃねえの?」
「なんだそれは!」
狼狽しかけた顔は亜希からは見えなかったが、田村は更に食いついた。
「しかも遠足のときの、あの変な鏡の前で、スリムな高城みて、真野ちょっと照れてただろ?」
「?!」
「あ、図星。誰も気づいてなかったみたいだけど、俺ちゃんと見てたんだよなー」
「別に。驚いただけだ!」
「そうかなー。普段だったら絶対しないような顔してたよ。あ、今も、普段なら絶対しない
顔になってる」
「お前いい加減に・・・・・・」
「高城は、痩せたらきっと今でも美少年になるよ」
「・・・・・・」
言い切る田村に、真野は黙った。田村の出方が分からない。何が言いたいんだ。田村に
本当に自分の胸の内を知られているのではないかと、真野は心の中で舌打ちをして、田村
の言葉を慎重に読み取っていった。
「まあ、今の高城じゃ無理か」
「・・・・・・」
「せっかく3ヶ月かけて痩せたのに、たった10日の休みでリバウンドだもんなー。バスケの
筋トレにも付き合ってたのに。勿体無いけど、根性なさそうだもんな」
ピクリ。真野の眉間が動き出す。それを確認して田村は続けた。
「高城って、デブなことに甘んじてるっていうか、ま、いっかーってトコあるよな。きっと
リバウンドしても、何にも考えないで『ま、いっかー』って思ってんじゃないの?」
そんなこと思ってない!亜希は思わず小さく口走っていた。リバウンドしたことだって、
心の中では、本当は後悔してる。せっかく痩せたのにって、真野の所為にしながらも、自分
も責めた。本当は、もっと痩せたいんだ。もっともっと痩せて・・・・・・。
亜希の気持ちを逆撫でるような田村の台詞が続いた。
「デブは所詮デブのまんまか」
田村の言葉に亜希は唇をかみ締める。悔しい。自分ががんばってきたことをそんな軽く
言われたくない。
出て行って文句の一つでも言ってやりたい。確かにリバウンドはしてしまったけれど、
そこまでたどり着く過程は、自分の人生の中で一番がんばってたと、亜希は胸を張って
言える。それくらい辛かったから、田村の言葉は亜希を本気でムカつかせた。
拳に力が入って、わなわなと震えていると、真野が低く呟いた。
「・・・・・・お前、それ以上アイツの悪口言うなよ」
真野・・・・・・?
亜希は息を呑んだ。
「悪口じゃないって。俺は一応、お前と賭けなんてしてる馬鹿な連中とは違うつもりだぜ?」
「じゃあなんだ」
「俺は、今の現状を言ったまでだって。別に高城がダイエットに失敗すればいいなんて
これっぽっちも思ってないよ」
「・・・・・・」
「俺は賭けなんてしてないからね。どっちでもいいんだけどさ。・・・・・・でも、今のままじゃ
高城はダイエットだって続かないと思うけど?」
少しだけ田村の声が柔らかくなる。真野はとげとげしく言い放った。
「あいつはやる。痩せる。そういうヤツだ」
「真野・・・・・・」
真野の言葉に、亜希は苦しくなった。真野は自分の事を認めていてくれるらしい。今まで
全然気づかなかった。
そんな優しい言葉をかけてもらったことなどないし、真野から降って来る言葉はいつも
亜希をムカつかせるか、落ち込ませるかだったのだから。
真野の言葉を心で繰り返してみると、亜希は胸がぐんぐんと熱くなっていた。
ドキドキ・・・・・・。
鼓動が突然速くなる。何だ、この感情!
自分の胸を押さえて鼓動を落ち着かせようと、深呼吸をしたところに、真野の言葉が
再び降って来た。
「高城は、あいつらが思ってるほど間抜けでもないし、根性もある。見てろよ、絶対高城
は痩せるから」
「すごい自信だなあ。・・・・・・愛の成せる業」
「アホか!」
真野の声が照れくさそうに裏返った。
真野の事、今すごくかっこいいと思った。カツアゲしたのを助けてくれたときくらい
真野の一言には救われた。自分には味方がいる。今まで微塵も見せてくれなかったのに。
意地悪だけど、真野らしいと亜希は思う。
「真野の馬鹿野郎」
身体が熱い。どうしよう、これ・・・・・・。
その熱が、亜希のこだわっていた真野への恨みを一気に溶かしていく。そして、残った
のは、自分の中の真実の気持ち。
そこにいたのは、紛れもなく、こいつだ。
「俺・・・・・・真野の事、本気で・・・・・・やばい、真野が好き、かも・・・・・・」
亜希は、冬なのに体中から蒸気が湧き上がるほど全身茹蛸みたいに真っ赤になっていた。
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