なかったことにしてください  memo  work  clap




「ふぅ・・・・・・はっ・・・」
長い口付けの後、湊はゆっくりと唇を離した。お互いの息が掛かる距離のまま、武尊は湊
を見詰めた。
 濡れた唇と、熱っぽい瞳がいつもの湊を消していく。こんな激情を内に秘めていたのか
と、垣間見た湊の熱さに武尊はクラクラした。
 腰に回した手に力が入る。今度は自分の意思で湊を引き寄せると、その濡れそぼった唇
に自分のそれを重ねた。
 背中の腕が温かい。慰めるだけ、身体を提供しあうだけの行為にしては、湊の温もりが
伝わり過ぎている。この行為の向こう側に、何かが隠されている気がしたけど、背中を
滑って行く湊の手にその思いは掻き消された。
 武尊の肩に頭をもたげて湊は言った。
「僕、男だけど・・・・・・本当に大丈夫?」
「・・・・・・湊君となら・・・・・・いや、今は湊君がいい」
「ノンケの人にそうやって言われるなんて、光栄だな」
自分はゲイじゃないし、多分これから先も、街行く男を見て欲情することはないだろうと
思うけれど、この台詞に嘘は無い。
 誰かを抱いて眠れるなら、湊がいい。自分の気持ちの向こう側にも、何かがあると予感
がする。
 けれど、
「好きに抱いてくれていいよ」
そうやって耳元で微かに笑いながら囁く湊の声が、その予感も全て真っ白にした。
「勝手がわからないけど」
「大して変わらないいよ。それとも・・・・・・」
湊が膝を割って武尊の上に乗り上げる。左手を首に絡ませて、右手が頬、首、胸を辿って
わき腹の辺りで止まった。
「僕が、やな事全部忘れるくらい、気持ちよくさせてあげようか?」
湊の白い指が内股まで降りてくる。何度か行ったり来たりを繰り返して、最後に軽く抓ら
れると、武尊の身体は芯から疼いた。
 男でもこんな色っぽい顔ができるのかと、湊の潤う瞳を見て武尊は思った。
「・・・・・・あの・・・」
「うん?」
言葉を掛けようとして、見失う。言葉なんて要らない。行為に没頭するだけでいいのに、
それだけで繋がるのことをどこかで否定しているみたいだった。
 武尊は空いてしまった間を埋めるように、周りを見渡す。そうしてここがリビングだと
いう事を思い出して、自分の即物さを恥じた。
「流石に、リビングは・・・・・・」
「真面目だなあ、武尊さん」
「え?」
「そう言うこと気にしちゃうんだもん」
「・・・・・・」
湊は苦笑いして武尊の上から降りると、手を差し伸べた。
「僕の部屋でいい?」
武尊も照れくさそうにその手を取った。恋人みたいだね、とその言葉は飲み込んで代わりに
湊の天頂に軽くキスを落とした。






 午前0時。新しい一日の始まりを、湊と武尊はお互いの肌の熱さに包まれて迎えていた。
ベッドサイドのスタンドライトが僅かに点いただけの薄暗い部屋で、お互いのシルエット
を頼りに、身体をくっつけている。
 武尊の胸に頬を乗せて、鎖骨を指でなぞった。
「ふぅっ」
滑らかな指の動きに彼がピアニストである事を武尊は思い出す。自分が鍵盤にでもされた
気分だ。脇を滑り降りて、湊の指は武尊の下着の縁をなぞった。
 湊の冷たい指が下着の中に滑り込んで来ると、熱を持ったそこが痛いほど熱く感じた。
「ううっ」
「・・・・・・よかった」
すっかり膨らんでいる武尊のこそを確かめて、湊はうっすら微笑んだ。顔を上げて一度
武尊を見る。息を吐いた口の中で舌がチロチロと動いた。
 湊はその舌を絡め取るように武尊の口にかぶりつく。お互いの口の中で行ったり来たり
する舌と甘い唾液を飲み込んだ。
「はっ・・・」
口を離すと、湊は武尊の腹の上に顔を落とす。呼吸で上下する腹部に軽くキスをした後、
湊は武尊の下着に手を掛けた。
「湊、君・・・・・・」
武尊は殆ど抵抗することなく、湊の前にさらけ出す。むき出しになった欲望の塊を、湊は
丁寧に口に含んだ。
「ふっ・・・ぐう」
武尊の鼻に掛かった声がする。ゲイを否定していた人間が、自分に欲情している、それだけ
で湊の気持ちは切なくて苦しくなる。
 この行為を深く考えると、破綻してしまう。没頭するしかないんだ。
湊は、快楽だけを探した。
 舌に絡めて、吸い上げる。過呼吸気味に息を継いで、吐き出した熱を武尊に振り掛ける。
「あっ・・・うう・・・」
武尊が湊の頭を掴む。その指に力が入ると、ピクリと身体が震えた。
 武尊が自分に惹かれているのか、本当にただ、人肌が恋しいだけなのか。過ぎる疑問と
一緒に武尊の吐き出した白濁を湊は飲み込んだ。



 武尊は、湊に手渡されたローションを、自分の掌と、暗闇にぼうっと浮かぶ湊の白い腹
に垂らした。
指でローションを引き伸ばすと、湊の身体がくすぐったそうに小刻みに揺れた。
自分と同じ性別の人間にこんな行為をするとは思いもしなかった。今でも、どこか後ろ
めたさはある。それが妻に対してなのか世間に対してなのか、自分の良心に対してなのか
は分らないけれど、湊が淫らになるほど、武尊は怖くなる。
 このまま、嵌ってしまう気がするのだ。
湊の浅い呼吸が、早く早くと武尊を誘う。武尊は指から滴り落ちそうになるローション
ごと湊の孔を押した。
「はあっ・・・・・・」
待っていたようにぷっくりと武尊の指を飲み込む。指を圧迫されて、武尊は力を入れて
湊の中をかき混ぜた。
「武尊、さんっ・・・」
苦しそうな声に武尊の動きが止まる。
「・・・・・・大丈夫?」
「もっと・・・!」
不安げな武尊と対照的に、湊は艶かしい声で叫んだ。
 湊の秘部は軽々と武尊の二本目の指も飲み込んでヒクついている。武尊が指を動かす度
短い声が湊の口から漏れた。



 好きなように抱いていいと言ったのは湊だったはずなのに、好きなようにしているのは
湊の方だった。
「ホントに、大丈夫?」
そう躊躇した武尊を押し倒して、湊は武尊の上に跨ると、自ら身体を開いて武尊の上に
ゆっくりと腰を落としていった。
 メリメリと音がするんじゃないかと思うほど、そこは広がって武尊は湊の中へと入って
行く。湊の腰を支えて、根元まで咥えられると、2人して大きな息を吐いた。
 湊の中で、ピクピクと武尊が反応する。信じられないほどキツイ圧迫があった。
「動いても、いい?」
「うん」
湊が腰を上げる。
「ああっ・・・・・・」
漏れる声は妖艶で、武尊はもうこれ以上考える事を止めた。湊の上げた腰を自らの力で
引き寄せる。
 肌とローションの跳ねる音が響いた。
結合した部分から熱が体中に伝わって、背中や額はうっすらと汗ばんでいる。
漏れる声と息、ピッチが上がるたび高くなる重なり合う音、シーツの擦れる響き。極彩色
の映像が見え始めると、二人とも顔を合わせて、どちらとも無く唇を欲した。
「武尊さん、は・・・・・・?」
「もう、限界・・・・・・」
「うん。僕もっ」
武尊の指が湊の腰に食い込む。
 唸り声を上げて、武尊が湊の中に吐き出すと同時に、湊も武尊の腹部目掛けて白い欲望
をぶちまけた。
「はっ・・・はっ・・・」
「ふうっ」
後には、2人分の息が部屋に木霊していた。






 布団が擦れる音で目が覚めた。このベッドに自分と違う個体がいる。久しぶりの感覚だった。
雨の日に一方的に別れを告げていった恋人。彼ともこうやって朝を何度も迎えた。ひょっと
したら、自分は長い長い夢を見ていて、隣を振り返れば彼が豪快な寝相で寝ているんじゃ
ないだろうか。そんな錯覚にすら陥る。
 恋人に振られた事も、武尊に会ったことも、全部夢。夢だったら、どんなに楽だっただろう。
そう思って、横を向けば、明らかに昔の恋人とは違う後頭部が見えた。
恋人に疑心を抱きながらも、それを飲み込んで過ごす毎日の方がずっと楽だなんて、
どんだけ辛い思いしてるんだと、湊は苦笑する。
その後頭部を眺めながら、昨夜の事を思い出した。
汗ばんだ肌。重なる息、研ぎ澄まされた感覚。武尊の腕の強さは幻じゃない。
繋がってしまった。身体の軋みが証拠だ。繋がった箇所が甘く疼いた。身体の中に昨日
の熱がまだ残っている気がして、あんなに乱れた自分が恥ずかしくなる。
 気持ちが通じない分、身体で繋がる事に想いを込めていた。武尊と繋がれるのは、きっと
最初で最後だから、身体は全てさらけ出した。
 満足したはずだ。・・・・・・いや、もう十分だと思わなくては。
諦めるきっかけだなんて、絶好の口実を貰って、湊は武尊を欲していたことを隠しながら
繋がる事ができたのだ。
 それ以上、何を望む?
けれど、やっぱり心も繋がりたいなんて、人の欲望は贅沢だと湊は自嘲した。
布団を引っ張り上げると、武尊の後頭部が動いた。ゆっくりと振り返って、武尊と目が
合う。
「おはよう」
武尊の声はすっかり覚醒しているようだった。
「・・・起きてた?」
「ええ、ちょっと前から」
「ゴメン、流石に2人は狭いよね」
「寒かったから湊君とくっついて寝れて丁度よかったですよ」
発言の内容とは裏腹に、いつもと変わらぬ口調の武尊に「大人」を見る。彼はこの事実を
どう処理するつもりなんだろう。
 何事も無かったように振舞うことだって、武尊にならできるのだろう。
湊はもう、そんなことが出来ないくらい武尊を好きになっている。心に刻んで一生の
思い出にするなんて、切な過ぎて馬鹿げてる気がした。
 武尊はこれから先どうするんだろうか。離婚することになったら、ここに留まっている
理由もなくなる。武尊はどこへ行く?
 出て行かれるのも嫌だったけど、2人きりで過ごすのは気まずい。
せめて紺野がいてくれれば、まだマシな気がする。そこまで思って湊ははっとした。
「・・・・・・紺野、帰ってきてない、よね?」
いくらあんなに激しいセックスをしていたって帰ってくれば気づくはずだ。
 疲れきって眠ってしまった間に帰って来て、部屋で眠っていてくれればいいと思うけど
紺野の性格からして帰ってきている可能性は低いだろう。
「そうですね」
不安げな顔を見て、武尊は胸が痛んだ。
「どこ行ったんだろう」
湊の独り言は空中に溶けて静かに消える。
 武尊は、目覚めてからずっと自分の身勝手さを後悔していた。
紺野に対しても、それから欲望のままに抱いた湊に対しても。湊の意志は本当はどこに
あったのか、武尊は気づいていない。湊の嘘を、落ち込んでいた理由を信じてしまった。
 身体を重ねた理由を慰めの関係だと割り切ろうとしてしまった。
 ただ、こうやって湊と身体を重ねてみて、武尊の気持ちは変わりつつあった。それが余計
に、紺野への負い目となる。武尊は湊から視線を外すと、天井を見上げた。
「何で出て行ったか、湊君には心当たりないですか」
「うーん。機嫌が悪かったのは気づいてたけど・・・・・・」
湊の返答に武尊は小さく溜め息を漏らした。
「彼が黙ってるのに湊君に言うのは、彼のプライドを傷つけることになるんだろうけど、
この場で知ってるのに言わないのはフェアじゃない気がするから、言っときます」
「武尊さん・・・?」
「彼は・・・きっと湊君のことが好きなんだと思いますよ」
「え?!」
湊は絶句して、武尊を見た。
 紺野が自分を好きである事も、それを武尊が知っている事にも驚きを隠せない。
「・・・・・・俺が湊君と一緒に帰ってきて、腹立てたんだと思います。せっかく2人きりに
なれたのに、また邪魔な人間が帰って来たって」
「そんな・・・・・・」
そんなこと、あるんだろうか。紺野が自分を好きなんて・・・・・・。
 言葉を失った湊に武尊は続けた。
「コンサートで彼が湊君を見詰めている姿を見て、きっとそうなんだろうと。本人に確かめた
わけじゃないので、確証はないけど」
「・・・・・・」
「すみません。気づいてたのに、昨日はどうしても湊君を離したくなくて」
「!?」
その言葉の中に恋愛感情があるのなら、どんなに嬉しい言葉か。
 けれど、紺野の気持ちをこんな風に暴露する自体、武尊が湊に対して恋愛感情を持って
いないという最高の証拠じゃないかと、湊は思う。
武尊にそんな気持ちがないと分って身体を重ねたのだから、今更それを望むのは虚しさ
が増すだけだ。
 ただ、湊は気づいていなかった。武尊がここに来て、それだけじゃない感情を持って
しまったという事に。
 紺野に対して負い目があった武尊の気持ちの根本には、武尊もまた湊に惹かれていると
いう事だった。
 気づいた武尊と、勘違いした湊。
自分の気持ちを隠す湊と、見間違った武尊。
紺野を介して、3人の心はスパイラルを描いて、そして永遠にすれ違う。
「好き」の一言がこれほど重い恋愛を誰も経験したことがない。出口の鍵は単純で、そこ
にあるのに、その鍵が幻のように思えて、湊も武尊もそれを敢て無視してる。
 それはこの均衡を崩す鍵なんかじゃないと、否定して苦しさの中でもがいているのだ。
複雑にしてるのは、これ以上傷つきたくないという保身。傷を舐めあってる振りして隣
にいられるのならそれでいい。
 瞳の奥に隠した感情を覗き込むことはせずに、湊はベッドから抜け出した。
カーテンを開ければ、コウコウと街路樹が風に揺れて寒さに震えている様だった。



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