なかったことにしてください  memo  work  clap




 紺野は次の日も戻ってこなかった。
武尊と2人きりの夕食は前以上に不安定だった。湊は武尊と体を繋げてしまった事を後悔
はしていなかったけれど、それを意識すると自分が次を望んでしまうような気がして、記憶
の奥へと、その事実を押し込めようとしていた。
 湊は「紺野がいなくなったことを心配する」ことで武尊への気持ちをかき消そうともがいた。
「紺野、帰って来るつもり、もうないのかな・・・・・・」
湊は食器だけが並ぶ紺野の席を眺めながら細い息を吐く。
「湊君は彼の連絡先、知らないんですか」
「うん。ケータイの番号教えたんだけど、紺野のは教えてくれなくて・・・・・・。明日仕事休み
だから、ちょっと探しに行ってみようかなって思ってるんだけど」
「心当たりでも?」
「あるわけじゃないけど・・・・・・なくはないっていうか・・・・・・紺野のクラスの子が、うちの
音楽教室の生徒らしいの。その子に話聞いてみようと思ってる」
「そうですか」
武尊の中に、湊が紺野を探しに行くのを繋ぎとめてしまった罪悪感と、湊の中を支配する
紺野への微かな嫉妬が湧き上った。
 武尊の目には、湊が紺野を思って、必死に探しているように映っていた。
 自分と湊が慰めあう関係ならば、湊と紺野はどんな関係なのだろう。
 紺野が湊を想っていることは間違いないだろうから、湊もまた同じ想いならば、自分は
本当に邪魔者だ。彼らのことを思うならば今すぐにでも出て行くべきだろうが、湊と身体
を重ねてしまった今、素直に引き下がることも出来なくなっていた。
 自分が湊の事をどう思っているのか、向き合おうとすると怖くなる。
彼は男だし、自分も男だ。でも、湊はゲイだけれど、自分は違う。彼を好きになると言う
ことは、自分の中に引いてある常識と言うラインを飛び越えなくてはならない。
 そのライン上を綱渡りみたいにグラグラしながら歩いているのが現状で、押されたり、
引かれたりすれば、どちらにも転がる事ができるだろう。
 誰かが止めてくれれば、誰かが引いてくれれば・・・・・・。
けれど、今の武尊にはそれをしてくれる人が誰もいない。だからどっちにも転ばないよう
に、綱の上にしがみ付いているのが精一杯なのだ。
「明日、休みだし、ちょっと探してみる。預かった手前、無責任な事できないしね」
「見つかるといいですね」
武尊の台詞は言葉とは裏腹に冷たくなってしまった。





 水曜日は気温が一気に下がって、寒い一日となった。
武尊を仕事に送り出してから、湊も出かける準備を始めた。一秒でも探す時間は長い方
がいいと分っているのに、身体は重い。
 出て行ってしまったのが武尊だったら自分はどうしていただろうと、想像しそうになって
止めた。感傷に浸って不幸という生温い水の中で泳いでいたって、最後には溺れるだけだ。
 気持ちを伝える時は、きっといつか来る。けれど、それは今じゃないと湊は思う。
だったらその時が来るまでは、無理矢理でもなんでも押し込めておくしかない。
湊はコートと手袋を嵌めて玄関を出た。
びゅうっと冬の風が湊の黒いコートを捲り上げていく。曇天の空は今にも泣き出しそう
だった。
 鍵と財布をポケットに仕舞うと、湊は駅まで歩き始める。家を出たところで2軒隣の女性
と顔が合ったけれど、軽く頭を下げただけで湊は足早に立ち去った。



 昨夜のうちに、湊は紺野と同じクラスの生徒と連絡を取っていた。調べてみれば、自分
の生徒で、連絡をすると二つ返事で会うことを了承してくれた。
 念のため、紺野が学校に行っているか聞いたが、月曜も火曜も学校には来ていなかった。
彼女とは学校が終わってから駅前のコーヒーショップで待ち合わせすることにし、それ
までは駅前を歩いて探す事にした。
紺野が行きそうなところを考えて「有楽通り」を歩いた。駅の東側にあるこの通りは
ゲームセンターやカラオケ店、チェーンの居酒屋などがひしめいていて、湊は滅多に近づく
ことは無い。友人と飲む時も湊は駅の北側にあるもっと静かな店を選ぶし、カラオケは好き
じゃない。必然的に若者が多い有楽通りは、湊にとって馴染みのない空気が漂っていて、
湊は居心地の悪い思いをしながら歩いた。
 何軒目かのゲームセンターを覗いていたところで、湊はいきなり声を掛けられた。
「ねえ、湊センセじゃねえ?!」
「マジで!チョー懐かしくね?」
「ホントだ!センセー!俺等の事、覚えてる?」
湊が顔を上げると、紺野と同じくらいの年の男が3人、湊の前に私服姿で立っていた。
 湊は知り合いの顔を思い出そうと頭の中を巡らせて、ふと思い出す。
「えっと、阿部君と、中里君と・・・・・・田中君?」
「センセー、ひでえよ。田中じゃなくて、中田だって」
「ごめん、そうだったね」
湊は懐かしそうに目を細めた。紺野のおかげで、彼らの事は直ぐに思い出せた。彼らも
教育実習時の生徒だ。クラスの中でも特に目立っていた所為かよく覚えている。
 気さくというか、友達感覚で話しかけてきた子達だったが、あの頃と変わっていないと
湊は懐かしさとほろ苦さがこみ上げてきた。
 3人とも髪を明るく染めて、首や腕にはシルバーのアクセサリがいくつか重ねて付いて
いる。冬がやってくるというのに、皆薄着で、湊は自分の服装の方が季節を間違っている
気がした。
「皆こんなとこで何してるの?高校は?」
「もう卒業したって!」
「・・・・・・あ、そうか」
「俺等、大学生だって。午前中急に休講になっちまって、ゲーセン来てた」
湊は、紺野が一留していた事を失念していた。
「湊センセーこそ何してんの?センセーになったん?」
「学校の先生にはならなかったけど、駅前の音楽教室の先生にはなったよ」
「湊センセー、ピアノ、チョー上手かったもんな。女子がぎゃあぎゃあ喚いてた」
「そうだったかな?」
「あ、そー言う事言っちゃうんだー。モテる男は違うよなー」
そう言われて湊は苦笑いする。ぎゃあぎゃあ騒いでいた女子生徒より、この子達のように
遠巻きで嫉妬してた男子生徒の方が好みのタイプだなんて聞いたら、どんな反応を示す
だろう。口が裂けても言うつもりはないけれど。
「それにしてもよく僕の事分ったね」
湊がそう言うと、3人は顔を見合わせて含んだ表情をした。
「それがさー、さっきたまたまそこのゲーセンで紺野見かけて・・・・・・」
「!?」
「アイツ、留年したって聞いてたんだけど、こんな時間にゲーセンなんているからさ、何
してんのか、声かけようとしたんだわ。けどさー近くにメッチャやばそうなヤンキーいて、
絡まれるのも嫌でそのまま来ちゃった。な」
「そうそう。そんで、久しぶりに紺野の話になって、紺野と言えば教育実習だよなって」
「どういう事?」
「湊センセーは知らんかもしれんけど、センセーが来てたときの紺野、ちょっとテンション
おかしかったんだぜ?」
「おかしいって?」
「やたらと、センセーに話しかけたりしてただろ?普段のアイツならぜってーありえねえ」
「何の確変だってカンジだったよなーあれは」
「俺らの中で伝説になってんだぜ。だから、紺野の話から湊センセーの話になって、そしたら
ホントに湊センセーいたから、チョービックリした」
自分が見ていたあのときの紺野は、本当の紺野の姿ではなかったらしい。確かにあの時、
紺野は不器用ながらも何かと話をしてきた気がする。
 その理由を、初め湊は気づいてなかった。けれど、武尊に言われて嫌でも意識してしまう。
『彼は・・・きっと湊君のことが好きなんだと思いますよ』
気持ちと行動が繋がっている。紺野の『確変』の理由に説明が付いてしまう。
 湊は自分の配慮の無さを今更ながら悔いた。
「ねえ、みんなは紺野と仲良かったの?」
「全然よくねえよ。・・・あ、でも、中里は小学校から同級生だったよな」
3人の中で一番背の低い青年が中里で、服装が他の2人よりも派手だったが、顔が垢抜けない
為か、返ってそれが必死さを表しているようだった。
「同級生だったけど、チョー仲良かったわけじゃねえよ」
「でも、紺野の家庭の話とかお前詳しかったじゃん」
「え!?」
湊はその台詞に反応してしまった。
「詳しいっていうか、小学校の頃うちのオカンが町内で聞いてきたことを俺に教えてきた
だけだっつーの」
中里は少しだけバツの悪い顔をした。湊は中里を見ると、頬をぴくりと動かして訊いた。
「ねえ、その紺野の家庭の事情、ちょっと聞いてもいい?」
「別にいいけど・・・・・・。黙ってろって言われたわけじゃないし、なあ?」
中里は急に不安な顔になって他の2人を見上げた。
「いいんじゃね?」
「そうだなー。そんでも、あいつもかわいそうって言えばかわいそうだよな」
中田と阿部も神妙な顔で頷く。湊は嫌な予感がした。
 中里は23度髪を掻き上げた後でぼそぼそと紺野の話をした。
「紺野の家ってさ、4人家族でアイツの下に弟がいるんだけど、弟とは半分しか血繋がって
ないらしんだわ。母親が違うんだ。今の母親は後妻ってヤツ?」
中里の話に因ると、紺野の本当の母親は紺野が3、4歳の頃に蒸発してしまったのだそうだ。
理由は背びれや尾びれが付いて、中里の耳の届く頃には「別の若い男との間に子どもが出来て
駆け落ちした」とか「精神的に病んで飛び出した」とかどれが本当なのかわからなくなって
いたが、少なくとも出て行ってしまったことだけは確かだった。
「そんで、そっから1年くらいして今の母親が新しく来たんだけど、やっぱり折り合いが
悪かったらしくてさ」
突然いなくなった本当の母親と、突然やってきた新しい母親。更には弟まで出来た。
 紺野にとっては受け入れがたい事実だろう。
「うちのオカンの話だと、紺野のオヤジが出て行った母親の事すっげー恨んでて、そんで
紺野のことも許せないんだとかで、結構辛く当たってるらしいんだ。弟は可愛がってるのに
ちょっと辛いよな」
湊は息を呑んだ。
 紺野の家出は親と喧嘩したとか言うレベルの話じゃなかったのだ。辛くて誰にも相談
出来なくて、家の中で孤独になっていた紺野。
 やっと逃げ出したところが自分のところだったのに、自分は紺野に何もしてあげられ
なかった。それどころか、中途半端に手を差し伸べて、紺野を傷つけてしまった。
 壊れた家族。壊した自分と、壊された紺野。悲しい瞳は一緒だったけれど、背負った事情
はみんな違う。
 寄り添うだけじゃ傷は癒せなくて、自分も武尊も紺野もやっぱりまだもがいてる。
紺野はどこへ向かっていくんだろうか。自分に差し伸べる手はまだ残っているのか、湊は
思案するけれど、自分が近づいていいのか迷ってしまった。
 黙ってしまった湊に中里が行き場の無い表情を浮かべていた。
「湊センセ・・・?」
呼ばれて思考の迷宮から引き摺り戻されると、湊は愛想笑いでその場を切り返した。
「そっか。久しぶりに紺野の話聞いたから、紺野どうしてるのかなって思って」
「去年、金髪にしたなーって思ったら学校来なくなっちまって、そしたら留年だもんな」
「また親と揉めたんじゃねえの」
「複雑な家庭って辛いな」
3人は他人事のように紺野の話をした。それから雑談を少しして湊は3人と別れた。





 湊はぼんやりとした足取りで有楽通りを引き返していた。
頭に残るのは紺野の生い立ち。
『帰るところがないんだ』
そう呟いた紺野は、どんな気持ちだったんだろう。家の中に捨てられた子ども。
『子ども捨てて家出なんて、最低な親だな』
武尊の行動を非難して言った言葉はそのまま紺野の母親に繋がっていた。
 紺野が武尊を気に入らなくても仕方ないのかもしれないと思う。顔も名前も知らない武尊
の娘に自分を投影してたんだろうな、と湊は思った。
 何軒目かのゲームセンターの前で湊は足を止めた。
奥の方で罵声と悲鳴が聞こえてくる。何事かと他の通行人も店の奥を覗くように歩いて
行く。一瞬金髪の頭が見えて、湊は酷く不安な気持ちになった。

「てめえ、ふざけんなよ」
「そっちが先に言いがかりつけてきたんだろ」
「うるせえっ」

 店の中から聞こえてくる声が段々と大きくなった。
きゃあ、という女性の悲鳴と共に数名がゲームセンターから駆け出してくると、直後に
2人の青年が殴り合いながら外に近づいてきた。
「紺野・・・・・・」
湊はどこかで覚悟していたようで、喧嘩しているうちの1人が紺野だという事に気づいても
取り乱したりはしなかった。
 2人の喧嘩を止めに、仲間が割って入っている。けれどその仲裁役にも紺野の喧嘩相手は
殴りかかって、喧嘩の輪は更に膨らんだ。
 まるでガラス越しに映像を見ているような気分だった。
死んで白く濁った魚のような目をしている紺野。夜の街の酸素は少なかったんじゃないの?
呼吸困難で窒息しそうになっているなら、どうしてそこにいるんだ。
彼はまた居場所を探して彷徨っている。
もう、自分にはやれることはないのだろうか。
湊は再び店の中へと雪崩れ込んでいく紺野の金色の髪の毛を見送りながら自分の無力さ
と鈍感さに深い溜め息を吐いた。


それから直ぐに警察がやってきて、紺野達数名は警官に押さえつけられながら、店の外
に引き摺り出された。
 紺野の喧嘩相手はここまで聞こえる大声で喚き散らしていたが、紺野は暴れる様子もなく
素直に連れて行かれていった。
 湊はそれを、映画のワンシーンでも見るように、ただ見送っていた。





 暫くして、ポケットの中のケータイが振るえた。
 見覚えの無い番号に湊は声を潜めて出る。
「高瀬です」
「中央警察署の者ですが、高瀬湊さんですか」
「・・・・・・はい」
「あなたは、紺野真君をご存知ですかね?彼が保護者代わりと言ってあなたの事を言って
るんですが・・・・・・」
湊は目を閉じて、薄く笑った。
 自分が役に立つ事はこれ位しかない。
「・・・・・・今はそうなってます」
そう言うと、電話口の相手は紺野が補導された経緯を話し出した。
 全部知ってる。見てたんだから。
その言葉は飲み込んで、湊は中央警察署に向かって歩き出していた。



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