なかったことにしてください  memo  work  clap
きょうの料理


 レシピ4: キムチで万歳、思い出おばんざい



父さんが笑っている。
ラフな格好で手を振りながら、綾真を呼んでいる。
綾真はそれに気づいているのに、足元が泥の中に埋まっているようで一歩も進まない。
そのうち、父親の輪郭がぼやけだして、あっと思った瞬間に誠史の顔に変わっていた。
誠史はニコニコしながら、やっぱり綾真を呼んでいた。



「わああああっ」
講義中に思いっきり声を上げてしまった綾真は教室中の注目の的になった。
「高森君、どうしました?」
「す、すみません……」
寝不足の所為で講義中に意識が遠のいていたらしい。その合間に瞬間的に見た妄想とも夢
とも区別つかない幻影に、綾真は声を上げてしまったのだ。
昨日の夜の事を思い出すと綾真は頭が痛くなった。
サイオンジガーデンで楽しいひと時を過ごしたあと、誠史に家まで送ってもらった。その
最後。誠史はとんでもない爆弾を落として行ったのだ。
(好きって……俺の事好きって!!)
おかしいし、ありえない。どの経路を辿ったらそういう結論になるのか綾真はさっぱり
分からなかった。
あれは夢だ。ワインで酔っていたし、意識も朦朧としてた。だからあれは自分の見た悪夢だ。
そうに違いない。
昨日の夜から何度もそう言い聞かせて逃げようとしているのに、逃げられない何かがあって
結局悶々としたまま朝を迎えてしまった。
「おーい、綾真〜」
小声で呼ばれて振り向くと、隣で美浦がニタニタと笑っていた。
「何」
「顔、クマ出来てんでー。何あったん?」
一瞬、誠史に告白されたことを言ってしまおうかと思ったけれど、美浦の言葉を思い出して
飲み込んだ。
”綾真がデートに誘われてたりして”
あのお告げみたいな発言はなんだったんだ?!美浦には何が見えてた?……いや、ただの
冗談が当たってしまっただけだ……
「別に……」
綾真は叫びたい気分を抑えて教科書に目を落とした。





誠史は何食わぬ顔をして呑喜にやってきた。
いつも通り閉店30分前にやってきて、店に入るなり綾真を見つけてニコリと笑った。
「こんばんは」
「…っ!こっこんばんは」
高森もいることだし平然としていようと決めていたが、いざ本人を前にすると、正気では
いられなかった。
それを見透かしたような態度で誠史はカウンターに着くと綾真を覗き込んだ。
「どうしたの?元気ないみたい」
「な…!!」
あんたのせいだろ、とは流石に言えなかった。何も言えない綾真を置いて誠史は高森に
話を振った。
「高森さん、昨日は綾真君をお借りしてしまって、すみませんでした」
「いや、こちらこそご馳走様でした。綾真もよっぽど感銘を受けたのか、腑抜けてぼけっと
しとりまして。今日はずっとこんな調子なんです……。おい、綾真、お通し!」
「あっ……は、はいっ」
明らかに動揺しているのは綾真だけだ。誠史に昨日の匂いは微塵も感じられない。こっち
は散々悩んでたのに、どういう事なんだろう。
一人で悩んで馬鹿みたいじゃないかと、怒りすらこみ上げてくるが、高森と談笑している
誠史を見て、綾真も段々考えが変わっていった。
あれはやっぱり夢か幻だったのだ。そうでなければ、こんな風に堂々と現れて、何事もなく
振舞うなんて出来るはずがない。
そうだ。あれは夢だったんだ。やっぱり酔った自分が見た悪い夢だったんだ。そうであって
欲しいと言う願望が真実を捻じ曲げようとしている。
綾真は無理矢理そう信じ込み結論付けると、今までのもやもやを吹っ飛ばした。
「誠史さん、今日はなにします?」
「サンマ。塩焼きで」
「かしこまりました」
綾真もスイッチをバチッと押したように、全てを切り替えていつもの自分に戻った。





11月の夜空は肌寒い空気に息が白く濁った。誠史は仕事を終え、その足で今日も呑喜へと
向かっていた。
「ん?」
近づくにつれ、違和感を感じる。看板の電気が付いてないし、シャッターが下りているのだ。
シャッターの隙間から僅かに明かりが漏れているので、閉店時間に間に合わなかったのか
と思って時計を見るが、いつも通りの時間だった。
呑喜の前に来くると、シャッターに貼り付いた一枚の張り紙が飛び込んできた。
『諸事情により、本日臨時休業。ご迷惑をお掛けします』
「あれ?今日休みなんだ……」
高森が風邪でも引いたのだろうかと思って、店の前でその張り紙を呆然と見ていると、店の
中から僅かに漏れていた明かりが消えた。
そして、奥から人の気配を感じて、誠史は裏口を振り返った。
「綾真君。こんばんは」
「あ……誠史さん」
中にいたのは綾真で、綾真は裏口の電気も消すと鍵をかけた。やはり高森はいないらしい。
「今日、休業?高森さん何かあったの?」
話を振ると、綾真は眉間に皺を寄せた。
「叔母さん……奥さんが事故って救急車で運ばれたんです」
誠史は一瞬目を見開いて、綾真を見下ろす。
「怪我は?容態は?……大丈夫なの?」
「……まだ意識が戻らないそうです。外傷はそれほどひどくないみたいなんですけど。
俺も状況がよく分からなくて。店の中、そのままにしてきちゃったから、締めてくれって
言われて片してたんです」
「そう……」
「うちの親戚、事故に敏感なんで……」
綾真の声が震えていて、誠史は思わず頭をポンと撫ぜた。
「早く意識戻るといいな。……大丈夫、高森さんついてるんだし、そんなふらふらした
足で歩いてると、君まで事故に遭うよ?」
「そうですね……」
「あ〜。飯、くいっぱぐれたなあ。今日はコンビニかな」
誠史が伸びをする。白い息が空に消えた。綾真は手にしたビニール袋を思い出した。
「あ、よかったら、これ差し上げますよ。肉じゃが」
中には、高森が作っていた肉じゃがが入っている。他のものは冷蔵庫にしまったが、完全に
作り終えてあった肉じゃがだけは片すしかなく、綾真は持って帰ることにしたのだ。
誠史は綾真が差出したビニールを覗き込んだ。タッパーの中に入っている肉じゃがは、
玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、肉と、オーソドックスなもだ。
それを見て誠史は首を振った。
「ごめん、嬉しいけど、お断り」
「え?肉じゃが嫌いなんですか?」
こんな無難な食べ物が嫌いって一体どれだけ偏食なんだと眉を顰めると、誠史はやっぱり
正論でも言うように堂々と宣言した。
「俺、煮物のにんじんが嫌いなの」
「またですか!」
「カレーとかさ、味の濃い〜のに入ってるのは気にならないんだけどね。ああ、あとみじん切り
になってるのとか。とにかく煮物のにんじんのあのミスマッチな青臭さがたまんなく嫌いなの。
あれの所為で肉じゃがって嫌いなんだよね」
青臭いにんじんて……どんだけ子ども味なんだと突っ込みを入れようか迷って、ふと思い出した。
味が濃ければ食べられる。だったら食べさせてやろうじゃないか。料理人の魂に火がついた。
「分かりました。そういうなら、食べられる肉じゃが作ってあげます!」
「え?」
「誠史さん、まだ時間あります?お店は閉めちゃったんで、うちでもいいですか」
「……」
綾真の提案に誠史の方が固まった。
ひょっとして忘れているのだろうか。それとも、この子は「ど天然」なのだろうか。色々
頭の中で分析しながら、誠史は段々とにやけ出した。
「ん?誠史さん?」
「ちょっと、ちょっと、いいの〜?そんなに簡単にオトコを部屋に上げちゃって」
「は?」
「……君、完全に忘れてるでしょ。俺ね、綾真君の事好きって言ったでしょ?あ、まさか
あれは夢だったとか思ってない?夢じゃないからね。本当に君の事好きなの。忘れないでね。
まあ食べさせてくれると言うなら、行くよ。俺、綾真君の料理好きだし、食べたいし。勿論
あわよくば綾真君も摘み食いできたら儲けもんだけ……」
誠史が言い終わらないうちに、綾真は耳を塞いで叫んだ。
「うわあああっ〜〜〜」
「しぃっ、声大きいよ」
「だって……!だって〜〜〜!!」
「……何、本当に夢だと思ってたの?」
「だって、誠史さんあれから何事もなく普通に接してくるから……」
「突然態度変えたら、高森さん驚くでしょ」
「……そりゃそうですけど」
夢じゃなかったんだ、そのことにがっかりしていると、綾真は肩を取られて無理矢理前に
進まされた。
「さ、行こう。どんな料理になるのか楽しみだ」
綾真は眩暈すら起きそうな気持ちで歩き出した。





1LDKの綺麗に片付けられた部屋に通されて、誠史は感動していた。
「思ってた通りの部屋で、自分の勘に感動してる」
「なんですかそれは……あの、適当に座っててください。すぐ作っちゃいますから」
誠史にクッションを押し付け、綾真は逃げるようにキッチンへ向かうと、冷蔵庫から材料を
出してさっさと料理を始めてしまった。
誠史はくすくすとその様子を見て笑う。可愛いと思うのは、惚れているからなのか、この
人間の性質なのか。
誠史は部屋を見渡した。
リビングにあるのは、テレビやオーディオの他は料理の本が詰まった棚くらいだ。あとは
ローテーブルとやや大きめのソファで、インテリアに凝っているというわけでもなさそう
だが、清潔感が溢れていて気持ちのよい部屋だ。
唯一、入り口の棚に立てかけてあるコルクボードには友人や家族との写真、メモ書きが
貼られていて、生活感を覗かせるものに誠史は目を奪われた。
誠史がボードを眺めていると、部屋中に食欲をそそる匂いが漂った。
振り返ると、綾真がトレイに料理を載せて運んでいる。
「俺も一緒でいいですか」
「勿論どうぞ。……旨そうな匂い。味噌汁付きか。いいね」
綾真がローテーブルに並べるのを見ながら誠史は鼻を鳴らした。



「これ、さっきの肉じゃが?」
肉じゃがが赤い。そして、この匂いは間違いなくキムチだ。
「そうです。肉じゃがに買い置きのキムチ入れて軽く煮なおしたんです」
「肉じゃがに、キムチ……合うの?!」
「まあ、食べてみたら分かりますよ」
今までに味わったことのない組み合わせに少々躊躇いながらも、誠史はキムチ肉じゃがを
口にした。
「あれ……何、これ。……旨い」
「誠史さん、キムチ好きでしょ?だから、この味なら絶対肉じゃがも食べられると思って。
にんじん、これならそんなに臭くないでしょ?」
「……」
「誠史さん?」
「や……ちょっと感動してる。綾真君のこの発想に」
褒められて、綾真ははにかんだ。
「実は、思い出の味なんです」
「思い出?」
「昔、父さんに作ってあげた、偶然の産物」
綾真は自分の箸を置くと、茶を啜って一息ついた。
「父さんも、誠史さんと同じでキムチが好きだったんです。ついでに父さんは肉じゃがも。
好きなものに好きなものを混ぜたら2倍においしくなるんじゃないかっていう、子どもの
単純な発想ですよ。そう思って試したら、大成功だった」
「綾真君は昔から料理が得意だったんだね」
「そんなことないです。失敗も沢山あるんです」
綾真は昔、父親に作ってあげたトンデモな料理を思い出して、苦笑いした。
「なんでも組み合わせればいいってもんじゃないんですよね。でも子どもだったから、
好きなもの掛け算したら、何でもおいしくなるって信じてて。おでんの具にから揚げ
はぎりぎりセーフだったかな。でも、オムレツに生クリームあんこは最悪だった」
「クレープでも目指したの、それ」
「自分でもよくわかりません」
綾真が笑うと、誠史も目を細めた。
「綾真君は素敵な子ども時代を過ごしたんだね」
「……誠史さんはどんな子ども時代だったんですか?」
振られて、一瞬誠史は黙る。珍しく硬い顔をして誠史は首を振った。
「俺、10歳までの記憶が殆どないんだ」
「へ?」
「うん。だから、どんな子ども時代って聞かれてもよく分からないとしか答えられないかな」
妙な間が出来て、綾真がそれ以上追求できずにいると、タイミングよく綾真のケータイが鳴った。
「すみません、ちょっと」
「どうぞ」
着信を見ると妹から電話だった。
「もしもし。……ああ、うん。大丈夫。……そう!よかった、叔母さん意識戻ったんだ。……
来週?ああうん。帰るよ。……18日10時ね。うん。わかった。……うん、じゃあ」
電話を切ると、綾真は安堵の表情を見せた。
「叔母さん、意識戻ったそうです」
「よかったね」
「……そうですね」
綾真は深い溜息を吐いた。握っていたケータイを手の中で遊ばせながら、綾真は何を口に
出していいのか迷っているようだった。
「……綾真君?」
「うちの親戚、事故に敏感って言ったじゃないですか」
「うん?」
「……来週、命日なんです」
「え?」
「父さんの、命日なんです」
「……」
誠史はコルクボードを振り返った。友人と写っている写真に紛れて、一枚だけ古い写真が
ある。綾真がまだ小学生くらいの頃の家族旅行の写真だ。
「10年前、事故であっさりいなくなっちゃいました」
カチリ。誠史の中で何かが繋がったようにピースが嵌った。事故で父親を亡くしたから
綾真は14歳の頃から呑喜でバイトしていたのだろう。あの頃は経済的というより精神的に
働いてないと駄目だったと綾真は言っていた。父親の死から逃げるように現実をやり過ごして
いたのかもしれない。
言いながら涙目になる綾真に誠史は何も声を掛けられなかった。





「なんか変な空気にしてしまって、すみません」
「いいよ、辛いこと思い出させて、ごめんね」
帰り支度をして、玄関まで見送りに来た綾真に誠史はニコリと笑って見下ろした。
「本当にご馳走様。おいしかった。綾真君の料理はおいしくて幸せな気分になれるよ」
「褒めすぎです……」
革靴を履いて振り返る。
「今日はおとなしく帰ることにするよ。紳士っぷりを見せておかないと今後に繋がらないし」
急に変な空気がまたやってきて、綾真は背筋がぞわっとした。
「……あの!」
「なあに?」
「それ……悪い冗談ですよね?!」
「冗談だと思うの?」
「冗談にして欲しいです」
じっと見詰め合って、先に空気を割ったのは誠史だった。軽い口調で綾真の腕を引く。
「やーだね。一世一代の告白を流されてたまるか」
そう言うと誠史は耳朶に顔を近づけて、そこに音を立ててちゅっと唇を落とした。
「ひゃあああっ」
「紳士だから、おやすみの挨拶くらいしておかないと」
「誠史さん!!」
「じゃあね、おやすみ」
耳を押さえて真っ赤になる綾真に誠史は手を振って出て行った。
残された綾真はへなっとその場蹲って、しばらく動けなくなっていた。





――>>next




今日のレシピ
キムチde肉じゃが


材料(4人分)
・残り物の肉じゃが……適量
・キムチ……適量

(参考までに、肉じゃが材料)
・ジャガイモ……4つ
・にんじん……1/2本
・玉ねぎ……1個
・豚肉……150グラム
・醤油……大さじ3
・砂糖……大さじ1
・みりん……大さじ2

作り方
1.肉じゃがにキムチを入れて2,3分煮る。
2.汁が飛んで、味が絡まったら出来上がり

(参考までに、肉じゃがの作り方)
1.じゃがいも、にんじん、玉ねぎを切る。
2.厚手の鍋に油を敷き、玉ねぎと豚肉をいためる。
3.にんじん、じゃがいもを入れ、油を絡ませたら、
ひたひたになる程度に水を入れる。
4.醤油、砂糖、みりんで味付けをし、落し蓋
をして15分ほど煮る。
綾真メモ
肉じゃがの肉は豚肉の方が相性いいかも。
お好みでチーズを入れてもgood!




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