なかったことにしてください  memo  work  clap



mission_2nd_season



「深海主任、この資料のチェックお願いします」
「了解。俺の机の上置いといて。戻ったら見るよ」
新入社員に声を掛けられて、ただそうやって切り替えしただけなのに、その場にいた俺を
よく知る人たちは感慨深そうに頷いた。
「深海もりっぱな社会人になったんだなあ」
「斉藤さん?!」
「いっちょ前に部下に指示したり、ダメ出しだってするんだもんな、あの深海が」
「ちょ……ひどい言われようですね、俺」
「10年働いて使い物にならない方が困る」
「吉沢さんまで!」
俺達のやり取りを見て斉藤さんが笑った。
自分より小さな上司を情けない顔で見下ろすと、上司であり恋人でもある吉沢さんは苦笑い
を返してくれた。
この会社に入って10年近く。男で年上でしかも上司の吉沢さんと付き合うようになったのは
神様の悪戯か天の采配ミスか何かかと思うけれど、色々あった挙句、同棲までするように
なって、今は平和にそして平凡に暮らしている。
幸せか不幸かって言われたら、無条件で「俺、幸せなんです〜」なんて口走ってる後輩の
アホ新井ほど素直に頷けない部分もあるけれど、二人だけの問題として切り離せば、それは
幸せの真っ只中であることには変わらなかった。
吉沢さんは相変わらずカッコよくて出来る上司だし、みんなから尊敬のまなざしで見られて
いるし、勿論俺も尊敬してる。それに公私混同しないというか、プライベートはきっちり
分けてるのが凄いところで、恋人なんて甘い立場などお構いなしに、ダメだしを喰らう事
もしばしばあるのだ。最近はダメだしの量も減ってはいるけれど、やっぱり吉沢さんは
何時まで経っても俺の「永遠の上司」だ。
「早く俺を超える存在になれよ」
そういえば、初めてそう言われたときは耳を疑った。
「超えられるわけないじゃないっすか!」
「それくらいハングリーな気持ちがなければ上にのし上がれないってこと」
「俺、出世とか興味ないし……」
「そんなネガティブな気持ちで仕事するな、折角いいもん持ってるのに」
「褒めて伸ばす作戦ですか。俺にはもう伸びしろないですよ」
「それが深海のダメなとこなんだ!ないかもしれない伸びしろを、信じられないくらいの
勢いで信じてるヤツもいるっていうのに」
俺の二つ向こうの席でへらへら笑い顔を浮かべて後輩の橘高と話している新井健太に目配せ
しながら、吉沢さんは溜息を吐いた。
「俺は新井のバカと違って、自分を見失わないようにしてるだけです」
「同期で係長昇進したヤツも何人かいるだろ?」
「あいつらはエリートですから」
「お前も十分その中に入れるよ」
「そのお言葉だけでありがたいです」
切り返すと、それを聞いていた斉藤さんもふんふんと頷いた。
「深海は自己評価が低すぎるんだよ。確かに入社当時はどうしようかと思ったけど、見事
鍛え上げられて、今じゃ営業部のトップセールスマンじゃないか」
「言いすぎです……トップになったのは先々月の期間売り上げのときだけですよ。しかも
あれは超お得意様の決算だったからだし……」
「でも、もう営業部でお前の顔を知らないやつはいないだろ?吉沢さんは先見の明があった
ってことなんだろうなあ。俺なんて、使い物にならんって切り捨てたい気分だったのに」
「……それは、それは、とんだご迷惑をおかけしました」
わざとらしく頭を下げると、書類で頭を小突かれた。見れば吉沢さんが呆れた顔をしていた。
「そろそろ気持ちのギアもトップに入れろよ」
「あはは……」
最近、吉沢さんは妙に出世の事を口にする。俺は別に今のままでも構わないんだけどな。
薄給なのは切ないけれどそれほど苦労してないし、役職を誰かに自慢したいとかそういう
欲もないから、今以上に忙しくなって吉沢さんとイチャコラ出来なくなる方がずっとか嫌だ。
そう思って、ふと先日の吉沢さんの誕生日を思い出した。
会社ではこんなにかっこいい男なのに、ロマンチックなムードに弱いということを知って
いるのは多分俺くらいだ。



「すんません、ロマンチックな演出をがんばってみたんですけど、向いてないみたい」
キャンドルの明かりが揺れて、吉沢さんの表情が見え隠れしている。年に一度の恋人の
誕生日を素敵に演出しようと画策したのは半月前のことだった。
「だっ…だったら、こんな風にしなくていいんだぞ……」
「まあ、そうなんですけどね。でもやっぱり、男としては一度くらいこんなサプライズで
恋人の誕生日を祝ってみたいと思いません?」
キャンドルの明かりと微かに聞こえる洋楽。テイクアウトのオードブルをテーブルに並べて
吉沢さんの誕生年のビンテージワインをワインクーラーにセット。吉沢さんの帰りを待って
アロマまで焚いていた。
ネットでたどり着いた「タイプ別:恋人を喜ばせる誕生日の演出」というサイトには、残念
ながら「年上の同性」というタイプは載っていなかったので、別のタイプでも参考にしよう
と眺めていたら、寒気がしてしまい強制終了。
仕方ないので、自分の思いつく限りのロマンを演出してみた。
けれどというか、案の定、仕事から帰ってきた吉沢さんは喜ぶどころか激しく動揺したので、
紳士な自分もそこで終了となった。
でもその動揺の正体が「照れ」なのだということは、分かってても言わないのがポイント。
ツンツンな上司をそんなことで追い込むような技量の少ない男じゃないつもりだ。
部屋の明かりをいつものダウンライトに戻して、キャンドルの明かりを消すと、一気に肩の力
が抜けた。
「やっぱりこっちの方が落ち着きますね」
「似合わないことするからだ。……でも、深海がここまで頑張るとは思わなかった……」
目の前においてあるのは、ワインで乾杯している時に宅配便で送られてきたクロスバイク。
黒色に白のロゴが入ったイギリス製の自転車だ。通勤を電車ではなく自転車にしようかと
呟いていたのを見事にキャッチした俺の答えだ。
「欲しい物、あってました!?」
「うん」
「あーよかった。血眼になって吉沢さんを見詰めてた甲斐がありました」
「俺は、その視線が怖かったけど」
「だって、吉沢さんが欲しい物教えてくれないんだもん」
いつものように「誕生日プレゼント何がほしいです?」って聞いた俺に、吉沢さんが出した
答えが「長年俺の事見てるなら、分かるんじゃない?」だったから、俺は大慌てで吉沢さん
を観察するはめになってしまった。
「……ありがと」
ぐいっとネクタイを引かれ、唇を奪われると吉沢さんの味が染み込んでくる。
「んんっ…ワインの味がする」
唇だけを啄ばむキスを繰り返し、最後にぺろりと下唇を舐めた。
「このワイン、濃かったからなあ……。よく手に入れたな……」
テーブルの上のビンテージワインは半分ほど空けてある。もったいない病が騒ぎ出して
いつものハウスワインを出してくると吉沢さんに笑われた。
そんな甘い一コマが今のところ俺の最大の幸せだ。



「おーい、深海、顔がにやけてるぞ。何思い出してんだ?」
「へえ?」
俺達の事情を知っている斉藤さんに覗かれて、俺は思わずひっくり返った声を上げた。
好奇心の目が俺を見ている。やばいと思って吉沢さんをチラ見すると、吉沢さんは踵を
返して、俺から離れ始めていた。
「吉沢さん!?」
「午後一で会議あるから、遅れるなよ」
「……はい」
俺と斉藤さんが吉沢さんの背中を見送っていると、斉藤さんがぼそっと呟いた。
「深海ってホント凄いよな」
「何がですか」
「どうやって落としたんだ?あの鉄壁の仮面」
嫌な流れになって、俺は頬をひくつかせながら斉藤さんを見た。誰が聞いてるか分からない
社内でこの話題はタブーだ。
「……うっかり落としてきたんじゃないっすかね」
「それはとんだうっかりだ」
斉藤さんはぎりぎりでその話題を止めてくれた。俺は腕時計に目をやると
「ちょっと休憩行って来ます」
そう言って、その場を逃げた。





日曜日の朝はゆっくりだった。朝日はとっくに昇りきって、ブラインドの隙間を割って
入ってくる光は目を刺激してくるけれど、身体は重く起き上がる気にはなれなかった。
「深海?」
「はぁい」
「そろそろ起きろ」
「はあい……」
返事を返しても手を上げるだけでだるい。昨日どんだけ頑張ったんだと笑われてしまいそう
だか、大して頑張ったわけでもない。これが年というヤツなんだろうか。
「深海、いい加減起きろ」
吉沢さんは俺が惰眠をむさぼっている間、それに付き合ってベッドで読書を続けていた
らしい。が、それも限界がだったようだ。
「何か楽しいことがないと、俺の身体は起き上がりません〜」
「一生寝てろ」
「つれないなあ……」
大してがっつく必要もないのだけど、日曜の朝は特別だ。
気だるい身体を起こすと、吉沢さんを後ろから抱きすくめた。うなじに顔を埋めて一呼吸。
自分が寝ている間にシャワーでも浴びたのか、清潔な匂いが漂ってきた。
「いい匂い……」
「んっ……くすぐったい」
「久々の吉沢さんなんだもん。補給できるときは常にしておかないと」
うなじの匂いをくんかくんか吸っていると吉沢さんが身体を捻って抵抗してきた。
「やめっ……んっ……」
「朝から色っぽいなあ」
「ばか、やめっ……あっ」
調子に乗ってわき腹からスウェットの中に手を突っ込むと思った以上に艶かしい声が返って
来て、朝の気だるさが吹っ飛んだ。
そうなると、なんだか元気になってしまう自分のムスコに我ながら直結だなあと苦笑いした。
「……こんなんなっちゃいましたけど」
自分の腰を吉沢さんに擦り付けて、デカくなったブツをアピールしてみる。さして抵抗して
こないので、このまま朝の一発に持ち込むのかなと想像していたら、冷ややかな声が飛んで
きた。
「出来ないくせに、無駄にでかくするな!」
「出来ないって……やってみなきゃわかんないじゃないですか」
「お前が朝から頑張ってイったのなんて、何年前の話だよ」
「うわ〜……禁句を……」
「大丈夫、誰にも言わん」
吉沢さんは読んでいた新聞で俺の頭をポコっと叩くと、さっさと一人ベッドから降りて
しまった。
「あ、待ってくださいよ」
慌てて起き上がると、吉沢さんが苦笑いして俺の手をとる。
「飯、深海だからな」
「はいはい、何でも作りますよ」
俺も吉沢さんも得意って言うほど料理は得意じゃないけれど、やっぱり慣れって凄いもんで
やり続けていれば、大抵のことは出来るようになる。
俺は部屋着のままでキッチンに立つと、手早く朝食の準備をした。



遅い朝食の後コーヒーで一息ついていると、久しぶりに鍋でもしようかと吉沢さんが提案
してきた。
「いいっすねー。何にします?水炊き?キムチ?あ、カキもいいな」
「……深海の好きなのでいいよ。食べた後にキスしても気持ち悪くないヤツで」
吉沢さんの答えに笑いながらキスで返事して、俺達は身支度を整えると、のそのそと出かけた。



そのときまでは確かにいつもと変わりない日曜日だったのだ。これからやってくる怒涛の
展開をこの時の俺は微塵も感じていなかった。





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