なかったことにしてください  memo  work  clap



mission_2nd_season



日曜日の午後、のんびりスーパーに行った帰りを待っていたのは、喜ばしくない来客だった。
マンションの玄関の前に立っているのは見覚えのある顔、間違いなく……
「親父?!」
そう、自分の父親だった。
素っ頓狂な声を上げて名前を呼ぶと、親父は眉を顰めて頷いた。
そして、隣で手を振っているのは、母親だ。
「母さんまで……」
背筋の辺りがぞくぞくと震えた。隣を見ると吉沢さんの表情も微かに強張っている。
「慎一郎、これがお前の新居か?」
「そう、だけど……突然どうしたの」
両親に引越したことは伝えてあるし、同棲のことも隠し通せる正当な方法もある。だから
ここで変に動揺するのはまずいと、俺は平静を装った。
「こんな立派なマンションに引っ越したなんて……!昨日、町内会の宮原さんに聞いた
のよ。慎一郎の新しいマンション、云千万クラスの有名なマンションっていうじゃない。
……あんた、そんなマンション、私達に相談もなく勝手に買うなんて何考えてるの!?
慎一郎なんて高給取りでもないのに、どうやってローン返済してくの!どうせローン地獄
になってるんだわ!お父さんもお母さんも心配で慌てて来たのよ!それなのに、あんたと
来たら、暢気に友達と買い物なんて!」
慌て者の母親らしい口調でまくし立てられて、俺は苦笑いが消せなくなった。吉沢さんに
至っては噴出しそうになっている。30を超えた息子を心配するには少々恥ずかしいネタだ。
俺は盛大に溜息を吐いて、頭をがしがしと掻いた。
「町内会の宮原さんに何を聞いたかしらないけどさ、自分の思い込みだけで突っ走る癖、
なんとかなんない?会社の上司もいるっていうのに、俺、かなり恥ずかしいんだけど」
「上司?!」
隣の吉沢さんを見詰めて、母親は目を丸くした。
「まあ!……随分お若いので……失礼いたしました。慎一郎がお世話になっております」
「吉沢です。こちらこそ、深海君にはいつも助けてもらってます」
吉沢さんが挨拶すると、今度はすかさず父親がポケットから名刺を出してきた。
「いつも息子がお世話になっております。とんだ愚息ですがこれからもどうぞよろしく
お願いします」
「いえいえ、本当に深海君は頑張ってくれてるので助かってますよ。……こんなところで
立ち話もなんですし、中でどうですか?」
吉沢さんがエントランスの自動ドアの解除キーを取り出すと、母親がまた驚いた。
「吉沢さんもこちらのマンションにお住まいなんですか?」
「ええ。……深海、お前は全然説明してないのか」
じろっと睨まれて、俺は苦笑いで頷いた。あとで吉沢さんには文句言われるんだろうなあ
と想像に難くないが、余計な詮索をされるのが嫌だったので引っ越したと連絡しただけ
だったのだ。
「慎一郎、見栄張って吉沢さんと同じマンション買ったの?!」
「あー!もう!違うってーの。引っ越したのは事実。このマンションが高級分譲マンション
なことも事実。でも、俺は買ったわけでもローンまみれになってるわけでもないの!」
「?」
不審そうに見詰める両親に俺は説明を始めた。順を追って説明していくと、母親は怪訝な
顔で呟いた。
「分譲賃貸…?」
「そう!賃貸マンション買った人がオーナーになって貸し出すの。このマンションは分譲
賃貸に特化してて、買った人が住みながら、一部分を賃貸として貸し出すことができる用に
なってんだよ。玄関も二つ、キッチンも、トイレも風呂もあるの!俺は吉沢課長の買ったこの
マンションの一部を分譲賃貸として借りてるんだ」
「そんなこと……できるの?」
「分譲賃貸は知ってるけど、そんな賃貸があるのか」
種明かしをすると、両親はまだ信じられないといった顔で俺を見詰めている。こんなところで
立ち問答していても埒が明かないので、両親を引き連れて俺はマンションのエントランス
をくぐった。
百聞は一見にしかずだ。
吉沢さんと同棲するって決めたとき、どうやったら偽装しやすいか、それが一番のネック
だった。
なんせ会社には申告しなければならないし、同じ住所にしたら一発でNGだ。
そんな中で出会ったマンションが今のマンションで、しかも勧めてくれたのは吉沢さんの
過去を知る(俺には天敵だった)前園さんという人だった。

「住所も入り口も二つ。本来は他人に貸す用ですから、内部もしっかりとした壁と、両側
から解除しないと開かない扉があります。扉の前にはシェルフもありますので、勝手に
行き来できないようになっています。まあ、お二人で住むのなら、その扉の鍵は掛けて
おかなくてもいいと思いますけどね」

絶好のカモフラージュを手に入れた俺達は、表向き『吉沢課長が買ったマンションの一部
を深海が分譲賃貸で借りている』ということになったのだ。
引越し当初は
「深海はプライベートまで吉沢課長の世話になってるのか」
とか
「お前は課長のコバンザメか」
とか
「家賃しっかり入れて、吉沢さんの役に立ちなさいよ」
とか(これは吉沢さんファンの女子社員の声)
まあ言われるであろう事は一通り言われた。
吉沢さんは吉沢さんで
「家賃たっぷり取ってローン返済さっさと済ませちゃえよ」
と皮肉をいわれたりもしたんだけど、今はもう普通になってる。
俺達は長いエントランスを通り、エレベータに乗り込むと、今日は久しぶりに二人で鍋でも
する予定だったことを話した。
あくまでも「久しぶりに」だ。その辺のニュアンスと刷り込み具合はさすがといった感じで
吉沢さんがさらりと説明してくれた。
俺が言うとどこかでボロが出るから、こういう時の沈黙は金だ。
部屋の前まで来ると、両親は本当に信じられないと言った風貌で玄関扉を眺めた。
「まるでお隣さんみたい」
「感覚はそんな感じですよ。内部で繋がってるって言っても、ドアは塞いでありますから」
「こんな立派なマンションに間借りさせてもらってるなんて……申し訳ないわ」
「ちゃんと家賃払ってるって」
「払ってても、買った人と同列なのは肩身狭いだろ」
「そうかなあ……」
「その図太さじゃなきゃ、こんなとこ借りれないぞ」
俺達親子のやり取りを少し離れたところで見守っていた吉沢さんは頃合をみて切り出した。
「じゃあ、俺はここで失礼します。深海、また明日」
「あら、待ってください。……慎一郎、吉沢さんと夕食ご一緒させてもらう予定だった
んでしょう?折角ですので、ご一緒にお食事でもどうですか?ねえあなた」
「そうだな。慎一郎の会社の様子も聞きたいですし、どうでしょう?」
内心断ってくれと叫んでいたが、俺との夕食をキャンセルして用事がはいるわけがないし
断れる理由がないのは百も承知だ。
「ありがとうございます」
「吉沢さん、お仕事残ってるんですよね?無理に付き合う必要はないんですよ!」
吉沢さんが断れないなら、こっちが断れるよう仕向けてみる。
「なんていうこと言うの!」
しかし、母親に一蹴されて結局は4人で飯を食うことになってしまった。
「……じゃあ、これ片して来ますので。積もる話もあるでしょうし、準備ができたら声
掛けてください」
吉沢さんはにこやかに会釈をすると、自分の部屋へと入っていった。
吉沢さんの部屋のドアが閉まると、俺も慌てて頭を回転させた。
「あ!!ちょっとまって!今、片付けてくるから、息子のプライベート覗いてがっかり
したくなければ絶対に覗かないで」
「そんなに汚いのか」
「男の一人暮らしだからね」
母親は盛大に溜息を吐き、父親は呆れて手を振った。
「早く行って来い」
いつもは吉沢さんの部屋の方から出たり入ったりしてるので、めったにこっちの玄関は
使わないわけだけど、今日みたいな突然の来客がないとは限らないので、一応予防策として
玄関に靴を並べたり、なんとなく使っている形跡はのこしてある。
風呂もキッチンも全く使ってないけれど、一応細工として最低限のものは置いた。まあ
男の一人暮らしだし、キッチンが使われてなくてもそれほど不自然じゃないだろう。
使わない玄関をくぐって慌てて駆け込むと、一番の問題、仕切りドアの前に走った。
冬場はエアコン効かせているからドア自体は締めてあるが、いつでも通り抜けできる様に
なっていて、誰が見ても「開かずの間」にはなっていないのだ。
ドアをノックして吉沢さんを呼ぶと、吉沢さんも丁度ドアの前にいた。
「……すんません」
「まあ、そういう時のために選んだマンションだ。役に立ったと思え」
「でも、晩飯まで付き合わせてしまって」
「元々深海と飯食う予定だっただろ。鍋はまた今度にすればいい。それに深海の両親の話
を聞くのも面白そうだし気にするな」
「勘弁してくださいよ……」
考えただけで頭痛がする。
「さっさと締めろ。両親外で待たしてるんだろ?」
「はい。じゃあまた後で」
俺達はお互いにドアに鍵を掛け、俺はその扉の前にシェルフを引き摺って封印した。
これで開かずの扉は完成だ。
俺は深呼吸して両親を呼んだ。





「本当に、吉沢さんにはお世話になりっぱなしという事がよくわかりました。さあ、どうぞ
もう一杯」
父親が吉沢さんのコップにビールを勧めながらうんうんと頷いている。
「ありがとうございます。しかし、深海君のお父さんが会社を経営なさってるなんて、
深海君の口からは聞いたことがなかったので驚きました」
「しがない中小企業ですがね。一代で築き上げるのには苦労しましたよ。まあ苦労したのは
私よりも、三姉弟を育て上げたこっちの方かもしれませんけどね」
「本当ですよ、二人の姉の下で育った慎一郎は本当に昔から甘ったれで、吉沢さんにも
甘えっぱなしなんじゃないかって、心配してます」
その点は否定できないけど、子どもの話を本人目の前にして酒の肴にしないでほしい。
さっきから息するのも苦しいほど居心地の悪い空間に、俺はげっそりしていた。
「深海君はどんなお子さんだったんですか」
「勉強もスポーツも普通だったな。やれば出来るけど、やる気が出るまで時間がかかり
過ぎる。……そうだなあ、よく物に吊られてたよな。なあ母さん」
「テストで何位までに入ったら小遣いアップとか、そういう条件がつくと俄然やる気出す
んですよ。やれるなら初めからやりなさいって何度言ったことか」
その話を聞いて吉沢さんは苦笑いした。
「……昔から変わってないんだな、深海は」
「もう!だから嫌なんだよ、両親と飲むのなんて」
あからさまに不機嫌になるわけにもいかず、チミチミと目の前のビールを飲んでいると
母親からの小言が飛んできた。
「本当にしっかりして頂戴よ。父さんだって今は元気なもんだけど、これから先も今の
ままでいられるわけじゃないんだから。深海家を背負って立つのはあなたなのよ」
「姉ちゃんもお義兄さんもいるだろ」
「……深海の跡取りはおまえだ」
酔っていたはずの父親が低いトーンで断言してきたせいで、俺は尻の座りが一気に悪く
なった。一番触れてほしくない話題になりそうで、胃がキリキリとする。
吉沢さんは完璧な社会人の顔で両親を接待してるけど、内心どう思っているのか心配に
なる。吉沢さんが一人心の中で傷つかないように、話を別の方向に持っていこうと口を
出そうとしたら、やっぱり母親が先に会話を奪っていった。
「出来の悪い息子がここまでやれるようになったのも吉沢さんのおかげです。本当にご迷惑
ばかりお掛けして申し訳ございませんわ。あとは慎一郎、お嫁さん貰って、孫の顔を早く
見せて頂戴よ。孫さえ見たらもう何にもいう事ないわ」
「なっ……何言ってんだよ」
どんぴしゃで、地雷を踏んだ母にも吉沢さんはただニコニコして聞いているだけだ。
「全然彼女の話とか聞かないんだけど、いい人いないの?……吉沢さん、ご存知ないです?」
「そうですねえ……。可愛い彼女がいるなんて話は残念ながら聞いたことないです」
母親の大好きな「見合い」話に流れが来る前に止めてくれたのは父親だった。
「まだまだこんなひよっこに嫁がきてくれるもんか。主任って言ったって、ひら社員に毛
の生えたようなもんだろ。もっと働いて役職もらってからだ」
「……まあ、そうだね……」
男は働いてナンボだと、父親の信念を覗かせてこの話は終了となった。





誰が金を払うかで散々揉めて、やっと店を出た。
「本当にご馳走様でした」
「こちらこそ、有意義な時間を過ごせました。慎一郎の話も聞かせていただいたし、これからも
息子のことよろしくお願いします」
「いえ、本当に深海君には助けてもらってるので、感謝してるのはこっちの方です」
「ありがとうございます。……慎一郎、しっかりやれよ」
「わかってるよ。ほら、電車乗り遅れるよ」
「じゃあ、またね。お正月には顔見せなさいよ」
「はいはい」
だるそうに手を上げて二人を見送ると一気に疲労感に包まれた。
「あー……もう、しんど……。吉沢さん……?」
「……」
見下ろすと、無言で吉沢さんが歩いている。
「あの…?」
両親の言動が余程不快だったんだろうか。謝罪の言葉を探していると、吉沢さんが先に
沈黙を割った。
「深海の親父さん……社長だったんだな」
「ええ……。まあ俺には関係ないですよ。出来の悪い息子ですから」
「とりあえず出来のいい息子にすることが先決だな」
「はい?」
吉沢さんは晴れない顔で歩き始めた。
「あっ……待ってくださいよ……」
また嫌な事が起きそうな、自分の本能がそれを察知しているみたいで、背筋がブルブルと
震えた。
果たしてそれは嵐の前の予兆だった。





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