mission_2nd_season
両親の襲来から2週間ほど経っていた。世間は年末に向けてまっしぐらだ。
仕事に追われ両親が来たことも霞みそうな程、日常が目まぐるしく動いていた。
近頃、本当に忙しいのだ。裁いても裁いても仕事が廻ってくるし、おまけに吉沢さんや
周りの上司からは昇級面接受けろといわれるし、のんびり仕事がしたいと願う俺の意思に
反しまくることばかり起きるのだ。
今日もヘロヘロになって家に帰ってくると(あれ以来なんとなく気になって、自分の玄関
を使っているが、開かずの扉は開け放ってあるので、あんまり意味はない)吉沢さんが手
料理で迎えてくれた。
「仕事の鬼の吉沢さんより帰宅が遅くなるなんて……」
「お疲れ。仕事って出来るやつのトコに廻ってくるもんだ。認められたと思ってやるしか
ないな」
「俺、もう限界なんすけど」
ダイニングテーブルに並んだ夕食を突きながら、吉沢さんに愚痴っていると、吉沢さんは
会社と同じままの顔で俺のグラスにビールを注いでくれた。
「深海は本当によくやってると思う。今日だって『ついに頭角現したな』とか言われてた
だろう」
「単なる嫌味ですよ。仕事が一杯になってアップアップしてるの陰で笑ってるんですよ」
「昇進レースに深海が加わって、同期は気が気じゃないんだろうな」
「加わる気、ないんですけど」
注がれたビールを一気に煽ると、吉沢さんはじっと俺を見詰めた。
「……なんすか?」
「深海は謙虚なのか向上心がないのか……」
「俺は吉沢さんと一緒にずっと楽しくいられればそれでいいんです」
きっぱりと言い切った台詞に吉沢さんは何故か溜息を吐いた。あれ?そこ、もうちょっと
甘い反応してもいいとこじゃない?
ブーたれそうになってると、吉沢さんは真面目な顔で切り出した。
「今度、ロシアに支店出すの知ってるよな」
「ええ?……ああ、はい」
「そこの立ち上げの営業が体調壊して帰国することになったんだ」
「そりゃまた……寒さでやられちゃったんですか」
「元々身体の強い人間じゃなかったらしいんだが、どうも水が合わなかった……らしい」
「ご愁傷様……」
そう言い掛けて、ふと疑問が過ぎる。
「穴埋め、誰がするんですか」
何故今この話題が挙がるのか。雑談ついでの話題にしては吉沢さんの顔が真剣だ。俺は掌
が汗ばんでいることに気づく。
「あの……まさか……」
嫌な空気が漂っていたので、まさか吉沢さんが行くのかと思っていたら、それ以上の攻撃
が待っていた。
「深海に行かせようと思ってる」
「は?!」
「折角のチャンスだから、お前を推しといた」
「はあああ!?」
なんて!?なんて言ったの、この人!!
思いっきりガッタンと椅子を倒して立ち上がる。驚いてパニくってる俺に吉沢さんは冷静に
茶を啜って座れと言った。
「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ!!なんで俺?ホントに俺?何のために!?」
「まあ、そういう反応するだろうとは思ってた」
ロシアってあのロシアだろ?ちょっと出張〜なんて暢気に言ってる場合じゃないんだよ?
この人、最愛の恋人を極寒の地にぶち込んで(何故か頭の中でシベリア出兵の言葉が出て
来るのは、俺の貧しいロシア知識だからか)なんで飄々としていられるんだ?いくら仕事
だからと言っても、もうちょっと苦悩とか葛藤とかないのか?
「何でですか……」
「お前なら出来ると思ったからだ」
「そうじゃなくて!!」
俺はロシアに行かされることよりも、吉沢さんのこの態度に「裏切られた」気分になった。
「……一言ぐらいあってもいいんじゃないんですか?」
「会社の辞令なんてどこも突然だろ」
「その前に、俺は吉沢さんの恋人じゃないんですか!」
「仕事とプライベートは別だ」
大切な糸がぷちんと音を立てて切れたと思った。
確かに目に余る公私混同はしていないと思うし、自分の好き嫌いで部下を選りすぐったり
しない。そこは本当に尊敬してる。
でも。……でも!
違うだろ!!
噛み締めた奥歯がぎりぎりと削れるほど力が篭って、身体が震えた。
吉沢さんはそんな俺の様子を暗い表情のまま見詰めている。何も言ってくれないのか。
フォローもなく、突き放した目の奥にあるのは一体なんなのか、俺にはわからない。
泣きたいのか怒鳴りたいのか自分でも分からない感情にふり幅一杯に揺さぶられて、俺は
撃沈した。
派手に倒した椅子を元に戻すと座りなおして、特大の溜息を吐いた。
「それ……どれくらい決まってるんですか」
「他に候補が3人。……深海は本命だ」
息を吐くたび、目の前が霞んでいく。吉沢さんは俺と、俺との関係を、どこに持って行く
つもりなんだろう。
恋人の繋がりが薄くなってるなんて感じたことはなかった。
幸せだと思ってたし、この関係が最善だと思って一ミリも疑わなかった。
わざわざこの関係を壊すような必要性が俺にはわからない。……俺が気づいてなかっただけ
なんだろうか。
「平気なんですか」
「平気?」
俺、愛されてるのかな。ぽつんと置いてけぼりをくらった子どもみたいな気分で、拗ねて
みせるが、吉沢さんには逆効果だった。
「吉沢さんは……俺と離れることに、何のためらいもないんですね」
「仕事だろ。それに、成功して帰ってきたら俺を飛び越えられるかもしれない」
「別に俺は出世したいわけじゃないです!……そんなこと、どうだっていい。俺はただ、
吉沢さんとずっと一緒にいたいだけです」
「どうだっていいなんて言うな。行きたくても行けない奴だっているんだぞ?」
「だったら、そいつに行かせてやればいいじゃないっすか!」
出世なんてどうだっていいんだ。普通に暮らせて、吉沢さんの隣で時を刻んで……そんな
些細な幸せを吉沢さんは否定するのだろうか。
「お前にそんな反応されるなんて……がっかりだ」
吉沢さんのドライすぎる気持ちに俺の方も萎れそうだった。
一週間後に正式に出された辞令で、俺はロシアに飛ばされる事が決まった。(栄転と言え
と言われた)
「やーい、先輩、シベリア、シベリア〜。コサックダンス〜。超、寒いんすよねー。カイロ
沢山持ってった方がいいっすよ」
「バカめ。お前はロシアの首都がシベリアだと思ってるだろ。あいにくシベリアにはいか
ねえんだよ、このどあほ新井!」
後輩の新井にデコピンを食らわせてやると、蹲る馬鹿の隣で、新井の更に後輩の橘高が
心配そうに俺を見下ろしてきた。
「……深海主任本当に行くんですか?」
「辞令だからなあ。俺の意思はないよ」
「でも、これで深海主任も出世コースに乗っちゃったってことですよね。えっと、あの…
おめでとうございます……で、いいんですよね」
「……めでたい、ねえ」
ぼそっと吐き捨てた一言を橘高は見事にレシーブした。
「やっぱり、そうでもないですよね」
俺はそれを視線だけで牽制した。
「深海さん、何時からいっちゃうんですか?」
「来月十五日付けで辞令出てるんだけど、出来るだけ早くって言われてるんだよな……。
まあ引継ぎもあるし、きっと辞令通りになるよ」
「正月早々忙しいですね」
「ホントだよ。のんびり年越せない」
「寂しくなりますね」
「そうかあ?こいつがいるし全然だろ」
強がって新井を指差すと一課が笑った。笑われた新井は自分の胸をぼんと叩いた。
「任せてください。深海先輩の代わりは俺がしっかり務めますから。安心してロシアでも
アラスカでもどこでも行ってきてください!」
「それが一番不安なんだっつーの!」
いつものやり取りも、もうあと少しで終わってしまうんだと思うと、何故か切なくなって
新井のバカの顔も愛おしく見えた。
「深海さん、帰ってくるんですよね?」
「当たり前だろ。立ち上げだし、回りだしたら帰してもらえる……てか、絶対帰る」
「俺お土産、何頼もうかなあ〜」
「お前なんて、部屋中マトリョーシカで埋めてやる!」
一課の笑いがまた大きくなった。
そこからの数日は本当に目まぐるしく過ぎて、自分が何をしているのか見失いそうだった。
引継ぎ、現地との連絡に、年末の忙しさがプラスされて、気がついたら年が明けていた。
正月の帰省も元旦のみだったけど、ロシア転勤の話をしたら父親はやたらと機嫌がよく
なって「もっとゆっくりしていけばいいのに」と言う母を止めて、頑張って来いと背中を
押していった。
年が明けて仕事が始まると同時に最後の追い込みが待っていた。
吉沢さんとは、あれ以来転勤のことについてまともに話し合ってはいない。話す暇がない
のだが、それを理由に逃げてるだけの部分もあった。
引継ぎと新天地への準備で連日午前様。疲れて帰ってくれば、既にベッドに入っている
吉沢さんに気を使って……いや、正直一緒のベッドに入る気になれなくて、置物のように
置いてあった自分のベッドで眠る毎日。
「帰ってきてからも仕事してるし、連日起こすのも申し訳ないので……」
自分でも苦しいと思いつつ言った言い訳を吉沢さんもすんなり飲んだ。
朝は一緒に朝食を取るし、あからさまな交戦状態でもない。表面上はただの上司と部下。
しかも会社内での関係は良好で、会社で会えばいつもと変わりない会話を繰り返している
が、プライベートはカサカサに乾いていた。
セックスは勿論、キスさえまともにしてない。それどころか身体のどことも触れ合って
いないという異様な状態なのだ。
こんな、超宙ぶらりんのままロシアなんて飛ばされたら、もう二度と修復できないんじゃ
ないかと、焦り始めた矢先に、今度は吉沢さんが4日も出張でいなくなってしまった。
気づけば出立までもう1週間を切っている。頭の中で常に警鐘が鳴り響いていて、ズキン
ズキンと痛んだ。
「本当にいなくなるんだなあ」
「そのうち帰って来ますから!ちゃんと席空けて置いてくださいよ」
「またまた〜、そんなこと言っちゃって。帰ってきたら、あっちの席行っちゃうんじゃないの?」
係長の斉藤さんに指をさされたのは課長席の方で、ニヤニヤした笑いは半分はからかっている
のだろうが、半分は本気だった。
「本当に、勘弁してくださいよ……」
「そうなれるように頑張れってこと!」
斉藤さんに背中をばしっと叩かれてうなり声を上げていると、営業一課の他のメンバー
から次々と声を掛けられた。
「深海課長かあ……」
「響きが悪いな」
「やっぱり、深海君は主任くらいが可愛くていいわよね」
「それはそれで失礼なんじゃないっすか!」
「そんなこと言っちゃって〜。今年、派遣で入った事務の裕子ちゃんに「深海主任って
なんだか響きがいいですよね」って言われて鼻伸ばしてたの見たわよ」
「別に伸ばしてなんてないですよ!」
これだから、女の人は勝手な妄想で話を進めるから怖いんだ。
「そういえば、深海君、ちゃんと彼女に言ってあるの?遠恋になるんでしょ?」
「え?……あ……まあ……」
「そうっすよ!先輩、ちゃんと毎日電話してあげないと駄目っすよ」
又聞きしていた新井が急に入り込んできたので、俺は頭をグーで殴ってやった。
「お前は……!」
「はいはい。積もる深海の思い出話は、金曜日の送別会でな!深海の失態やら何やらを
思う存分語ってくれ」
話が収拾付かなくなりそうになったところで、斉藤さんがまとめに入ってくれた。
吉沢さんの出張は金曜日までで、間に合えば送別会に顔を出すというメッセージを新井経由
で聞かされた。
今更、どの顔下げて送り出されたらいいのか……。行って来いと背中を送る上司に、切なさ
満点の瞳で見詰め返す恋人。これじゃああまりにも悲しすぎる。
もういっそのこと別れてすっきりしてロシアでもシベリアにでも放り込まれたほうが楽
なんじゃないのかとさえ思ったけれど、やっぱりそれは一時の迷いだ。
今までこんなに苦労して築き上げた関係を手放せるわけがないのだ。
吉沢さんを想う気持ちはまだちゃんと生きている。誰よりも愛おしい。誰のものにもさせ
たくないし、そのつもりもない。
吉沢さんの真意が読めないままだけど、きっとあのツンデレの吉沢さんのことだ、俺に
見せなかった感情があるはずだと、小さな期待もあった。
「それじゃあ、深海主任のロシア支店栄転を記念して乾杯〜!」
小料理屋を貸し切って行われた送別会に、吉沢さんはやっぱり現れなかった。
「頑張ってよー!期待のエース」
「あんなに駄目、へタレ、言われてた深海が、ここまで来たんだモンなあ……。一重に
吉沢課長のお陰だな。お前、課長に足向けて寝るなよ?」
斉藤さんの超際どい突っ込みに事情を知る橘高が噴出しそうになっていた。
「斉藤さん!」
「あはは、無礼講無礼講。それにしても課長、間に合わないのかなあ」
「もうそろそろ駅着くころですけどね。お店の場所は知らせてあるので、来ると思います
けど……」
「そうだよなあ、愛部下、いや愛弟子の晴れの旅立ちだもんな」
「弟子ってなんですか」
「手取り足取り教わってただろ。あれは部下っていうより弟子って感じだったぞ?」
「……まあ、新入社員のころの出来なさ加減は、ホントに頭下げるしかないですけど」
みんなが思い出話に花を咲かせている頃、俺のケータイは秘かにメールを受信していた。
「すまない。今日は送別会行けない。マンションで待ってる」
こっそりトイレで確認したメールに、俺の心拍数は踊りっぱなしだった。
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