mission_2nd_season
金曜日の飲み(しかも自分の為に開かれた)会を一次で終了させるなんて何事だと、周りに
白い目で見られるも、俺は「出発前の貴重な時間を待ってる人に当てるんです」と宣言して
皆と別れた。この先は主役のいない二次会に繰り出すらしい。結局、何か理由を付けて飲め
ればいい人間達のあつまりなのだ、営業っていうやつは。
「じゃあ、お先に失礼します。……皆さん、本当にありがとうございました。ちゃんと帰って
来ますので、席あけて置いてくださいよ」
「はいはい、分かった分かった。待ってる恋人の為にさっさと帰ってやんな。最後のあつ〜い
夜がまってんだろ」
同僚がそう言うと周りが一斉に「ひゅ〜」とわざとらしい声を上げて囃し立てた。
事情を知る斉藤さんや橘高は意味深な表情を浮かべていたが、俺はその視線を無視した。
店を出てすぐに「帰ります」メールを返すと、自然と足は速くなった。
口から吐く息が白く、当たる風が痛い。寒さが辛い季節に、心まで折れたくない。
「……待ってるって」
そこに含まれた意味を考えても、答えは見つからない。このまま関係が終わるような陳腐な
絆ではないとは思っているけど、関係が終わるきっかけになるかもしれないとは思う。
考えるほど頭に血が上り、それを沈めるために俺はついに走り出した。
「深海!」
商店街の3つ目の交差点を通り過ぎたところで、俺は不意に声を掛けられた。
本当なら無視してでも走り去りたい気分だったが、呼ばれた声があまりにも自分の知っている
声に似ていたので、思わず足を止めてしまった。
「!?」
そして、俺は更に驚くこととなった。
「……おかえり」
「よ、吉沢さん!」
振り返るとスーツにコート姿の吉沢さんがなんともいえない表情で手を上げていた。
「そんなに急いでどこ行くんだ」
あんなメール送っておいてその言い草はないだろうと思わず興奮して俺はまくし立てた。
「ど、どこって……!吉沢さんに会うために決まってるじゃないですか!」
周りの通行人が何事かと振り返っていく。それを見て吉沢さんは俺の腕を引いて路地裏へ
引っ張り込んだ。
道一本入ると商店街の通行人からの視線は完全シャットアウトされて、そこで吉沢さんは
俺の腕を解いた。久しぶりの二人っきりの空間だった。
「声がでかい」
「だって……俺、吉沢さんにメール貰って、いてもたってもいられなくて一次会で切り
上げて帰ってきちゃったんですよ。なのに、暢気にこんな所歩いてたら、そりゃ叫び
たくもなりますよ」
攻撃的に言ったつもりはなかったけれど、吉沢さんは弱気な表情になった。黙って、口を
押さえると、暫く言葉を捜しているようだった。
「……すまん。送別会の店の近くまで来たんだけど、入りづらくて」
「入りづらいって」
「どんな顔してお前に会えばいいのかずっと考えてた」
数メートル先にある街灯が僅かに歪んだ吉沢さんの表情を照らした。それなりに気まずさ
を吉沢さんも持っていてくれたことにほっとする。この悶々とした気持ちは自分だけでは
なかったのだ。
だったら、なんでもっとその気持ちを自分にも見せてくれなかったのだろう。ドライすぎる
表面に、俺は何時までも惑わされ続けてる。
「いつものように、出来る上司の顔して送り出したらいいんじゃないっすか」
思わず出てしまった嫌味に吉沢さんの頬がぴくりと動く。言ってから俺もすみませんと
謝った。その瞬間、吉沢さんから強気のオーラが完全に消えたように見えた。
「深海、怒ってる?」
「……怒ってはないですけど、切なかったです。なんの相談もなしにいきなり転勤の話
されて、しかも海外だなんて。私情挟まないのは正しいことかもしれないですけど、恋人
としてどうなんだろうって……」
「お前に相談なんてしたら、絶対行かないって言うと思った」
「そうですね。今でも行きたくないです。誰かと代わっていいって言うなら、血眼になって
でも代わり探しますよ」
吉沢さんは目を伏せてそれを聞いていた。
「お前の行きたくない理由って……」
「勿論、吉沢さんと離れたくないからに決まってるでしょう!それ以外あるわけないじゃ
ないですか!」
「そうか」
「そうかって!……それ以外ないんですか」
吉沢さんの曖昧な答えに不安になって顔を覗き込むと、吉沢さんは急に上司の顔を取り戻
した。
「深海の気持ちはよくわかった。こっちもなるべく早く帰れるように手配するから、頑張って
キャリア積んで来い」
だああ!!
……俺はそういう答えを望んでいたわけではないんですけどね、吉沢さん……。
がくっと砕けそうになって俺はすぐ後ろにあった車止めに腰を落とした。
「引き止めてくれないんですね」
上目に吉沢さんを見ると、表情を硬くして吉沢さんは言った。
「その方がお前のためだって言う気持ちに変わりはないから」
「俺の為ですか……。俺の為って一体なんなんですか。俺、吉沢さんと一緒にいられる今
の時間の方がずっとか大切なんです。こんな辛い気持ちを持ち続けて、外国行って、出世
したねおめでとうなんて言われても全然嬉しくないです。大切な人と離れてまで誰かの上
にのし上がろうとか思いたくない。俺の幸せはそんなもんじゃない。仕事の出来る男は
かっこいいと思いますけど、大切なものを犠牲にしてまで手に入れたいものじゃない。
でも、それが吉沢さんに伝わらないのがもっと悲しいです」
出来るだけ冷静に自分の気持ちを伝えたつもりだった。こんなところで喧嘩別れしたい
わけじゃない。でも、自分の気持ちも分かってほしかった。
吉沢さんは口に手を当てて俺から視線を外した。
「お前、それ以上俺の気持ち揺さぶるな」
「吉沢さん?!」
「……行くなって言いたくなるだろう!」
「吉沢さん!?」
吉沢さんの手が伸びてきたかと思ったら、俺は吉沢さんの胸に抱えられた。
「何度も、心を揺さぶるなって言ってんだよ」
スーツ越しにも伝わってくる吉沢さんの鼓動はいつもより速く、そして熱かった。
「お前は俺を選んでくれた。一緒に暮らすってことは、結婚して普通の家庭を築くって
ことを捨てたってことだ」
「勿論そんなこと百も承知ですよ。そんなもの捨ててでも吉沢さんと一緒にいたいって
思ったからそうしたんです」
「……俺は、お前の両親の幸せも奪ったんだ」
「そんなこと……」
俺は吉沢さんの胸の中から吉沢さんを見上げた。
「深海の両親と会った時の事、覚えてるか?」
「ええ……」
俺は数週間前の出来事を思い出した。
『出来の悪い息子がここまでやれるようになったのも吉沢さんのおかげです。……あとは
慎一郎、お嫁さん貰って、孫の顔を早く見せて頂戴よ……』
『まだまだ、こんなひよっこに嫁がきてくれるもんか。もっと働いて役職もらわんと』
嫌な空気だなあと思ったのをよく覚えている。
「深海の両親の幸せ奪ってるんだって思ったらさ、凄く苦しくなったんだ。だけど、深海
を手放すなんて、そっちの方がもっと苦しい。……我がままですまん」
「吉沢さん……」
「だから、せめて結婚も子どもも出来ない深海が、両親に堂々としていられる方法は仕事
しかないって思ったんだ」
最近吉沢さんが出世しろだとか、早急に海外転勤の話を振ってきたりした理由が漸く分かった
気がした。けれど、自分の心の中はまだもやもやしっぱなしで、素直に受け入れることが
出来ずにいた。
「深海の親父さんは、社長だろ?随分と自分の仕事に誇りを持ってるし、仕事やってナンボって
おっしゃってた。……両親納得させるには、お前を思いっきり出来る男にするしかないだろ」
「そんなこと!
「どうでもいいことじゃないだろう。この関係がばれたら、どうなるか分からない。怒っ
て勘当もあるかもしれないけど、あの親父さん、お前に会社継がせたいって思ってるみたい
だし、無理矢理仕事辞めさせて、連れて帰らされるかもしれない」
「いやいや、俺、もう30過ぎの男ですよ?自分の人生、自分で決めますよ」
「そう思ってるのは本人だけだ。どっちにしても、歓迎できることじゃない。俺が引くしか
ない状況になるかもしれない。俺が引けば収まることかもしれないけど、そういうリスクを
抱えてるのが分かってるのなら、そうなるまでのんびり指咥えてるよりも、先に手を打って
おきたくなるだろ」
営業マンの鑑みたいな吉沢さんの頭の中に、俺は嬉しさ半分、苦笑い半分になった。
この人は……ホント、真面目なんだか頭がいいんだか、頭が固いんだか……。
でも、そんなカチンコチンの頭の中で自分の事を精一杯考えてくれていることが切ないほど
苦しくなる。
「吉沢さんの気持ちは分かりました。……でも、俺、離れたくないんです。それくらい
吉沢さんの事が好きなんです。その気持ちも分かってください」
俺は立ち上がると、吉沢さんの頬に両手を当てた。逃げないでまっすぐ自分を見てほしい。
この気持ちをちゃんと受け取ってほしくて、俺はあえて嫌がる方法で吉沢さんを捕まえた。
吉沢さんは次第に瞳を潤ませ始めて、最後に我慢できなくなって目を瞬かせた。
「そんな気持ち前提で言ってるに決まってるだろ」
「吉沢さん…?」
「最愛のパートナーが遠くにいくことを手放しで喜んでるとでも思ってた?」
「だって、吉沢さん全然そういう言葉言ってくれないから!」
言葉足らずなのはお互い様だけど、吉沢さんは自分のこういう気持ちになると、とことん
言ってくれないからなあ。察しろっていう方が無理だ。
「お前を、手元に置いておきたいっていう仕事の自分もいるし、傍に居てほしいっていう
プライベートの自分もいる」
緊張してるのか、何故か怒ったような顔になる吉沢さんを覗き込むと、我慢できなくなった
のか、俺の手を解いてふいっと顔を逸らしてしまった。
「本当は、どんなときでも深海に依存しすぎてるくらい、俺は深海がいないと駄目なんだ」
「なんて殺し文句……」
「言わせんな、馬鹿深海」
俺は堪らずその肩を引き寄せるときゅうっと抱きしめた。
「……そういうの、ちゃんと言ってくれたら、こんなもやもやした気持ちにならなかった
のに。……俺、ストレート人間だから、吉沢さんの気持ち考えて察するより、ちゃんと
言葉で聞きたいです。好きって気持ちは言っても減るもんじゃないですよね?」
「深海は俺の性格知っててそういう事言うか」
「はい。……恋人ですから。そこは遠慮しません」
だらりとしていた吉沢さんの腕が動いて、俺の腰に回ると、ぎゅうっと抱きしめ返された。
「本当は行くなって言いたいくらい、お前の事……好きだ」
ジャケットの中でもごもご言いながら聞こえてくる吉沢さんの声に、俺の心臓がきゅんと鳴った。
「あの……ここ、外ですけど……キスしてもいいですか」
「それ聞く?」
「一応。誰かにばれたら困るし、外でするとめちゃくちゃ怒るし。でも今、めっちゃキス
したい気分な……」
言い終わらないうちにネクタイをぐいっと引っ張られ、俺は見事に吉沢さんに唇を奪われて
いた。
「んっ……」
久しぶりに重ねた唇に、身体の芯からびりびりと疼くような心をかき乱させるような熱さが
湧き上がってきて、堪らず下唇を吸い上げた。
ちゅ、ちゅっと音を立てて何度も啄ばむようなキスを繰り返すと、硬かった吉沢さんの口が
開きだして、その間に舌をねじ込んだ。
「はむっ」
「んん」
唇から発生した痺れが全身まで伝わって、吉沢さんも立っているのが辛いのか俺の腕に
しがみついてくる。俺は腰を支えながら更に深いところで舌を絡めにいった。
「んんっ……ふっ……」
力が抜けて、崩れそうになる腰を腕で引き上げる。頭の後ろをさわさわと撫でると柔らかく
なった唇が物ほしそうに動いた。
瞳が「もっと」って言ってるのが分かった。合わせた視線が解けて吉沢さんが再び目を
閉じると、俺も吉沢さんの口の中で思いっきり暴れた。
吉沢さんが弱いのは下顎で、舌の裏側から辿っていくと身体が小刻みに震えた。
「あっ……」
スーツの皺が濃くなって、吉沢さんがもぞもぞと動き出す。逃げていこうとするので、それ
を追いかけていったら、ついに吉沢さんが顔を上気させて口を離した。
「はふっ……待てって……」
すっかりそっちのスイッチが入ってしまった表情をしている。このまま続けてたら、ここで
始めてしまいそうな勢いなのはお互い様なようだ。
「だって欲したの吉沢さんですよ」
「お前と日本で過ごせるのがあと僅かなんだな……そう思ったら時間が惜しくなった」
「自分でそうさせといで、なんてこと言うんですか。吉沢さんってストイックというか何て
いうか。こんな分かりにくい上司持って俺って不幸だ」
改めて嫌味を言うと、吉沢さんは珍しく泣きそうな顔になった。吉沢さんが苦汁の選択を
したことは俺にもよく分かった。
「ごめん、な」
「このままロシアに連れて行きたい気分です」
「……深海」
吉沢さんが再び俺に唇を近づけた。
「今すぐしたいです」
「ここじゃ、無理だろ」
掠れた声で答えると吉沢さんは俯いた。
身体の方は既にお互いを求め始めているが、社会人としての理性がぎりぎりのところで押し
とどめている。薄皮一枚の理性なんてすぐにでも破ってしまえるけれど、最後の夜くらい
ベッドの上で思いっきり愛したい。
俺はぎゅうっと抱きしめると耳元で囁いた。
「続きは帰ってからにしません?……こんなかわいい吉沢さんを誰にも見せるわけには
いきませんから」
「馬鹿」
吉沢さんは俺の事、馬鹿馬鹿言う割には、同じくらいの力で抱きしめ返してくれた。
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