なかったことにしてください  memo  work  clap



「先輩!・・・・・・俺、吉沢課長に恋されてるかもしれないんです!」




 真剣な表情で訴える新井健太を前に、俺は食べかけのから揚げを落としそうになった。
「は?」
「は?・・・・・・じゃ、ないっすよ!だから、俺、吉沢課長に恋されてるかもって言ってるん
すよ!」
目の前の新井は唾を飛ばしながら俺に訴えてくる。
「恋って・・・・・・なんだそれは」
怪訝な顔で新井を見ると、新井は「だからこうやって深海先輩に相談してるんじゃないん
すか」と余計に興奮して言った。
新井の発言に目の前がくらくらする。俺は新井の顔を凝視した。
 この新井健太という男は今年入った新入社員だ。といってもこの年度末、3月にもなれば
たいていの社員は、そろそろ新入社員のレッテルも剥がれ始めてる。
 来月にもなれば新しい社員が入ってくるのだから、いつまでも新入社員面されていても
困るわけだが、新井はいつまで経っても出来の悪い使えない後輩の筆頭だった。
 それだけでない。なんでも気合で乗り切ろうとする体育会系ノリに、思い込んだら一直線
の「おバカちゃん」なのだから、俺も頭が痛いのだ。
 新人研修が終わって、秋に俺の元に配属になった時は、正直逃げ出したい気分だった。
後輩は何人か出来たけど、史上最強の馬鹿っぷりに俺は最初から押されぎみなのだ。
 吉沢さんに言わせれば「お前に『馬鹿』呼ばわりされるなんて、可愛そうに」とのこと
だけど、人のことは言えないのは重々承知だが、新井は新入社員時代の俺よりも遥かに劣化
してる。
 その新井が、仕事終わりに切羽詰った顔で俺に言ってきたのだ。
「深海先輩、俺、凄い悩んでる事があって・・・・・・聞いてください!」
新井はその場でしゃべりだしそうな勢いだったので、俺はこうして飲みに誘った訳なのだが
どうも、その「凄い悩んでる事」というのは、冒頭の新井の暴言だったらしい。
「お前、頭大丈夫か?自分、何言ってるか分ってる?」
「分ってますよ!分ってて、悩んでるからこうして、深海先輩なんかに相談してるんじゃ
ないっスカ!」
「深海先輩『なんか』に?」
コイツは、本当に年上に対する接し方を知らないらしい。しかも、悪気が全くない上に自分が
どうして怒られてるのか分らないんだから、本当に困ったちゃんだ。
「吉沢課長、俺のこと好きだったら・・・・・・もし、告白でもされちゃったら、俺、どうしたら
いいっすかね!?」
新井は恐ろしいほど本気で思っているらしい。照れているのか困っているのか頭を掻いて
うへへと笑う。俺の拳は机の下で震えた。
「・・・・・・絶対ありえねえ」
喉元まで出掛かっている真実をぐっと飲み込んで、俺は呟く。
 絶対にそんな事はない。絶対の絶対だ。絶対、そんなアホな事はない。



 だって、吉沢課長は俺の恋人だもん!



 付き合い始めて2年近く、上司の斉藤さんにはバレたけどそれ以外の人にはなんとか
ごまかして上手くやってる・・・つもり。
 俺達の関係は上々で、今のところ別れる予定はない。
その吉沢さんが、何をトチ狂って新井なんかに恋しなきゃならないんだ。100%新井の
勘違いか、妄想に決まってる。
 いや、そうじゃなきゃ困る。
「お前なあ・・・また、なんでそんな事思いはじめたんだよ」
「俺、見られてるんっすよ」
「見られてる?吉沢課長に?」
「はい。・・・・・・ずっと、気になってたんですよねー。いつも誰かの視線を感じていて、ふっと
顔上げるとその視線がなくなるんです。で、誰が見てるんだろって必死で探したら・・・・・・」
「それが吉沢課長だった?」
「そうなんっすよ!」
「・・・・・・それだけ?」
「それだけじゃないっす!それだけなら、俺だって勘違いしないですよ!・・・・・・ある日、
俺がいつものように視線を感じて、今度こそ逃がすもんかって吉沢課長に応戦ビーム出したら
思いっきり目が合って、それで吉沢課長照れたように顔逸らしたんです!」
「はあ・・・」
「それが何回もあって、俺確信したんですよ」
「何を?」
「だーかーらー!吉沢課長は、俺に恋してるって!」
項垂れたくなる気分とはこういうことか。何を根拠にそんなこと言い出したんだと思えば、
それだけの理由かよ。
 ・・・・・・しかし、ある意味それだけで吉沢さんが自分に恋してるって勘違いするなんて、
凄い。凄すぎる。凄すぎる馬鹿だ。
「でもさ、吉沢課長がお前に何か言ってきたわけでも、迫られたわけでもないんだろ?」
「それが、これから起きるかもしれないから、どうしたらいいんでしょうかね、って相談
してるんですよ〜」
新井はビールジョッキを一気に煽って、真っ赤な目になって言った。
「大丈夫だ。勘違いだ」
俺は新井の相談をぶった切る。大丈夫もなにも、勘違いに決まってる。吉沢さんがお前を
見てるだと?そんなことあってたまるか。
 大体・・・・・・。大体、その吉沢さんの視線はお前に向けられたものじゃない。


 お前の席のその奥には誰がいると思ってんだ!―――俺だ、俺!


 お前が視線を感じてるって言うその視線はお前に向けられたもんじゃない!あれは、俺と
ひっそりオフィスラブを楽しんでる吉沢さんのラブ光線なんだ!
 勝手に傍受するな。俺へのラブ光線が減るじゃないか。
「勘違いって、深海先輩は知らないからそんな事いえるんですよ!あんなに熱い視線送られて
俺、ちょっと心臓がドキドキしちゃいましたよ」
勝手に勘違いして、何がドキドキしちゃいましただ!こんにゃろう。
 新井は何故だか満更でもなさそうな顔で笑う。
冗談。こんなヤツとライバルになんてなってたまるか。出る杭は打つ!打って打って、
へし折ってやる!二度と芽の出ないように、粉砕してやるんだ!
「・・・・・・よく考えろ。大体お前は男で、吉沢課長も男だ。その時点でありえんだろ!10歳
近くも年下のお前にどこをどう間違ったらあの吉沢課長が恋なんてするんだ!」
「恋ってそういうもんじゃないんっすか!」
珍しく正論。確かに、吉沢さんが俺と付き合ってるっていうのだって「どこをどう間違えた」
か分らないのだ。
「図体ばっかり馬鹿デカくてノータリンのお前に、あの優秀な吉沢課長がどうやったら
惹かれるんだよ!よく考えろ!・・・・・・吉沢課長はきっと、綺麗で美人で、頭がよくてスタイル
抜群の恋人がいるはずだ!」
・・・・・・流石に自分で言って虚しいフォローだ。何一つ当てはまらない。吉沢さんにしてみれば
俺は新井と一くくりにされてしまう部類だからな。
 うわ、でも、一緒にされるなんて冗談じゃないけど、こうやって並べてみたら、俺は俺の
適当に並べた吉沢さんの理想よりも、新井との類似点の方が多いじゃないか!
 馬鹿で図体ばかりデカい。斉藤さんに「新井は深海2世かもしれない」と言われたのは存外
だけど。
「吉沢課長、彼女いるんすか・・・?!」
新井が驚いたように呟く。今更ながらに、そんな事に気づくお前って、凄いよな。
「そ、そりゃいるだろう。あんなにかっこよくて仕事が出来る男、ほっとくかよ?」
「そうっすよねえ・・・・・・。あ、でも深海先輩は、吉沢課長に彼女がいるかどうか、知らない
んですよね?」
「プライベートだからな」
声が上ずった。ここは、どんな相手だろうと慎重にいかなければ。
「じゃあ、彼女がいるかもしれないけど、いないかもしれないって事っすよねえ?」
「まあなあ」
「じゃあ、じゃあ、やっぱり、俺に恋してるかもしれない疑惑は続いてるって事ッすよね?!」
振り出しに戻った。
 どうしてお前はそこまでポジティブシンキングなんだ!その馬鹿ポジをどうして、仕事には
活かせないんだ。
 新井と話してると自分の体力ばかり持っていかれる様で、どっと疲れた。
「それで、お前は俺にどうしろと?」
「先輩なら、吉沢課長と一緒に仕事してきた時間長いし、俺よりも吉沢課長と親しそうだし」
「まあ入社して6年ずっと一緒だからな、お前よりは知ってるつもりだけど」
「吉沢課長の身辺を探ってほしいんです!」
「はあ?」
「俺が動いたら、吉沢課長敏感に感じ取って逃げちゃうかもしれないじゃないっすか。その点、
深海先輩なら、多少おかしな行動とっても怪しまれないで済むし」
「お前、俺を何だと思ってんだ!新井俺のこと先輩だって思ってないだろ、絶対」
「そんな事ないっすよ!むっちゃ尊敬してますって。俺、先輩みたいになるのが目標なん
ですから」
・・・・・・頼むから俺みたいにならんでくれ。目標にするなら吉沢さんくらいすんばらしい人
にしてくれ・・・。
「それに・・・・・・本当はちょっと吉沢課長の行動、付けてみたんですよね」
「は?」
「でも、いつ家に帰ってるのかすら分らなくて・・・・・・」
ああそれで最近、仕事が終わっても「先に1人でマンション行ってろ」なんて言われてたのか。
新井、お前の尾行はバレバレだぞ?
「だから、お願いっす。吉沢課長のこと詳しく調べて俺に教えてください!」
「なんで俺が」
「そうじゃなきゃ、俺、仕事も手につかないっす」
「そうでなくとも、お前、全然仕事進んでないじゃないか」
「だからもっと手につかなくなるんです」
頭痛い。俺はおでこを手で押さえて、うんと唸った。
「じゃあ、俺が吉沢課長の身辺調べて、彼女がいるって証明できたら、お前は仕事に打ち
込めるってわけだな?」
さっさと適当な証拠作ってこの話は終わりにしてしまおう。そう思っていると、新井は、
テレながらボソっと言った。
「彼女がいないっていう証拠でも構わないっすけど・・・・・・」
どういう意味なんだ、それは!お前は吉沢さんに恋されたら、困るのか、嬉しいのか、
どっちなんだ!!!
 春の嵐。俺に下された指令は不可能で困難なモノになりそうな予感がしていた。







「あはははははっ」
珍しく吉沢さんが大口広げて笑っている。
 新井と飲んだ後、俺は一応新井に後を付けられてない事を確認して、吉沢さんのマンション
へと向かった。
 仕事が終わって吉沢さんのマンションに行くのは、ほぼ日課になってる。最近、漸く手に
入れた鍵で出入り自由にまではなったけど、未だに一緒に住む事を許してくれない、手ごわい
恋人だ。だから俺は相変わらず朝一で自分のアパートにスーツを着替えに帰るという、面倒
臭いことをしているわけだけど、新井の事もあるし「一緒に住みたい」は当分禁句だな。
「で、俺が新井に恋してるって相談受けた挙句に、恋人がいるか調べろって言われて、
落ち込んで帰ってきたのか」
 よほどツボにはまったのか、涙目になりながら吉沢さんは笑っている。
「笑い事じゃないっすよ〜」
この温度差。新井、絶対120%ありえないから、早くその馬鹿な妄想から脱出してくれ。
「新井の相談に乗るからこっち来るの遅くなるなんてメールよこすから、何があったと
思えば・・・・・・」
「俺だって、驚きですよ。真逆そんな相談だったなんて。あいつ絶対頭おかしいんですよ」
俺はソファーに座って吉沢さんを引き寄せる。吉沢さんは抵抗もなく俺の身体の中にすっぽり
と収まった。
 図体ばっかでかくても役に立たないと言われ続けたけれど、こういうときは本当にでかくて
よかったと思う。
 170の吉沢さんがすっぽり納まる俺の腕の中。抱き心地を女と比べてはいけない。抱き心地
なんか問題じゃない。そこにある俺達の「愛」(!)が重要なんだ。
 後頭部に唇を落とすと、吉沢さんは少しだけ身体をよじった。
「深海、くすぐったいって。・・・・・・で、お前どうすんの?」
「どうするもこうするもありませんよ。新井には『吉沢さんには美人で優秀でお前が入る
隙間のもないくらい完璧な恋人がいた』って言っておきます」
「美人で優秀、ねえ・・・・・・」
吉沢さんの首がこちらを向いて、呆れ顔が見える。
「いいじゃないですか、それくらい。そうでも言っておかないと新井の暴走は止まりませんよ?」
「言うはタダだからな」
吉沢さんの手が俺の頬を撫でる。実際の恋人はこんな駄目なヘタレ男だけど、選んだのは
吉沢さん本人なんだから、文句があるなら自分に言ってほしい。
「俺、本気で一瞬頭白くなりそうでしたよ、吉沢さんが新井に恋してるなんて」
「本当だったらどうする?」
「真逆〜」
そう言って俺達はどちらからともなく、唇を合わせる。形のよい唇からはほんのりとコーヒー
の匂いが漂ってきた。
 新井になんて、とてもじゃないけどこんな顔見せられない。俺だけのとっておき吉沢さん
スマイル。
 社内で交わす視線よりももっと濃厚で、身体の芯がうずきだすような色っぽい顔。
深くまでお互いの舌を絡めあって、ゆっくりと離す。瞳に、鼻の頭に、首筋に、軽く音を
立ててキス。
 吉沢さんが小さく唸ったところで、俺はふと顔を上げた。
「・・・・・・でも、本当に新井の方見てたわけじゃないっすよね?」
「・・・・・・」
目が合って、吉沢さんが睨んだ。
「吉沢さん?!」
「さあね?」
「吉沢さ〜ん?!」
ふん、と子どもっぽく顔を逸らして、吉沢さんは俺から離れようとした。
「じゃあ、なるべくお前の方は見ないようにする」
「うわあっ、待って、ごめんなさい。吉沢さ〜ん」
慌てて力を込めて抱きとめると、胸の奥で潰されそうになっている吉沢さんはもがきながら
言った。
「俺を疑うお前が悪い」
言葉にはしてくれないけれど、本当は俺のことちゃんと思っててくれる。この両思いの
むず痒さと嬉しさ。
「う、疑ってなんていませんて!この愛は本物です!ね、ね?ちゃんと愛し合ってますよね、
俺達!?」
「あー、はいはい」
半ば諦めたように力を抜いて、吉沢さんは俺に身体を預けた。
「お、俺・・・・・・明日絶対席替えします〜」
吉沢さんの首に顔を埋めながら、俺は情けない声で呟いていた。



――>>next







よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要



  top > work > missionシリーズ > mission_impossible1
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13