Re:謝る資格・・・・・・
「!!まだ、来るのかよ!!」
狭山は、再び車に乗り換えたようで、智優の走る方向に何度もその姿を見せた。
「走ってる人間を・・・・・・車で追いかけるなんて・・・・・・悪趣味、過ぎ!!」
マンションは直ぐそこだった。1本道の突き当たりがマンションのエントランスだ。
細い道に入る前に、車が智優の前を遮った。窓から狭山が顔を出す。狭山の顔は穏やか
そうに見えていたが、少しずつ化けの皮がはがれているようにも見えた。
「何処に逃げるの」
「お前に関係ないだろ!!」
「そんな口、利いてても大丈夫?」
「・・・・・・何する気だ!!」
「このまま車に詰め込んで、掻っ攫ってってもいいんだよ?」
体育会系のようなガタイの狭山になら、もしかしたら可能かもしれない。智優は一瞬、
テープで手足を縛られた自分を想像してしまった。
「そこまでして、なんで俺なんだよ!!」
「なんでだろうね。好きになっちゃったもんは仕方ないじゃないの?」
一生分かり合えることはないと、智優は首を振った。
それから、進行方向を変えると、道から外れてあぜ道の中を突っ切った。ここはマンション
の住人がマンションの駐車場へと抜ける為に勝手に歩いて作った小道だ。踏ん付けられて
そこだけ草がなくなっている。
一瞬のうちに智優が視界から消えたので、狭山は焦ったのか、車をそこに放置したまま
車を降りて、智優を追いかけてきた。
足音が聞こえて智優は焦った。あぜ道は暗いが、駐車場に抜けてしまえば外灯が煌々と
照らして、智優の姿は直ぐに見つかってしまう。
「待てよ!」
狭山の叫び声が直ぐ後ろでした。智優はあぜ道を抜けると、後ろを振り返らず全力で走った。
智優はポケットのキーホルダーから手探りでマンションの鍵を探し当てると、駐車場から
入れる非常口に向かって息を切らせながら近づいた。
「智優君!逃げても無駄だよ!」
狭山の声がどんどん近づいてくる。焦るあまり、鍵が上手く刺さらない。
「さあ、俺と一緒に帰ろう」
振り返ったらもう狭山との距離は数メートルもなかった。
震える手で鍵穴にキーをなんとか突っ込むと、ドアを開いて、身体をねじ込んだ。
「誰がお前となんか!」
バタン、と重い音をさせて非常ドアは閉じた。
閉ざされたドアに向かって、狭山が蹴ったのだろう。ドンという鉄の響く音が辺りに
木霊して、智優はこれでもかと言うくらいに心拍数が上がった。
まだ、安心して入られない。マンションの非常口も、エントランスも住人のキーが必要
だが、他の住人が入ってきたらその隙に入ることなど幾らでも出来てしまうのだ。
智優は上がる息を整えるまもなく、エレベーターに乗り込んだ。5階のボタンを押して
エレベーターの壁に身体を預けた。
足の力が抜け、ずりずりと下半身が床に滑り落ちていく。頭を壁にもたげ、天井を見
上げた。エレベーターの中の電気が明るくて、智優は目を瞬かせた。
「蛍琉・・・・・・」
思いっきりドアを叩いていた。
「蛍琉・・・・・・助けろよ・・・・・・」
玄関の向こう側で人の音がして、智優は小声で蛍琉の名前を呼んだ。
「・・・・・・智優?」
ゆっくりとドアが開くと、部屋着姿の蛍琉が目を丸くして立っていた。
肩で息を整えながら、智優は一歩中へ入る。蛍琉の許可なんて待ってる暇はなかった。
「はぁ・・・はぁ・・・・・・」
久しぶりに入った部屋に、感慨も感傷もなく、ただただ助かったと言う気持ちだけが智優
を支配した。
ああ、本当に助かった。流石にこの中までは狭山も追っては来れないはずだ。
安堵感でふらふらになる。恐怖のあまり自分の目が潤んでいたことも智優は気づかなかった。
「智優・・・・・・?!」
額に大粒の汗を浮かべて、切羽詰った顔の智優に、蛍琉も何かあったのだと、言葉を失く
していた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
玄関ホールには暫く智優の短い息遣いだけが響いた。蛍琉にしてみれば、何がどうなって
いるのか検討も付かないだろう。
自分が振って、傷ついた瞳で家を出て行った元恋人が、まるで自分に助けを求めてくる
ような表情で、ここに駆け込んできたのだ。
蛍琉と智優の間にも小さな緊張が走った。
玄関の壁に背を着いて蛍琉を見上げると、段々と気まずい空気が流れ始める。飛び込んだ
場所が何処であるのか、再認識させられる前に智優は、声を振り絞った。
「・・・・・・ごめ、ん・・・・・・ストーカーに・・・・・・追いかけられて・・・・・・逃げる場所が・・・・・・
ここしかなかった・・・・・・」
「ストーカー!?」
その答えに、蛍琉も声を上げた。
「・・・・・・邪魔して悪い・・・ヤツがいなくなったら・・・すぐ出てくから」
「奈央のところにいたんじゃないのか!?」
「す、ストーカーされて、逃げ込んでた・・・・・・」
蛍琉が眉を顰める。そんなこと一言もいってなかったと、独り言のように呟いた。
「誰だよ」
「え?」
「智優ストーカーしてるの、誰」
蛍琉は詰問でもしているような不機嫌そうな顔で言った。
「・・・・・・」
「俺の知ってるヤツ?」
「知ってるかどうか分からない。でも、『いっちゃん』の所に来てたヤツ」
「誰!!」
「・・・・・・狭山って男・・・・・・」
「!!」
狭山の名前を出したところで、蛍琉は頭を抱えた。蛍琉は狭山を知っているのか。そう
いえば、狭山は蛍琉と何度か話したことがあると言ってはいなかったか・・・・・・?智優は
またも動揺した。
「警察・・・・・・」
「ん?」
「警察、行った?」
「まだ・・・・・・」
「い、今、直ぐ!電話して警察呼べ!」
がっと肩をつかまれて、蛍琉の焦った声が玄関ホールに木霊した。
「う、ん・・・・・・」
距離のとり方がおかしい。蛍琉に他意はなくても、別れて未練引き摺っている男にこんな風
に肩をつかまれたら、智優の感情は壊れてしまいそうだ。
胸の中に飛び込んでしまえたらどんなに楽だろう、そう思って一歩ふらついたとことで
リビングから足音が聞こえてきた。
誰かいる。そう思ったときには既にそこに他人が立っていた。
「蛍琉さん・・・?」
「!!」
ラフな格好で現れたのは池山世那だった。
智優と世那はお互いなんでここにいるんだと言う顔をして見詰め合う。世那の方が先に
眉毛を揺らした。
ぷちん、と張り詰めた線が切れて、智優は飛び込む為に用意していた手を思わず拳にして
蛍琉をぶん殴っていた。
「な!!」
「うっ・・・・・・」
「あっ」
鈍い音で蛍琉はよろけて、驚いた世那が慌てて蛍琉に駆け寄った。智優は自分の取った
行動に固まってしまった。
「あんた、何すんだ!!」
「・・・・・・」
何したんだろう。世那がこのマンションにいても、文句を言える筋合いではない。自分は
蛍琉と別れた身だし、このマンションも捨てたのだ。蛍琉が誰と付き合おうと、誰をこの
部屋に呼び込もうと、こんな風に怒りに任せて殴れる身分じゃないのだ。
「いきなり深夜にやって来たと思えば、何?蛍琉さんへの報復ですか?この家、あなたが
勝手に出てったんですよね!?ちょっと勝手すぎじゃ・・・・・・」
世那が敵意むき出しで食い掛かろうとすると、蛍琉がそれを制止した。
「世那君、いいから」
「でも!!」
「・・・・・・智優には俺を殴る権利があるんだ・・・・・・」
「!!」
「智優は怒って当然だから・・・・・・」
「蛍琉さん!!」
蛍琉は誰とも目を合わせることなく呟いた。
智優は何も言えなかった。勢いで殴ってしまった拳がズキンと痛む。未練の痛みだ。蛍琉
を目の前にして、隣にいる世那を見て、沸点まで一気に上り詰めてしまった。智優の中で
こんなにも当たり前に世那に嫉妬している自分がいる。
狭山に踊らされているうちに時間ばかり過ぎていたけれど、別れは上手く受け入れられて
いなかったのだ。
本当なら今すぐにでもここから立ち去るべきだと思う。けれど狭山の事が頭を掠めて、
智優は唇を噛んで2人に頭を下げた。
「智優?!」
「・・・・・・!?」
「け、警察が来るまで・・・・・・玄関でいいから・・・・・・いさせてください。お願いします」
「智優、止めろって!!頭上げろ、そんなことしなくていいから」
蛍琉の焦った声が頭上に響いた。
世那が小声で蛍琉に何か言っている。2人だけの世界がもうここにはあるのだ。それを肌
で感じると、智優は惨めな気持ちで頭が上げられなくなった。
警察が帰っていくと、蛍琉は智優を部屋に呼び入れた。
「ここ、智優の家だから」
「でも・・・」
「・・・・・・」
困惑する智優に、蛍琉は強引に部屋に連れて行くと、ベッドルームに智優を送り込んだ。
世那の明らかに迷惑そうな顔が、昔の自分と被る。きっと突然やって来た世那を自分も
こんな顔をして見ていたのだろう。
世那には謝る気にはなれなかった。
蛍琉が世那と付き合うだろうことは予想していたことだ。けれど、逃げ込んだマンション
でこんな風に見せ付けられるなんて、本当にここに逃げ込んでよかったのか、智優は分から
なくなる。奈央は戻れと、戻って取り返せと言ったけれど、そんなこと出来るはずがない。
智優は惨めな気持ちのまま、ベッドに寝そべった。
世那はいつからここにいたのだろう。いつからこの部屋に来て、どこで蛍琉と寝ていた
のか・・・・・・考えると吐き気のするようなことが次から次へと湧き上がって、智優は鼻の奥
がつんと痛くなる。
無理矢理寝てしまおうと目を閉じると、ベッドサイドに置いた智優の携帯電話が震えた。
狭山からまたメールかもしれないと思って息を止めながら液晶を開いた。
from:蛍琉
sub:謝る資格・・・・・・
ごめん。
こんなことになってたなんて
気づかなかった。
俺が謝れるような資格ないけど、
でも、ごめん。
智優、まだ起きてる?
それは、ある意味狭山のメールよりも心臓をえぐられた。
いつ以来の蛍琉のメールだろう。過去の蛍琉のメールもメールボックスの設定も削除して
いなかったから、当然のように蛍琉専用のボックスにそのメールも入っていた。
智優は携帯電話を胸の上において、天井を見上げた。
蛍琉も迷って、揺れて、悩んでる。そうでなければ、あの迷いのない蛍琉が、こんな
メールをしてくる訳がない。長年一緒にいたのだ、それくらいは分かるつもりだった。
自分を手放したことを少しでも後悔していたとしたら、そこに付け入ることが出来たなら・・・
それでも、自分は蛍琉を取り戻したいんだろうか。
「駄目だ・・・・・・頭痛い」
智優は全ての思考を無理矢理停止して、目を閉じる。メールは返さずに液晶画面を閉じた。
疲れは確実にそこにあって、久しぶりのベッドはまどろみの中に一気に落としてくれた。
次の日、智優が寝室から出てくると、蛍琉と世那はリビングでテレビを見ていた。2人の
距離は微妙で、蛍琉は目が充血していた。
「・・・・・・おはよ」
「おはよう」
「・・・・・・」
智優はダイニングテーブルにぎこちなく座る。自分の家なのか他人の家なのか境界線が
上手く引けない。マグカップ一つ手に取るのも躊躇われた。
「あのさ」
「うん」
「色々考えたけど、やっぱり俺が家出るよ」
「え?」
「ストーカーの事もあるし、智優はここに残れ」
蛍琉は何処に行くの、その質問は心の中で潰した。分かりきっていることだ。
「・・・・・・いいのかよ」
「いいのって、元々、ここお前の家だし」
ローン名義は確かに智優だ。けれど、ここは蛍琉と2人で築き上げてきた家。どちらがいなく
なってもこの家は成立しない。
壊れた家に残されるのが辛くて、逃げ出したのに、逃げ込んだ先はやっぱりここしか
なかった。
智優は覚悟を決めると、小さく頷いた。壊れた家で自分まで壊れるか、修復できるのか
リスクの高い賭けだ。
蛍琉は世那を見て迷った挙句、小さく呟いた。
「・・・・・・なんかあったら」
けれど、智優は蛍琉の言葉を止めた。
「警察もいるし、なんとかなるから。・・・・・・色々、ありがとう」
「・・・・・・うん」
言いたい事は何も言えないまま、目の奥を揺らして、2人は小さく溜息を吐いた。
それから蛍琉は荷物をまとめると、蛍琉と世那は家を出て行った。
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